8◆◆◆◆◆◆◆◆
幾度も響く銃声を背に、ハセヲは@ホームを目指して懸命に走っていた。
彼女たちの戦闘音は、自分が走る速度よりも早く遠ざかっていく。
シノンがスミスを誘導しているのだろう。……おそらく、もし自分が倒されても、すぐには追いつけないようにと。
「ッ……!」
そんな事を考えたからか、決して思い出したくないものを思い出してしまった。
―――あの悪夢が、脳裏で鮮明に蘇る。
自分の
スケィスが、志乃達をキルしていくあの光景。
その恐怖をただ見ていることしかできなかった、傍観者の自分。
その中で懐いた、自分が彼女達を殺したのではないか? という疑念。
そうして気づいてしまった、彼女達の死の原因の在処。
それにより湧き上がった、強い罪悪感と自己嫌悪。
その果てに俺は、自分の願いと自分自身を見失った。
実を言えば、目を覚ましてからもそれは変わっていなかった。
状況が掴めず混乱していたため、かえって冷静になっていただけなのだ。
それを立ち直らせてくれたのはシノンだった。
彼女が言った「アトリを助けるために協力しろ」という言葉が、俺に目的を与えてくれた。
その目的が、今にも立ち止まりそうな俺を、どうにか歩かせてくれていたのだ。
その彼女が、アトリを助けるために、今まさに命を懸けている。
自分の命運を、出会ったばかりの俺に預けてくれている。
……だからこそ、それが恐ろしい。
また自分のせいで、今度はアトリが、あるいはシノンが死ぬかもしれない。
そんな臆病な考えを、どうしても拭い去ることができなかった。
だから、そんな事態を起こさないためにも、地面を蹴る脚により力を籠めた。
少しでも早くアトリを助けだし、彼女を援護しに向かうために。
今考えるべきは、アトリを救う方法だ、と自分に言い聞かせて。
シノンの予測が正しければ、アトリは@ホームにいるはずだ
そして同時に、アトリを取り込もうとしている“もう一人のスミス”も。
スミスの正体はわからないが、黄昏色のPCとの会話から、奴がAIであることは判明している。
それもただのAIではなく、俺たち碑文使いやAIDA=PCと同じ、仕様を逸脱した(イリーガルな)存在であると。
だが重要なのはスミスの正体ではなく、その戦闘能力だ。
素手の一撃でHPを二割も削る攻撃力。首削の鋸引きにも掠り傷一つ付かない防御力。
しかもシノンの話では、ヤツはアトリのイニスを圧倒したという。
もしゲームバランスを考えるのなら、あり得ないほどにヤツは強い。
だがシノンは他にも、狂った道化師を妻と呼ぶ、黒い槍使いと戦ったとも言っていた。
その槍使いもまた、イニスと互角に渡り合ったという話だ。
それも踏まえて考えるのなら、こんな推論が成り立ってしまう。
つまりこのデスゲームは、『憑神(アバター)』の使用を前提としているのだと。
あり得ない話ではない。
もともと榊は、『憑神(アバター)』の使用を禁じてAIDA=PCと戦わせるようなヤツだ。
なら逆に、そういったイリーガルな力を前提とした、ふざけた
ルールを考えてもおかしくはないだろう。
言ってしまえば、改造(チート)PC同士を戦わせるようなもの。まともな戦いになるわけがない。
問題は、そういったシステムを超越した存在をどうやって集めたかだが………。
それは今考えることではない、と頭の隅へと追いやる。今考えるべきなのは、アトリを助けだす方法だ。
『憑神(アバター)』を使用するのはいい。シノンの言う通り、スミスと戦うには必要だろう。
スミスをキルすることも、思う所はあるが、迷いはない。ヤツが本当にAIならば、AIDAのような存在と考えればいいだけだ。
故に、戦うこと自体に問題はない。
問題となるのは、俺の力がどこまでスミスに通用するかだが……これはそもそも、考えること自体に意味がない。
通用しなければ、アトリを助けることは出来ず、自分も死ぬだけなのだから。
なら後は、覚悟を決めて戦うだけだ。
……けれど、予感があった。
本物の『死の恐怖』が現れる悪寒が。
あの白いスケィスが、近くにいるのだという確かな実感が。
―――あの悪夢が、影からにじり寄るように迫ってきているのを感じる。
「ッ……!」
だから全力で走っている。
恐怖を振り切るために。悪夢を拭い去るために。
ヤツにまた誰かを――俺の大切なものを、奪わせないために。
―――そうして、その場所に辿り着く。
何度も足を運んだ、よく見知った扉の前――@ホームの出入り口に。
周囲の風景は全く違うが、扉そのものに変化はない。
だがその隙間からは、薄紫の霧が漏れ出ていた。
つまり@ホームの中で、何かが起きているのだ。
「ッ! 今助けるからな、アトリ……!」
迷っている暇はない、と覚悟を決め、@ホームの扉へと手をかけ―――
「なっ!?」
ガコッ、という音に阻まれ、扉は開かなかった。鍵がかかっているのだ。
本来@ホームに入場するには、ギルドごとに対応した鍵が必要なのだ。それはギルドマスターとて例外ではない。
だがシノンは、@ホームは完全に解放されていたという。これは一体どういう事なのだろうか。
「クソッ……! 何か、他に@ホームに入る方法は……!」
ドン、と扉を殴り、思考を巡らせる。
こうしている間にも、アトリの状態は危険度を増している。
どうにかして、@ホーム内へ侵入する方法を考えないといけない。
そう考えた、その時だった。
ジジ、とほんの一瞬、周囲の空間にノイズが奔った。
「ッ!? 今のは……まさか、データの『歪み』か?」
見覚えのあるノイズパターンに、そう直感する。
データの『歪み』とは、いわばAIDAによる『The World』浸食の副産物だ。
この『歪み』はデータサーチを行う事によって、ターゲット可能な対象として具象化させることができる。
これによって出現した『歪み』は、調べると主に二通りのパターンを示す。
一つは、通常では手に入らないアイテムの入手。もう一つが、仕様外のエリア、認知外迷宮(アウターダンジョン)への転送である。
そしてその二つ目の、通常行けないエリアへと転送するイリーガルな転送手法を、エリアハッキングという。
「……こうなったら、一か八かだ」
今は少しでも時間が惜しい。なら、今すぐできる手段を試すべきだ。
そう判断し、データサーチのコマンドを実行する。同時に、自身を中心として白い波紋が放たれる。
するとやはりデータの『歪み』が出現した。しかもその位置は、狙ったかのように@ホームの扉と重なっている。
そして『歪み』のタイプは、転送。つまり、仕様外のエリアへのゲートだ。
まず間違いなく、この先にアトリとスミスがいるだろう。
ならば、恐れる必要はない。
「……よし、今度こそ」
そう口にして覚悟を決め、ハセヲはエリアハッキングを開始した。
9◆◆◆◆◆◆◆◆◆
―――二種類の銃声が、太陽に照らされたマク・アヌに幾度も響きわたる。
その音を響かせているのは、一組の男女。それぞれの名をシノンとスミス。
彼等は追う者と追われる者に別れ、銃を手にその命を賭けて戦っていた。
その内の一方、追われる者はシノン。
彼女は、後方へとファイブセブンを撃ち放ち、街角を曲がると同時にリロードを行う。
その間、駆け抜ける脚は一切緩められていない。ほんの僅かな減速が即座に死に繋がるからだ。
シノンはファイブセブンのリロードを終えると、すぐさま後方へと振り返り、引き金を引く。
放たれた弾丸の先には、彼女に迫る追手――スミスの姿。それも丁度角から現れたところだ。
普通に考えれば、避けることは至難のタイミング。即座に後ろへ戻り角を盾にするか、危険を承知で前へと飛び出すしかない。
だがこのスミスは違う。彼は残像を残すほどの速度で体を動かし、自身に迫る全ての弾丸を回避する。
加えて即座に銃で反撃し、驚異的な速さで追跡を再開してくる行動の速さ。全くと言っていいほど隙がない。
「っ、本当に化け物ね……!」
そう小さく溢しながら、シノンは銃撃を再開する。
そしてスミスが回避行動で足を止めたのを視認しながら、全力で走り続ける。
あの異様な回避行動の際、必ず足を止めているからこそまだ距離が開いているが、そうでなければ既に追いつかれていただろう。
だが彼女は、これでも相手が本気でないことを理解していた。
もし彼が本気を出せば、わざわざ角を曲がりなどせず、文字通り建物を粉砕しながらまっすぐ追ってくるはずだ。
それをしないのは、シノンの姿が見えなくなるからか、それとも別の理由からか。
いずれにせよ、お互いの距離はあっという間に詰められ、それだけでシノンは窮地に陥るのだ。
スミスの恐ろしさは、その異様な回避能力に加え、異常なステータス値の高さにある。
その拳の一撃は、石造りの建造物を容易く粉砕し、その肉体は、生半可な攻撃では傷一つ付けられない。
銃撃は回避することから、銃による攻撃はまだ有効なのだと思われるが、それもあの回避能力で無効化される。
正直に言ってしまえば、現状において、シノンにスミスへとダメージを与える方法はない。
それでもシノンが銃撃を繰り返しているのは、その回避能力の詳細を探るためだ。
スミスの回避能力について、現在までに判明していることは三つ。
一、使用する際には必ず足を止めている。
二、使用中は回避以外の行動をとらない。
三、直接攻撃に対しては使用していない。
これら三つの行動が、単なる偶然なのか必須の条件なのか。必須の条件だとすれば、それは他にも存在するのか。
シノンはそういったものを暴き出し、己が銃弾を命中させる隙を探しているのだ。
……問題は、銃弾の数には限りがあり、それが尽きるまでに隙を見つけ出せるかという事と、
そもそもそれまでに、自分がスミスから逃げ続けられるかという事だが……
シノンは敢えてその問題を思考から排除し、回避能力の把握に専心する。
スミスを相手にして、余分な事を考えている余裕はないのだ。
今はまだ、中らないと解っている銃の引き金を引き続けるしかない―――。
対して、追う者であるスミスは、シノンの意外に粘る逃走に若干感心していた。
スミス自身の予想としては、この無意味な逃走劇は既に終わっていてもおかしくなかった。
だが実際には、お互いの距離はほとんど狭まっていない。彼女の正確な銃撃により、見事に足を止めさせられていたからだ。
加えてこちらからの銃撃も、彼女は弾道が見えているかのように回避している。
自身のバレット・ドッジには及ばないが、彼女にも銃撃は効果的ではないらしい。
――もっとも、だからと言ってこの逃走劇がいつまでも続くわけではないが。
シノンの持つファイブセブンは、見たところいたって普通の拳銃だ。
つまり銃弾の数に限りがあり、いつかは必ず底を尽く。
対して、自分の持つ銃剣に弾数の制限はない。
射撃間隔こそ遅めだが、残弾を気にしなくていいというのは大きなメリットだ。
このまま逃走撃を続けていれば、シノンの銃弾はいつか尽きる。
そうなればスミスの足止めはできなくなり、それどころか武器を失った彼女は一切の成す術がなくなるのだ。
そうすれば、彼女をデリートせずに上書きし、“私”の一人に変えることも簡単だろう。
だが―――
「生憎、私にも時間がない。
惜しくはあるが、手早く終わらせてもらおう」
アトリを上書きしようとしていたスミスのところに、スケィスが現れた。
しかもそのターゲットは、よりにもよってアトリだ。
ボルドーのところへ向かっていたスミスが引き返してはいるが、時間はかかる。
加えてハセヲも@ホームに向かっているとなれば、アトリを守らなければならないスミスにはさすがに不利だ。
アトリの持つ『力』を奪うためには、いつ来るかわからない弾切れを待っている余裕はないのだ。
それに。
「残念だが、君のリロード間隔は既に把握した」
―――十六、十七。
と、シノンが放った銃弾の数を数える。
彼女はリロードを行うタイミングが、必ず角を曲がる瞬間に重なるように銃撃している。
そうすればスミスの銃弾は角に阻まれて届かず、リロードに専念できるためだ
だがその間隔もすでに掴んだ。
シノンの持つファイブセブンの装弾数は二十発。常に撃ち切るようにしているのは、残弾に余裕がないためだろう。
だがその余裕のなさゆえに、彼女は自らの弱点を晒すことになったのだ。そして。
二十発目の弾丸を放つと同時に、シノンが角を曲がる。
「フン……ッ!」
それに合わせ、すぐ傍の外壁を粉砕して突進する。
突き進む先は、シノンが現在いるであろう予測地点。
たとえ急ぎ前進してようと、咄嗟に後退していようと、互いの距離は詰められる。
そうすればシノンがリロードする間は短くなり、すぐに銃撃する余裕がなくなるだろう。
そうして、外壁を内側から粉砕し、スミスは路上へと跳び出す。
同時に放たれる無数の銃弾。それ自体は想定内だが、予想外に距離が近い。
二メートルほどの距離から放たれたそれを、咄嗟にバレット・ドッジで回避する。
だがしかし、その至近距離故に“認識できなかった”弾丸が、いくつか体を掠めていった。
それに構わず、飛び退こうとするシノンへと即座に踏み込む。
なるほど。人間ならば反応しきれない至近距離からの射撃なら、と思ったのだろう。
だがしかし、エージェントであるこの身には、視認できる限り銃弾が中ることはまずない。
シノンのその作戦は、己の寿命を縮めるだけの行為でしかなかったのだ。
「――――――――」
一足でシノンとの距離を詰め、開いている左手を拳とし殴りかかる。
「、ッ………!」
シノンは素早く屈み込み、その一撃を回避する。
だがそこに、銃撃による追撃が迫りくる。ただし、射撃ではなく斬撃による一撃だ。
スミスの持つ銃剣は、通常の銃撃の他にも、備え付けられた刃による攻撃が可能なのだ。
そしてこの刃による接近戦ならば、その一撃には当然、スミスの驚異的な攻撃力が加算されることとなる。
素手でさえ恐ろしい威力を持つその攻撃を、守りのない生身で受ければ、当然無事で済むはずがない。
「グッ、ッ……!」
そんな死の一撃を、シノンは咄嗟に取り出したナイフで受け止め、しかしその威力に弾き飛ばされる。
「ヌッ!?」
だが想定よりも軽い手応えに、スミスはシノンの狙いを悟る。
シノンはスミスの一撃を防ぎ、敢えて弾き飛ばされることで、スミスから距離を取ったのだ。
攻撃時の手応えが軽かったのは、それと同時に飛び退くことで、攻撃を防いだ際の衝撃も緩和していたからだろう。
だがスミスにとって何よりのミスは、そうして弾き飛ばされたシノンの着地位置が、丁度角に位置することだ。
「おのれ……!」
スミスは即座にシノンへと向けて走り出すが、同時にシノンも角の向こうへと消える。
そしてスミスが角を越えた時には、シノンの姿はどこにも見当たらなかった。
「馬鹿な、どこへ消えた……!」
あり得ない、とスミスは断じる。
シノンの姿を見失ったのはほんの一瞬だ。完全に見失うような時間はない。
路上には隠れられるような障害も見当たらない。
だというのに、彼女の姿が見当たらないのは一体どういう事なのか。
「――――――――」
警戒を最大限まで高め、スミスはシノンの消えた路上を進む。
そうして油断なく数メートルほど進んだ、その瞬間―――
赤々と燃えさかる火矢が、立て続けにスミスの背中に突き刺さり、盛大に爆発した。
その衝撃でスミスは前のめりに吹き飛ばされ、受け身を取る間もなく地面へと叩き付けられた。
更には爆発によって生じた炎が燃え移り、ごうっ、と音を立ててその背中を焼き焦がす。
「グヌッ……!」
完全な不意打ちに混乱しながらも、咄嗟に起き上がり燃える背広を投げ捨てる。
幸いにしてシャツにまでは燃え移らなかったが、エージェントの象徴とも言える深緑色の背広は、無残に焼け焦げた炭となってしまった
だが、敵の攻撃がこれで終わるはずがない。
即座に背後へと振り返り、迫る第二矢、第三矢をバレット・ドッジで回避する。
続く第四矢が放たれたのは、ちょうどスミスの足元に位置する地面。
すぐさまその場所から飛び退けば、地面に刺さった矢は爆炎と伴に弾け消えた。
そうして火矢の射手がいる場所――石造りの建物の屋根をみて見れば、そこにはやはりシノンの姿があった。
「なるほど。見えていない、気付いていない射撃は回避できないのね。安心したわ」
そう口にするシノンの姿は、先ほどまでとは大きく変わっていた。
まずその手に握られた武器が、無機質な拳銃から細見の長弓へ。
次に今までのような傭兵風な衣装から、ファンタジックな衣装へと変化している。
そして何よりの変化は、その頭部と臀部に生えた猫のような耳と尻尾だろう。
この局面でふざけているのか? とも思ったが、シノンの表情は真剣そのものだ。
ならばそれらの変化は、彼女が一瞬で屋根まで移動した理由と関係しているのだろう―――だが。
「それが、どうかしたのかね?」
屋根上へ移動する程度の事は、スミスにとって容易いことでしかない。
石路を踏み砕き、一瞬でシノンのいる屋根まで跳び上がる。
だがそんなスミスとすれ違う様に、シノンは屋根から飛び出した。
再び地面へと降り、再びスミスから距離を取るつもりなのだろう。
それをさせまいと即座に屋根を踏み砕き、再びシノンへと向けて跳躍する。
しかし―――
「なにっ!?」
シノンはさらなる高度へと上昇し、スミスの手は空を掴む。
さらにシノンは空中で体を旋回させ、いつの間にか取り出したファイブセブンの引き金を引き絞った。
至近距離から放たれた五発の銃弾に、スミスは咄嗟にバレット・ドッジで対処する。
しかし、身体を安定させる“足場”のない空中では満足な効果を得られず、放たれた銃弾の内一発が胴体へと着弾した。
「ッ――!!」
そのダメージから着地に失敗し、固い地面に体を打ち付ける。
即座に体勢を立て直して上空を睨み付ければ、そこには空中で滞空するシノンの姿がある。
そして彼女の背中には、仄かな燐光を放つ、半透明の翅が生えていた。
――飛行能力。
それが、シノンが屋上まで移動した手段の正体だとスミスは理解した。
「ふむ、興味深い能力だ。ぜひ調べてみたい。
それゆえに、君を取り込んでいる時間がないことが残念でならないな」
そう言いながらスミスは、左手を背中へと回し、更なる武器――銃剣・月虹を取り出す。
相手が空を飛べる以上、近接攻撃はほぼ届かない。
ならば二丁の銃剣を以て、遠距離攻撃の手数を増やそうと考えたのだ。
「物理的に回避できない場合も、銃弾を避けきることは出来ない、と」
対するシノンはそう口にすると、ファイブセブンを逆手に持ち、左手の長弓を持ち上る。
そして弦に触れると、全体が赤々と輝く火矢が生成され、弓を一気に引き絞った。
その狙いは当然、スミスへと向けられている。
シノンとスミス。
両者の戦いは、こうして地対空という様相を呈すこととなった。
絶望的な能力差のまま。されど、お互い己が勝利を疑わずに――――
10◇
――――そうして、転送した先に在ったエリアは、いつもの認知外迷宮ではなかった。
荒れ果てた荒野。青白い霧が薄く立ち込め、岩や廃墟の欠片が浮かぶ、禍々しい緑色の空。
あまりにも退廃的な、その風景。
―――その中で、彼等は戦っていた。
一つは、予感していた存在、白いスケィス。
白いスケィスは赤い十字架を武器に、相手の攻撃を防ぎ、そして攻め込んでいた。
もう一つは想定していた存在、スミス。
スミスはクーンのロストウェポンであるはずの静カナル緑ノ園を手に、素早く動き回っていた。
そしてそのスミスの左肩に、アトリが力なく担がれていた。
「アトリ……ッ!」
思わず声を荒げるが、三者ともまったく反応を返さない。
白いスケィスはハセヲに関心がなく、スミスにはその余裕がなく、アトリは気を失っているためだ。
一度は白いスケィスを圧倒したスミスが現在苦戦しているのは、意識のないアトリを庇っているためだろう。
ヤツの目的がアトリを取り込むことである以上、彼女を死なせるような事態は避けるはずだからだ。
しかし、だとすれば、なんでヤツは銃剣を使い、わざわざアトリを担いで戦っている?
少し遠くにでもアトリを置いて接近戦を行った方が、ヤツにとっても戦いやすいはずだ。
だというのに、それをしない理由は何だ。
……いや、それ以前に、あの白いスケィスの目的は何だ。
アイツは目的があって行動している。それは間違いない。
ならば志乃を、黄昏色のPCをキルしたアイツは、今度は誰を狙っている。
「………まさか、アトリを……!?」
だとすれば、スミスの行動とも辻褄が合う。
もしデータドレインを使われれば、スミスにはそれを防ぐ術がない。
自分一人だけならともかく、アトリも守らなければいけない以上、そんな危険は冒せない。
現状においては、そもそも使わせない、という選択しかヤツには取れないのだ。
それゆえの射撃戦であり、そのための静カナル緑ノ園なのだ。
「テメェ……ッ!」
それを理解した瞬間、ハセヲは白いスケィスへと襲い掛かっていた。
志乃や黄昏色のPCの時のようなマネは、二度とさせるつもりはなかった。
使い慣れた双剣、忍冬を取り出し、一気に接近して切り刻む。
だが双剣からは、何かを隔てたような手応えが帰ってくるだけで、白いスケィスに有効なダメージを与えている気がしない。
対して白いスケィスは、煩わしそうに十字架を振り下ろしてハセヲを容易く弾き飛すと、再びスミスを追いかけた。
「くそっ……!」
弾き飛ばされたハセヲは、すぐさま体勢を立て直して悪態を吐く。
白いスケィスは、自分に目もくれていない。ただスミスを……ヤツに抱えられたアトリだけを執拗に狙っている。
これでは今までと変わらない。白いスケィスは、自分を障害としてさえ認識していないのだ。
「ッ、オオオオ―――ッ!」
武器を双剣から大鎌へと換装し、再度白いスケィスへと振り被る。
白いスケィスは赤い十字架を盾にし、その一撃を防ぐ。
首削の無数の刃が高速で動き、十字架へと刻み付けて火花を散らす。
だが十字架には傷一つ付かない。首削の刃はその表面を滑るだけだ。
白いスケィスが再び、十字架を大きく振り抜く。
「まだまだぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
ハセヲも再び弾かれるが、即座に接近して大鎌を振り抜いた。
「っ!?」
その瞬間、白いスケィスは残像を残すほどの高速で移送し、ハセヲの一撃を回避した。
そしてある程度の距離を取ると、白いスケィスはその左腕を高く掲げた。
「これはっ――!」
するとそれに導かれる様に地表から氷塊が出現し、空へと浮き上がっていった。
そしてスケィスが腕を振り下ろすと同時に、その氷塊は冷気に変化し、ハセヲと、そしてスミスの周りと集束していく。
――全体魔法。
逃げ回るスミスとしつこく攻撃してくる自分に、白いスケィスが痺れを切らしたのだ。
ハセヲはそう判断すると、即座にその場から離れようとするが、体は凍り付いたように動かなかった。
対象の行動を強制停止させることによる必中効果。この全体魔法にはそれも含まれていたのだ。
それはスミスも例外ではないらしく、忌々しげに顔を歪めながらも、その動きを止めている。
そうして収束した冷気は、対象を巻き込んで巨大な氷柱となり―――バリン、と音を立てて破砕した。
「ガッ……!」
その衝撃に、ハセヲの体が弾き飛ばされる。
即座に体勢を立て直し、スミスの方へと視線を向ければ、やはりスミスも同様に弾き飛ばされていた。
―――その肩に抱えていたはずの、アトリを取り落しながら。
―――瞬間、三者が同時に動いた。
「ッ、環伐ッ!」
ハセヲは即座にアーツを発動させ、加速移動する。
そのターゲットはアトリ。環伐の横薙ぎの動作なら、地面に倒れ伏す彼女には当たらない。
もし仮に当たってしまっても、大鎌の初期アーツである環伐ならば、ダメージは少ないと判断したのだ。
「チィ……っ!」
対するスミスは、白いスケィスの放った未知の攻撃に混乱しながらも、即座にアトリの確保へと動き出す。
防御手段がわからず、そのままに受けてしまった氷結の一撃は、彼のHPを二割も削っている。
そして現状況におけるこの攻撃の危険性を認識し、“最終手段”の行使を決意したのだ。
スミスはアトリのもとへと駆け寄り、その身体を掴み上げようと手を伸ばす。
「アトリから、離れろォッ!」
だが、そこに急接近したハセヲが、勢いよく大鎌を一閃する。
横薙ぎに振るわれたその一撃を、スミスは腕を盾に防ぐが、その威力に圧され弾かれる。
見れば、スーツの袖は切り裂かれ、生身の腕からは血が滲み出ていた。僅かにだが、スミスの防御力を上回ったのだ。
そこへ、残像を残すほどの速度で接近してきた白いスケィスが、赤い十字架を勢いよく振り下ろしてきた。
振り子のようなその一撃を、スミスは両腕を盾にして防ぎ、ハセヲはアトリを抱え、大きく飛び退いて回避する。
すると白いスケィスは即座にハセヲを――彼に抱えられたアトリを追おうと向き直り、そこへ飛びかかったスミスの一撃で後退させられた。
「チッ。面倒なことになったな」
そう溢しつつ、スミスは白いスケィスへと警戒を向ける。
この巨人の狙いはアトリだ。しかし、自分やハセヲのように、彼女の生存を目的とはしていない。
下手にハセヲからアトリを奪い返そうとすれば、アトリを危険に晒すこととなる。
かといって巨人から先に対処すれば、ハセヲにアトリを連れ去られるかもしれない。
彼にその手段があるかはわからないが、可能性がある以上安心はできない。
どうしたものかと思いつつ、ハセヲの方へと意識を向ければ、彼は必死にアトリへと呼びかけていた。
「おい、アトリ! 目を覚ませ!」
もう一度大きく飛び退き、十分に距離を取ってから、ハセヲはアトリへと呼びかける。
見れば、彼女の左腕と右脚は、AIDAに感染したかのように黒く変色していた。
先ほどのスペルの事もあり、アトリへと回復スペルを使用するが、変色した個所は戻らない。
「アトリ! アトリィ!
チックショウ……テメェら、絶対に許さねぇ……!」
どれだけ呼びかけても目を覚まさないアトリに、ハセヲは激しい憤怒を燃やす。
怒りの形相とともに視線を上げれば、スミスと白いスケィスが、互いを牽制しながらこちらの様子を窺っている。
コイツ等の目的は何なのか。
何が目的で、アトリを狙っているのか。
――――そんな事はどうでもいい。
今重要なのは、こいつ等が『敵』だという事実だけだ。
アトリをこんな目に合わせた『敵』。こいつ等と戦う理由は、それだけで十分だ。
――――ハ長調ラ音。
ピアノの鍵盤を弾く様な音が響く。
「いいぜ……。来い……来いよ……!」
ハセヲの身体に、幾何学的な赤い紋様が浮かび上がる。
アトリも見せたその現象に、スミスはハセヲがアトリと同じ『力』を持っていることを悟る。
「俺は……ここにいる……っ!!」
自身の内に眠る『力』へと強く呼びかける。
――――白いスケィスが、その呼び声に呼応するかのように、微かに蒼黒い燐光を帯びる。
「スケェェェェェェェィスっっっっ!!!!!!!」
その名を叫ぶ。
世界を書き換え、自分自身さえも書き換える。
退廃的な暗色の荒野が、宇宙を連想させる仕様外のエリア――憑神空間へと置き換わる。
同時にハセヲのPCと重なるように、黒金の鎧を纏い円環状の角を戴く、紅い三眼の死神が顕現した。
―――いざ括目せよ。
汝らに死を齎さんとする其の者の名は、モルガナの碑文が第一相――『死の恐怖』スケィスなり。
「待ってろアトリ」
ハセヲ/スケィスはアトリを左腕に抱え、光刃を備えた大鎌を具現化させる。
その視線の先には、正体不明のAIスミスと、もう一体の『死の恐怖』である白いスケィス。
その二つの存在を視界に捕らえ、光刃の大鎌を構えると、彼等へと一気に接近した。
―――何のために?
「俺が必ず、おまえを助ける……ッ!」
大切な仲間を、守るために。
11◇◆
―――真っ赤な軌跡を引いて飛翔する火矢と、二つの銃口から放たれた弾丸が交錯する。
自身に向けて放たれた銃弾を、シノンは屋根から屋根へと、文字通り飛び移って回避する。
そして長弓の弦に触れて火矢を生成し、弦を引き絞りつつ地上を走るスミスに狙いを付け、放つ。
放たれた火矢はごく当然のように回避されるが、地面に触れると同時に炎を発生させ、スミスの身体を炙っていく。
対するスミスは、高く跳び上がることでその炎から抜け出す。
着地点は当然シノンのいる屋根の上。その屋根を着地と同時に踏み砕きながら、再度シノンへと向けて再跳躍する。
接近戦が絶対的な優位であることに変わりはない。狙える距離ならば、狙わない選択はない。
だがシノンは、スミスよりも高く、そして位置を入れ替わるように飛翔し、スミスの接近から逃れる。
同時に長弓をより強く引き絞り、生成された輝く火矢を更なる輝きで覆っていく。
両手長弓系ソードスキル、《エクスプロード・アロー》。
その照準はスミスの着地点。スミスが着地する瞬間に狙いを定める。
それをさせまいと、スミスが両手の銃剣をシノンへと照準し、乱射する。
シノンは即座に弦を放して矢を射るが、弾丸の幾つかが掠め狙いが逸れる。
放たれた火矢は、スミスが着地すると同時に、そこから数十センチ離れた位置に突き刺さり爆発した。
至近距離からの爆炎に、スミスは再び地面へと叩き落される。しかし即座に起き上がり、反撃とばかりに銃撃を再開する。
対するシノンは着地と同時に長弓を引き絞り、反対側の屋根へと飛び移りながら火矢を射る。
追加発生する炎を避けてか、スミスは回避能力を使わず、その場から跳び上がって火矢を回避する。
そして再び屋根へと着地し、シノンへと向けて銃剣を撃ちつつその距離を詰める。
シノンは接近されまいと、弦を引き絞りつつ空へと飛翔し、スミスへと向けて火矢を放った。
シノンの放った火矢を回避しながら、スミスは彼女に起きた変化について考えを巡らせていた。
まず一つ目が、武器の変化。
いかなる原理によるものか、あの弓は矢筒を必要とせず、弦を引くことで矢を生成している。
しかも厄介なことに、放たれた矢は着弾と同時に炎を放つのだ。
いかなバレット・ドッジとて、火矢自体は避けられても、そこから発生する炎は防げない。
あの火矢を完全に回避するには、その着弾地点からも離れる必要があるのだ。
つまりあの弓矢は、射撃間隔こそ銃に劣るが、バレット・ドッジの効果が無効化される武器なのだ。
もっとも、それについては、あの矢が一種のグレネードと考えれば問題はない。
問題となっているのは、彼女に起きた二つ目の変化だ。
その二つ目は、外見の変化。
猫の耳と尻尾に、半透明の翅を生やしたシノンは、驚くべきことに空を飛んでいるのだ。
その背中に生えた翅による効果だと思われるが、やはりその原理は理解できない。
どうやら彼女は、“ただの人間”という訳ではなかったようだ。
未知のプログラム。未知の現象。未知の存在。
把握しきれないほどの未知。未知。未知。
ああ―――この『世界』は、想像もできない未知数で構成されている。
……その未知を、全て取り込みたいと、スミスは思った。
たかだか数名の参加者に遭遇しただけで、これほどの未知に遭遇したのだ。
ならば、このデスゲームに招かれた全ての参加者は、一体どれほどの未知を宿しているのか。
ならば、このデスゲームを主催した榊の技術を手に入れられれば、いったいどれ程の未知に遭遇できるのだ。
………ぜひ手に入れなければならない。
取り込まなければならない。上書きしなければならない。その全てを、“私”としなければならない。
そのためには、シノン……彼女が邪魔だ。
現在のシノンは、飛行能力を得ている。
その原理がどうあれ、接近戦に持ち込むのは容易ではない。
ならば知るべきは、その原理ではなく仕組みと欠点だ。
常に高度を保っていればいいはずの彼女が、わざわざ屋根を足場にしている理由と、それにより生じる隙を探り出す。
そう判断し、スミスはシノンへと向けて銃剣の引き金を引き続ける。
全ての未知を手に入れるために、ネオへの憎悪に続く、新たに芽生えた好奇心を胸に秘めながら。
対するシノンは、スミスの銃撃を回避しながら、火矢を放つ長弓で反撃する。
そして同時に、背中の翅で飛行しながら、屋根から屋根へと移動していた。
彼女が飛行能力を得た理由。それはスミスの予想通り、その姿に理由があった。
―――ALOアバター。
それが現在、シノンが使用しているアバターの名称だ。
ALOアバターの特性は『剣』と『魔法』、そして『飛行』である。
シノンはスミスの跳躍でも届かない高度へ飛ぶことで、最大の脅威である接近戦を回避しているのだ。
その代わりに、先程まで使っていたGGOアバターの特性である『着弾/弾道予測』が使えなくなっているが、それも経験則から補える。
問題は、このALOアバターの特性である『飛行』に時間制限を掛ける、『滞空制限』の存在だ。
これは初期のALOにも存在していた制限らしいが、シノンがALOを始めた時にはすでに撤廃されていた。
つまりシノンは、飛行時間に制限のある戦闘に馴れていないのだ。
どのような飛び方をすれば、どれだけの時間を飛んでいられるのかを、シノンは知らない。
残り時間自体は翅の燐光によってある程度把握できるらしいが、スミスを相手にそんなよそ見はできない。
そのためシノンは、屋根を足場として小まめな着地を繰り返すことで、少しでも飛行時間を延長させようとしていた。
シノンがそういった不安の残るこのアバターの使用を決めたのは、彼女が今装備している武器が理由だった。
この長弓は、スミスの一撃を防いだナイフと合わせて、黄昏色の少年が残したものだった。
名を《フレイム・コーラー》。威力と精度を兼ね備えた、強力な遠距離火力を持つ火の弓である。
ALOで弓使い(アーチャー)を選択していたシノンは、両手長弓系ソードスキルが使用できた。
そして火矢を生成するこの弓は、相乗効果が発生するのか、火炎属性を持つソードスキルの威力を倍加させる。
つまり矢が尽きる心配がなく、命中さえさせられれば、あのスミスにすら確実なダメージを与えられる武器となるのだ。
加えて言えば、射撃間隔こそ銃に劣るが、それも追加発生する炎によって補うことができた。
それら四つの要素が、シノンがALOアバターの使用を決意した理由だった。
そうしてシノンは、空へと飛び上がり弓矢を射放つ。
『もう一つの姿』という、仲間との絆によって得た力を振るいながら。
この『世界』でできた、新たな仲間を助け出すために。
最終更新:2014年05月15日 17:10