第五章・真実を言及
1
――え?バレないように人を欺くにはどうすればいいか?
そんなの簡単だよ。最初に、自分を騙しちゃえばいいのさ。
・
「まずは、自分を?」
あたしの定位置となったファドの隣。腕にしがみつきながら、あたしはその言葉に首を傾げた。
人の行き来の激しい商工業の盛んな街。
たくさんの人、商人たちの客寄せの声、女の人、男の人、それに子供たち。たくさんの音にあふれている。賑やかで、華やかで、すごく楽しい。今までこうやって街を歩いたことがなかったから、世界にはこんなにたくさんの人たちがいたのかと驚いた。ここの人たちにとってはいつも通りのごく当り前な風景なのだろうけれど、あたしにとってはすごく新鮮だ。
「そう。まず、自分を信じ込ませる。自分で真実だと、本当のことだと思いこんでいる内容を話しているのなら、それは嘘ではないだろう?」
追われている場合、自国では過疎地域――それでいて人の行き来が少なくない所――を選び、他国ではとにかく人の多い所を進むのが良いのだと、ファドに教えてもらった。それが一番、人の印象に残らない動き方らしい。人というのは案外見ているようで見ていないものなのだとも言っていた。
「そう、なの?」
あたしは、ん?ともう一度首を傾げる。ファドはそうだな、とわずかに空を仰いだ。
「…例えば、私が『月は巨大なチーズのかたまりで出来ている』と信じているとする。そして、それを真実として何も知らない誰かに教えた場合、それは嘘を吐いたことになるだろうか」
「…ならない…かな」
「そう。後からそれが間違いだったと気が付いたとしても、その時の私にとっては、それが『事実』であり、『真実』なんだ。嘘を吐いているのなら、それはまぁ相手の話し方や仕種で分かるけれど、事実を言っていると自分で思い込んでいたら、相手は嘘を吐いているとは分からないし、気付きようがない。まぁ、本当の答えを自分で知っているのなら話は別だけどね」
「ふぅん」
あたしはクスリと笑って、なんだか詐欺師と話をしているみたいだと言った。
「そうかもしれないよ?何にせよ、嘘を吐いたことのない人間なんかいない。たとえそれが、何かを守るための嘘だったとしてもね。フィオナだって、一度や二度くらいはあるだろ?」
「…そうね」
あたしは呟く。
悪戯な風があたしの髪を乱し、ファドのコートをなびかせた。
「ねぇファド、昨日は一晩中歩いていたから疲れちゃった。セレンダインも疲れているみたいだし、そろそろ今日の宿を決めましょうよ」
「あぁ、そうだな」
あたしの定位置となったファドの隣。腕にしがみつきながら、あたしはその言葉に首を傾げた。
人の行き来の激しい商工業の盛んな街。
たくさんの人、商人たちの客寄せの声、女の人、男の人、それに子供たち。たくさんの音にあふれている。賑やかで、華やかで、すごく楽しい。今までこうやって街を歩いたことがなかったから、世界にはこんなにたくさんの人たちがいたのかと驚いた。ここの人たちにとってはいつも通りのごく当り前な風景なのだろうけれど、あたしにとってはすごく新鮮だ。
「そう。まず、自分を信じ込ませる。自分で真実だと、本当のことだと思いこんでいる内容を話しているのなら、それは嘘ではないだろう?」
追われている場合、自国では過疎地域――それでいて人の行き来が少なくない所――を選び、他国ではとにかく人の多い所を進むのが良いのだと、ファドに教えてもらった。それが一番、人の印象に残らない動き方らしい。人というのは案外見ているようで見ていないものなのだとも言っていた。
「そう、なの?」
あたしは、ん?ともう一度首を傾げる。ファドはそうだな、とわずかに空を仰いだ。
「…例えば、私が『月は巨大なチーズのかたまりで出来ている』と信じているとする。そして、それを真実として何も知らない誰かに教えた場合、それは嘘を吐いたことになるだろうか」
「…ならない…かな」
「そう。後からそれが間違いだったと気が付いたとしても、その時の私にとっては、それが『事実』であり、『真実』なんだ。嘘を吐いているのなら、それはまぁ相手の話し方や仕種で分かるけれど、事実を言っていると自分で思い込んでいたら、相手は嘘を吐いているとは分からないし、気付きようがない。まぁ、本当の答えを自分で知っているのなら話は別だけどね」
「ふぅん」
あたしはクスリと笑って、なんだか詐欺師と話をしているみたいだと言った。
「そうかもしれないよ?何にせよ、嘘を吐いたことのない人間なんかいない。たとえそれが、何かを守るための嘘だったとしてもね。フィオナだって、一度や二度くらいはあるだろ?」
「…そうね」
あたしは呟く。
悪戯な風があたしの髪を乱し、ファドのコートをなびかせた。
「ねぇファド、昨日は一晩中歩いていたから疲れちゃった。セレンダインも疲れているみたいだし、そろそろ今日の宿を決めましょうよ」
「あぁ、そうだな」
・
「ねぇファド、考えていたんだけど、一番の詐欺師はあたしかもしれない」
こざっぱりとした、小さな宿屋。
部屋に入るなり、フィオナは寝台に腰を降ろし、そう言った。
「あたし、いつも自分のこと騙していたもの。今こんなに欲求通りの生活が出来ているのが不思議なくらい」
「…フィオナ、何を?」
「いっつも、自分の中に自分の感情を押し込めて、押し込めて…」
様子がおかしい。
「…大丈夫か?顔が、少し赤いみたいだ。熱があるんじゃないのか?」
こつん、と額を当てる。
熱い。
やはり馴れない旅をして疲れが出たのだろう。
「…やっぱり、熱があるな。…辛いなら早く言ってくれれば良かったのに。ちょっと待ってろ、今、薬を買って…」
「待って…」
袖を掴まれて、私は動きを止める。
「側に…いて欲しい…」
フィオナを寝台に寝かせ、前髪を撫でる。
「…分かった。ここにいるよ」
手を握ってやると、フィオナは安心したように微かに笑い、そのまま眠りに落ちた。静かな寝息が小さな唇から零れる。
額に濡らしたタオルを乗せてやり、もう一度前髪を撫でた。
…無防備な寝顔。
私はそっと、その唇をなぞる。
「…マズいな」
今まで、『兄妹』として抑えていた。
今まで、その唇には触れないようにしていた。
…こんなにも無防備だと、箍が外れてしまいそうになる。
「……本当に、マズい」
私は床に座り、寝台に寄りかかった。
…この一線は、絶対に越えてはいけない。
「…どうしろって言うんだ」
この気持ちは、どこにやれば良い。
やり場の無いこの気持ちは、一体どこに持っていけば良いんだ。
フィオナは、私を愛し、信じ、慕ってくれている。誰よりも、私のことを想ってくれている。なのに、私はそれに応える術を持たない。だからせめて誠実であろうと、努めてきた。
兄妹である以上この一線は越えてはならないと、心の中で何度となく繰り返しながら。
「…くそっ」
吐き捨てるように呟いて、私は一つ溜め息を吐く。
いっそ、押し倒してしまうことが出来ればどれほど楽だろうか。そんなことをする勇気もない癖に、私はそんなことを思っていた。
くだらない、と私は天井を見上げ呟いた。
…男をハムレット型とドン・キホーテ型とに分けたのは誰だっただろうか。それなら、私はきっとハムレット型だろう。
…まぁどちらにしても愚かなのには変わりないが。
少し自虐的にそう考えながら、私は床に座ったまま目を閉じた。
こざっぱりとした、小さな宿屋。
部屋に入るなり、フィオナは寝台に腰を降ろし、そう言った。
「あたし、いつも自分のこと騙していたもの。今こんなに欲求通りの生活が出来ているのが不思議なくらい」
「…フィオナ、何を?」
「いっつも、自分の中に自分の感情を押し込めて、押し込めて…」
様子がおかしい。
「…大丈夫か?顔が、少し赤いみたいだ。熱があるんじゃないのか?」
こつん、と額を当てる。
熱い。
やはり馴れない旅をして疲れが出たのだろう。
「…やっぱり、熱があるな。…辛いなら早く言ってくれれば良かったのに。ちょっと待ってろ、今、薬を買って…」
「待って…」
袖を掴まれて、私は動きを止める。
「側に…いて欲しい…」
フィオナを寝台に寝かせ、前髪を撫でる。
「…分かった。ここにいるよ」
手を握ってやると、フィオナは安心したように微かに笑い、そのまま眠りに落ちた。静かな寝息が小さな唇から零れる。
額に濡らしたタオルを乗せてやり、もう一度前髪を撫でた。
…無防備な寝顔。
私はそっと、その唇をなぞる。
「…マズいな」
今まで、『兄妹』として抑えていた。
今まで、その唇には触れないようにしていた。
…こんなにも無防備だと、箍が外れてしまいそうになる。
「……本当に、マズい」
私は床に座り、寝台に寄りかかった。
…この一線は、絶対に越えてはいけない。
「…どうしろって言うんだ」
この気持ちは、どこにやれば良い。
やり場の無いこの気持ちは、一体どこに持っていけば良いんだ。
フィオナは、私を愛し、信じ、慕ってくれている。誰よりも、私のことを想ってくれている。なのに、私はそれに応える術を持たない。だからせめて誠実であろうと、努めてきた。
兄妹である以上この一線は越えてはならないと、心の中で何度となく繰り返しながら。
「…くそっ」
吐き捨てるように呟いて、私は一つ溜め息を吐く。
いっそ、押し倒してしまうことが出来ればどれほど楽だろうか。そんなことをする勇気もない癖に、私はそんなことを思っていた。
くだらない、と私は天井を見上げ呟いた。
…男をハムレット型とドン・キホーテ型とに分けたのは誰だっただろうか。それなら、私はきっとハムレット型だろう。
…まぁどちらにしても愚かなのには変わりないが。
少し自虐的にそう考えながら、私は床に座ったまま目を閉じた。
・
「…んっ」
熱は下がったらしく、気だるい感じも消えていた。
あたしは少し目を開き、辺りを眺めた。
寝起きの、ぼんやりとした不鮮明な視界の中に、ファドの姿だけがやけにはっきりと鮮明に映る。
「…ずっと、側に居てくれたんだ」
冷たいだろうに、ファドは床に座って、寝台に寄りかかるようにして眠っていた。腕を組み、頭だけを寝台の上に預けている。
…綺麗な寝顔。
あたしは金色の前髪をちょっとだけ持ち上げ、穏やかな表情で眠るファドを見つめた。
こんなに綺麗で優しい人、ファド意外に見たことない。
「…」
怒らない、よね?
あたしは静かに寝台から降り、ファドの横に座った。
そして…。
「…」
そしてゆっくりと、唇を重ねた。
窓から差し込む月明かり。
それは柔らかく二人を包む。
あたしは唇を離して、わずかに赤面した。
ファドはまだ規則的な寝息をたてている。その姿を見ていると、何だか自分がとんでもないことをしてしまったのではないかなどと思えてくる。
あたしはまた、ファドの寝顔をじっと見つめた。
「…ま、いっか」
互いに愛し合っているのだから、何の問題もないはずだ。
えへへ、と笑い、あたしは寝台から布団をはがしてファドに掛ける。そして自分もその横にぴったりとくっつき、瞳を閉じた。
こんなに近いところで眠るのは初めてでドキドキしていて、だけど、嬉しくて、暖かくて…。
ファドの肩に頭を寄せ、あたしは実感した。
幸せだ。
心から、そう思う。
「…あたしは、幸せだよ」
大切にしたい。
今この瞬間が、本当に幸せだから。
熱は下がったらしく、気だるい感じも消えていた。
あたしは少し目を開き、辺りを眺めた。
寝起きの、ぼんやりとした不鮮明な視界の中に、ファドの姿だけがやけにはっきりと鮮明に映る。
「…ずっと、側に居てくれたんだ」
冷たいだろうに、ファドは床に座って、寝台に寄りかかるようにして眠っていた。腕を組み、頭だけを寝台の上に預けている。
…綺麗な寝顔。
あたしは金色の前髪をちょっとだけ持ち上げ、穏やかな表情で眠るファドを見つめた。
こんなに綺麗で優しい人、ファド意外に見たことない。
「…」
怒らない、よね?
あたしは静かに寝台から降り、ファドの横に座った。
そして…。
「…」
そしてゆっくりと、唇を重ねた。
窓から差し込む月明かり。
それは柔らかく二人を包む。
あたしは唇を離して、わずかに赤面した。
ファドはまだ規則的な寝息をたてている。その姿を見ていると、何だか自分がとんでもないことをしてしまったのではないかなどと思えてくる。
あたしはまた、ファドの寝顔をじっと見つめた。
「…ま、いっか」
互いに愛し合っているのだから、何の問題もないはずだ。
えへへ、と笑い、あたしは寝台から布団をはがしてファドに掛ける。そして自分もその横にぴったりとくっつき、瞳を閉じた。
こんなに近いところで眠るのは初めてでドキドキしていて、だけど、嬉しくて、暖かくて…。
ファドの肩に頭を寄せ、あたしは実感した。
幸せだ。
心から、そう思う。
「…あたしは、幸せだよ」
大切にしたい。
今この瞬間が、本当に幸せだから。
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