羽根あり道化師

思惑の行方<②>

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 木枯らしが、あたしの頬を撫で、去っていった。風が強くて、出歩くには少し寒い。あたしはファドの腕にぎゅうっとしがみ付き、その目線の先にあるものをちらと見た。
「――フィデリオ・ウィルソンとレオノーレ・ウィルソンか。旅券も…あるな。良し、通って良いぞ」
「ありがとうございます」
 グノースの国境の前、あたし達は関所の若い兵士に頭を下げる。そして無事、グノースへと入国した。
「…すごいね、内心どきどきしていたんだけど…本当に、入国できちゃった」
後ろを振り返り、関所が見えなくなったのを確認してからあたしは小声で言った。
「あぁ。どんなコネがあるんだか知らないが、あいつは偽造文書を造らせたら一流だ。奴は軍にいたときからの知り合いなんだ。通り名は“パロット”」
「鸚鵡(パロット)?」
 尋ねると、ファドは何処か懐かしそうに口を開いた。
「あいつも、私と同じなんだ。
…どんな理由があるのかは知らないが、決して名乗ることをしなかった。そうして着いたのが、“パロット”とか、あるいは“孔雀(ピーコック)”という呼び名だった。実は、私もあいつの本名は知らないんだ。きっと、向こうも私の本名は知らないだろうな」
「へぇ、不思議な関係なのね」
「まぁね。それで、今日から二、三日パロットの所に匿ってもらうことにしたから。もう連絡も取ってある」
「二、三日って…。あたし達、早く逃げなくちゃいけないのに…っ!」
「だからだよ」
 ファドはにっとまるで悪戯を成功させた子供のような表情をした。
「追手の奴等もそう思っているはずだ。グノースにパロットがいることから、私たちがここに立ち寄ることは向こうも容易く想像できるだろう。
だが、問題はその後。この先には、フィオナはもちろん、私にも知人と呼べる者はいない。となると、向こうはグノースに隣接するスワラージ以外の全ての国に兵を送るだろう。けれど、そうして隈なく探したにも関わらず私たちが見つからなかった場合、どうなるだろう?」
「そっか、相手を混乱させるのね!」
ぱん、とあたしは手を打ち鳴らした。
「そういうこと。向こうが探しつくして引き上げたころに行けば見つかる可能性も低い」
「いいと思うわ、それ。…でも、いつの間に連絡を取っていたの?」
「フィオナの知らない間にちょっとね」
「…ふぅん。なんか、楽しみ。…あ、ねぇファド、あたし、パロットさんの家に行った時もファドのこと“ファド”って呼んでいてもいいの?」
 今まで隠していたんでしょ?とあたしはファドの腕にしがみついたままの状態で尋ねた。
「あー…、それじゃあ、“月(ルナ)”で。向こうもそう呼ぶから」
「じゃあ、あたしは?」
 あたしはファドの前に回り込み、顔を覗き込んだ。
「…“フィオナ”は嫌だよ。絶対に。この名前は、とても大切だから。ファドだけの名前だから。
たとえそれがファドのご両親でもお友達でも嫌。ファド以外の人に、“フィオナ”なんて呼ばれたくないもの」
「…フィオナ?」
あたしはファドの腕から離れ、セレンダインの毛並みを撫でながら続けた。
「この名前は…、“フィオナ”は、あたしの聖域なの」
ファドは、クスリと笑う。
 そして立ち止まり、あたしの額に唇を当てた。
「分かった。それじゃあ、“セレネ”は?」
「どういう意味?」
 ファドはあたしの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「月の女神様の名前。ぴったりだろ?」
 セレンダインの手綱を引き、ファドはゆっくりと歩き出す。あたしもその横に並び、ゆるゆると歩を進めた。
「フィオナ」
「何?」
「“フィオナ”と“ファド”はこれから二人だけのものってことで」
 あたしは一瞬、目を見開く。ちょっとだけ、頬が熱くなる。…ああもう、どうしてファドは、さらりとこういうことを言ってくれるのだろう。
「良い?」
 高い位置からの視線が、あたしの顔を覗き込んでくる。…為て遣ったり、というか、そんな感じの笑みが、何だか悔しくて憎たらしい。それでも側にいたいと思うのは、やっぱりファドが好きだから。
「…良いよ、もちろん。でも…」
「でも?」
「手、繋いでくれたら。そしたら、そうしても良いよ」
 今まで、何度も口付けはもらった。たくさんの抱擁ももらった。だけど、良く考えると手を繋いでもらったことは今まで一度も無い。
 …だから、すっごく欲しくなった。
「ね、良い?」
 ファドはクスリと笑う。
「仰せのままに、女神様」





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