その後、かなみと別れて家に着いた。
いい年こいて小さな傘に二人で入ったりしたもんだから、びしょ濡れとまでは言わずと
も、けっこう服が濡れてしまっている。多分、かなみも今頃同じような状態だろう。
そんなわけで、とりあえず居間のドア前にタオルを置いて二人分の濡れたカバンを上に
乗せると、下手に体を冷やして風邪をひく前に風呂で体を温めることにした。
「ちなみ、沸いたから先に風呂行っていいぞ」
「……覗くつもりですか? ……それとも……後から入ってくるつもりですか?」
警戒心MAXな妹の瞳。
そんなに兄を性犯罪者に仕立て上げたいのだろうか?
「何だ? 覗いてほしいのか? むしろ一緒に入って100まで数えて欲しいのか?」
「……ば、ばか言わないでくださいっ……!」
ちょっとからかっただけのつもりが真っ赤になって否定するちなみ。裸でも想像したの
だろうか。そのうちできる彼氏ならともかく兄の裸なんて想像しても仕方ないだろうに。
「なにマジになって警戒してんだよ。まったく……兄妹でそんなことするかっての」
「……それはそれで……複雑なのですが……」
「ん、複雑? 何が?」
「……あっ……な、なんでもありません。……とにかく、お風呂には兄さんから入って下
さい。……お湯が冷めちゃいます」
「いや、ちなみから入っちまえよ。妹に風邪ひかれちゃかなわん」
「……そっくりそのままお返しします。……ただでさえ役に立たない兄に風邪までひかれ
たら……面倒見切れません。……先に入ってください」
兄の健気な思いやりの心は、妹にはまったく理解されないらしい。
ちなみはどうあっても俺を先に入らせたいらしく、風呂場への廊下へと続く居間のドア
の方へ、俺のことを押し出そうとする。
「わ、分かったからそんな勢いつけて押すな――――うぉっとぉ!?」
押された勢いが残ったままに、何かに躓いてしまった。
ズッコケたりこそしなかったものの、散らばっている物は、薄いピンクの筆箱に、中学
三年の色々な科目の教科書、それに対応したノートにラインマーカーのペンに、折り畳み
の傘に……ようするに、ちなみのカバンの中身だった。
勢いよく足が当たったせいで割と広めに散らばってしまったため、片付けが大変だ。
「げ……ちなみ、すまん、足に引っかかっちまった――――って、傘?」
教科書、ノート、筆箱、マーカー……そして傘。
折り畳み傘……傘……何か違和感を覚える。
「――って、そうだよ、『折りたたみの傘忘れた』って言って「あ、あの……ご、ごめん
なさいっ……!」」
まだ何も言っていないのに謝りだしたちなみは、隠し事がバレて怒られた子供のような表
情をしていた。
目を伏せてちょっと気まずそうに謝るちなみに、
「ちゃんとカバンの中に折り畳み傘が入ってたのか……」
「……はい」
「ってことは、傘が入っていたのにわざわざ相合傘してたわけか……」
「……そ、そう……なりますね」
ちなみの表情がさらにばつが悪そうなものに変わっていく。
まったく、この妹ときたら――――
「――このドジっ娘め」
「……ぇ……?」
「傘ぐらいならいいけど、大事な物だったら大変だからな……カバンの中身は、ちゃんと見
落とさずに確認しろよ?」
「……え……?」
「だけど、しっかり者だと思ってたちなみがこんなドジ踏むなんてなあ……珍しいこともあ
るもんだな」
「……えぇっ……!?」
どこか日本語を間違えたのだろうか? 落ち込んだように下を向いていたちなみの表情が
驚きと呆れの混ざったものに変わった。
妹から『何なのこの人!?』みたいな表情を向けられて、正直ちょっと凹む。
「『えっ?』って……俺、何か変なこと言ったか? ようするに、カバンの中に入ってたの
に気付かなくて『折り畳み傘を忘れた』って思い込んでたんだろ?」
「…………兄さん、私は……」
「何だ?」
「私は……兄さんが、と て つ も な い バ カ で……安心しました……っ!」
ちなみが語気を強めて放った謎の悪口に、今度は自分が『えっ?』となる番だった。
そのまま、ロボットにでも命令するような口調でちなみの言葉が続く、
「……早くお風呂へ行ってください。……愚兄が散らばした道具は私が片付けますので」
「わ、分かった、行くけど……なぁ、ちなみ。今……なんか怒ってないか?」
「……そうですね……どちらかというと呆れています」
ちなみの冷めきった視線が怖い。
「その、不快にさせたなら悪かった。……道具散らかしちゃってごめ「……そっちじゃあり
ません……!」――え? 違うのか?」
「……いいからお風呂へ行ってください。……今日は母さんの帰りが遅いらしいので……夕
飯、抜きにしますよ?」
「い!? わ、分かったからメシ抜きは勘弁っ!」
結局、うやむやのまま風呂へと行かされたのだった。
その後は、ちなみの機嫌が悪い原因をいくら尋ねても一切教えてくれなかった。
どうして突然怒り出したのか……永遠の謎だ。最近の子供(といっても一個下だけど)の
考えることは分からん。
――――――――――2(続き)
次の日。
外では相変わらず雨が降っているが、学校は休み。
ちなみの部屋に様子を見に来ると、ベッドで大人しく寝そべっていた。
「ちなみ、大丈夫か?」
「……平気です。……こほっ」
咳が混じったちなみの様子を見るに、今日が平日だったとしても、どっちにしろ休んで
いたかもしれないわけだが。
「……けほっ……ぅぅ……」
まさか雨に当たった次の日だからって本当に風邪引くとは思わなかった。
「うん。全くもって馬鹿だなぁ――げほっ、ごほっ――まあ俺もなんだけど」
「……返す言葉も無いです……」
しかも兄妹揃って風邪っぴきというタチの悪さ。
これじゃあ、とんだドジ兄妹だ。
「……兄さんも……部屋へ戻って寝たほうが……いいです」
ちなみの声も、いつもより五割り増しで小さなものに聞こえる。
原因の半分は向こうの喉の調子で、もう半分はフラついている自分のせいだろう。
まさか雨に当たった次の日に――あれ、さっきも同じようなこと考えてた気がする……
やはり相当キてるかもしれない。
「ああ、そうするわ……」
「……おやすみなさい……けほっ」
「あ、そうだった。義母さんが卵酒作ってくれたらしいから置いとくぞ。……飲めそうに
なかったらそのまま置いといてくれればいいってさ」
「……わかりました……」
ちょうど風邪薬を切らしていた上、雨の中薬を買いに行くのもつらい。かといってただ
の風邪で医者だ病院だと騒ぐのも気が引ける。
義母さんが作ってくれた卵酒だけ貰って、部屋で安静にすることにした。
自分の部屋へと戻ってベッドに転がり込むと、10分ほどで、一気に眠気が訪れた。
……というところまで記憶があるから、多分そのまま眠っていたのだろう。
時計を見るともう夕方。5時間近く寝ていたらしい。
軽く体を伸びしてみると、朝よりはたいぶ楽だ。
「それはいいとして……――なんでコイツらがここにいるんだ?」
少し調子が戻って頭も働いてきたが、さすがに今の状況は理解しかねる。
「……くぅ……」
勝手に隣に入り込んで寝ているちなみと、
「すぅ……」
どこから湧いてきたのか、ベッドの横に持ってきた椅子に座ったまま掛け布団の上に突
っ伏しているかなみ。
ちなみは背中を向けて他人の枕を抱きかかえて熟睡しているし、かなみはかなみで、
人の腿の上(布団越しだが)を枕代わりにしていて、起きる気配も全くない。
「起こすわけにもいかんが……トイレに行きたい……」
寝ている間にも、腎臓はきっちり仕事をしていたようだ。
静かに眠っているところをムリに起こすような真似はしたくないが、生理現象ではどう
しようもない。
「起きるなよ……」
祈りながら、そろりそろりと布団から身を乗り出していく。
「……ん……? タカシ……起きたの?」
ですよねー。
かなみが起きた。そりゃあ、突っ伏してた布団の高さがいきなり変わったんだから、
いくらなんでも起きるか。
「あ、ああ、今起きたんだけどな」
かなみは軽く目を擦って、いよいよ本格的に覚醒したようだ。
「ふーん…………じゃあ」
で、なぜ自分は何もしてないのに『起きるなよ』なんてバカな願い事をしたかって?
「説明して欲しいんだけど、なんでちなみちゃんと一緒に寝てたの? 変態?」
……このとおり。
説明しろと言っておきながら、弁解する前から変態呼ばわりだ。
「起きたらいつの間にか隣で寝てました」
「へぇ、そうなの……」
「はい、……嘘は言ってませんよ?」
「あら、疑ってもいないのにどうして念押しするのかしら? もしかして何かやましい事
でも?」
はなっから言い訳などさせるつもりも無いのだろう。かなみは満面の笑みとドスの効い
た声で、質問という名の尋問を始めた。
「まあ、やましいかどうかなんて関係ないわよね。……いい年してまだ兄妹で一緒に寝て
るのね。いい趣味してるわ」
「いや、そんなことはないぞ」
「なら私がこの部屋に来たときの状況はどう説明するのかしら?」
「いつ入ってきたんだ?」
「具体的に言うなら……二人で仲良く眠ってるときかしら。メールしても電話しても返事
が無いから気になって来てみればこの有様よ」
机の上を見ると、着信を知らせてむなしく光リ続けている携帯電話。……授業中マナー
モードにし忘れた時の対策で、着信音をサイレントにしていたのがマズかったらしい。
「まったく……ホント二人とも仲が良いわねぇ……っ!」
馴染みの勘による分析の結果、かなみの表情は呆れ半分怒り半分といった感じだ。
怒りは携帯電話のシカトで、呆れはちなみと一緒に眠りこけていたことに向けられてい
るのだろう。
まずは半分。かなみの『怒り』を静めにかかる。
「えーと……電話シカトしてごめん」
「そっちじゃないわよっ! ……そっちもだけど」
急に声を荒げるかなみ。謝ったら逆効果だったらしい。
「どうして妹と同じ布団で寝てるのよっ……この変態!」
「いや、俺もちなみと一緒に寝たことなんて今日まで無かったが」
自分でもまさか高校生(と中三)にもなって一緒に寝るなんてバカなことをするとは思
わなかった。
「じゃあ尚更よ。どうして?」
「なんでと言われても……起きたらこうなってた」
そのまましばらくの間『なんで・どうして』ばかり浴びせられたが、寝て起きたら隣に
妹がいたんじゃ答えようが無い。
とりあえず、いい加減限界が来たのでかなみに言うことにした。
「お怒りのところ申し訳ないが……とりあえず……トイレに行きたいんだが?」
そう言ったとたん、フラつく頭にさらなる衝撃が走った。
「な、ななっ……この変態っ――!!!」
「あだっ――ちょっ、声がデカすぎだっ! ちなみが起きちまうだろうが!」
衝撃は、かなみに引っ叩かれたものだった。何でトイレがいけないのか?
いきなり変態呼ばわりもだいぶ酷いのだが、まずはせっかく寝ているちなみを起こして
しまわないように静かにさせることにした。
かなみもそこは理解したらしく、声のトーンをいくぶん落として、
「そ、そうよね……」
とだけ呟いた。
「……で、なんで変態呼ばわりされて引っ叩かれたんだ俺は?」
「そ、それはその……悪かったわよ……と、とりあえずトイレ行ってきなさいよね!」
改めてかなみを問いただすと、興が殺がれたのかあっさりトイレ行きを許可された。い
つのまにかトイレまでもが許可制になっていた場の空気にも困ったものだが、かなみの顔
がだいぶ怖いので文句も言えない。
「その、ほ、ホントに普通に、トイレ行きたいだけなのよね?」
「あのなぁ、それ以外に何があるんだよ……」
「な、なんでもない! そ、それならいいのよ……」
執着する割にはトイレトイレ言って赤くなっているところを見ると、かなみも年頃の女
の子らしい所もあるんだなぁと思う。……いや、高校生にもなってトイレで照れるってむ
しろおかしいかもしれない。
……などと考えても仕方ないと悟って、ちなみを起こさないように部屋を出て、とりあ
えずトイレを済ませてしまうことにする。
そして用を足して帰ってくると、
「ず、ずいぶんと早かったじゃない……」
「そりゃあまあただのトイレだし……一分もかからないが?」
「な、何よ……」
かなみが布団に潜りこんでいた。
気付かれないうちに一瞬入って出るだけのつもりだったのか、気まずさと恥ずかしさが
先行しているらしいかなみは、口元まで隠れるように掛け布団をかぶっていた。
口は悪いくせに寝はさびしがり屋のコイツのことだから、さっきまで除け者っぽくて寂
しかったりしたのかもしれない。
だが……
「なにも病人の布団に潜りこむことはないだろ、風邪うつっちまうぞ。……もう遅いのか
もしれないが」
「そ、その時はアンタに看病させればいいのよ」
かなみの頭の調子は大丈夫だろうか。
「昨日濡れて帰ったから……実はお前も風邪引いてるんじゃないのか?」
その質問に答えることは無く、かなみは溜め息をひとつつくと、そのまま思いっきり布
団をかぶってしまった。
「――ってそうじゃないだろうが。だから病人の布団で寝るなって!」
「う、うるさいわね。眠いんだからいいでしょ?」
「眠いなら自分の家で寝るか来客用の布団出してやるからそっちで寝ろっ……えぇい、俺
も病人なんだから安静にさせろ!」
「あ……う……そ、そうよね」
今さらになってようやく俺も病人だということに気が回ったらしい。急におずおずとし
た口調に変わるかなみ。
「じゃ、じゃあ……」
そう言ってかぶっていた布団の端をめくると、
「あ、アンタも一緒に寝ればいいじゃない……」
居間確定しました。かなみさんも風邪を引いているようです。しかも思考に影響がでる
ような、とびっきりタチの悪いやつを。
「なら俺居間で寝るから――って、おい引っ張るな!」
敬礼しつつUターンしようとしたが、途中で背中側から襟を引っ張られた。
「ちなみちゃんとは寝るくせにアタシだと不服だって言うの!?」
妙なところでちなみと競いたがるから困る。妹ともども、俺が『性別:男』だってこと
を全く理解していないらしい。
「あのな。不服とかじゃなくて、お前は俺が男だって分かんないのか? 男女七つにして
同衾せず、だ」
「ど、どどど……どうきん!? ば、バカ言うんじゃないわよ。ただ私はちなみちゃんだ
けズル――じゃない。……その……うー……あっ――」
シモネタに弱いのも相変わらずで、かなみは目でも回したように混乱したそぶりを見せ
た後、予想外な一言を放った。
「あ――――そ、そう! 私、ちなみちゃんと一緒に寝たかったの!! ちなみちゃんと
一緒に寝るなんてズルいわ!!」
たしかに女同士とはいえ他人の妹と『一緒に寝たい』なんて変な感じがして言えなかっ
たりするのかもしれない。
だが、全身真っ赤にして言うことなのだろうか?
「はぁ……まあ、それなら俺は居間で寝てるから好きにしてくれ」
「え、え、……ぅぅ……そうよ、アンタはさっさと居間で寝なさいよね!」
挙動(言動も)不審だったかなみの謎が解けてスッキリしたので、来客用の布団を居間
に引っ張り込んで寝ることにした。
「この……バカタカシっ……!」
言うとおりにしたのに最後に文句を付け加えるあたり、いつものかなみっぽい言動に戻
った気がする。
いつも通りに戻ったということは、やっぱり『ちなみと一緒に寝る』という目標が達成
できて満足したということだろうか。
しかし、かなみも変なヤツだ……一緒に寝ようとするほどちなみのことが気に入ってい
たとは……昔はそんな感じでもなかったのに。
その後、起きたかなみとちなみが不機嫌だったのだが……二人で寝ている間に何かあっ
たんだろうか?
最終更新:2011年06月18日 02:29