羽根あり道化師

月の光と罪の名前

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第三章・月の光と罪の名前


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 あたしは百合の花が嫌いだ。大嫌いだ。
 あの花は、マリアという名の聖人の象徴だから。
 …お父様は、よく言っていた。

『これは、お前の花だ』

 …だから、あの花は大嫌いだ。
 そして何より、“マリア“という自分自身が心の底から気に食わなかった。預言者を産んだというあの女性の名が、気に入らなかった。
 緩慢な歩みの死が、いつまでも来ない死が、疎ましかった。

「早く、来ないかなぁ…」

 …あたしは何度、この台詞を吐いただろうか。

         ・

 あたしが十四歳のとき、国内外で戦争が頻発していたらしい。
 『らしい』と言うのは、その全てがあたしの知らないところで起きたことだったから。 まるで目隠しをされたみたいで、あたしにはその実態を知ることを一切許されていなかったから。
 けれど、あたしは知ろうとした。
 木々のざわつきに耳を傾け、使用人達に話をせがんだ。そして、あたしは初めてお父様に『お願い』をした。
「ねぇお父様、今国中で戦争が起きているのでしょう?それに、使用人達の話によると今ではもう女性も参加しなければいけない程だとか。お父様、あたしも戦いに行きます。お願いです、行かせてください」
これが、あたしが初めてしたお願いだった。
お父様は一考することもなく、ただ首を左右に振った。
「何故です?」
 あたしは問う。
「どうして、あたしは戦いに行ってはいけないのですか?
この国の多くの人々が死地に向かっているというのに、命を掛けて戦場に立っているというのに、あたしだけがこのように城内で保護され安全に暮らしているのでは、国民に申し開きが出来ません。…あたしは、何もかも全てが自分の知らないところで行われていることに我慢がならないのです。……別に剣を持たなくても良い。弓を持たなくても良いの。あたしはただ、この国の為に戦ってくれている方々のお役に立ちたいだけなのです。お願いですお父様。どうか、行かせてください」
お父様はやはり首を横に振った。
そしてわずかに怒気を帯びた瞳であたしを見ると、こう言った。
「マリア、お前はこの国の世継ぎを産み、国を繁栄させなければならぬ身だ。戦地などという危険なところに遣る訳にはいかない。自身の役目を違えてはならん。もう少し、わきまえなさい」
「自ら志願したわけではなく、国の勝手な都合で『戦地などという危険なところ』に送り込まれた方達も居るのです。あたしは、その人達の助けになりたいのです」
フィオナ
 低い声で言い、お父様はあたしの両肩に手を置いた。
「少し、わきまえなさい」
あたしは俯き、頷いた。
けれど、正直不服だった。

何故あたしは戦いに行ってはならないのだろうか。
何故あたしはこうして守られているのだろうか。
何故あたしはお父様の言いなりになっているのだろうか。
そして何より、何故あたしはお父様に逆らえないのだろうか。

そう考えていて、あたしは自嘲じみた笑いを洩らした。
…嗚呼、まるで萎れた花みたいだ。
砂漠の中で、明日を諦めてしまった花。
しょんぼりと萎れた、哀れで惨めな花。
お笑いだ、と思う。
あたしは王女の身でありながら、国民の為に出来ることが何一つとして無いのだ。まるでガラスケースの中に飾られたお人形みたい。世に出る術も世を知る術もなく、黙ってじっとしていることしかあたしには出来ないのか。
きっとお父様もこう思っている。
『人形のように大人しくしていればいいのだ』と。
…お父様はあたしには自我が無いとでも思っているのだろうか。
あたしは生きた人間で、自我だってちゃんとある。…もう嫌だ。こんなお人形みたいな、飾り物みたいな暮らしはもううんざり。
“マリア”なんて聖人の名前なんか付けたりして、本当に馬鹿馬鹿しい。
 あたしに一番似合わない名前だ。
 あたしは、何一つ出来やしないのに。
 …だけど、あたしは知ろうとすることを止めなかった。
お父様への、せめてもの反抗だ。あたしは今まで以上に色々なものに耳を澄ますようになった。自分で見ることが出来ないのならせめて、色々なことを聞いておきたい。その世界の実情を、ほんの少しでも知っておきたい。
だから木々に、風に、星に、たくさんのものにあたしは外の世界の話を聞いた。教えて欲しいと使用人達に話をせがんだ。
貴方は知らなくても良いことですよと諭されたり、行き過ぎた好奇心は猫を殺すと言いますよとからかわれたりもした。けれど、それでもあたしは教えてくれと食い下がり、頼み込んだ。せめて事実を、教えて欲しいと。
 どこの国と戦っているのか、どのような理由で戦いを始めたのか、どれだけの人達が死んでいったのか、どのようにして死んでいったのか。たくさんの話を聞いた。酷く惨たらしい話をたくさん、たくさん聞いた。
そうして、あたしはおそらくほとんどのことを知った。ほとんどのことを知ることが出来た。
 …けれど、あたしの苛立ちがおさまることはなかった。
 一層、惨めだった。
 全てのことを知りながら何も出来ないことほど惨めなことはない。何もかもに、嫌気がさした。
 今もたくさんの人々が死んでいっている。
切り裂かれ、大量の血液を散らし、痛み、苦しみの果てにいる。なのに、どうしてあたしはこんなにも安穏としているのだろうか。
 そう考えたとき、あたしは自分がここにいる必要などないように思った。
 戦場の只中にいる人達から巻き上げた税を使って生きる穀潰し。あたしはそんな生き方なんかしたくない。
それならいっそ、死んでしまった方がいくらかましだ。そうすれば食い扶持が一つ減る。その分他の誰かの口に入るのなら、その方が良いのではないだろうか。
 思いながらあたしは呟く。
あたしは何故こんな所でのうのうと生きているのだろうか、と。
 …お父様に聞けば、きっとこう答えるだろう。
『世継ぎを産むためだ』
 あるいは、
『この国を繁栄させるためだ』
 …そんなこと、あたしは望んでなんかいない。
あたしが気に掛けているのは『国』ではない。『国民』だ。
人々が平和に暮らせるようになるのなら、人々の悲しみが少しでも消えて無くなるのならば、他国と合併でもなんでもすれば良いのだ。戦争なんかせずに、相手の用件をすんなり飲んでしまえば良いのだ。そうすれば、きっと丸く治まる。
いっその事、この国なんか滅びてしまっても良いとすら思う。

 そして何より、あたしは自由になりたいと思う。

 お父様の言う、『こうあるべきだ』というものから逃れたかった。
 女として、しおらしくするべきだ。
 娘として、親の言うことは聞くべきだ。
 王女として、毅然とするべきだ。
国の為に生きるためだ。
 お父様の言う限りの無い束縛から抜け出したかった。
 このままだと、お父様の意思のみで全てが決まってしまう。
 お父様の決めた好きでもない相手と結婚し、寝屋を共にし、子を産み、育て、そして国のためだけに生きる。
 そんなの嫌だ。
そんな人生なんかいらない。
あたしは誰のためでもなく、自分のために生きたい。
 …だけどそんなことは許されない。
 きっとこれからも気付かれない程度の小さな反抗をしながら、言われた通りに生きていくのだ。人生に意味なんかいらないとこっそり呟きながら。
 …だけど、ある時を境にあたしは壊れた。
 だんだんと口を閉ざすようになり、食事を取らなくなり、最後には部屋からでなくなった。ただ、あたしは毎日月を眺めていた。あの月の鮮やかさは、この城には訪れないのだろうな、と思いながら。時折、あたしは月に向かって手を伸ばした。あの明るさを手に入れたくて。
 あたしは月ばかり眺めていて、城内の何にも関心を示さなくなった。きっと、自分の人生を諦めることが出来なかったから。あたしは無意識のうちに大きな反抗心を育てていたのだ。
心の容積を上回るくらいに。

 ――その人は、突然に現れた。

 あたしは十五歳になった。
 戦争も終わった。
 そして、一つの出会いがあった。
 黒い軍服を着た、まるで月のような人。
 その人は、あたしに白い薔薇の花を差し出し、呼びかけた。

『私のフィオナ』

 そのとき、あたしは救われたのだと思う。
 たった一言。
 その人の、その一言で。
 相変わらず、あたしは百合の花が嫌いだった。
 何より、“マリア”という聖人の名を持つ自分自身が気に入らなかった。人形のような自分が、大嫌いだった。
 けれど、そのときあたしは“フィオナ”になったのだ。
 それ以来、あたしはその人を慕い続けた。月に想いを馳せ、真白な薔薇を夢に見るようになった。彼が愛しく、そして恋しかった。
 月のように美しい人。
 あたしは夜毎にその姿を想っていた。

 …そして、今に至る。





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