紅龍の血筋~その1~

──昼下がり。あるいは朝だったのかもしれない。僕は睨み付けてくる太陽を疎ましげに見上げ、ため息をついた。僕は今、実家の縁側を歩いている。僕がこの人生でもっとも長い時間を過ごした、生家とは違う“実家”だ。
長距離の移動によってずれた体内時計は、僕の身体を疲労で包んでいた。“街”から船を乗り継いで帝國へ帰ってきた僕は、久しぶりに感じる街とは違う空気を味わいつつも、抜けない疲労にもう一度ため息をついた。
「緊張しますか?」
目の前を歩く割烹着の女性が、僕のため息を勘違いして笑う。嘲笑ではない、ころころとした可愛らしい笑い方だ。名前をなんと言ったか。彼女は紅龍の家に代々仕える「剣菱」の家の出で、僕の世話を任されている者であった。たしか二文字の植物と同じ名前だったと思う。
「別に。自分の家じゃないか」
おそらく、自分ともっとも長く接していたのは彼女だろう。そんな彼女に自身を繕う必要はなく、僕は少しぶっきらぼうに答えた。そう、自分の家なのだから緊張する必要はない。例えここが僕にとっての監獄だろうと、監守はすでに死んだのだ。ここに僕を束縛するものは何もない。
そこまで考えて、ふと呟く。
「やっぱり、緊張する」
母に会う。それだけで足取りが重い。ぎしりと歩くたびに軋む音が、僕の背中に圧し掛かった。別に母が嫌いな訳ではない。ただ、自分の歪さを認めてみると、それが酷く恥ずかしいもののような気がして、母に見せたくはなかったのだ。
しかし、東雲貫幸から伝言を頼まれている。それに、自分も確認したいことがある。だからこそこうして遠路はるばる帰郷したのだ。
そんな僕の悩みなど露知らず、彼女はころころと笑った。もう30は過ぎた頃だとは思うのだが、初めて会った時からその少女のような笑みは変わらない。
「ははあ、珍しいですね」
「……何がさ?」
その愉快そうな反応にムッとして、僕は眉を顰めた。
「坊ちゃんが素直に白状したことが、ですよ。あの捻くれ者が成長しましたねえ」
彼女はわざとらしそうに目元を押さえ「よよよ」と泣き真似をする。直ぐに反論しようとして、僕は言い返せないことに気付き、口を真一文字に結んだ。
「……坊ちゃんじゃない」
僕にはオレク・イリイチ・紅龍という名前がある。そんな小さな反撃しかできず、人間は世話をされた者には敵わないのだと気付く。
「私にはいつまでも坊ちゃんですよ。それも生意気な餓鬼んちょです。何せ初対面の第一声が『殺すぞ』ですからねえ」
そんな身に覚えのない昔話をされて、顔が熱くなる。初対面とはいつだろうか。物心ついた頃から彼女に世話をされていた覚えがある。
少なくとも5歳の頃には周りをちょろちょろしていた。と、そこまで考えて落ちた眼鏡を持ち上げる。
「嘘だ」
そんな5歳児が殺すなんて口にする訳がないではないか。僕は勝ち誇った顔で彼女の言葉を否定した。しかし、彼女はまったく動揺せず、相変わらずの柔和な表情で答える。
「本当ですよ。私も驚きましたとも。何せ4歳の子供が本気で殺そうとしてくるんですから。14歳だった当時の私には怖くて怖くて……」
「怖くて?」
「ビンタしました」
「オイ」
意味が分からない。怖いなら逃げればいいじゃないか。紅龍の家に仕えている剣菱の娘というだけで、当時はただの少女なのだから。
そんな僕の考えを察したのか、彼女は少しこちらを振り返って、すぐに前を向いた。
「4歳児がナイフを持って睨んで来るんですよ。何もかもを信じていないような目つきで。世の中の全てが敵だと思っているような暗い目で。そんなの……放っておけないでしょう」
そう言った彼女の声色は、いつも通りの明るい調子で、だけどどこか寂しげだった。きっと、僕はこうして多くの人を傷つけてきたのだろう。自分だけが被害者の顔をして、周りに傷を見せびらかしていたのだ。構って欲しいから。だけど、信用できないから中途半端に拒絶したのだろう。それは、今の僕にも通じる暗さであった。
「ああ、そうそう」
暗い雰囲気を察した彼女は話題を変えるように、人差し指を立てた。
「坊ちゃんが15歳の時なんていきなり『ヤらせろ』って──」
「うわあああああああああああああああああっ!」
覚えてるけど言うなよ! この雰囲気で!
僕は黒歴史公開という処刑レベルの悪行を全力の絶叫で阻止した。
やはり世話係には敵わない。自分が思いつくだけで10は黒歴史が思い浮かぶもの。
「あと怖いTVを見た日におねしょ──」
「うわあああああああああああああああああっ!」
「会うたびに視線が胸に──」
「うわあああああああああああああああああっ!」
「捕らえた刺客を奴隷にしたいとか──」
「うわあああああああああああああああああっ!」
「『僕は竜を宿し世界を憎む魔王──」
「うわあああああああああああああああああっ!」
「お腹空きましたねぇ」
「うわあああああああああああああああああっ!」
「何も言ってませんよ?」
悪魔だ。この女は悪魔に違いない。そして思春期の僕は馬鹿だ。間違いない。ああ、僕の中で竜が笑っている気がする。憎たらしい奴め。
なんて、そんな八つ当たりをしたところで黒歴史は消えないわけで、もう確実に真っ赤になっている顔を伏せることしか僕にはできなかった。
「あはは、緊張は解れましたか?」
「あ……」
ほら、やっぱり敵わない。家の奥まった所にある襖の前で、彼女は立ち止まって振り返った。その表情はやはり、いつもの柔和な笑みで、優しく僕を見つめている。
「ありがとう、桐」
剣菱桐。それが彼女の名前。僕はとうに思い出していたそれを口にして、深呼吸。
僕の準備──というよりも覚悟が終わったことを確認すると、桐は襖に手をかけて、此方に笑いかける。
「頑張って、オレク」
もう一人の母の応援を受け、僕は本当の母と会う。狂っているほどの愛を以って僕を守ってくれた母。紅龍雪芽と。
母が、この襖の先に、居る。恐怖はない。優しかったから。ただ後ろめたかった。申し訳なかった。
「雪芽様。オレク様が到着しました」
辛うじてこの場に立っている僕の背中を押す意味もあったのだろう。桐は少し強い語調で、中に居る母に呼びかけた。
しんと、沈黙。静寂が僕の不安を煽り、ぎしりと床が軋んだ。本当に身体が重くなっているような、そんな錯覚。
ややあって、僕の息が乱れ始めた頃。中から「はい」と返答があった。
「失礼致します」
桐が膝をつき、襖を開く。そこには、見間違えようのない母の姿が、あった。
「おかえりなさい、オレク」
心臓が、跳ねた──。




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最終更新:2014年02月25日 04:43
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