気まずい沈黙の空気の中、紙のこすれる音だけはやけにはっきりと聞こえた。
幾重にも連なる本棚のどこかにラニは居るのだろう。何かを調査しているらしいが、それが何かまではリーファには分からない。
同盟――PTを疑似的に組んだとはいえ、二人の間に会話は少ない。必要最低限のやり取りしかなかった。
こうして図書室で色々と情報を集めることになったのはいいのだが、同じ部屋にいながらもう二時間近くロクに会話がないままだ。
リーファとしてはもう少し親交を深めたいと思っているだが、何か話しかけてみてもラニは素っ気ない返事を返すのみであった。
ゲームの性質上、いずれは必ず敵対する仲にあるとはいえ、それでも会話が全くないというのは寂しいものだ。

緊張しているのだろうか、とリーファは忖度する。
ああいう感じのプレイヤーは、一見して他者を拒絶しているように見えて、その実上手く話す機会を掴めないでいるだけなこともある。
仮想の身体を通したコミュニケーションというものは少し勝手が違うものだし、仕方ないことなのかもしれない。自分だってそうだった。
VRMMOにわざわざ触れている以上、他者と話をしたくない筈がないのだから。

(……あんな、練りに練った設定があるんだしね)

出会い頭に告げられたラニのルビ溢れる言語群を思い出し、リーファは苦笑した。
あんな噛みそうな台詞をすらすらと言えるなんて、余程入れ込んでいるらしい。
それともそういうロールなのだろうか。人好き合いの悪さも合わせて、ああいった感じのキャラを演じているのかもしれない。
そういう楽しみ方もまたありだろう。だってこれはゲームなのだから。

「……ん」

彼女はそこで一息吐き、目の前にある蔵書を眺めた。
この棚には主に歴史関係の本が入っているらしく、世界史や日本史でやったような名前が乱雑に並んでいる。
その一つの背表紙を軽くなぞってみる。すると、厚紙独特の乾いた感触が指に生まれた。疑似的なものとは思えない。
電子書籍なんかも出回っている現代でもあるが、紙の本だって消えた訳ではない。
だがしかしその場がゲームの中であることを考えると、これもまた電子書籍といえるのだろうか。そう思うと何だかおかしかった。
どのような媒体にせよ、肝要な情報の構成さえ同じであるのならそこに差はないのかもしれない。電子であれ紙であれ。
リーファは指を離した。見れば僅かに埃が付いていた。

「リーファさん」

不意に声を掛けられ、リーファは思わずビク、と肩を震わせてしまった。
振り向けば、そこには涼しい顔をして佇むラニの姿があった。その手には幾つかの蔵書がある。

「えーと、何?」
「そろそろ動きましょう。この場の調査は一通り終わりました」

そう言ってラニはリーファの返事を待たずに、すたすたと歩いていってしまった。
急いで後を追いつつ、横目で大量の蔵書を見た。
先の検索システムと合わせてこういったものが用意されているということは、恐らく何かのイベントフラグとなり得るものがこの中にあるのだろう。
しかし、量が量だ。全部に目を通すのは中々骨が折れそうだった。
ラニは調査が終わった、と言ったがこの短時間で何かを見つけ出したのだろうか。

「はい。探しものはありました」

そのことを尋ねると、ラニは振り返りそう言った。
リーファは彼女の手に在る本を見る。それが探し物だったらしい。

「その本のこと?」
「そうです。恐らくこれが私が探していたイレギュラー。既に借用契約は済ませてあります」
「見せて貰ってもいい?」

何となく興味を持ってリーファはそう尋ねていた。
彼女は完全に探す情報に当たりを付けていたらしい。どうやってかは気になるが、先ずはその本の方に興味が湧いた。
どうぞ、と言ってラニが差し出してきた本をタイトルを見る。
『ツナミネットの歩き方』『EPITAPH OF THE TWILGIHT』『名人が語る! ネットバトルの極意』……等々ジャンルも言語もまちまちの本が並んでいる。
そんな統一感のないラインナップの中、リーファはふとある物を見つけた。

『SAO事件全記録』

その名を見た時、彼女は思わず本を落としていた。
ばん、と音を立て、本が図書室の床に転がった。

「どうかしましたか?」
「え? ああ、ごめん。何でもない。ちょっと手を滑らしただけ……」

急いで本を拾い上げながら、リーファはそう曖昧に言い繕った。
ラニは訝しげな表情を浮かべていたが、それ以上何も追及はしなてこない。
そのドライさに今この瞬間だけは感謝しつつ、彼女はラニに本を返した。

その本のことは知っていたし、この場にあることもそう驚くことではないのかもしれない。
ただ、忘れていたこと、忘れようとしたていたことを、思わず思い出してしまったのだ。

「ところでラニ。何でその本なの?」
「何で、とは?」
「いや、どういう基準でそのタイトルを選んだのかなって」

話を逸らすべく半ば強引にそう聞いてみた
気になっていたのは本当だった。彼女はさっき探していた、と言っていたが、何を以てしてこれらの本を探そうとしたのだろうか。
尋ねられたラニは、眼鏡を指で軽く上げながら

「簡単です。これらの書物は、以前に来た時はなかったものです。
 それこそこの月海原学園のイレギュラー、そう判断しました」
「え?」
「これまでの調査からこの月海原学園が、前回の聖杯戦争と同一の造りであることは確認してあります。
 しかし、細部にはところどころ改変された形跡がある。それが何を意味するのかを確かめたかった」

ラニの言葉の聞きつつ、リーファは首を捻った。
以前、とラニは言った。その口ぶりからして彼女はこのゲームを昔プレイしたことがあるらしい。
となるとこのβテストらしきものについても色々聞けるかもしれない。

そう思い、事情を聞かせて貰おうと口を開こうとしたとき、

「音がします」

ラニが図書室の入り口を振り返り、言った。
その横顔には何も感情が浮かんでいない。ただ無機質で無感動なものがそこにはあった。










遠坂凛、とその少女は名乗った。奇しくも自分と同じ読みの名字だ。
突如として現れた彼女の息は荒く、激しい運動をしてきたようにも見えた。
そして聞けば実際、彼女は直前まで逃げていたのだという。強大で正体不明の敵から。

「アレは温存しておきたいアイテムだったんだけど、まぁしょうがないわね。命には代えられない」

彼女が言うには、支給アイテムの一つが幸運にもワープを可能にするものだったらしく、それを使いギリギリのところで逃げ延びたのだとか。
そういった話をジローはふんふんと頷いている。出会ったばかりの少女と、場を教室に移して一先ず情報交換をしているのだ。

今しがたいきなり現れた彼女には面食らったが、危険人物でないようなのは僥倖だった。
寧ろ自分の方が危険な男だと思われ、一悶着あった。まぁそれも仕方ない。逃げ延びた先に銃を持った男が居れば誰だって驚くだろう。
彼女のような少女なら猶更だ。

「で、ジロー。
 その銃余ってるなら私にくれない?」
「え? これ、本物だぞ。玩具みたいだけど……」
「だからいいんじゃない。ほら、渡しなさいって」
「あ、こら。勝手に……」

息を落ち着けた凛はそう言って、ジローの持っていた双銃の片割れをジローの手から取り、その使い心地を確かめるように触り始めた。
その手付きは予想外に手慣れたもので、ジローは目を丸くした。

「えーと、凛。お前、銃使ったことあるのか?」
「ん? あるけど。 私、こう見えてテロリストやってるのよ」
「は?」

驚くジローを尻目に凛はDG-Oの片割れを弄っている。
そしてそのまま構え、夜空の映る窓に向かって銃を連射した。
四つの銃声が炸裂、次いで硝子の音を立てて砕け散った。ジローは思わず「うわっ」と声を立て、飛び退いた。

「四発まで連射可能で、任意リロード可能。弾数は実質無限ってとこかしら。
 スキルの方は……駄目か。二つ揃ってないと発動できないみたい」
(……凄い娘だな)

凛の言動に対し、ジローは何も言えず曖昧な顔をした。
躊躇いなく銃をぶっ放し、手際よく性能を確認する様は熟練の戦士のそれだ。
自分も何度か銃を使ったことがあるとはいえ、あくまで素人が見よう見まねで使ってみたに過ぎない。
とてもではないが彼女のようには使えないだろう。ああいうことは渦木や呉殺手たちの領分だ。

「うん、中々のものね。これなら自衛くらいはできそう。
 ありがたく貰っておくわ。ジロー」
(上げるとは言っていないぞ……)
「何よ、その顔。不満があるっていうの?」
「いや、まぁ分かった。上げるって」

実際片方は持て余し気味だった訳だし、それを凛に渡すことに異論はない。
銃の扱いも自分より上手いみたいだし、彼女なら誤って暴発させるなんてこともないだろう。

それにしても、とジローは凛の横顔を見ながら思った。
先ほど口走ったテロリストという言葉。それが真実なら自分はまたその手の人間と関わりを持つことになってしまったのだろうか。
呪いの野球ゲームもだが、つい先日まで現実世界でも命のやり取りをしていた身である。ただのフリーターでしかない自分が何故こうも裏社会と繋がりを持つことになるのだろうか。

「なぁテロリストってやっぱりツナ――」
「待って!」
「え?」

ジローの言葉を遮る形で突如として凛が立ち上がり、周りへ鋭い視線を送り始めた。
その様子に彼が対応することができず、おろおろとしていると、

「しまった……うっかりしてた。今回は中でも敵が……」

五枚の刃が緑の軌跡を描き、ガラスを破って教室へと飛び込んで来た。
それは確実に凛とジローの命を狙うものであり――








「えーと、これでよかったの?」
「はい。以前の聖杯戦争では禁止事項でしたが、現時点で学園内での直接攻撃は禁止されていないようですので、この奇襲が最適解です」

頭を傾げ問いかけたリーファに対し、ラニはすらすらと語った。
その様に迷いはなく、彼女が『経験者』だということを滲ませていた。

音がした、という言葉に従い、リーファとラニは一階のとある教室の前までやってきていた。
ついに自分たち以外の参加者との接触である。
そこでラニは奇襲しようと申し出てきた。何かしらの遠距離攻撃を用いての先制である。
使用したのはリーファの遠距離真空攻撃魔法。それを銃声のした教室に向かい発動し、今に至る。
爆発が起き、きらきらと舞うガラスの破片のグラフィックを見ながら思う。これで相手を倒すことができただろうか、と。

作戦は、確かに納得のいくものであった。
自分とラニのような例外があるとはいえ、基本はこのゲームは皆敵同士だ。遭遇それ即ち相敵である。
ならば発見次第、相手に何もさせないまま撃破、というのがもっとも効率の良い戦術ではあるだろう。

まぁ正直少し汚い手のような感じもしなくはないが、これも立派な戦術であることは事実だ。
少なくともこのゲームにおいては。

(お兄ちゃんがやってたGGOの大会に似てる……のかな)

かつて兄がシノンと共に参加したBoBのことを思い出す。
あれもバトルロワイアル式の大会であった。あの時の二人は協力し上手く連携することで生き残っていた。
自分とラニも同じく連携を取りたいところだが。

(なら、もう少し互いのこと知らないとね)

相変らず素っ気ない態度のラニを視界に入れつつ、教室の方を見やると、

「ったく、危ないわね」
「な、何だったんだ、一体」

壊れた窓越しに二人のプレイヤーの姿が見えた。
二人ともリーファのようなファンタジー然とした装いではなく、ラニに近い現代風のファッションだ。
野球服を着た青年に、赤い服を纏った少女。
彼らが己に降りかかった埃を振り払うのが見える。どうやら一撃で仕留めることができなかったようだ。

「こうなったらもう仕方ない。直接対決よね」
「……待ってください。少々お話がしたい相手です」

と、不意にラニが口を開いた。
その声色はそれまで機械のようの平坦だったそれとは違い、困惑を示すように揺れていた。
そして視線は真直ぐと一人のプレイヤー――たった今攻撃した少女に向けられていた。

「……お久しぶり、なのでしょうか?」

ラニがそう声を掛けるのと、少女の顔が驚愕の表情が浮かぶのは同時のことだった。
その様子は単なる知り合い、という様子ではない。
それはもっとあり得ないものを見た時のような、それこそ幽霊を見た時のような反応に見えた。

「ラニ……! 何でアンタが」
「おかしいですね。貴方の死を私は既に確認している」
「はぁ? それは私の台詞よ。だってアンタ六回戦で……」

互いが互いについて疑問を投げかける。
リーファは二人の関係がよく分からなかった。
死、とラニは口にしたが、何かしらのゲームで彼女らに因縁があったということだろうか。

「……状況についての結論は出ませんか。
 ならば今は保留とします。どの道この場で取るべき選択は一つです」
「アンタ、まさか……!」

ラニはそこで眼鏡を軽く上げ「リーファさん」と呼びかけてきた。

「彼らにもう一度攻撃を」
「えーと、いいの? 何か知り合いみたいだけど」
「構いません」

そうきっぱりと言い切るラニに戸惑いつつも、リーファはセアー・スリータ・フィム・グロン・ヴィント……、と覚えた呪文を口にする。
このゲームにおいても呪文の発動はALOの方法と変らないようで、定められた単語を口にすることが魔法のトリガーとなる。

そうして完成した魔術をリーファは放った。
真空攻撃魔法――緑の刃が二人のプレイヤーを襲う。
だが、敵も黙ってみた訳ではない。こちらに明確な敵意があると分かるや否や、彼らは窓から外へ出ようとしていた。
爆風が巻き起こる中、ギリギリのタイミングで二人が逃れるのが見えた。右に少女、左に青年だ。

「外れましたか?」
「うーん、どうだろ。ホーミング系の魔法だし何かに遮られない限りは追尾して当たる筈だから、
 全部とはいかなくてもダメージは行ってるかも」
「なるほど」

リーファの言葉にラニは軽く頷き、

「では追撃しましょう。敵は二手に分かれたようです。
 そこでこちらも別れて敵を狙いましょう。私は凛――赤い少女を追います」
「え? あ、分かった、けど」

淀みなく語るラニに対し、リーファは何と言ったものか今一つ掴めなかった。
彼女らの間に何か因縁があるのは分かるが、それは尋ねて良いものなのだろうか。
それ以外にもラニに聞きたいことは山ほどある。
この『ゲーム』について、経験者の観点から色々と助言を貰いたい。
そして何より保障して欲しいのだ。この場について――

「どうかしましたか、リーファさん」
「え、あっ……ちょっと聞きたいんだけど、もしかしてラニって剣とか持ってない?」

だが口から滑り出たのは全く違う問い掛けだった。
装備についてのことだ。リーファは剣に類するアイテムを支給されてはいなかった。
魔法も使うが、リーファは基本的に剣での近接戦闘に重きを置いたビルドである。
なのでできれば剣、それも長刀の類が欲しいのだが。

(って、もっと早く聞くべきだよね)

何でこんな戦闘の最中に聞いているんだ、そう自分でも思ったが、しかしこれまでラニと上手くコミュニケーションが取れていなかったのだから仕方ない。
ラニの無機質な表情が目に入った。その様子がこちらの要領の悪さを非難しているようでもあり、若干物怖じを感じてしまった。

「あ、別にタダとは言わないからさ。
 えーと何か、トレードに使えそうなものは」

曖昧に笑いつつ、リーファはメニューのアイテム欄を急いで操作する。
そうしてでてきたラインナップを幾つか告げると、ラニは表情を変えた。

「それは……」

一言でいえば、彼女は絶句していた。
先の少女を見かけたときと同じように、否、もっとずっと大きな驚愕の色を滲ませる、沈黙を絞り出した。
目を見開き、信じられないというように口を開け、そして心なしか僅かに頬を染めている。

それに対する思い出は辛い記憶なのかもしれなくて、
でもきっと大切なものに違いなくて、
だから、こうして直面した彼女が浮かべたのは、
切なくて、甘酸っぱい、胸が締め付けられる、
なんて小恥ずかしいセンチメンタルな単語が似合うような表情だった。

(あ……)

その顔を見た時、リーファ/桐ヶ谷直葉は思った。
この少女、ラニを信用してもいいのではないか、と。
だって彼女は――

「分かりました、リーファさん。それと引き換えにこちらの剣を差し上げます」

冷静さを取り戻したラニはそう言ってオブジェクト化した剣を渡してきた。
一拍遅れてリーファも反応し、その剣を受け取り装備する。
[装備]【疾風刀・斬子姫】とステータスが画面に表示されたのを確認した後、約束通りラニにアイテムを渡す。

「ありがとうございます。
 そうですね……やはり、貴方に見えた星は間違いではなかった。
 貴方は、持っていたんですね。あの人との確かな縁を」

深々と礼をしながら言う彼女にリーファは微笑みかけた。
そして確かな友好の意志、親近感を持って「改めてよろしくね」と声を掛ける。
彼女とならやっていける。この『ゲーム』でも。そんな思いを滲ませて。

「分かりました。よろしくお願いします、リーファさん。
 ――では、今度こそ追撃開始です」
「了解。えーと、でも大丈夫なの? ラニ。
 貴方一人で戦えるジョブなの? 見たところ戦士って感じでもないキャラだけど。
 PTを分散するより二人で確固撃破していった方がいいんじゃない?」
「その心配は無用です。私単独でも戦闘が可能となっています」

ラニは再び冷静な声で、

「ただ少々制御の難しい性能で、仲間を巻き込みかねない。
 故にこの作戦が最も有効なのです」

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最終更新:2013年05月28日 00:28