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紅龍の血筋~その2~

「おかえりなさい、オレク」
その言葉は、想像していたよりも僕を圧迫した。母にその意思はないだろう。が、僕にはそれが責めているような調子に聞こえてしまって、口を噤んだ。
部屋の前で立ち竦む僕を見上げ、桐は頷く。目を閉じ、思い浮かべる。あの街で出会った人たちのことを。
若いのに教師として頑張る女の子がいた。全てを愛している魅力的な女性がいた。平凡な日常に退屈する女の子がいた。僕をこの監獄から解放してくれた男がいた。そして、僕のことを理解してくれる女の子がいた。
僕は、自分の間違いを思い知らされた。僕は、自分を取り戻すことを誓った。僕は、人間として生きることを誓った。
思い出せば、支えてくれる思い出があった。自分を偽ったまま接した人も居たけれど、偽りを含めて自分なのだ。
「はい、お母様もご壮健で何よりです」
僕は堂々と答え、部屋に足を踏み入れた。そこは12畳ほどの広間で、母はその中央からやや奥の位置に座布団を敷き、正座していた。
後ろで、襖が閉まる。勝手に閉まったのではない。桐が閉めたのだ。母に仕えている立場の桐は許可無く入室できない。今頃は廊下で話が終わるのを待っているだろう。
僕は少し襖を見て、直ぐに母を振り返った。母が座っている前に、空いた座布団がある。僕の為に用意されたものなのだろう。少し戸惑って、僕はぎこちなくその上に正座した。
「……何もない、ですね」
どうでも良い質問だったのかもしれない。けれど、無性に気になった。見回してみた広い座敷は、家具といったものが無く、実際よりも広く感じた。この部屋だけではない。この家の全てが、祖父の脅威に脅かされ、半ば隠れ住んでいた頃と同じなのだ。
紅龍の家から離れた、帝國の端の端。山々に囲まれた田舎の村にぽつねんとあるこの家は。
広い庭には玉砂利と小さな松。広い屋敷の殆どの部屋は使われておらず、この部屋もそうであった。
一言で言えば、寂しい家、だった。
「もう、この家も必要ありませんからね」
少し予想から外れた母の返答に、僕はきょろきょろと動き回る視線を母に向ける。少し、綺麗な黒髪に混じっている白髪が、気になった。
見れば玉のようだった肌も皺が刻まれ、小柄ながらも美しかった輪郭は更に一回り小さくなっている。
母は、実際の年以上に、老けて見えた──。
「と、言うと?」
少し、そんな母の小さな変化が寂しく感じられ、僕は気落ちした。結い上げていた長い黒髪は痛んで、あちこちにはねてしまっている。
そんな僕の視線に気付いたのか、母は自身の髪を手櫛で梳きながら答えた。
「私は紅龍の家に帰ります」
驚いた。僕を生んで直ぐに追い出された家。母にとって嫌な思い出しかないであろう家。そこに、帰るというのだから。
確かに、当主であった祖父が死んで継ぐものは遠縁の血族のみの現状。一人娘である母を拒絶できる者など居ないだろう。
「でも、それは──」
「ええ、私が今代の当主になるでしょうね。周りもそれを期待するでしょうし、拒否は許されません」
政治家として大派閥・紅龍派を作り上げた祖父──紅龍敖欽の死後、帰ってきた一人娘。そんなもの、スキャンダルもいい所だ。そして、その血筋が反対意見を封殺できることが、問題だ。
批判は祖父と血筋の権威で叩き潰せる。しかし賛成は、歓迎は、御輿として担がれることは防げない。むしろ、“紅龍”の跡取りがその血筋を拒否し、悠々と暮らすなど帝國という国が許してはくれない。
「無理です! お母様は跡取りとしての教育を受けていない!」
なのに何故、そんな無意味なことをして自分を追い込むのか。僕はまったく理解できず、叫んだ。
「教育を受けてはいませんが、分かります。お父様を見ていましたから。あなたに剣術を教えたのは誰だと思っているのですか」
紅龍の当主と、その跡取りのみが学ぶことを許される剣術・紅龍無シン流。それを僕に教えたのは、他の誰でもなく、母だった。
そして、思い出した。母が国の人々からなんと言われていたかを。
──落天の姫。神の落とした天才。それが、母の評価であった。
学ぶ必要などないのだ。見れば、それだけで覚える。政治も、剣術も、どんなものであろうとも。反論できない。事実、母ならばやる。紅龍を継ぐことも、その後を完璧にこなすことも、出来る。
だが、それは駄目だ。もう限界ではないか。年不相応に老け込んで。もう十分頑張ったではないか。
「だ、駄目だ!」
「いいえ、やります。私は紅龍を継ぎます」
「そんなの、お母様のやることじゃないでしょう! 何故こだわるんですか!」
「私が紅龍を、帝國を愛しているからです。私にはお父様を継ぐ義務がある」
「自分で殺しておいて!」
「──っ!」
止まった。再開して一度も表情の変わらなかった母の顔が、痛烈に歪んだ。いつの間にか立ち上がっていた僕は母を見下ろし、その驚いたような、悲しんでいるような表情に言葉を投げる。
「伝言があります。『東雲はまだ健在だ』」
その一言で全てを察したのだろう。母は小紋の裾を直し、軽く息を吐いた。
「会ったのですか……」
まるで悪戯を暴かれた子供のような、ばつの悪そうな表情で母は呟く。
「そんなに帝國と紅龍を愛しているなら、お祖父様を殺さなければ良かった。そうすれば帝國も紅龍も安泰だった。なのに、何故?」
殺したのか。何故、東雲貫幸に祖父を殺すように願ったのか。祖父は僕達の敵であれど、帝國と紅龍のために極力していた。あの人は間違いなく、国士だった。帝國と紅龍に不要だったのは、僕だけではないか。
そんな僕の問いに、母は押し黙った。否、答えにくそうに言葉を探し、結果として何も喋れていなかった。ぱくぱくと、金魚のようにその口が開閉する。
「私は……お父様のやり方では……犠牲が多すぎると……」
途切れ途切れに紡がれた言葉は、かすれていて、母が泣きそうな時の声だと悟った。少し、罪悪感。今までは、そんなものなかったのに。
取り戻した人間性が、今は少し疎ましかった。
「いえ、違いますね……」
母は直ぐに自身の言葉を否定し、首を振った。そして、僕の方を真っ直ぐ見ると、堂々とその口を開く。
「貴方の方が大切だから」
心臓が、跳ねた。
「紅龍よりも、帝國よりも、他の何よりも、貴方が大切だったからお父様を殺したのよ」
母の愛情は理解していた。間違いなく自分のことを愛して、その身を粉にして生きていることを知っていた。だけど、それに実感が伴わなかった。
母が世に望まれぬ子を身篭り、産んだせいで家を追い出されたことも。祖父が紅龍の汚点として僕の命を狙っていたことも。母が僕を守るためだとこの家に軟禁したことも。全て、実感が伴わなかった。
全てを信用できず、自分が何なのか分からなかった自分には、世界の全てが他人事だったから。
「オレク、貴方はもう一人でも生きていけます。けれど、この国は違います。お父様が欠けたことは、この国にとって大きな損失。だから、誰かが埋めなければならないのです」
「だから……お母様が継ぐのですか……」
「ええ、そうです。私は紅龍を、継ぎます」
初めて実感の伴った愛は、重すぎて、僕の膝を折った。へたり込むように再び座り込んだ僕は、ゆっくりと首を振る。
何故、この人が身を削らねばならないのか。もう十分ではないか。もう十分、僕のせいで苦しんだではないか。
若くして全てを無くし、自分と僕の命を守ることに必死になり。その結果がこの老いた身体ではないか。
他の誰かに任せてはいけないのか。そう考え、次は自分の考えを否定するために首を振った。
この人の代わりがどこに居る。この人ほど帝國を愛し、紅龍を愛し、優秀な人間が、どこに居るというのだ。
そんな人間は居やしない。この、紅龍雪芽を置いて、誰も居ないのだ。
「待ってください」
本当に?
「お母様が継ぐ必要はありません」
本当に、この人以外にはいないのか?
居る。ただ一人、紅龍を継ぐ資格を持つ者が。
「僕が継ぎます。紅龍を、継ぎます」
僕だ。僕が継げば良い。そうすれば、母は苦しまずに済むではないか。
「駄目です」
しかし、母の返答は冷たいものであった。何も寄せ付けまいとする、刺々しい言葉であった。
「何故ですか?」
「貴方には才能がない。政治も、勉学も、剣術も。当主なんてもってのほかです」
その返答は予想できていた。実際、自分に何の才能もないことは僕が一番分かっている。
剣術なんて身体がまったくついていかなかった。勉学なんて並程度しか出来なかった。政治なんて他人に関心のない僕には向いていない。
それは知っている。知っていても、今回は譲れない。
「お母様がお祖父様に勝っていたのは剣術だけでしょう。才能は上でも、勉学も政治も、経験の長いお祖父様の方が明らかに上だ」
あの人は、国と家のためならば、何でも犠牲にできた。決して情には流されなかった。平気で悪に手を染めた。
息子の為に国と家を捨てられる母には、決して辿り着けないだろう。しかし、僕ならば。情などはなから持ち合わせていない僕ならば可能だ。
「なら、あとは剣だけでしょう。紅龍を紅龍たらしめる剣だけ。この家の誇りそのもの」
僕が、もっとも苦手とする所。それは当然母も承知で、呆れた様に首を振る。
「その剣が、貴方は駄目なのでしょう? 平和な世になり、形骸化した誇りとはいえ、剣は紅龍の代名詞。紅龍の始まりを無視して良い道理はありませんよ」
元々、紅龍は一人の侍から始まった家だ。邪神にして竜神たる怪物を、一人の侍が剣をもって殺したのが始まりだ。最悪、政治はなくとも、剣はなければならない。それが、紅龍という家の当主であった。
だが、そんなものは百も承知だ。自身の家のことは、知っている。どれだけ嫌いでも、隔絶されようとも、知っているものなのだ。
「剣の才能がなかったのは、昔の話です。それを確かめる術はすぐにある。違いますか、お母様?」
今の僕には、竜の力がある。常人をはるかに超えた身体能力がある。母に叩き込まれた剣術の知識がある。
きっと、今の僕ならば、母に認めさせられる。
そんな僕の挑戦的な笑みを受け、母はもう一度ため息をついた。
そして、ゆっくりと立ち上がり、襖に声をかける。
「桐、竹光を」
やる気、ということだろう。老いた母に怪我をさせずに勝つ。それは、酷く簡単なことのように思えた。
僕には、人を超えた能力がある。竜に頼るのは癪だが、母を苦しませないためにも、勝つ。
「此処でやるんですか?」
「場所を言い訳にしますか?」
そして、僕は悟った。
母が、本気で怒っていることを──。




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最終更新:2014年02月25日 07:59
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