羽根あり道化師

仄暗い夜道の片隅で

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mary

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【仄暗い夜道の片隅で】



「殺してやる」

 地を這うような声で、女は言った。

 別段、何の変哲もない女だった。可もなく不可もなく、とりわけ美しくも醜くも無かった。暗い表情が濃い霧のようにのっぺりと顔の上に広がり、それが女の特徴をことごとく覆い隠しているのかも知れない――――ただ、眼だけが重く鈍く光って。

「殺してやる」

 呟かれた言葉に、男は落胆した。

 興が逸れたように、男の眼は急速に色を失った。醒めた瞳がいくら女を映し出しても、最早それは女を見てはいなかった。

 チカ、チカリと青白い光が瞬いた。それに呼応して、夜も1度ゆらりと揺らぐ。


 もし、本当にそれを望んでいるのなら。
 決して口に出していいものではない。


 この国には、古くから『言霊』という文化がある。遥か昔の人々は言葉にする事でその通りになる、と信じてきて、今でもその思想はひっそりと息づいている。
 人が言葉を発する事でその言葉に力が宿り、その声により大気が震え、震えた分だけ確実に、外界に影響を及ぼす。言霊とはそういうものだ。

 些細な事で、世界は変わる。
 それはもう、呆気無いほどに。

 それを男は経験で知っていた。
 しかし一方でこうも思う。それは飽く迄受動態である時の話であって、能動態であった場合ではない。
 つまり自らが起こすべき行動だとすれば、言葉を発する事によって、それはどんどん己から遠のいてしまうのではないか、と。

 口にすれば口にする程、その想いは心から離れていく。

 ならば、ただひたすらに内に秘め、一欠けらの想いも取り溢してはならないと。
 そう、思うのだ。

 ―――――殺してやる。殺してやる殺してやる殺してやる・・・・・・

 言葉を溢せば溢す程、その顔は悲哀に満ちていく。
 そこで初めて、男の眼は再び女を捕えた。

「貴女には、無理だ」

 男がそっと女の耳元で囁くと、女はいっそうその顔を悲愴に歪め、目尻から頬へと一筋の雫がつたった。


 愛して、いたのに。


「・・・・・・そういう事は本人に言ってくれよな」

 チカ、チカリと青白い光が瞬いた。雨も降っていないのに、一滴の水滴がその光に照らされて、コンクリートの上で微かに光る。

 コンビニ袋を片手にぶら下げたまま、街灯の前にただ1人突っ立っていた男は、やがて小さく溜め息を吐いて闇の中へと消えていった。



                                   了






以下どうでもいい話

 読み手の事を一切考えずに、完全に自分の楽しみだけに書いた話。いや、そんな事言ったら私の小説なんか全部そうなのだけれど。

 数年前に書き出してそのまま放置していたものを、今回唐突に思い出したので書きあげてみました。
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