開けた草原に地平線を見ながら、後方に響き続ける戦場音楽を背中に、俺整備兵軍曹は戦場を駆けていた。先日皇帝より発表された、カールスラント本土の放棄と全臣民のガリアへの撤退作戦は、国軍並びに皇帝親衛隊の甚大な被害を代償として成功を収めていた。
しかし俺軍曹の所属部隊であるJG52飛行隊は、全軍の殿軍として未だ戦争の渦中にあった。彼の整備した戦闘脚を履いて、ウィッチたちは今や
最前線と化した首都でネウロイを叩き続けている。
「動け!動け!動け!!俺たちが一秒でも早く安全区域に到達するのが最大の支援行動だぞっ!!」
俺の前方では青白い顔の基地指令官が怒鳴っている。本来なら真っ先に退避してしかるべき彼が何故ここで俺たちと共に泥にまみれているのか。彼は基地放棄の命令と同時に-ネウロイの空爆により痩せ細った-基地の機動力の全てを、傷病者と市民に提供する決定をしていた。機材の放棄は明らかな軍規違反であったが、あのバルクホルン中尉ですらも、その決定には何も口を挟まなかった。何故なら誰もが理解していたからだ。カールスラント国軍は、臣民を守るために存在しているのだ、と。
勇敢な基地指令に率いられた俺たちは、非戦闘兵科が多数派の軍集団としては、驚異的な速度で進軍していた。友軍の支配地域まであと50km、多少の無理をすれば今日中に辿り着ける筈だった。
「あっつあつのフランクフルトだな。やっぱり……」
隣を歩いていた少尉がポツリと言った。配属されたばかりの新米ウィッチの彼女は、機体の不足により一度も出撃することなく敗走に巻き込まれていた。その言葉に後方から口々に声が響く。
「ごっついステーキも捨てがたいですぜ」
「それにビールがつきゃ最高ですな!」
整備員たちが、各々に好物を叫んだ。肉に酒。カールスラントの一般的な食卓の姿だ。ここ数日の行軍の中では一度もありつけていないものでもある。
「しかしガリアだぜ……。『まず前菜でございます』ってちんまいのから来るかもな」
ひょうきん者で通っている主計中尉が落ちをつけた。こんな話の最後は決まっているのだ。少なくとも、カールスラントでは。皆が声を揃えて叫ぶ。
「「「クソったれのガリア野郎!」」」
部隊に笑いの輪が広がった。厳格で知られたはずの基地指令まで腹を抱えていた。それがたとえばればれの下手な演技だとしても、野戦指揮官として最も必要な要素だった。部隊の士気は良好だった。
ちくしょうこの人はいいウィッチになるんだろうな。自身の発言の効果に、満足気に微笑む少尉を横目に俺は思った。
でも、俺はまずはシャワーかな。全身にまとわりつく汗で濡れた軍服の不快感に、俺は思った。
「しっかし、何故こうも照り付けますかね?」
俺の発言に、少尉が答えた。
「普段の行いがよっぽど悪い奴がいるんじゃないの~?」
彼女は、そう言って俺に向かって振り向いてにひひっと笑った。汗で濡れた金髪が揺れて、甘い芳香が俺の鼻腔をくすぐった。へえ、こんななりでも少尉も女の子なんだな。彼女は短く切り揃えられた髪と、起伏の乏しい身体からか、ベテランのウィッチたちから『坊や』とあだ名されていた。
「なんだか馬鹿にされてる気がする……」
そう言って睨む少尉に俺は言葉を返した。
「変な言いがかりを付けた。お返しです」
なんだと~!否定しろよ!と可愛らしく怒鳴る少尉の様子に再び部隊に笑いが広がった。自身の行動が笑われていることに気づいた少尉は、こほんと咳払いを入れると強引に話題を戻した。
「コホンッ。いや~ほんとにあついねえ」
しかし、その赤くなった耳から彼女が照れていることは瞭然だった。しかし、この彼女の天真爛漫さが、部隊の士気の源に鳴っていることは、部隊の共通の認識だった。
自身に向けられる生温かい視線に、少尉は居心地が悪そうに空を見上げた。唐突に、少尉の目が驚愕に見開かれた。
「敵機直上っ!!!!退避!退避っ!!!」
少尉のその言葉を聞いて、雑談に興じていた部隊は弾かれたように行動を開始した。後方兵科とはいえ、二年近くもの間最前線にいた部隊だ。行動の早さは、戦闘兵科に負けるものではなかった。しかし、その始動が、あまりに遅きに過ぎた。あるいはネウロイの戦術が俺たちより優れていたのだろう。
「爆撃型三機!太陽の中から来ます!」
「総員物陰に隠れろ!!」
「負傷者を見捨てるなっ!」
将官連中に混じり部隊に退避の指揮を取る少尉は、未だに退避行動を取っていなかった。将校が場を去るのは最後でなければならない。その心意気は立派だが、今は大間違いだ。俺は思った。俺はとっさに少尉の手を掴むと近くの岩の陰に飛び込んだ。俺が少尉に覆いかぶさると同時にずんと大地が揺れた。轟音。衝撃。巨大な手に上空に引っ張り上げられているかのような風圧に、俺は必死に地面を掴んだ。軍司令部には0.5t爆弾に相等すると判定されている光弾が、敵一機につき二発ずつ投下されたのであった。
爆風が粉塵を巻き上げる。いや粉塵だけでは無かった、俺は仰向けに空を見上げる少尉のその瞳に、厳格な司令官の顔が映るのを見た。
少尉が何かを叫んでいる声が聞こえた。暴れる少尉の体を必死に押さえつける。再び爆音。爆風が盾とした岩を回りこみ、猛烈に吹きつけてきた。不規則に変化した風は、俺の体を岩へと叩きつけた。少尉の頭を抱きとめていた手が岩に挟まれ、鋭い痛みが走った。
三度目の爆音は、先の二つの音が小人の足音に聞こえるほどに大きく響いた。二期のネウロイが落とした4つの光弾がほぼ同時に着弾したのだ。
山ほどもある巨人がすぐ真横で足踏みをしているようだった。身を揺さぶる振動に、肌を削りとるかのような旋風。それから全てを守るには、岩はあまりに頼りないものだった。しかし今の俺にはそれだけが頼れる全てだった。体ごと叩きつけるように身を寄せる。自分が上に、少尉を下にだ。顔面から岩にぶつかり、口の中に血の味が広がる。衝撃に朦朧とした意識の中で、少尉に必死で覆いかぶさる。彼女の体温だけを感じていた。
「もうっ!どいてよ~。動けないだろ!ねえってばっ!俺っ!」
腕の中でもがく彼女の声に、俺は吹き荒れていた風が収まっていることに気付いた。ネウロイは遠くに飛び去ったらしい。反復攻撃をしない? 妙だな。重しがどいた彼女は、弾かれたように飛び起き、岩陰から駈け出した。
「みんなっ!!だいじょう……」
俺は見た。少尉の目が、驚愕に見開かれ、そして絶望に沈んだのを。岩陰から出た俺は見た。そこには何もなかった。厳格かつ勇敢だった基地司令も、陽気な兵どもも、ひょうきん者の主計中尉も、本来ならあって然るべき呻き声すらも、そこには何もなかった。
いや、違う。地面を染める一面の赤色、それがそこにある唯一のものだった。むせ返るような血の香りが、周囲を漂っていた。少尉が膝から崩れ落ちる。俺はそれに近寄ることは出来なかった。全てを吐き出し、泣く姿は、彼女の一番見て欲しくない場面だろうと、思ったからだ。少尉の口から言葉にならない呻きが漏れた。
「……っ…うぇ……ケハッ……うぅ……」
その声を、聞いて俺は動き出した。
「はっ!俺軍曹、生存者を確認して参ります!」
しばらく一人にしてやろうと俺は思った。駆け出す。少尉の横を抜ける瞬間、ツンとした刺激臭が鼻を突いて、胃からこみ上げてくるものを俺は抑えつけた。
俺は小高い丘にのぼり拓けた草原を見回したが、やはり俺と少尉以外に動くものは見当たらなかった。舞い上がっていた粉塵が雪のように降り、広がった赤を白く覆っていく。俺は大きく声を上げて生存者を呼ぶがやはり答えるものはいなかった。
死の静寂に包まれた平野を、俺は戦友の欠片を決して踏まないように気をつけて歩いた。少尉のすすり泣く声が心を貫く。そして俺は、基地司令官を含む全員の戦死を確認した。
再び少尉のもとに戻った俺は、彼女に声を掛けた。俺が近づいても彼女は四つん這いのまま顔を上げなかった。
「少尉殿。私たち以外の全員の戦死を確認いたしました。最上級者は貴女です。しっかりして下さい!」
そう言って、俺は少尉の肩を揺さぶるが、彼女は放心したような表情のまま何も言わなかった。俺は後々までこの時の行動を後悔することになる。このとき彼女に必要なものは、立ち直る時間を与えることではなく、そっと抱きしめる事のできる人間の存在だったのだ。しかし、それを弁護することも出来る。爆撃の衝撃と、それに伴う部隊の全滅。このあまりにも残酷な現実に対して、彼は軍務に忠実であることで、彼女は自身の感情を切ることで対処しただけなのだから。
「うぇ……、俺?」
そう言って俺を見上げる少尉だったが、やはりその瞳に光は無く、自身の発した言葉すらも理解しているとは思えなかった。
あまりにも遅いが、俺は自身の失敗に気付いた。胸の内ポケットから取り出したハンカチで、少尉の口元を拭う。そして、彼女の体を抱きしめた。
「少尉殿。すいませんでした。貴女を一人にするべきではなかった」
口に出したのは謝罪の言葉。心の中では、彼はなんども自身有罪の判決を下し続けていた。くそっ俺は何をしていた。彼女の体は小さく震え続けていた。前線に来て間もない少尉がこんな現実に耐えられるわけ無いだろうに。少尉はまだ12才なんだぞ。
「何をしても貴女は許さないかも知れない。だから俺は俺が出来る全てをします。俺が何者からも貴女を守ると。必ず安全な地域まで送り届けると。少尉を、いや、エーリカ・ハルトマンを守ると。もう決めてしまいました」
その誓いの言葉は、決してエーリカには届いていなかっただろう。一度エーリカを守り、そしてその心を守れなかった男の、虚しい誓いに過ぎなかった。しかし、俺は自分に誓ったのだ。何があってもエーリカを守ると。これは男の誓いだった。
俺は自分の背中に小さな力を感じた。本当に小さな力だが、それは確かに彼の体を抱き返す力だった。そしてその力は万倍にもなって俺の力となった。
「行きましょう。少尉殿。しっかり捕まっていて下さい」
俺は銃を捨ててそのベルトだけを抜き取った。エーリカを背中に背負いそれでしっかりと固定した。軽い。あまりにも軽かった。その事実に俺の心に痛みが走る。俺が守れなかったものを実感する。
しかし、しっかりと地面を踏みしめて歩き出す。首に回された手が弱々しくも握る力に、まだ守れるものがそこにあるのだ。そう確信していた。
夢を見ているんだ。そのことをエーリカは気付いていた。あの日の夢。JG52のみんなと別れ、再開した日の夢。いつもの夢。
私は病院で目を覚ます。体を起こすと、ベットの脇に立って花瓶に花を指していた俺が、慌てて医者を呼ぶのだ。飛び込むように入室してきた医者に、私はここが病院な事に気づき、俺にどうして自分がここにいるのかを尋ねるのだ。自分は行軍していた途中だったはずだと。俺は医者と二三言言葉を交わすと、私に説明をする。曰く、JG52は飛行隊を残して全滅した。残っているのは私と俺だけだと。混乱する頭の中で私は、気絶した私を俺がここまで運んだのだと推測し、短く礼を言った。俺は、礼を言う必要なんて無いんです、と返した。
とても悲しそうに言っていたのが印象に残っている。
頭の中では嘘だと、冗談だと否定しようとする私。しかし、俺の張り詰めた表情は、それが嘘ではないと、明確に私に告げていた。再び口を開く前に、JG52のウィッチたちが病室に飛び込んでくる。生きていて良かった。そう口々に言う偉大な先輩たちに、自身の記憶には無い、部隊の全滅を実感する。みんな死んでしまったんだ。
そう、ここでそれを実感したんだった。
そして、そっと抱きしめるトルゥーデの腕の中で私は泣き、いつの間にか俺は居なくなっているんだ。
そう、いつもの夢のはずだ。ここで私は目を覚ますんだ。だからこんなものは知らない。だって見ていないはずじゃないか。私は気絶していたんだもの。
引きちぎられたみんな。そして、俺の誓いの言葉。
男の背中に私は背負われていた。男はずっとしゃべり続けていた。故郷の話。馬鹿な友達としたいたずらの失敗談。有名な笑い話。その言葉は決して器用なものじゃなかったけれども、私のそのままでは凍りついてしまいそうな心のなかに小さく火を灯し続けていた。それは彼が一昼夜を歩き通し、味方の前線に倒れこむまでずっと続いていたんだ。
そうだ、私は奇妙なほど空虚な心のなかで、その背中から確かに優しさと暖かさを感じていたんだった。
夢と現の境の中でエーリカは、自身の体を揺らす振動に気付く。規則的なその揺れに、エーリカは自分が誰かに背負われていることに気付いた。優しい背中。急速に目が覚めた。それに気づき、背負っていた人物はその歩みを止めぬままエーリカに声を掛けた。
「目が覚めたか……フラウ。基地に帰った途端に、ミーナから店でお前が酔いつぶれていると聞くとはな。まったく、カールスラント軍人としてあるまじき醜態だ」
「……トルゥーデ」
その人物、バルクホルンの小言を遮りエーリカは言った。目を刺す夕日に、そっと目を細めた。
「トゥルーデ。俺は?」
その短い質問に、バルクホルンは完全に黙った。まったく普段の彼女らしからぬ姿だった。いや初めから態度がおかしかったのだ。町で酔いつぶれるような真似をすれば彼女はもっと烈火のごとく怒るはずで、優しく背負うはずなど無い。まして遮ることなど許すはずがなかった。しかし、彼女は今沈黙していた。
「俺はどうしたんだよ。トルゥーデ?」
エーリカはもう一度バルクホルンに問いた。バルクホルンは頭を小さく振ると答えた。
「ああ……、あいつか。先ほど店から出た後な。何故だか私を追いかけて来てな。言ったんだ。これが傑作でな。私のことを好きだと言うんだ。愛してるとも言っていたな」
バルクホルンの肩が小さく震えた。
「だから私は言ってやったよ。『私は貴様が嫌いだ』とな。あのような軽薄な男、虫酸が走るわ。だいたい戦場で愛だの恋だの、カールスラント軍人としてありえぬことだ」
バルクホルンの独白に、エーリカは何も言うことが出来なかった。彼女の小さな企みが、事態を大きく、誰も予想しなかった方向へと動かしたのが分かった。言いたいことも、言うべきだろうことも山のようにあった。しかし、大きく肩を震わせる背中と、すすり上げる声とに何も言うことが出来なかった。
エーリカには
バルクホルンの気持ちが分からなかった。何故彼女はそのようなことを言ってしまったのか。決して本心ではないはずなのにしかし、バルクホルンの判断の一因に、彼女の言葉を聞いてエーリカの胸に湧き上がった、小さく暗い喜びがあることに気付いていたから。エーリカは何も言えなかったのだ。
無言のままバルクホルンは歩く。基地までの距離はかなりあるはずだが、彼女はそこまで歩くつもりのようだった。日がすっかりと沈み、基地の光が見えてきた。
その背中越しにエーリカは言った。
「ほんっと……素直じゃないよねトルゥーデは」
反論を予想していたエーリカだが、それに反してバルクホルンは無言だった。
しばらくの静寂はしかし、エーリカにとって辛いものではなかった。
優しく広い背中。そっか、二人は似ているんだ。
エーリカは思いを言葉に乗せる。
「ねぇ、トゥルーデ。私、トゥルーデのこと大好きだよ」
今度は、沈黙を予想するエーリカだったが、それは再び裏切られた。
「……私もだ。フラウ」
その言語に込められた思いの全ては、エーリカには分からない。いや、それどころか、先程の自分の言葉に乗せた思いも彼女は理解しきってはいなかった。しかし確かに、その言葉は暖かさとなってお互いの心に届いたはずだ。エーリカはそう思っている。
厚い雲の隙間から、月明かりが彼女たちを照らした。背中から射す月光が正面に影を作り出す。重なる二つの影を見てエーリカは満足気に微笑んだ。
続く
バルクホルンに振られた俺は、失意のどん底にあった。何故振られたのか、答えのでない自問を続ける俺のもとに、一通の手紙が届いた。
そうだ!奴が来るのだ!アフリカの彼方より!奴が来る!
次回
俺とバルクホルンの物語4話「俺をかけて勝負といこうか『坊や』」
最終更新:2010年11月15日 23:34