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【Azoth/zero】02

「ほら、今日はビーフストロガノフを作ってみた」
「おぉ、いい匂いじゃない。美味しそう……」
「へー、これって昨日テレビでやってたやつだろ? もう作れるようになったのか?」
 ちゃぶ台の上に置かれたそれは先日テレビで有名な料理人が作っていた料理を再現したものだ。
「見様見真似で作ったから味まで再現できてるかは解らんが、まぁそれなりに美味くできているとは思うぞ」
「さすが沈黙の料理長だな」
 自らの定位置に腰を下ろしたゼノは感心したように頷きながらそんな言葉を口にする。
「……ゼノ、お前は相変わらず意味の解らないことを言うな」
「まったくね。アゾット、ゼノのバカは放っておいていただきますしようよ」
 その匂いにもう我慢できないのかソシエは既に食べる用意は万端である。
「それもそうだな」
 アゾットも自らの定位置に腰を下ろす。
「さて、いただきます」
「いただきます。……うわ、美味しい」
 そして、いくらか自分の世界に入っていたゼノを置き去りにし食事をはじめる。
「あ、ちょっと待て。食べるときは一緒にいただきますだろうがー!」
「うるさい、黙って食え」
「ぐぬぬ……」
 ぶつくさ言いながらゼノもビーフストロガノフを口に運ぶ。
「あれ、なにこれすげー美味い」
「ね、今までのアゾットの料理もすごい美味しかったけど最近は神懸かってるよね」
「ソシエ、お褒めの言葉ありがとう。だが、ゼノ。まさかお前に味が解るとは思わなかった」
「アゾット、てめぇ……。でもまぁ、これが美味いから聞かなかったことにしといてやる」
「そいつはどうもありがとう」
 いつもの食事風景。
 だが、確かにおかしい。
 アゾットは、自分の異常に気付いていた。
 原因もわかる。あの日、『哂う賢者』に合ってからだ。
 自分の中の歯車が全て噛み合ったかのように、力が循環しているのがわかる。そう、まるで『哂う賢者』という成功例を目の当たりにして失敗作だった『八番目』の中のバラバラだった能力の欠片が組みあがっていくように。
 自分の能力『真似神偽』が本当の力へと組み上げられていくのが理解できていた。
「どうしたの、アゾット。難しい顔なんかして。食べないなら私が食べるよ?」
「ん、あぁいや。俺も料理が美味くなったと思ってな」
「あぁー……。確かにここに来たばっかの時のアゾットはソシエより料理下手だったもんな」
「忘れたい過去だな。ソシエより料理が下手だったなどとはな」
「うわ、二人とも酷くない?」
「酷くねーよ」
「酷くないだろう」
 三人して笑う。
 いつもの食事風景。
 アゾットはいつまでこれが続けられるのか、恐ろしかった。
 そう、新たに組み上げられた能力で他人の心が読めるようになっていたから。

□□□
 ――そして始まりの終わりは唐突に。
□□□

「やぁ、アゾット。宣言どおり、ちょっかいを出しにきたよ。……って、ちょっかいを出してるよ、かな?」
 ケラケラと笑う男が『暁』の拠点の中にいた。
 男の周りには色鮮やかな赤。朱。紅。丹。
「……お前、何者だ」
 呆然と立ち尽くすアゾットの隣で、ゼノが辛うじて声を上げる。
「あれ? アゾットから聞いてないの? 仕方ないなぁ。僕は『四番目』の『哂う賢者』。名前は一応、マーリンって言うんだけど……まぁ、好きに呼んでくれて構わないよ? あー、でも自己紹介は無駄だったかな。どうせ君たち死ぬし。今日、ここで」
 変わらずケラケラと笑いながら、二人の背後にいる少女に声をかける。
「やぁ、第七研究所では逃がしちゃってゴメンね。あのときに殺しておけばよかったんだよね」
「あんた、あのときの……」
 ソシエは身構えながら、第七研究所で受けた傷痕をさする。
 その様子を見たゼノが、男――『哂う賢者』に対して敵意を剥き出しにする。
「アゾット、お前は左から行け。俺は右から――」
 【生命龍脈】。ゼノの所有する能力は相手の生命力の流れを視ることで傷付きやすい箇所を見極めるという派手さは無いものの戦闘においては大きなアドバンテージを得ることが出来るものである。
「――アゾット?」
 自分と同じで『哂う賢者』に敵意剥き出しであろうと思っていた男からの返事が無い事に気付き、アゾットの方を振り向く。
 今までのことを考えれば、真っ先に殺しに掛かっていてもおかしくないというのに。
 その顔は蒼白だった。
「――逃げろ、ゼノ、ソシエ」
 アゾットの口から出てきたのは、そんな言葉だった。
「逃げろ? 何言ってんだ、アゾット。こいつは確かに強いけど、逃げの一手を即座に選択する程の強さじゃないだろ」
「うん。第七研究所では不意打ちだったから私は逃げるしかなかったけど、正面からなら――」
 ゼノとソシエは構え、静かに能力の発動をはじめる。少なくとも三対一。普通にやれば、負けるはずが無いのだから。
「あらあら。君らはアレか、相手の強さを正しく認識できないんだな。僕に牙を剥くのは止めといた方がいいよ? 君らと僕とでは次元が違うんだからさ。『八番目』だったらまだそれなりに逃げれるだろうけど、さ」
「――『八番目』?」
 その疑問は二人の口から。この男は自らを『四番目』と言っていた。
「あれ? なんだ、教えてないのかい、アゾットくん?」
 『哂う賢者』はケラケラと笑う。笑う、笑う、笑う。傷口を抉るように。
「ほら、君ら二人の隣にいる男はね、『八番目』で『始まりと終わりの規格』っていうさ、開発局製の実験体。しかも失敗作なんだよ。だから、どっちかって言うとこっち側なの。おーけい?」

「え?」
「ほんと……?」

 二人は、アゾットを見る。
「『哂う賢者』ぁぁぁあああッ!!」
 その激昂は他ならぬ『八番目』『始まりと終わりの規格』、アゾットのもの。
 ナイフは既に両手に握られ、数メートルの距離を一息で零メートルまで詰める。
「あぁああああああ!!!!」
 激昂の叫びと共に『哂う賢者』の首を薙ぐ。

 ――だが。

 ガィン、という何かにぶつかる音で阻まれる。
「無駄だって、アゾットくん。言ったろ? 次元が違うってさ」
 避ける事もせずに、ケラケラと笑いながら、パチン、と鳴らされた指。
 瞬間、アゾットの周囲の空間が歪曲し、

 ――ズン!

「――ぐぁっ!」
 見えない何かによってアゾットの身体が宙へと舞う。無論、重力が存在している以上、宙を舞えば、落ちる。

 ――ゴシャ。

「アゾット!」
 ゼノは鈍い音と共に地面へと落下したアゾットに近寄ろうとするが。「へぇ、よそ見できるの?」という『哂う賢者』の一言で足をその場に縫い付けられる。
「――く、そ」
 アゾットは呻きながらなんとか立ち上がり、
「逃、げろ。ゼノ、ソシエ。――俺が、アイツを食い止めてるうちに」
 そして、決意を口にする。自らが死んで、彼らを守るという事を。
「な、バカ言ってんじゃねぇ!」
「そうよ!」
 無論、二人は反対する。なぜなら、まだ勝てると心のどこかで思っているから。
「そうだよねぇ、バカなこと言っちゃいけない。君如きで僕を止められるわけないだろう」
 ――パチンッ
「……な!」
「うそっ!」
 『哂う賢者』が指を鳴らす。
 ズゥン、という音と共に『暁』の拠点が崩壊する。天井が瓦礫の雨となり、壁は散弾銃のような礫となり、文字通り跡形もなく。
 だが、その雨も礫も彼らに当たる事はない。
 まるで、見えない何かによって守られたかのように。
 ケラケラケラケラ。
 『哂う賢者』は笑う。
「うそ……だろ?」
「う……ぁ……」
 二人は息を飲むことしかできない。
 理解してしまったから。理解せざるを得ないから。その圧倒的な力の差に。
 理解できなかった。理解できなかったのが解らなかった。その圧倒的な力の差を。
「いや、存外大変なものだね。蟻を踏みつぶさない様に自分の強さを教えるのってさ。危うくプチっといっちゃうところだよ。あぁ、そうだよね。幾らなんでもそんな死に方は風情に欠けるよねぇ?」
 ケラケラケラケラ。
「ちなみに、さっきのアゾットの叫びは激昂からじゃないよ? あれは、声を出さないと恐怖で僕に押しつぶされそうだったからだよね?」
「ぐっ……」
 その言葉を裏付けるように、立ち上がったアゾットは震えている。それは、武者震いなどではなく、明らかに恐怖から来ている震えだった。
「可愛いなぁ、アゾット。まったく、本当に――」
 パチン、と言う音。
 ぐにゃり、と空間の歪曲がアゾットを包む。
「――壊したくなるぐらいに、さ」
 そして、そのままアゾットのいる空間そのものが歪み、ギチギチと歪な音を立てて空間そのものが引き千切られていく。
「ぐがぁぁぁぁぁああああ!!!!」
 ブチブチと皮膚が裂ける。圧倒的な力。それを行使した『哂う賢者』は呟く。
「ふぅん、おかしいなぁ。さっきから出力が事の外でないぞ? 君らの能力如きで僕の能力に干渉できるわけないしなぁ……」
 確かに、本来の『哂う賢者』の能力――【次元操作】ならば、ギチギチと歪な音を立てる間も無く、ブチブチと皮膚が裂ける間も無く、一瞬で空間そのものを次元の狭間へと移動させる事ができる。
 それほどまでに圧倒的な能力なのだ。
「が、ぁぁぁぁあああああ!!!!!!」
 結果として、歪曲した空間の檻に閉じ込められているアゾットの叫びは確かに恐怖と痛みから出るそれだ。
「うーん、まぁいいか」
 ケラケラと笑いながら手をソシエへと向ける。

「――あ、」

「ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てないとね」
 パチン、と音が鳴りソシエの周囲の空間が歪曲する。
「――か…ぁ…」
 アゾットに放ったのとは別種の攻撃なのか、ギチギチと空間そのものを引き千切る音もなく、まるでソシエ自身に掛かる重力が増えたかのように、地面へと押し潰される。
「ん~。お嬢ちゃんはどれぐらいまで耐えられるのかな~。おっと、少年はそこ動いちゃだめよ? 動くとすぐ死ぬからね。幾らゴミでも今は燃えるゴミの時間だよ? 分別は弁えないとね~」
「――あ、ぐ」
 ゼノはもう、足が動かない。
 圧倒的な恐怖の前に、足がその場で縫いつけられたかのように動かない。
 自分の好きな女の子が攻撃を受けているというのに――。


「あ――あぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!!」


 爆発した感情。
 噴出した身体。
 振り抜かれた拳。


「――え?」


 ガツン、という衝撃。
「はぁー、はぁー、はぁー」
 荒い息遣い。
 何のことは無い。
 『哂う賢者』の顔をアゾットが殴り飛ばしただけの事。本当に渾身の力だったのだろう。『哂う賢者』は三メートルほど殴り飛ばされ、仰向けで地面に倒れていた。
 能力から解放されたソシエは気を失っているのかピクリとも動かない。だが、死んでないことを二人は視た。
「ゼノ! 早くソシエを連れて逃げろ!」
 そして、再度口にする。一つの決意を。
「う、あ、いや、お前が――」
 ゼノはそう答えるしかない。ゼノとて理解している。アレを足止めした人間は必ず死ぬということを。だから言う。
「――ソシエを連れて逃げろ。俺が、止める」
 同じ女の子を好きになった者同士。
 ソシエが攻撃されたときに、真っ先に動いた男の方が相応しいと。少なくとも、自分の命可愛さで動けないような男なんかよりは――。
「ふざけるなよ、ゼノ。ソシエは――」
 アゾットはボロボロの身体で口を開く。











「――ソシエは、お前の事が好きなんだ」
「――え?」
 こいつは、いったい何を言っているのだろうか、という顔をする。
「……ソシエの心の中は、お前に対する想いで溢れてるんだよ。――俺は、心が読めるからな」
 そう、第七研究所で『哂う賢者』と対峙してから強くなってきた能力。『他者の心を読む』。
 それまでアゾットが自分の能力だと認識していた相手の『能力の発動を感知する』というものはそれから溢れ出たものに過ぎなかったのだ。
「……いや、そんな」「馬鹿な事を言うな、か?」
 ゼノの言葉を先取りして、次の句をアゾットが口にする。
「け、けど!」
「ゼノ。悔しいが、これからソシエを守る役はお前に譲るって言ってるんだ。――ソシエの為に命を捨てる役ぐらい俺に譲れ」
 それは決意を秘めた顔。もう、揺るがない顔。
「――あぁ、分かった」
 短い付き合いではない。それが、本当かどうかぐらいは見抜ける。
「なら、急げ。時間を稼ぐのにも限度はある」
 心が読めるようになったからといって、『哂う賢者』の能力の前には然したる影響は無い。
 『哂う賢者』が言っていた通り何故出力が不安定なのかは知らないが、それが唯一のチャンスである。
「……よっと、」
 気を失っているソシエを担いだゼノは振り向かず、そのまま走りだす。アゾットとの間に言葉はもういらない。



「――アハ」



 だが、それを見逃す男ではなく。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
 むくりと起き上った『哂う賢者』は愉快そうに口を開く。
「いいよいいよ! 実にすばらしいじゃないか! ここまでだとは思ってもいなかったよ!『八番目』の能力の本質が、まさか僕と同系統のモノだったとはねぇ! 僕の出力が不安定だったんじゃない。君が同系統の能力で干渉してきたからってことだったんだ」
 ゲラゲラゲラゲラ。
「――なら、簡単だ。同系統どころじゃどうにもならないぐらいの力で蹂躙すればいいだけだろ。――僕を殴ったことを後悔させてやる」
 楽しそうに、哂いながら。
「だーれが逃げていいって言ったよ」
 指を鳴らす為に手をゼノへと向ける。
「ちぃっ――」
 断絶された空間の槍の射出。それを感じ取ったアゾットは一気に近づき『哂う賢者』の腕を掴んで指を鳴らす行為をストップさせる。
 今までの戦いで理解している。『哂う賢者』の能力行使の起点は空間の歪曲である。そして、それを引き起こすために指を鳴らすことも――。
「――クハッ。勘違いだよそれ」
 そう、勘違いである。
 別に『哂う賢者』の【次元操作】の発動に指を鳴らすという無駄な行為は必要ない。成功例である能力にそんな無駄な工程は存在しないのだから。
「――な、避けろ! ゼノ!」
 ゼノの真上の空間が歪曲するのを見てアゾットは叫ぶ。
 だが、空間を避ける事など誰に出来ようか。
「く、そ――」
 直上から不可視の槍が幾重も降り注ぐ。







 結果から言うと。
 一つの命が散る。
















「……ソ、シエ?」
 ゼノが、声を上げる。

「ソシ――エ?」
 アゾットが乾いた言葉を発する。

「――あれ、外れちゃったじゃん」
 『哂う賢者』は残念そうに笑う。

「『哂う賢者』ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!」
 もはや、爆発を通り越したアゾットの感情のソレは空間を歪曲させ――不可視の矢を『哂う賢者』へと撃ちだす。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁあああ!!!!!!!!!!!!」
「――! な――にぃぃぃ!」
 予期せぬ、自らの能力による攻撃。『哂う賢者』は飛来する不可視の矢を弾きながらアゾットから距離をとる。
 だが、如何に自らの能力だろうが、手綱を取る者が変わればそれはまったく別の能力である。
 それ故に、空間を避けきる事など誰に出来ようか。
「そう――か。そういう事か『八番目』ぇ! お前の能力の本質は『他者の能力の模倣』か! クソッ、なにが失敗作だ! 『始まりと終わりの規格』……これ以上ない成功例じゃないか!」
 不可視の矢により左腕を失い、右足を失い、身体に四か所の穴を穿たれながら、『哂う賢者』は怒りを露わにする。
「『八番目』……。君は殺す。絶対だ。絶対にだ」
 今まで、笑ってしかいなかった顔に宿る怒り。それは『哂う賢者』の本当の表情。
「――覚えていろ。次は、必ず殺す。生かしたまま殺し尽くしてやる」
 そう言い放ち、『哂う賢者』の背後の空間が歪曲する。その歪曲の仕方は第七研究所の時と同じ――。
「誰が逃げていいって言った『哂う賢者』ぁぁぁぁああああああ!!!!!」
 アゾットの怒りは限界を超えて臨界。怒号と共に射出される不可視の矢は数億に及ぶ。
 だが、それでも『哂う賢者』が選択した逃げの一手を防ぐことはできず。
「アハハハハ! 自分の能力ならどう防げばいいかぐらい解る。次元断層で壁を作ればそれは届かない。アハ、アハハハハハハハハハハ!!!!」
 空間の歪曲がそのまま『哂う賢者』を飲み込み、その存在をその場から掻き消す。
「あ……。あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!!!!」
 逃げられた。
 逃げられてしまった。
 アゾットの咆哮は空へ向けて。怒りの矛先を何処へ向けるべきか分からず、ただ空へ。

□□□

「……う、ゼ――ノ?」
「! ソシエ! まだ息――っ!」
 動かなくなったソシエの傍で立ち尽くしていたゼノは声を聞く。自分を呼ぶ声を。
 そして、視る。【生命龍脈】でソシエに残された生命力を。
 ――助からない。どうあっても。今、口を開いたこと自体が不思議でならない。
「は――は、なんだろ、からだ、いたくないや」
「なんで、なんで俺を助けた!」
 そう、あの不可視の槍が降ってきたとき。担がれていたソシエはその少し前に目を覚まし、自らの能力【柵師殺玉】を用いてゼノをその範囲から押し出していた。
 一人分しか押し出せないと分かりながら。
「なんでって、ほら、好きな、男の子には、死なれたくない、じゃない?」
「だからって、なんで――」
「ふふっ、まぁ……いい――じゃない」
 そこに、アゾットが歩み寄ってくる。もはや抜け殻といっても差し支えない程に消耗しきった、摩耗しきったまま。
「……ソシエ」
「な……に、泣きそうな、顔してるのよ……」
「当たり、前、だろう――」
 アゾットもまた、視る。ソシエがもう永くない事を。
「――俺、は」
「はは……、泣いてんじゃない、わよ、バカ」
 ソシエの顔に生気など最早なく、目の焦点すら合っていない。――だが、それでも彼女は口を開く。
「――ゼノ、君は、みんなが……わらって、くら、せるせかい、を――」
「……あ、あぁ! 約束する!」
「――アゾット」
「――なん、だ?」
「……わ、たし、さ。――明日は、あの、ビーフ、ストロ……ガノフが、食べた――――――」
 ふっ、と。糸が切れたように繰り人形のように。
 ソシエは最後の言葉を言いきることなく。
 息を引き取った。
 彼女が愛した男の腕の中で。彼女を愛した男に見守られて。



「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ、あああああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」



 その慟哭は残された二人のどちらの物か。もう、誰にも解らない。

□□□

 そして、二年の月日が経つ。
 レジスタンス『暁』は構成員数五千人を超え、もはや、レジスタンスと呼ばれるレベルを超えていた。
 リーダーの名は、ゼノ。
 世界の皆が笑って暮らせる世界を作るために。彼に賛同した者たちを率いて世界と戦い続けていた。
 だが、その隣に立つ男はいなかった。
「リーダー、この先にいるとの情報が……」
「――俺が一人で行く。お前たちはこの場で待機していろ」
「ですが、」
「――一日待っても俺が戻ってこなかったら、この建物ごと爆破しろ。これは、命令だ」
「……待ちますからね」
 ゼノは部下のその言葉を背に、元第七研究所の深淵へと足を踏み入れる。
 薄暗い廊下。希望という名の光を閉じ込めるかのような、塗りつぶすような闇。ところどころに血糊がべったりと付着し、何かの骨が散乱している。それはここが正気ではない事を知らしめるには十分だった。
「――なんだ、珍しい客だな」
 その深淵の底。暗闇の部屋。絶望の椅子に、ゼノにとって見慣れた男が座っていた。
「――単刀直入に聞こう。ここで何をしている、アゾット」
 ゼノは正面から、その男を見据える。
「べつに、何をしていようが俺の勝手だろう?」
「――何をしている?」
 それは、ごまかしを許さない強い口調。
「なんだ、少し会わないうちにずいぶんと融通が利かなくなったものだな」
 アゾットは立ち上がり、手にしたリモコンを操作する。すると、暗闇の部屋に明かりが灯る。
「な――」
 ゼノは瞬間、言葉を失う。
 照明に照らされたのは一つのカプセル。
 そして、そのカプセルの中に見慣れた女性が浮かんでいる。
 見間違えるはずもない。
 他人の空似の筈がない。
 その女性は、確かに――



「――――ソ、シエ?」



「あぁ、その通りだ。ここで何をしているか、だったな。簡単だ、ソシエの蘇生方法の研究だ。肉体の復元と、魂の捕縛は成功している。ただ、精神の定着が――」
「な、何をしているんだ、お前は!」
「? だから、ソシエの蘇生だ。何をしていると思っていたんだ?」
 見て解らないのか、とコンコンとカプセルを軽く叩きながらアゾットは歪に笑う。
「――そのために、二百人近くの人間を実験に使ったのか?」
「あぁ、使ったな。ここまで来たという事は、君も倒したんだろう?」
 それは、過去、ここを根城にしていた研究者たちと同じ方法に他ならない。
「どうしてだ! どうしてお前はっ――!!」
「どうしてと言われてもな」
「ソシエは、ソシエはあの時、皆が笑って暮らせる世界を作ってと言っていただろう!」
 それは、彼の動力源。
 好きな女の子が笑って暮らせる世界を作れなかった男が、好きな女の子から受けた最後の言葉。
 彼女を守れなかった男に託された、彼女からの呪いにも似た言葉。
「それを、それをどうしてお前は!」
 お前も聞いていただろう、と。ゼノはアゾットに詰め寄る。お前も、志同じくするものだろうと。
「――なら聞くが。その皆が笑って暮らせる世界にソシエの笑顔はあるのか?」
「あるわけが――!」
「だから、ソシエを生き返らせるのだ。彼女の笑顔をもう一度見るために。ソシエは、ビーフストロガノフが食べたいと言った。明日は、ビーフストロガノフが食べたいと言ったんだ!」
 確かに。ソシエは最後にまるで明日が来るかのように。いつもアゾットに食事のリクエストを出したのだ。だが、
「そのために、二百人も犠牲にしていいわけがない! ――そんなことを。そんな事を彼女は望んでなんかいない!」
「ふざけるな! ならば、お前は。お前は世界とソシエの内、世界を選ぶというのか? 他ならぬお前が」
「――っ。…………選ぶ。俺は、世界を選ぶ。皆が笑って暮らせる世界を選ぶさ!」
 ゼノはけじめをつける。自分は呪いを受諾して許容して生きていくことを。これから先、誰も愛さないという事を。レジスタンス『暁』のリーダーとして。
「――あぁ、そうか」
 アゾットは、最早興味を失った玩具を見るような眼で、ゼノを一瞥し。



「――なら、ソシエの為にここで死んで実験の糧になれ」



「――っ、――あ、ご……ぉ?」
 ザクン、と不可視の刃がゼノの胸を貫く。致命傷であることは間違いなかった。
 ゼノ自身、自分の身体から生命力が消えていくのが視えた。
「アゾ……ット、おまえ……」
「あぁ、安心しろゼノ。君はやさしく処理してやろう。あぁ、あとこの建物の周囲にいる三百人近いのも実験に使うぞ?」
 クカカ、と笑う。
「く……そ……」
 ゼノが最後に見たアゾットの笑いは、もはや彼の知るものではなく――。

□□□

 ――そして終わりの始まりもまた唐突に。

□□□

 それから数日後。
 レジスタンス『暁』は何者かの手によって完全に壊滅する。
 五千人近くの構成員の行方は不明なまま。

□□□

 始まりは終わり。
 終わりは始まり。

 だが、しかし。

 始まらないからこそ終わらず。
 終わらないからこそ始まらず。

 それ故に。

 彼の世界は空転する。

□□□

 ――二百年程後。

 【真似神偽】という能力者が開発局の流れを組む学園という絶望の最果ての頂点に立つことになる。

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最終更新:2011年02月04日 10:22
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