女学生の回答は、以下の通りであった。
「夜のお散歩……、もとい深夜徘徊かな」
答えを聞いてから数分後。
どういうわけだか、怪談と女学生が夜の街道を歩いている。
軍服青年の血の匂いも、女学生の服の汚れも、とれていない。
血濡れた軍靴と、舶来ものの革靴が、こつこつと、石畳を踵で叩いて進んで行く。
怪談と女学生。
隣同士並んで、街頭立ち並ぶ夜道を歩く。
ふと、怪談が、口を開いた。
「――深夜に」
「はい?」
「深夜に、歩く必要性は?」
その声に、女学生は間髪いれず回答する。
「だって、真昼は歩けないから」
その答えを聞き、軍服青年、神妙な顔をする。
「……君は、吸血鬼か何かなのか?」
「まさか、そんなはず無いでしょう」
「じゃあ、先ほどの回答はどういう意味だ?」
「そのまんまの意味ですよ」
「なら、より詳しい説明を求める」
「しょうがないなぁ」
女学生は壊顔する。
その宵闇にあてられた横顔が、街灯の光に縁どられ、なぜか幻想的に見えた。
「私は時限爆弾を抱えているんですよ」
「……?」
「ああ、今のはモノの例えです」
「……説明に、詩的表現を加えるのは、不適切だと思う」
「まあ、黙って聞いてて下さいな」
「…………」
女学生はおもむろに夜空を見上げた。怪談もそれにならった。
星が瞬き、やせ細った月が、薄雲にもたれかかっている。
女学生は、ふう、と息を吐いて、語り始める。
「生まれつき、心臓が悪いんですよ、私」
「慢性心不全って言って、心臓の力がよわくて、血液や酸素を全身に送るのが困難な病気なんです」
「具体的な病状は?」
「疲れやすかったり、呼吸困難になったり、あと食欲が無かったり……」
「それで、なんで真昼歩けないんだ?」
「いま説明しますから、黙って聞いてて下さい」
女学生にぴしゃりと言われ、怪談は口をつぐむ。
「自分で言うのもあれですけど、私、箱入り娘ってやつなんですよね。
父が貿易商を営んでいて、おっきなお家に棲んでいて……。
でも、病気のおかげで、滅多に外に出してもらえないんですよ。
こんな格好しているけど、学校は行かないで家庭教師を雇っていて……。
この服は、私が我儘言って買ってもらったの。
形だけでも、女学生やってみたいって、泣いて頼みこんでね」
女学生は、自身の袴の裾を見せるように、持ち上げる。
胃液で多少汚れていたが、よく似合っている、と怪談は思った。
歩きながら、話を続ける。
「けど、ずっと家に居るのも、息がつまりそうで嫌なんですよね。
それで、昼間は女中や乳母の目が光っているから、みんな寝静まっている隙にこっそりと……」
女学生が、悪戯っぽく小さく舌を出す。
軍服青年は、涼しげな顔でそれを見ていた。
「つまり、人目を忍んで、夜間に限り、外の空気を満喫しているということか」
「理解力の早い人は、話が早くて助かるわ」
「だが、正直まずいんじゃないか? 君、心臓が弱いんだろ?」
「うーん、疲労が原因で病状悪化って言うのも聞いたことあるけど……」
「じゃあ、なおさら外に出ない方が」
「嫌」
「何故?」
夜風が吹いた。
女学生は、リボンで結った髪を押さえながら言う。
「夜、窓の外を見ているとね。月に呼ばれている気がして、無性に飛びだしたくなるのよ」
「靴を履いて、外に出て、誰もいない一人きりの夜を歩くの」
「夜風を浴びながら、きらきら光る街灯を見つめたり、」
「石畳に寝そべって、心地良い冷たさを背中に感じながら、星空を見上げたり、」
「道端で見かけた猫の後をついていってみたり、」
「塀によじ登って、腰かけて、休憩してみたり、」
「だれも居ない公園で、一人でブランコ漕いでみたり……」
「赤マントさん、分かるかしら?」
「夜って、素敵な素敵な時間なの」
「人間ってね、夜起きていても、夢が見れるのよ」
「だから私は、死んでもいいから、夢を見ていたいの」
――――。
謳うような声だった。
女学生が紡ぐ夜の唄。
怪談はそれに聞き入っていた。
不思議な心地だった。
姿形を得てから、初めて感じる感覚だった。
怪談は、その感情の名前を知らない。
「赤マントさん、何考えているの?」
女学生が首をかしげた。
声をかけられるまで、放心していたことすら気づかなかった。
「別に……」
「そう、変なの」
「いや、一つ考えていた……」
「何かしら?」
「君の事をもっと知りたいと思ったが、どうすればいいのか分からない」
ひどく素直な想いであった。
今まで、怪談にとって人間は、恐怖か死を与える対象でしかなかった。
故に、それ以外の関係を持とうとするのは、初めてであった。
女学生は、くすりと笑む。
「そういう時はね、お友達になればいいのよ」
これを機に、怪談と女学生の交友が始まった。
りりん。
氷がグラスにぶつかる音。
「それで、赤マントさん。考えはまとまった?」
女学生が言ったのは、冒頭の質問であった。
心がどこから生まれるのか。
怪談が、長考している間、女学生はソーダ水で、喉を潤していた。
「……すまない、別のことを考えていた」
「えー。駄目だなぁ、赤マントさん」
「第一、考えたって分からないだろう、そんなこと」
「どうかな、案外、貴方は知っていると思った」
「何を根拠に」
「だって、怪談って、心を持つものなの?」
言われて、言葉が詰まる。
女学生と、交友関係を築いてから、不思議な心地になることが多かった。
今まで、機械人形の如く、人に質問し、回答色に応じた死を与えていた。
その頃と、考えが、何かが、変わっている気がした。
「おれには、考えても分からないよ」
「そうね、考えて全てが分かるものなら、哲学者なんて存在しないわ」
そう言って、女学生はソーダ水のグラスを持ち、
「 あ 」
と、頓狂な声をあげた。
「どうした?」
「肝心なこと忘れてた、赤マントさんにプレゼントがあったの!」
そう言って、女学生が館内に向かって駆けて行った。
怪談は、後を追わず、怪訝そうな顔をして、待っていた。
ソーダ水が冷えていて美味かった。
10分経った。
女学生が戻ってこない。
「……プレゼントを置いた場所でも忘れたのか?」
呟きながら椅子から立ち、ゆっくりとした足取りで、屋敷に向かった。
一歩ごとに、緑の芝が、さくさくと音を立てる。
庭を通過し、館の入り口に立ち、ドアを開いた。
女学生が、血を吐いて倒れていた。
しばらく、動けなかった。
金縛りにでもあったようだった。
ややあって、ゆっくりと女学生の傍に座り込む。
首筋に指を這わせ、脈の確認。
口元に手を当て、呼吸の確認。
生体反応無し。
怪談は、戸惑っていた。
今まで、人の死を見ても何とも思わなかった。
なのに、この感覚は、何だ。
喉に何かが詰まったような。
呼吸しているのに胸が苦しい。
女学生の肌はまだ暖かいのに、彼女はもう生きていないのだ。
「知らない、」
軍服青年は呻く。
「こんな死は、知らない、」
怪談がその時、涙を零す事を覚えていたなら、彼はきっと、泣いていたのだろう。
突如、硝子が割れたような音が聞こえた。
回廊を見れば、女中が立っており、足元には割れた食器。
ソーダ水の匂いが満ちる。
きっと、おかわりを庭に持っていこうとしたのだろう。
「だ、誰か! お嬢様が!」
女中が金切り声あげ、奥へと走り去る。
怪談は、咄嗟に、この場に居てはならないと感じた。
女中が去った後、女学生が、何か胸に抱いているのに気づく。
包装紙にくるまれた、小さな薄い包みであった。
きっと、これがプレゼントなのだろう。
怪談は、その包みを持って、その場を立ち去った。
走って走って走って走って、走り終えても、息苦しさは治まらなかった。
後に知ったのだが、女学生は急性心不全で逝ったらしい。
以前言っていた時限爆弾とは、このことだったのだろう。
いつ、命を燃やすか分からぬ爆弾。
怪談は、人は簡単に逝ってしまうことを知った。
命に重みがあることを初めて知った。
女学生からのプレゼントは、一冊の手帳だった。
あの夜見られた怪談のマントのように、赤い赤い手帳。
なかなか紙の質が良く、もしかしたら、高価な舶来ものなのかもしれない。
手帳の一ページ目には、女学生の筆跡でこう書かれていた。
『 赤マントさん へ
貴方が何者か知りたいのなら、自分のしてきたこと、思った事を書き記して下さい。
そうすれば、この手帳が貴方の「鏡」になってくれるはずだから。
PS.少なくとも私は、心を持った“怪談”って素敵なものだと思う。
貴方の友達より 』
――以来、怪談は、赤い手帳に、自身の行動を書きつづることにした。
その習慣は、どこの国、世界、異次元に行ったとしても、続けるだろう。
―― 終 ――
最終更新:2012年06月22日 12:33