2
あたしは豪奢なドレスを脱ぎ捨てて簡素な旅装に身を包んだ。
そして必要最低限の荷物だけを持ち、ファドと共に一頭の馬の背に跨った。もっとも、その荷物も後で捨ててしまうのだけど。いつまでも持っていたら、その荷物から身元が分かってしまうことがあるらしいから。
完全な静寂を守る、城を囲うように造られた森。その中に、馬の駆ける音だけがやたらと大きく響く。
美しい葦毛の駿馬で、人を二人も乗せているにも関わらずそれを感じさせないくらい軽やかに走っていた。
「ねぇファド」
あたしはファドの体に腕を回した格好のまま、少しだけ顔を上げて先刻聞いたばかりの彼の名前を呼んだ。
「何でしょうか」
「貴方は……あたし達は、どこに向かっているの?」
「…遠く、です」
少しだけ間を置いて、ファドは無感動にそう答える。
あたしは口を閉ざす。
何故だか、もう何も聞いてはいけないような気がしたから。
…本当は、もっと違うことを聞きたかったのだけど…。
そして必要最低限の荷物だけを持ち、ファドと共に一頭の馬の背に跨った。もっとも、その荷物も後で捨ててしまうのだけど。いつまでも持っていたら、その荷物から身元が分かってしまうことがあるらしいから。
完全な静寂を守る、城を囲うように造られた森。その中に、馬の駆ける音だけがやたらと大きく響く。
美しい葦毛の駿馬で、人を二人も乗せているにも関わらずそれを感じさせないくらい軽やかに走っていた。
「ねぇファド」
あたしはファドの体に腕を回した格好のまま、少しだけ顔を上げて先刻聞いたばかりの彼の名前を呼んだ。
「何でしょうか」
「貴方は……あたし達は、どこに向かっているの?」
「…遠く、です」
少しだけ間を置いて、ファドは無感動にそう答える。
あたしは口を閉ざす。
何故だか、もう何も聞いてはいけないような気がしたから。
…本当は、もっと違うことを聞きたかったのだけど…。
『貴方は一体、どんな罪を犯してしまったの?』
聞きたかった。貴方の罪を。
けれど、口から出て来たのはあの質問。意気地が無いなぁと、あたしはちょっとだけ眉をひそめる。
それでも、あたしは大丈夫だと自分に言い聞かせる。
…大丈夫。
そのうちに、貴方から話してくれると信じているから。
…大丈夫。
もう一度心の中で呟いて、あたしは目を閉じた。そしてその態勢のまま、違うことを考え始める。
…少しやり過ぎたかしら。
けれど、口から出て来たのはあの質問。意気地が無いなぁと、あたしはちょっとだけ眉をひそめる。
それでも、あたしは大丈夫だと自分に言い聞かせる。
…大丈夫。
そのうちに、貴方から話してくれると信じているから。
…大丈夫。
もう一度心の中で呟いて、あたしは目を閉じた。そしてその態勢のまま、違うことを考え始める。
…少しやり過ぎたかしら。
風は、ふわりともいわない。
木々は、かさりともいわない。
星は、きらりともいわない。
木々は、かさりともいわない。
星は、きらりともいわない。
何もかも全てがだんまりを決め込んだように、いっそ不自然にも感じるほどに辺りはひっそりと静まり返っている。
…これからしばらくの間、この森から全ての音が消え去るだろう。
――あたしは、魔女の血を受け継いでいる。
あたしの生まれる五十年ほど前、『魔女狩り』というものがあったのだという。
陰の気を持つ女、周りの者達とは明らかに異質な女、それから、魔の力を使う女を手当たり次第に捕らえ、散々拷問をした挙句に十字架に掛けて火あぶりにするという残酷なものだ。
何故かは分らないがこれは女だけに現れる力らしく、男性にこの力は一切ない。
この魔女狩りは曽祖父の代に始まったのだが、あたしの祖母――当時『炎の使者』として恐れられていた魔女の娘――に惚れ込んだ祖父によって廃止された。その魔女の孫娘であるあたしも、当然のことながらその血を引いている。
そして今では、魔女達による魔術部隊までもが作られている。スワラージが『武の国』と呼ばれ、恐れられている最大の理由は、その魔術部隊の存在と功績によるものだ。
もっとも、あたしは魔法を使うことも空を飛ぶことも出来ないが。
あたしに出来ることは、動植物との会話。それだけ。それ以上の力は一切無い。
だけど、これはある意味最も有効で、そして強い魔法なのではないかとあたしは思っている。
人間は自然には勝てないのだ。対策を講じることは出来ても、打ち勝つことは出来ない。
あたしは自然その物に語りかけ、場合によっては見方にも付けることが出来る。この力は、多分何よりも有利にはたらくだろう。
…たとえば、今日のような日には特に。
彼もきっと気付いてはいないだろう。
この地面を蹴る蹄の音があたし達にしか聞こえてはいないということにも、この馬の蹄の跡が地面に付く側から消えているということにも。
…全ては、あたしと約束してくれたから。
出発の間際、あたしは全てのものに語りかけた。城を囲うこの森は承諾してくれた。
自然は嘘を吐かない。
全ては、承諾してくれた。
あたしが城を飛び出したことはまだ誰にも知られていないはずだ。明日の朝、使用人が起こしに来たときにあたしがいないことに気が付く。窓が開け放たれていて、そして軍隊隊長の姿も何処にも見当たらない。
その人は、罪人。
追いかけようと兵を送り出すが、足跡すら見つからない。
あたし達は逃げ切り、そしていつか、貴方はどんな罪を犯してしまったのかを教えてくれる。
うまく、終わらせる。
…いや、終わらせてみせる。
彼の胸に安らぎと平穏を捧げる為に。その為なら、あたしはためらう事無くこの力を使い続ける。
あたし達は、自然を見方に付けているのだ。
…取り敢えず、今の所は。
…これからしばらくの間、この森から全ての音が消え去るだろう。
――あたしは、魔女の血を受け継いでいる。
あたしの生まれる五十年ほど前、『魔女狩り』というものがあったのだという。
陰の気を持つ女、周りの者達とは明らかに異質な女、それから、魔の力を使う女を手当たり次第に捕らえ、散々拷問をした挙句に十字架に掛けて火あぶりにするという残酷なものだ。
何故かは分らないがこれは女だけに現れる力らしく、男性にこの力は一切ない。
この魔女狩りは曽祖父の代に始まったのだが、あたしの祖母――当時『炎の使者』として恐れられていた魔女の娘――に惚れ込んだ祖父によって廃止された。その魔女の孫娘であるあたしも、当然のことながらその血を引いている。
そして今では、魔女達による魔術部隊までもが作られている。スワラージが『武の国』と呼ばれ、恐れられている最大の理由は、その魔術部隊の存在と功績によるものだ。
もっとも、あたしは魔法を使うことも空を飛ぶことも出来ないが。
あたしに出来ることは、動植物との会話。それだけ。それ以上の力は一切無い。
だけど、これはある意味最も有効で、そして強い魔法なのではないかとあたしは思っている。
人間は自然には勝てないのだ。対策を講じることは出来ても、打ち勝つことは出来ない。
あたしは自然その物に語りかけ、場合によっては見方にも付けることが出来る。この力は、多分何よりも有利にはたらくだろう。
…たとえば、今日のような日には特に。
彼もきっと気付いてはいないだろう。
この地面を蹴る蹄の音があたし達にしか聞こえてはいないということにも、この馬の蹄の跡が地面に付く側から消えているということにも。
…全ては、あたしと約束してくれたから。
出発の間際、あたしは全てのものに語りかけた。城を囲うこの森は承諾してくれた。
自然は嘘を吐かない。
全ては、承諾してくれた。
あたしが城を飛び出したことはまだ誰にも知られていないはずだ。明日の朝、使用人が起こしに来たときにあたしがいないことに気が付く。窓が開け放たれていて、そして軍隊隊長の姿も何処にも見当たらない。
その人は、罪人。
追いかけようと兵を送り出すが、足跡すら見つからない。
あたし達は逃げ切り、そしていつか、貴方はどんな罪を犯してしまったのかを教えてくれる。
うまく、終わらせる。
…いや、終わらせてみせる。
彼の胸に安らぎと平穏を捧げる為に。その為なら、あたしはためらう事無くこの力を使い続ける。
あたし達は、自然を見方に付けているのだ。
…取り敢えず、今の所は。
・
…静か過ぎる気がする。
何故だろうか、星の瞬きすら消えてしまったようにも思う。
――守らなければ。
私の後ろにいる、愛しい人。
危険だと分かっているにも関わらず、私に付いて来てくれた女性。私の体に回しているこのか細い腕は、華奢な体は、あまりにも無力だ。
守らなければならない。
それはこの女性を、この国の王女を連れ出してきた私の義務であり、そして使命だ。フィオナには、一片の不安も与えてはならない。
…いや、きっともう、並々ならない膨大な不安を抱えているだろう。それでも、私に着いて来てくれた。
…たった三度。
私達がきちんと顔を合わせたのはたったの三度しかないのだ。
…私を不信に思わないほうがおかしいのではないだろうか。それでも、そんな状況でも、彼女は真っ直ぐに私を見つめ、疑うことなく着いて来てくれた。そして、私を信じてくれた。
彼女は『マリア』ではなく『フィオナ』が良いと、そう言ってくれた。
守らなければ。
私は、何を犠牲にしてもフィオナを守らなければならないのだ。
「…ファド」
「はい」
不意に、後ろから優しい声がした。
「……大好きよ」
私は、思わず涙ぐむ。
「…はい……っ!」
何故だろうか、星の瞬きすら消えてしまったようにも思う。
――守らなければ。
私の後ろにいる、愛しい人。
危険だと分かっているにも関わらず、私に付いて来てくれた女性。私の体に回しているこのか細い腕は、華奢な体は、あまりにも無力だ。
守らなければならない。
それはこの女性を、この国の王女を連れ出してきた私の義務であり、そして使命だ。フィオナには、一片の不安も与えてはならない。
…いや、きっともう、並々ならない膨大な不安を抱えているだろう。それでも、私に着いて来てくれた。
…たった三度。
私達がきちんと顔を合わせたのはたったの三度しかないのだ。
…私を不信に思わないほうがおかしいのではないだろうか。それでも、そんな状況でも、彼女は真っ直ぐに私を見つめ、疑うことなく着いて来てくれた。そして、私を信じてくれた。
彼女は『マリア』ではなく『フィオナ』が良いと、そう言ってくれた。
守らなければ。
私は、何を犠牲にしてもフィオナを守らなければならないのだ。
「…ファド」
「はい」
不意に、後ろから優しい声がした。
「……大好きよ」
私は、思わず涙ぐむ。
「…はい……っ!」
・
「…ファド」
あたしは彼の名を呼んだ。何だか少し、思いつめているようだったから。彼は紳士的に「はい」と短く答えた。
「……大好きよ」
彼はまた、「はい」と答えた。少しだけ、掠れた声だった。
あたしは彼の名を呼んだ。何だか少し、思いつめているようだったから。彼は紳士的に「はい」と短く答えた。
「……大好きよ」
彼はまた、「はい」と答えた。少しだけ、掠れた声だった。
さぁっと視界が開け、森を抜けた。
ゆるりと、あたしは顔を上げる。
空が、白み始めていた。
「夜明けだね…」
彼は、無言で頷く。
ちょっとだけ、笑った気がした。
「…キレイ」
薄紅い、わずかに紫掛かった空。
眩しくて、鮮やかで、本当に綺麗で、まるであたし達を祝福してくれているかのようだった。
ゆるりと、あたしは顔を上げる。
空が、白み始めていた。
「夜明けだね…」
彼は、無言で頷く。
ちょっとだけ、笑った気がした。
「…キレイ」
薄紅い、わずかに紫掛かった空。
眩しくて、鮮やかで、本当に綺麗で、まるであたし達を祝福してくれているかのようだった。
第二章雪にまぎれてへ