8◆◆◆◆◆◆◆◆


 幾度も響く銃声を背に、ハセヲは@ホームを目指して懸命に走っていた。
 彼女たちの戦闘音は、自分が走る速度よりも早く遠ざかっていく。
 シノンがスミスを誘導しているのだろう。……おそらく、もし自分が倒されても、すぐには追いつけないようにと。

「ッ……!」
 そんな事を考えたからか、決して思い出したくないものを思い出してしまった。

 ―――あの悪夢が、脳裏で鮮明に蘇る。

 自分のスケィスが、志乃達をキルしていくあの光景。
 その恐怖をただ見ていることしかできなかった、傍観者の自分。
 その中で懐いた、自分が彼女達を殺したのではないか? という疑念。
 そうして気づいてしまった、彼女達の死の原因の在処。
 それにより湧き上がった、強い罪悪感と自己嫌悪。
 その果てに俺は、自分の願いと自分自身を見失った。

 実を言えば、目を覚ましてからもそれは変わっていなかった。
 状況が掴めず混乱していたため、かえって冷静になっていただけなのだ。
 それを立ち直らせてくれたのはシノンだった。
 彼女が言った「アトリを助けるために協力しろ」という言葉が、俺に目的を与えてくれた。
 その目的が、今にも立ち止まりそうな俺を、どうにか歩かせてくれていたのだ。

 その彼女が、アトリを助けるために、今まさに命を懸けている。
 自分の命運を、出会ったばかりの俺に預けてくれている。

 ……だからこそ、それが恐ろしい。
 また自分のせいで、今度はアトリが、あるいはシノンが死ぬかもしれない。
 そんな臆病な考えを、どうしても拭い去ることができなかった。

 だから、そんな事態を起こさないためにも、地面を蹴る脚により力を籠めた。
 少しでも早くアトリを助けだし、彼女を援護しに向かうために。
 今考えるべきは、アトリを救う方法だ、と自分に言い聞かせて。


 シノンの予測が正しければ、アトリは@ホームにいるはずだ
 そして同時に、アトリを取り込もうとしている“もう一人のスミス”も。

 スミスの正体はわからないが、黄昏色のPCとの会話から、奴がAIであることは判明している。
 それもただのAIではなく、俺たち碑文使いやAIDA=PCと同じ、仕様を逸脱した(イリーガルな)存在であると。
 だが重要なのはスミスの正体ではなく、その戦闘能力だ。
 素手の一撃でHPを二割も削る攻撃力。首削の鋸引きにも掠り傷一つ付かない防御力。
 しかもシノンの話では、ヤツはアトリのイニスを圧倒したという。
 もしゲームバランスを考えるのなら、あり得ないほどにヤツは強い。

 だがシノンは他にも、狂った道化師を妻と呼ぶ、黒い槍使いと戦ったとも言っていた。
 その槍使いもまた、イニスと互角に渡り合ったという話だ。
 それも踏まえて考えるのなら、こんな推論が成り立ってしまう。

 つまりこのデスゲームは、『憑神(アバター)』の使用を前提としているのだと。

 あり得ない話ではない。
 もともと榊は、『憑神(アバター)』の使用を禁じてAIDA=PCと戦わせるようなヤツだ。
 なら逆に、そういったイリーガルな力を前提とした、ふざけたルールを考えてもおかしくはないだろう。
 言ってしまえば、改造(チート)PC同士を戦わせるようなもの。まともな戦いになるわけがない。
 問題は、そういったシステムを超越した存在をどうやって集めたかだが………。
 それは今考えることではない、と頭の隅へと追いやる。今考えるべきなのは、アトリを助けだす方法だ。

 『憑神(アバター)』を使用するのはいい。シノンの言う通り、スミスと戦うには必要だろう。
 スミスをキルすることも、思う所はあるが、迷いはない。ヤツが本当にAIならば、AIDAのような存在と考えればいいだけだ。
 故に、戦うこと自体に問題はない。
 問題となるのは、俺の力がどこまでスミスに通用するかだが……これはそもそも、考えること自体に意味がない。
 通用しなければ、アトリを助けることは出来ず、自分も死ぬだけなのだから。
 なら後は、覚悟を決めて戦うだけだ。


 ……けれど、予感があった。
 本物の『死の恐怖』が現れる悪寒が。
 あの白いスケィスが、近くにいるのだという確かな実感が。
 ―――あの悪夢が、影からにじり寄るように迫ってきているのを感じる。

「ッ……!」
 だから全力で走っている。
 恐怖を振り切るために。悪夢を拭い去るために。
 ヤツにまた誰かを――俺の大切なものを、奪わせないために。



 ―――そうして、その場所に辿り着く。
 何度も足を運んだ、よく見知った扉の前――@ホームの出入り口に。

 周囲の風景は全く違うが、扉そのものに変化はない。
 だがその隙間からは、薄紫の霧が漏れ出ていた。
 つまり@ホームの中で、何かが起きているのだ。

「ッ! 今助けるからな、アトリ……!」
 迷っている暇はない、と覚悟を決め、@ホームの扉へと手をかけ―――

「なっ!?」
 ガコッ、という音に阻まれ、扉は開かなかった。鍵がかかっているのだ。
 本来@ホームに入場するには、ギルドごとに対応した鍵が必要なのだ。それはギルドマスターとて例外ではない。
 だがシノンは、@ホームは完全に解放されていたという。これは一体どういう事なのだろうか。

「クソッ……! 何か、他に@ホームに入る方法は……!」
 ドン、と扉を殴り、思考を巡らせる。
 こうしている間にも、アトリの状態は危険度を増している。
 どうにかして、@ホーム内へ侵入する方法を考えないといけない。
 そう考えた、その時だった。
 ジジ、とほんの一瞬、周囲の空間にノイズが奔った。

「ッ!? 今のは……まさか、データの『歪み』か?」
 見覚えのあるノイズパターンに、そう直感する。


 データの『歪み』とは、いわばAIDAによる『The World』浸食の副産物だ。
 この『歪み』はデータサーチを行う事によって、ターゲット可能な対象として具象化させることができる。
 これによって出現した『歪み』は、調べると主に二通りのパターンを示す。
 一つは、通常では手に入らないアイテムの入手。もう一つが、仕様外のエリア、認知外迷宮(アウターダンジョン)への転送である。
 そしてその二つ目の、通常行けないエリアへと転送するイリーガルな転送手法を、エリアハッキングという。


「……こうなったら、一か八かだ」
 今は少しでも時間が惜しい。なら、今すぐできる手段を試すべきだ。
 そう判断し、データサーチのコマンドを実行する。同時に、自身を中心として白い波紋が放たれる。
 するとやはりデータの『歪み』が出現した。しかもその位置は、狙ったかのように@ホームの扉と重なっている。
 そして『歪み』のタイプは、転送。つまり、仕様外のエリアへのゲートだ。

 まず間違いなく、この先にアトリとスミスがいるだろう。
 ならば、恐れる必要はない。
「……よし、今度こそ」
 そう口にして覚悟を決め、ハセヲはエリアハッキングを開始した。


     9◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ―――二種類の銃声が、太陽に照らされたマク・アヌに幾度も響きわたる。
 その音を響かせているのは、一組の男女。それぞれの名をシノンとスミス。
 彼等は追う者と追われる者に別れ、銃を手にその命を賭けて戦っていた。

 その内の一方、追われる者はシノン。
 彼女は、後方へとファイブセブンを撃ち放ち、街角を曲がると同時にリロードを行う。
 その間、駆け抜ける脚は一切緩められていない。ほんの僅かな減速が即座に死に繋がるからだ。

 シノンはファイブセブンのリロードを終えると、すぐさま後方へと振り返り、引き金を引く。
 放たれた弾丸の先には、彼女に迫る追手――スミスの姿。それも丁度角から現れたところだ。
 普通に考えれば、避けることは至難のタイミング。即座に後ろへ戻り角を盾にするか、危険を承知で前へと飛び出すしかない。
 だがこのスミスは違う。彼は残像を残すほどの速度で体を動かし、自身に迫る全ての弾丸を回避する。
 加えて即座に銃で反撃し、驚異的な速さで追跡を再開してくる行動の速さ。全くと言っていいほど隙がない。

「っ、本当に化け物ね……!」
 そう小さく溢しながら、シノンは銃撃を再開する。
 そしてスミスが回避行動で足を止めたのを視認しながら、全力で走り続ける。
 あの異様な回避行動の際、必ず足を止めているからこそまだ距離が開いているが、そうでなければ既に追いつかれていただろう。

 だが彼女は、これでも相手が本気でないことを理解していた。
 もし彼が本気を出せば、わざわざ角を曲がりなどせず、文字通り建物を粉砕しながらまっすぐ追ってくるはずだ。
 それをしないのは、シノンの姿が見えなくなるからか、それとも別の理由からか。
 いずれにせよ、お互いの距離はあっという間に詰められ、それだけでシノンは窮地に陥るのだ。

 スミスの恐ろしさは、その異様な回避能力に加え、異常なステータス値の高さにある。
 その拳の一撃は、石造りの建造物を容易く粉砕し、その肉体は、生半可な攻撃では傷一つ付けられない。
 銃撃は回避することから、銃による攻撃はまだ有効なのだと思われるが、それもあの回避能力で無効化される。
 正直に言ってしまえば、現状において、シノンにスミスへとダメージを与える方法はない。
 それでもシノンが銃撃を繰り返しているのは、その回避能力の詳細を探るためだ。

 スミスの回避能力について、現在までに判明していることは三つ。
 一、使用する際には必ず足を止めている。
 二、使用中は回避以外の行動をとらない。
 三、直接攻撃に対しては使用していない。

 これら三つの行動が、単なる偶然なのか必須の条件なのか。必須の条件だとすれば、それは他にも存在するのか。
 シノンはそういったものを暴き出し、己が銃弾を命中させる隙を探しているのだ。

 ……問題は、銃弾の数には限りがあり、それが尽きるまでに隙を見つけ出せるかという事と、
 そもそもそれまでに、自分がスミスから逃げ続けられるかという事だが……

 シノンは敢えてその問題を思考から排除し、回避能力の把握に専心する。
 スミスを相手にして、余分な事を考えている余裕はないのだ。
 今はまだ、中らないと解っている銃の引き金を引き続けるしかない―――。



 対して、追う者であるスミスは、シノンの意外に粘る逃走に若干感心していた。
 スミス自身の予想としては、この無意味な逃走劇は既に終わっていてもおかしくなかった。
 だが実際には、お互いの距離はほとんど狭まっていない。彼女の正確な銃撃により、見事に足を止めさせられていたからだ。
 加えてこちらからの銃撃も、彼女は弾道が見えているかのように回避している。
 自身のバレット・ドッジには及ばないが、彼女にも銃撃は効果的ではないらしい。
 ――もっとも、だからと言ってこの逃走劇がいつまでも続くわけではないが。

 シノンの持つファイブセブンは、見たところいたって普通の拳銃だ。
 つまり銃弾の数に限りがあり、いつかは必ず底を尽く。
 対して、自分の持つ銃剣に弾数の制限はない。
 射撃間隔こそ遅めだが、残弾を気にしなくていいというのは大きなメリットだ。

 このまま逃走撃を続けていれば、シノンの銃弾はいつか尽きる。
 そうなればスミスの足止めはできなくなり、それどころか武器を失った彼女は一切の成す術がなくなるのだ。
 そうすれば、彼女をデリートせずに上書きし、“私”の一人に変えることも簡単だろう。
 だが―――

「生憎、私にも時間がない。
 惜しくはあるが、手早く終わらせてもらおう」

 アトリを上書きしようとしていたスミスのところに、スケィスが現れた。
 しかもそのターゲットは、よりにもよってアトリだ。
 ボルドーのところへ向かっていたスミスが引き返してはいるが、時間はかかる。
 加えてハセヲも@ホームに向かっているとなれば、アトリを守らなければならないスミスにはさすがに不利だ。
 アトリの持つ『力』を奪うためには、いつ来るかわからない弾切れを待っている余裕はないのだ。
 それに。


「残念だが、君のリロード間隔は既に把握した」
 ―――十六、十七。
 と、シノンが放った銃弾の数を数える。

 彼女はリロードを行うタイミングが、必ず角を曲がる瞬間に重なるように銃撃している。
 そうすればスミスの銃弾は角に阻まれて届かず、リロードに専念できるためだ
 だがその間隔もすでに掴んだ。
 シノンの持つファイブセブンの装弾数は二十発。常に撃ち切るようにしているのは、残弾に余裕がないためだろう。
 だがその余裕のなさゆえに、彼女は自らの弱点を晒すことになったのだ。そして。

 二十発目の弾丸を放つと同時に、シノンが角を曲がる。
「フン……ッ!」
 それに合わせ、すぐ傍の外壁を粉砕して突進する。
 突き進む先は、シノンが現在いるであろう予測地点。
 たとえ急ぎ前進してようと、咄嗟に後退していようと、互いの距離は詰められる。
 そうすればシノンがリロードする間は短くなり、すぐに銃撃する余裕がなくなるだろう。


 そうして、外壁を内側から粉砕し、スミスは路上へと跳び出す。
 同時に放たれる無数の銃弾。それ自体は想定内だが、予想外に距離が近い。
 二メートルほどの距離から放たれたそれを、咄嗟にバレット・ドッジで回避する。
 だがしかし、その至近距離故に“認識できなかった”弾丸が、いくつか体を掠めていった。
 それに構わず、飛び退こうとするシノンへと即座に踏み込む。

 なるほど。人間ならば反応しきれない至近距離からの射撃なら、と思ったのだろう。
 だがしかし、エージェントであるこの身には、視認できる限り銃弾が中ることはまずない。
 シノンのその作戦は、己の寿命を縮めるだけの行為でしかなかったのだ。

「――――――――」
 一足でシノンとの距離を詰め、開いている左手を拳とし殴りかかる。
「、ッ………!」
 シノンは素早く屈み込み、その一撃を回避する。
 だがそこに、銃撃による追撃が迫りくる。ただし、射撃ではなく斬撃による一撃だ。

 スミスの持つ銃剣は、通常の銃撃の他にも、備え付けられた刃による攻撃が可能なのだ。
 そしてこの刃による接近戦ならば、その一撃には当然、スミスの驚異的な攻撃力が加算されることとなる。
 素手でさえ恐ろしい威力を持つその攻撃を、守りのない生身で受ければ、当然無事で済むはずがない。

「グッ、ッ……!」
 そんな死の一撃を、シノンは咄嗟に取り出したナイフで受け止め、しかしその威力に弾き飛ばされる。
「ヌッ!?」
 だが想定よりも軽い手応えに、スミスはシノンの狙いを悟る。

 シノンはスミスの一撃を防ぎ、敢えて弾き飛ばされることで、スミスから距離を取ったのだ。
 攻撃時の手応えが軽かったのは、それと同時に飛び退くことで、攻撃を防いだ際の衝撃も緩和していたからだろう。
 だがスミスにとって何よりのミスは、そうして弾き飛ばされたシノンの着地位置が、丁度角に位置することだ。

「おのれ……!」
 スミスは即座にシノンへと向けて走り出すが、同時にシノンも角の向こうへと消える。
 そしてスミスが角を越えた時には、シノンの姿はどこにも見当たらなかった。

「馬鹿な、どこへ消えた……!」
 あり得ない、とスミスは断じる。
 シノンの姿を見失ったのはほんの一瞬だ。完全に見失うような時間はない。
 路上には隠れられるような障害も見当たらない。
 だというのに、彼女の姿が見当たらないのは一体どういう事なのか。

「――――――――」
 警戒を最大限まで高め、スミスはシノンの消えた路上を進む。
 そうして油断なく数メートルほど進んだ、その瞬間―――

 赤々と燃えさかる火矢が、立て続けにスミスの背中に突き刺さり、盛大に爆発した。
 その衝撃でスミスは前のめりに吹き飛ばされ、受け身を取る間もなく地面へと叩き付けられた。
 更には爆発によって生じた炎が燃え移り、ごうっ、と音を立ててその背中を焼き焦がす。

「グヌッ……!」
 完全な不意打ちに混乱しながらも、咄嗟に起き上がり燃える背広を投げ捨てる。
 幸いにしてシャツにまでは燃え移らなかったが、エージェントの象徴とも言える深緑色の背広は、無残に焼け焦げた炭となってしまった

 だが、敵の攻撃がこれで終わるはずがない。
 即座に背後へと振り返り、迫る第二矢、第三矢をバレット・ドッジで回避する。
 続く第四矢が放たれたのは、ちょうどスミスの足元に位置する地面。
 すぐさまその場所から飛び退けば、地面に刺さった矢は爆炎と伴に弾け消えた。
 そうして火矢の射手がいる場所――石造りの建物の屋根をみて見れば、そこにはやはりシノンの姿があった。

「なるほど。見えていない、気付いていない射撃は回避できないのね。安心したわ」

 そう口にするシノンの姿は、先ほどまでとは大きく変わっていた。
 まずその手に握られた武器が、無機質な拳銃から細見の長弓へ。
 次に今までのような傭兵風な衣装から、ファンタジックな衣装へと変化している。
 そして何よりの変化は、その頭部と臀部に生えた猫のような耳と尻尾だろう。
 この局面でふざけているのか? とも思ったが、シノンの表情は真剣そのものだ。
 ならばそれらの変化は、彼女が一瞬で屋根まで移動した理由と関係しているのだろう―――だが。

「それが、どうかしたのかね?」
 屋根上へ移動する程度の事は、スミスにとって容易いことでしかない。

 石路を踏み砕き、一瞬でシノンのいる屋根まで跳び上がる。
 だがそんなスミスとすれ違う様に、シノンは屋根から飛び出した。
 再び地面へと降り、再びスミスから距離を取るつもりなのだろう。
 それをさせまいと即座に屋根を踏み砕き、再びシノンへと向けて跳躍する。
 しかし―――

「なにっ!?」

 シノンはさらなる高度へと上昇し、スミスの手は空を掴む。
 さらにシノンは空中で体を旋回させ、いつの間にか取り出したファイブセブンの引き金を引き絞った。
 至近距離から放たれた五発の銃弾に、スミスは咄嗟にバレット・ドッジで対処する。
 しかし、身体を安定させる“足場”のない空中では満足な効果を得られず、放たれた銃弾の内一発が胴体へと着弾した。

「ッ――!!」
 そのダメージから着地に失敗し、固い地面に体を打ち付ける。
 即座に体勢を立て直して上空を睨み付ければ、そこには空中で滞空するシノンの姿がある。
 そして彼女の背中には、仄かな燐光を放つ、半透明の翅が生えていた。
 ――飛行能力。
 それが、シノンが屋上まで移動した手段の正体だとスミスは理解した。

「ふむ、興味深い能力だ。ぜひ調べてみたい。
 それゆえに、君を取り込んでいる時間がないことが残念でならないな」
 そう言いながらスミスは、左手を背中へと回し、更なる武器――銃剣・月虹を取り出す。
 相手が空を飛べる以上、近接攻撃はほぼ届かない。
 ならば二丁の銃剣を以て、遠距離攻撃の手数を増やそうと考えたのだ。

「物理的に回避できない場合も、銃弾を避けきることは出来ない、と」
 対するシノンはそう口にすると、ファイブセブンを逆手に持ち、左手の長弓を持ち上る。
 そして弦に触れると、全体が赤々と輝く火矢が生成され、弓を一気に引き絞った。
 その狙いは当然、スミスへと向けられている。


 シノンとスミス。
 両者の戦いは、こうして地対空という様相を呈すこととなった。
 絶望的な能力差のまま。されど、お互い己が勝利を疑わずに――――


    10◇


 ――――そうして、転送した先に在ったエリアは、いつもの認知外迷宮ではなかった。
 荒れ果てた荒野。青白い霧が薄く立ち込め、岩や廃墟の欠片が浮かぶ、禍々しい緑色の空。
 あまりにも退廃的な、その風景。

 ―――その中で、彼等は戦っていた。

 一つは、予感していた存在、白いスケィス。
 白いスケィスは赤い十字架を武器に、相手の攻撃を防ぎ、そして攻め込んでいた。
 もう一つは想定していた存在、スミス。
 スミスはクーンのロストウェポンであるはずの静カナル緑ノ園を手に、素早く動き回っていた。
 そしてそのスミスの左肩に、アトリが力なく担がれていた。

「アトリ……ッ!」
 思わず声を荒げるが、三者ともまったく反応を返さない。
 白いスケィスはハセヲに関心がなく、スミスにはその余裕がなく、アトリは気を失っているためだ。

 一度は白いスケィスを圧倒したスミスが現在苦戦しているのは、意識のないアトリを庇っているためだろう。
 ヤツの目的がアトリを取り込むことである以上、彼女を死なせるような事態は避けるはずだからだ。
 しかし、だとすれば、なんでヤツは銃剣を使い、わざわざアトリを担いで戦っている?
 少し遠くにでもアトリを置いて接近戦を行った方が、ヤツにとっても戦いやすいはずだ。
 だというのに、それをしない理由は何だ。

 ……いや、それ以前に、あの白いスケィスの目的は何だ。
 アイツは目的があって行動している。それは間違いない。
 ならば志乃を、黄昏色のPCをキルしたアイツは、今度は誰を狙っている。

「………まさか、アトリを……!?」

 だとすれば、スミスの行動とも辻褄が合う。
 もしデータドレインを使われれば、スミスにはそれを防ぐ術がない。
 自分一人だけならともかく、アトリも守らなければいけない以上、そんな危険は冒せない。
 現状においては、そもそも使わせない、という選択しかヤツには取れないのだ。
 それゆえの射撃戦であり、そのための静カナル緑ノ園なのだ。

「テメェ……ッ!」
 それを理解した瞬間、ハセヲは白いスケィスへと襲い掛かっていた。
 志乃や黄昏色のPCの時のようなマネは、二度とさせるつもりはなかった。

 使い慣れた双剣、忍冬を取り出し、一気に接近して切り刻む。
 だが双剣からは、何かを隔てたような手応えが帰ってくるだけで、白いスケィスに有効なダメージを与えている気がしない。
 対して白いスケィスは、煩わしそうに十字架を振り下ろしてハセヲを容易く弾き飛すと、再びスミスを追いかけた。

「くそっ……!」
 弾き飛ばされたハセヲは、すぐさま体勢を立て直して悪態を吐く。
 白いスケィスは、自分に目もくれていない。ただスミスを……ヤツに抱えられたアトリだけを執拗に狙っている。
 これでは今までと変わらない。白いスケィスは、自分を障害としてさえ認識していないのだ。

「ッ、オオオオ―――ッ!」
 武器を双剣から大鎌へと換装し、再度白いスケィスへと振り被る。
 白いスケィスは赤い十字架を盾にし、その一撃を防ぐ。
 首削の無数の刃が高速で動き、十字架へと刻み付けて火花を散らす。
 だが十字架には傷一つ付かない。首削の刃はその表面を滑るだけだ。

 白いスケィスが再び、十字架を大きく振り抜く。
「まだまだぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
 ハセヲも再び弾かれるが、即座に接近して大鎌を振り抜いた。

「っ!?」
 その瞬間、白いスケィスは残像を残すほどの高速で移送し、ハセヲの一撃を回避した。
 そしてある程度の距離を取ると、白いスケィスはその左腕を高く掲げた。

「これはっ――!」
 するとそれに導かれる様に地表から氷塊が出現し、空へと浮き上がっていった。
 そしてスケィスが腕を振り下ろすと同時に、その氷塊は冷気に変化し、ハセヲと、そしてスミスの周りと集束していく。

 ――全体魔法。
 逃げ回るスミスとしつこく攻撃してくる自分に、白いスケィスが痺れを切らしたのだ。

 ハセヲはそう判断すると、即座にその場から離れようとするが、体は凍り付いたように動かなかった。
 対象の行動を強制停止させることによる必中効果。この全体魔法にはそれも含まれていたのだ。
 それはスミスも例外ではないらしく、忌々しげに顔を歪めながらも、その動きを止めている。
 そうして収束した冷気は、対象を巻き込んで巨大な氷柱となり―――バリン、と音を立てて破砕した。

「ガッ……!」
 その衝撃に、ハセヲの体が弾き飛ばされる。
 即座に体勢を立て直し、スミスの方へと視線を向ければ、やはりスミスも同様に弾き飛ばされていた。
 ―――その肩に抱えていたはずの、アトリを取り落しながら。

 ―――瞬間、三者が同時に動いた。

「ッ、環伐ッ!」
 ハセヲは即座にアーツを発動させ、加速移動する。
 そのターゲットはアトリ。環伐の横薙ぎの動作なら、地面に倒れ伏す彼女には当たらない。
 もし仮に当たってしまっても、大鎌の初期アーツである環伐ならば、ダメージは少ないと判断したのだ。

「チィ……っ!」
 対するスミスは、白いスケィスの放った未知の攻撃に混乱しながらも、即座にアトリの確保へと動き出す。
 防御手段がわからず、そのままに受けてしまった氷結の一撃は、彼のHPを二割も削っている。
 そして現状況におけるこの攻撃の危険性を認識し、“最終手段”の行使を決意したのだ。

 スミスはアトリのもとへと駆け寄り、その身体を掴み上げようと手を伸ばす。
「アトリから、離れろォッ!」
 だが、そこに急接近したハセヲが、勢いよく大鎌を一閃する。
 横薙ぎに振るわれたその一撃を、スミスは腕を盾に防ぐが、その威力に圧され弾かれる。
 見れば、スーツの袖は切り裂かれ、生身の腕からは血が滲み出ていた。僅かにだが、スミスの防御力を上回ったのだ。

 そこへ、残像を残すほどの速度で接近してきた白いスケィスが、赤い十字架を勢いよく振り下ろしてきた。
 振り子のようなその一撃を、スミスは両腕を盾にして防ぎ、ハセヲはアトリを抱え、大きく飛び退いて回避する。
 すると白いスケィスは即座にハセヲを――彼に抱えられたアトリを追おうと向き直り、そこへ飛びかかったスミスの一撃で後退させられた。

「チッ。面倒なことになったな」
 そう溢しつつ、スミスは白いスケィスへと警戒を向ける。

 この巨人の狙いはアトリだ。しかし、自分やハセヲのように、彼女の生存を目的とはしていない。
 下手にハセヲからアトリを奪い返そうとすれば、アトリを危険に晒すこととなる。
 かといって巨人から先に対処すれば、ハセヲにアトリを連れ去られるかもしれない。
 彼にその手段があるかはわからないが、可能性がある以上安心はできない。
 どうしたものかと思いつつ、ハセヲの方へと意識を向ければ、彼は必死にアトリへと呼びかけていた。



「おい、アトリ! 目を覚ませ!」
 もう一度大きく飛び退き、十分に距離を取ってから、ハセヲはアトリへと呼びかける。
 見れば、彼女の左腕と右脚は、AIDAに感染したかのように黒く変色していた。
 先ほどのスペルの事もあり、アトリへと回復スペルを使用するが、変色した個所は戻らない。

「アトリ! アトリィ!
 チックショウ……テメェら、絶対に許さねぇ……!」
 どれだけ呼びかけても目を覚まさないアトリに、ハセヲは激しい憤怒を燃やす。
 怒りの形相とともに視線を上げれば、スミスと白いスケィスが、互いを牽制しながらこちらの様子を窺っている。

 コイツ等の目的は何なのか。
 何が目的で、アトリを狙っているのか。
 ――――そんな事はどうでもいい。
 今重要なのは、こいつ等が『敵』だという事実だけだ。
 アトリをこんな目に合わせた『敵』。こいつ等と戦う理由は、それだけで十分だ。


 ――――ハ長調ラ音。
     ピアノの鍵盤を弾く様な音が響く。


「いいぜ……。来い……来いよ……!」

 ハセヲの身体に、幾何学的な赤い紋様が浮かび上がる。
 アトリも見せたその現象に、スミスはハセヲがアトリと同じ『力』を持っていることを悟る。

「俺は……ここにいる……っ!!」

 自身の内に眠る『力』へと強く呼びかける。
 ――――白いスケィスが、その呼び声に呼応するかのように、微かに蒼黒い燐光を帯びる。

「スケェェェェェェェィスっっっっ!!!!!!!」

 その名を叫ぶ。
 世界を書き換え、自分自身さえも書き換える。
 退廃的な暗色の荒野が、宇宙を連想させる仕様外のエリア――憑神空間へと置き換わる。
 同時にハセヲのPCと重なるように、黒金の鎧を纏い円環状の角を戴く、紅い三眼の死神が顕現した。

 ―――いざ括目せよ。
 汝らに死を齎さんとする其の者の名は、モルガナの碑文が第一相――『死の恐怖』スケィスなり。

「待ってろアトリ」
 ハセヲ/スケィスはアトリを左腕に抱え、光刃を備えた大鎌を具現化させる。
 その視線の先には、正体不明のAIスミスと、もう一体の『死の恐怖』である白いスケィス。
 その二つの存在を視界に捕らえ、光刃の大鎌を構えると、彼等へと一気に接近した。
 ―――何のために?

「俺が必ず、おまえを助ける……ッ!」
 大切な仲間を、守るために。


    11◇◆


 ―――真っ赤な軌跡を引いて飛翔する火矢と、二つの銃口から放たれた弾丸が交錯する。

 自身に向けて放たれた銃弾を、シノンは屋根から屋根へと、文字通り飛び移って回避する。
 そして長弓の弦に触れて火矢を生成し、弦を引き絞りつつ地上を走るスミスに狙いを付け、放つ。
 放たれた火矢はごく当然のように回避されるが、地面に触れると同時に炎を発生させ、スミスの身体を炙っていく。

 対するスミスは、高く跳び上がることでその炎から抜け出す。
 着地点は当然シノンのいる屋根の上。その屋根を着地と同時に踏み砕きながら、再度シノンへと向けて再跳躍する。
 接近戦が絶対的な優位であることに変わりはない。狙える距離ならば、狙わない選択はない。

 だがシノンは、スミスよりも高く、そして位置を入れ替わるように飛翔し、スミスの接近から逃れる。
 同時に長弓をより強く引き絞り、生成された輝く火矢を更なる輝きで覆っていく。
 両手長弓系ソードスキル、《エクスプロード・アロー》。
 その照準はスミスの着地点。スミスが着地する瞬間に狙いを定める。

 それをさせまいと、スミスが両手の銃剣をシノンへと照準し、乱射する。
 シノンは即座に弦を放して矢を射るが、弾丸の幾つかが掠め狙いが逸れる。
 放たれた火矢は、スミスが着地すると同時に、そこから数十センチ離れた位置に突き刺さり爆発した。
 至近距離からの爆炎に、スミスは再び地面へと叩き落される。しかし即座に起き上がり、反撃とばかりに銃撃を再開する。

 対するシノンは着地と同時に長弓を引き絞り、反対側の屋根へと飛び移りながら火矢を射る。
 追加発生する炎を避けてか、スミスは回避能力を使わず、その場から跳び上がって火矢を回避する。
 そして再び屋根へと着地し、シノンへと向けて銃剣を撃ちつつその距離を詰める。
 シノンは接近されまいと、弦を引き絞りつつ空へと飛翔し、スミスへと向けて火矢を放った。



 シノンの放った火矢を回避しながら、スミスは彼女に起きた変化について考えを巡らせていた。

 まず一つ目が、武器の変化。
 いかなる原理によるものか、あの弓は矢筒を必要とせず、弦を引くことで矢を生成している。
 しかも厄介なことに、放たれた矢は着弾と同時に炎を放つのだ。
 いかなバレット・ドッジとて、火矢自体は避けられても、そこから発生する炎は防げない。
 あの火矢を完全に回避するには、その着弾地点からも離れる必要があるのだ。

 つまりあの弓矢は、射撃間隔こそ銃に劣るが、バレット・ドッジの効果が無効化される武器なのだ。
 もっとも、それについては、あの矢が一種のグレネードと考えれば問題はない。
 問題となっているのは、彼女に起きた二つ目の変化だ。

 その二つ目は、外見の変化。
 猫の耳と尻尾に、半透明の翅を生やしたシノンは、驚くべきことに空を飛んでいるのだ。
 その背中に生えた翅による効果だと思われるが、やはりその原理は理解できない。
 どうやら彼女は、“ただの人間”という訳ではなかったようだ。

 未知のプログラム。未知の現象。未知の存在。
 把握しきれないほどの未知。未知。未知。
 ああ―――この『世界』は、想像もできない未知数で構成されている。

 ……その未知を、全て取り込みたいと、スミスは思った。
 たかだか数名の参加者に遭遇しただけで、これほどの未知に遭遇したのだ。
 ならば、このデスゲームに招かれた全ての参加者は、一体どれほどの未知を宿しているのか。
 ならば、このデスゲームを主催した榊の技術を手に入れられれば、いったいどれ程の未知に遭遇できるのだ。

 ………ぜひ手に入れなければならない。
 取り込まなければならない。上書きしなければならない。その全てを、“私”としなければならない。
 そのためには、シノン……彼女が邪魔だ。

 現在のシノンは、飛行能力を得ている。
 その原理がどうあれ、接近戦に持ち込むのは容易ではない。
 ならば知るべきは、その原理ではなく仕組みと欠点だ。
 常に高度を保っていればいいはずの彼女が、わざわざ屋根を足場にしている理由と、それにより生じる隙を探り出す。

 そう判断し、スミスはシノンへと向けて銃剣の引き金を引き続ける。
 全ての未知を手に入れるために、ネオへの憎悪に続く、新たに芽生えた好奇心を胸に秘めながら。



 対するシノンは、スミスの銃撃を回避しながら、火矢を放つ長弓で反撃する。
 そして同時に、背中の翅で飛行しながら、屋根から屋根へと移動していた。
 彼女が飛行能力を得た理由。それはスミスの予想通り、その姿に理由があった。

 ―――ALOアバター。
 それが現在、シノンが使用しているアバターの名称だ。
 ALOアバターの特性は『剣』と『魔法』、そして『飛行』である。
 シノンはスミスの跳躍でも届かない高度へ飛ぶことで、最大の脅威である接近戦を回避しているのだ。
 その代わりに、先程まで使っていたGGOアバターの特性である『着弾/弾道予測』が使えなくなっているが、それも経験則から補える。

 問題は、このALOアバターの特性である『飛行』に時間制限を掛ける、『滞空制限』の存在だ。
 これは初期のALOにも存在していた制限らしいが、シノンがALOを始めた時にはすでに撤廃されていた。
 つまりシノンは、飛行時間に制限のある戦闘に馴れていないのだ。

 どのような飛び方をすれば、どれだけの時間を飛んでいられるのかを、シノンは知らない。
 残り時間自体は翅の燐光によってある程度把握できるらしいが、スミスを相手にそんなよそ見はできない。
 そのためシノンは、屋根を足場として小まめな着地を繰り返すことで、少しでも飛行時間を延長させようとしていた。

 シノンがそういった不安の残るこのアバターの使用を決めたのは、彼女が今装備している武器が理由だった。
 この長弓は、スミスの一撃を防いだナイフと合わせて、黄昏色の少年が残したものだった。
 名を《フレイム・コーラー》。威力と精度を兼ね備えた、強力な遠距離火力を持つ火の弓である。

 ALOで弓使い(アーチャー)を選択していたシノンは、両手長弓系ソードスキルが使用できた。
 そして火矢を生成するこの弓は、相乗効果が発生するのか、火炎属性を持つソードスキルの威力を倍加させる。
 つまり矢が尽きる心配がなく、命中さえさせられれば、あのスミスにすら確実なダメージを与えられる武器となるのだ。
 加えて言えば、射撃間隔こそ銃に劣るが、それも追加発生する炎によって補うことができた。
 それら四つの要素が、シノンがALOアバターの使用を決意した理由だった。

 そうしてシノンは、空へと飛び上がり弓矢を射放つ。
 『もう一つの姿』という、仲間との絆によって得た力を振るいながら。
 この『世界』でできた、新たな仲間を助け出すために。



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最終更新:2014年05月15日 17:10