羽根あり道化師

真実を言及④

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 スワラージの軍服を着た、頬に揃いの蒼い炎の刺青を持つ三人の女性。彼女達を眺め、ファドはわずかに目を細めた。
「…“エリニュエス”か」
 軍屈指の魔術部隊、“エリニュエス”。
 ギリシャ神話の三女神の名を与えられたその部隊の歴史はまだ浅いが、実力はある。三人で一つの部隊を成すエリニュエスの力は、大隊のそれにも匹敵する。
 エリニュエスが出てきてしまっては、グノースも拒むことは出来なかっただろう。国自体にもかなりの力があるし、それに、仮にも『武の国』スワラージの精鋭だ。入国を拒んだら、国の存続すら危ぶまれる。
 ファドは静かに剣を引きぬいた。
「覚悟なさいませ、ファド・ギルト様」
 一人が、かすかに笑う。
「我ら“エリニュエス”は復讐の三女神。罪を追求する三人の女神。…貴方は、原罪にも近い」
 一人が、無表情に言う。
「ほんとに綺麗ね。ちょっと惜しい気もするけど…王サマからの命令だから、恨まないでね?」
 一人が、華やかに笑う。
「それでは、『死合』と洒落込みましょうか」
 三人は同時に言った。
 気持ちが悪いくらい、ぴったりと揃えて。
「…『死合』、か…。良いだろう」
 刹那、ファドは駆け出した。

「――!!」

 どこのものなのか分からない言葉を吐き出し、エリニュエスは薄く笑みを浮べる。
 球状の炎や雷がファドを追いまわし、ファドはそれを軽やかにかわしながらエリニュエスに向かっていく。
「へぇ、さっすがぁ!“血濡れの猟犬(ブラッディー・ハウンド)”の呼び名は伊達じゃあないね!」
 後ろに飛びのいて振り下ろされたファドの剣をかわし、エリニュエスは言う。ファドはちっと舌打ちをして、再びエリニュエスとの間を詰める。
 …どこか、楽しげに見える。
 エリニュエスも、ファドも。
 身近に迫る死の香りに、酔っているようにも見える。
 フィオナはただそれを見つめていた。どうしようもない無力感。けれど、動くことも出来ず、声を出すことも口を開くことも出来ずに目を見開き、ただその戦いをじっと見つめていた。戦場とは、こういうものなのかと寒気がした。けれど、目をそらしてはいけないような気がして、じっと、見つめていた。
 …舞のようだ。
 アギナルドは四人の戦いを眺めながら、そう思った。
 エリニュエスの紡ぐ呪文に合わせて炎や雷が空を舞う。それを弾く剣の一線がキラリと光り、獣じみたファドの瞳がエリニュエスを射る。
 舞のように、軽やかに。けれど、射るように鋭利に。

 ぞわ…。

 鳥肌が立つ。
“狼”と、俺を最初に呼んだのは誰だっただろうか。
 ――死合。
『試合』ではなく、『死合』だ。
 命の遣り取りに試合などという生ぬるい言葉は使えない。そう、これは試合ではなく『死合』なのだ。
「せめてもの情けだ。苦しまぬよう、逝かせてやる」
 ファドは酷薄な笑みを浮かべて呟くと、エリニュエスの喉に剣の切っ先を突き立てた。わずかな迷いもなく、真っ直ぐに。
 雪で白く染まった世界に鮮血を散らし、静かに倒れる。首と体が辛うじて繋がっている状態だ。おそらく即死だろう。
 その瞬間を見ようともせず、ファドはまた炎の球体と舞を始める。ファドの服は、赤く、血に染まっていた。
 わずかに声量の欠けた呪文。
 その中で、ファドは変わらずに舞い続ける。
「――!!」
 その呪文は鮮烈に、強烈に弾け、ファドの左肩をえぐり取った。
「ファド!」
 唐突に、呪縛が解けたかのようにフィオナは叫んだ。
 力が入らなくなったのか、だらりとなった左腕をぶら下げて、ファドは苦痛に顔を歪めることもせず変わらずにエリニュエスへと向かっていく。
 エリニュエスの放った炎が周囲の木々に燃え移り、夜の闇が唐突に照らされる。
 それは、真っ赤な血液の色。漆黒に近い影が、辺りを覆う。
 うごめくその様は、酷く不気味だった。
 ぶわりと、熱風が頬を掠めていった。煙が辺りに黒い幕を作り、火花がちりちりと視界を歪める。赤い炎は、だんだんと強くなる。
 まるで、戦いや血の臭いを求めるように。
「ファドっ、血が!!」
「大人しくしていて下さい」
「…っ!」
 駆け出そうとしたとき、柔らかな声と共に喉元に剣が当てられた。辛うじて傷がつかない程度の強さで、喉にぴったりと押しつけられる。
 動けない。
 少しでも動けば、口を開けば切り殺すぞという気配が、背後から漂ってくる。殺気、というのだろうか。戦場で、たくさんの兵が感じてきたであろう感覚。それは かつて、行かせてくれとせがんだ場所。こんなにも、恐ろしいところだったのか。
 初めての感覚。それに、フィオナは成す術もなく息を呑み、身を縮めた。
「…少々心苦しいのですが、これも仕事なのでね」
 おどけたように言って、アギナルドはちらりとファドに目をやった。明らかに、挑発している。貴方の恋人が死んでも良いんですか、と。
「フィオナ!」
 叫び、振り返りざまに剣を振りもう一人の腹を絶つ。
 腕に響く確かな手応えの後、胴と下半身が真っ二つになり、悲鳴を上げることもなくそれは転がった。
「貴様ァ!!」
 真っ直ぐに、ファドの剣はアギナルドの心臓を狙う。
 辺りに満ちる死の香り。
 濃厚な血の臭いは、全ての感覚を麻痺させる。
「残念だけど――」
 アギナルドは柔らかに笑う。

「君の負けだよ、“狼”」

 カクン、と崩れ落ちる。
 その後ろには、女神達の生き残り。
 糸の切れたマリオネットのように、ファドはその場に崩れ落ちる。
「“猟犬”も“狼”も“人間”も、“神”には勝てない」
 一人になったエリニュエスは、そう呟く。
「ファ、…ド?」
 フィオナは目を剥く。
 喉から剣が離され、フィオナはファドの腕にそっと触れた。
「ファド…ファド、いやァっ、やだ!やだぁ!」
 閉じられた月の瞳。血にまみれた姿。背中に生々しく広がる焼け爛れた跡。えぐられた左肩。辺りに広がる血液の臭いに、赤い炎に黒い煙。
 そして、エリニュエスの手の中にある紅い心臓。
 指の隙間から、血液が紅く滴る。
「まぁ、猟犬も所詮は人間のペットだからね。利用価値がなくなればもう必要とはされない」
 仕方ないよね、とアギナルドは言う。
「それじゃあ、そろそろ帰りますか。マリア王女、お手をどうぞ。僭越ながら、“狼”に代わり俺がエスコート致しましょう」
 アギナルドの手を振り払い、フィオナはファドの体に縋り付く。
「イヤぁっ!やだ、ファド、起きて!起きてよ!目を覚まして!」
「もう死んでいる。目覚めたりはしませんよ」
「ファド、ファド、お願いっ!目を覚まして!!」
 ファドの遺体から離れようとしないフィオナに、アギナルドは一つ溜め息を吐く。そしてフィオナの傍らに跪いて、にこりと笑んだ。
「何が…、何がおかしいのよ…。なんでこんな時に笑っていられるのよ!!」
「…まぁ、魔法は使えませんが、俺にもこのくらいのことは出来るんですよ」
 ポケットから懐中時計を取り出した。
 カチ。
 時を刻む、秒針の音。
「少しの間、大人しくしていて下さい」
 カチ、カチ、カチ。
 ――パチン。
 指を鳴らす音と共に、フィオナは崩れた。
 深い深い、悪夢の中に。


 ぐちゃり。


 エリニュエスの生き残りは、ファドの心臓を握り潰した。
「所詮は犬か。…惜しい男」
 仲間の死を悼むでもなく、嘆くでもなく、復讐の女神はかすかに笑った。狂ったような、柔和な笑みを。
「行きましょう、アギナルド。…我が悪神(アーリマン)よ」
 赤々と燃える炎に照らされながら、女神の生き残りは真っ赤な血液にまみれた腕でフィオナを抱き上げ、艶やかに笑った。
「そうだね。ここは少し、暑いから」
 アギナルドも頷いた。
 穏やかな、優しい笑みを浮かべながら。






第六章暁の婚礼

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