12◇◆◆
「うぉぉぉおおおお――――ッ!」
ハセヲ/
スケィスはスミスへと高速で接近し、光刃の大鎌を振り抜く。
対するスミスは、イニスの時にそうしたように、その一撃を素手で打ち払う。
だが大鎌を弾いたその腕は、その刃によって浅く、だが確かに切り裂かれた。
「む……!」
スミスは続けて振るわれるその大鎌をスウェーバックで回避すると、即座にハセヲ/スケィスへと向けて飛びかかる。
しかしハセヲ/スケィスは一瞬で加速し、スミスの背後へと回り込み、再び大鎌を振り抜く。
咄嗟にその一撃を緑玉石の銃剣で防ぐが、衝撃を受けきれず大きく弾き飛ばされる。
ハセヲ/スケィスは続けて、今度は白いスケィスへと高速接近し、同様に攻撃を開始する。
それに応戦するように、白いスケィスもハセヲ/スケィスへと赤い十字架を振り上げる。
ぶつかり合う光刃の大鎌と赤い十字架。
二体の『死の恐怖』は互いの武器を高速でぶつけ合い、大きく弾き合って距離を取った。
あの白いスケィスは、回避不能な全体攻撃スペルを持っている。
アトリが気を失っている今、もしそのスペルを使用されれば、彼女は無抵抗にダメージを受けてしまう。
シノンからはあの場所に落ちていたという呪杖を受け取っているが、それもアトリの意識がなければ意味がない。
ゆえに、再びあのスペルを使われるより早く、白いスケィスを倒す必要がある。
……だというのに。
スミスがハセヲ/スケィスの左腕――そこに抱えられたアトリを目掛けて飛びかかってくる。
それに対し、彼女を再びこの男に渡すわけにはいかない、と、ハセヲ/スケィスは光刃の大鎌で薙ぎ払う。
だがスミスは、銃剣でその一撃を受け止めると、逆にハセヲ/スケィスを圧し込まんと力を籠めてくる。
「く、ぐぅぅ……ッ!!」
尋常ではないその斥力に、ハセヲ/スケィスの大鎌が若干押され始める。
それにより、スミスがイニスを倒したのは事実なのだ、とハセヲは理解する。
……だが、アトリの命がかかっている今、ここで負けるわけにはいかないのだ。
加えてもう一つ、許せないこともあった。
スミスが構える緑玉石の銃剣は、自分の大切な仲間であるクーンの巫器だ。
それをスミスが使っているという事実が、ハセヲの怒りに拍車をかける。
「ウオラァア――……ッッ!!!」
その怒りを力に変え、渾身の力で大鎌を振り抜く。
同時に大鎌の武装を解除し、弾き飛ばしたスミスへと右手を突き出し、光弾を放つ。
そして即座に大鎌を再装備して白いスケィスへと接近し、大鎌と十字架をぶつけ合って火花を散らせた。
一方スミスは、放たれた光弾をバレット・ドッジで回避しつつ、両者の戦いを観察する。
同時にハセヲの大鎌の威力から、スケィスとイニスの違いを理解する。
ハセヲ/スケィスの攻撃は、アトリ/イニスと違いスミスの守りを超えてくる。
幻影による攪乱を主体としていたイニスに対し、スケィスは完全に近接戦闘を主体としているのだ。
戦いの軸となる攻撃性能が違うのだから、それは当然の結果といえるだろう。
だがスミスには、気になる事がもう一つあった。
現在ハセヲと鎬を削っている巨人――白いスケィスについてだ。
スミスと戦った時、あの巨人の動きはもっと単調だったはずだ。
故にこそ、スミスはあの巨人を圧倒できたのだし、危険ではあるが強敵ではないと判断したのだ。
だが現在、あの巨人は青黒い燐光を帯び、その動きに鋭さが増していっている。
……まるで、ハセヲがあの『力』を発現させた事に共鳴するかのように。
―――危険な兆候だ。
と、スミスはそう判断する。
もしあの巨人がハセヲに『あの力』を使用すれば、更なる強化が成されてしまうかもしれない。
それこそ“自分達”の内の一人から『救世主の力の欠片』を奪い、蒼炎を纏ったあの双剣士のように。
ならばこの状況では、あの巨人を倒すことが先決となるだろう。
ハセヲはアトリを死なせない。たとえ取り込み損ねたとしても、まだ機会は残る。
だが巨人の強化が成されてしまえば、自身にとっての脅威が増える。
あのデータ改竄能力を受けては、いかなる強化も意味をなさないのだから。
スミスはそう判断すると、銃剣を白いスケィスへと向け、トリガーを引き絞った。
だがその効果は薄い。あの謎の守りが、スミスの攻撃を防いでいるのだ。
ならば、と今度は直接白いスケィスへと飛びかかり、左拳で一撃する。
その攻撃に合わせ、最初の銃撃でスミスの狙いを悟ったハセヲが、白いスケィスから距離を取る。
スミスの拳を受けた白いスケィスが、その衝撃に一瞬大きく仰け反る。
だが即座に持ち直し、スミスへとその十字架で反撃をした。
スミスはそれを銃剣で受け止め、同時にハセヲ/スケィスが、白いスケィスへと大鎌を振り抜いた。
ザン、と切り裂く手応えとともに、パリン、と何かが砕けるような音が響いた。
つまり、プロテクトブレイクしたのだ。
そう理解すると同時に、ハセヲ/スケィスはその右手に、デジタルの紋様で構成された砲身を作り出す。
《データドレイン》――戦いを決着させる、その一撃を放つために。
「これで止めだァ……ッ!」
ハセヲ/スケィスはその砲口に、数列を放つ光を収束させる。
スミスはその巻き添えから逃れるために、白いスケィスから大きく距離を取る。
そうして、データドレインの光が極限まで高まった―――その瞬間。
―――ドクン、と。
視界が反転する様な錯覚とともに、何かが脈動したような気がした。
同時にスケィスが、ハセヲの意思に反して動きを止めた。
それに伴い、収束していた光がその砲身とともに解けていく。
「……っ!? なんだ……!?」
あと少し、という所で発生したその現象に、ハセヲは困惑する。
その、あまりにも致命的な隙を突いて、白いスケィスがハセヲへと接近し、その十字架を勢いよく振り下ろした。
「しまっ、ガァ……!?」
回避もままならないまま、ハセヲ/スケィスの体が、その赤く鋭い柄に刺し貫かれた。
―――瞬間。
ハセヲの脳裏に、どこか懐かしい、見覚えのない記憶が再生された。
その記憶の中でハセヲは、バンダナに襟巻を付けた緑色の髪のPCだった。
黒装束に身を包み、両腕の籠手に固定された短剣を握る、おそらくは双剣士(ツインソード)。
楚良だ。とハセヲは理由も分からず確信した。
自分の【使用アバターの変更】の一覧に乗っていた、プロテクトの掛かったアバター。
その双剣士の少年は、間違いなく自分なのだと理解した。
次いで発生したのは、激痛。
腹部を貫かれる痛みに、強制的に現実へと引き戻された。
同時に、『憑神(アバター)』が解除される。プロテクトブレイクされたわけでもないのに、スケィスの身体が、無数の数列となって解けていく。
そうして『憑神空間』は消え、ハセヲは元の暗い荒野へと投げ出された。
「ち、くしょう………」
内から湧き上がる激痛と、記憶の混乱からくる吐き気に、ハセヲは堪らずそう声を漏らす。
一体何が起こったというのか。
あと少しで白いスケィスを倒せたはずだった。
しかしスケィスは唐突に動きを止め、その顕現を解除させられた。
……まるで“何か”に、その力を遮られたかのように。
加えて解らないのは、あの謎の記憶だ。
垣間見たあの記憶。そこに出てきたあのPCは、一体何者なのか。
なぜ俺は、あのPCを自分だと確信したのだろうか。
……だがそれについて考えている余裕はない。
なぜなら白いスケィスが、俺と同様地面に倒れ伏しているアトリへと、その十字架を振り上げているからだ。
「さ、せるかぁあ……ッ!!」
動きの鈍い身体を懸命に動かし、アトリの元へと駆け付け、忍冬を抜いてその一撃を受け止める。
それだけで弾き飛ばされそうな、強烈な一撃。
しかしその衝撃に耐え、アトリを抱えて距離を取ろうと手を伸ばし、
ハセヲは自分の身体が、宙へと浮き上がっていることに気が付いた。
「しまッ……!?」
背後を見れば、そこには輪をあしらった赤い十字架。
それの意味することを察し、すぐさまその拘束から逃れようと力を込める。
だが体は全く動かず、十字架に磔にされるように固定された。
―――再び蘇る記憶。
初めての経験のはずなのに、妙な既視感が脳裏に過ぎる。
そう。まるで以前にも一度、この十字架に磔にされた事があったかのように。
白いスケィスの左腕が、俺へと向けて砲台のように突き付けられる。
同時にその腕に現れた腕輪から極光が放たれ、ハセヲのPCボディを貫いた。
「がぁああああああああああああああああッッッ………………!!!」
底なしの自由落下のような、かつて一度味わった遼遠の痛み。
全身を襲う光の衝撃が、ハセヲの鎧装を剥ぎ飛ばす。
そうしてようやく十字架から解放され、ハセヲは地面へと崩れ落ちた。
13◇◆◆◆
――――そうして、決着の時が近づいてきた。
シノンは長弓を引き絞り、スミスへと火矢を放つ。
火矢そのものは回避されるが、発生した炎がスミスの行動を阻害する。
スミスの回避能力は、既に半ば解明している。
これまでの戦いから導き出されたあの回避能力の正体。
それは、『超高速で銃弾を回避する能力』ではなく、『回避できる銃弾を絶対に回避する能力』というものだ。
だからこそ体勢が安定しない状態の時や、その軌道を変えられる直接攻撃には使用せず、バランスを乱す使用中の攻撃も行わないのだ。
ならば話は簡単だ。
スミスが回避できない状態の時に、強力な一撃を放てばいい。
すなわち、スミスが跳躍している間。体を安定させる足場のない空中だ。
と、そう簡単にいかない所がスミスの恐ろしいところだ。
スミスは跳躍するとき、ほとんど必ずこちらの射に合わせてきている。
そして銃に劣る弓の射撃間隔では、再度矢を放つ頃には、スミスは地に足を付けている。
つまり無理に隙を狙おうとすれば、スミスの銃撃に晒されながら、その接近を許さなければならないのだ。
確実に仕留められる確証がない以上、そんな危険は冒せない。
現状行えることは、やはりこうしてスミスを引き付け、ハセヲがアトリを助け出すことを期待することだけだろう。
―――なんて。
他者に意識を向けるという、そんな僅かな隙を突いて、スミスから予想外の一撃が放たれる。
先ほどまで繰り返されてきた攻防のように、シノンの放った火矢を、スミスが跳躍して躱す。
当然シノンは高く跳び上がり、スミスへと向け再度火矢を放った――その時だった。
スミスの手から、投げ放たれた物が一つ。その左手に握られていたはずの銃剣・月虹だ。
(まずい……ッ!)
スミスのその行動に、シノンは悪寒とともにそう確信する。
投げ放たれた銃剣は、砲弾に等しい威力を伴い、シノンが目掛けていた着地点の屋根を破壊する。
しかし、飛行にまだ慣れ切っていないシノンでは、咄嗟の動作変更ができない。
結果、砕けた足場に着地することとなり、足を滑らせ体制を崩す。
スミスを相手にするうえで、それはあまりにも致命的なミスだ。
「くッ……!」
シノンは即座に空へと飛翔する。
スミスは武器を一つ手放した。
この窮地を凌ぎきれば、形勢は僅かに有利になるだろう。
だがしかし、このスミスにとってのチャンスを、スミスが手放すはずもなく。
スミスが砕けた屋根をさらに粉砕して着地し、即座にシノンへと向けて再跳躍する。
そして空いた左手を素早く伸ばし、より高度へと逃れようとするシノンの足を捕らえた。
「捕まえたぞ、お嬢さん」
そう言うや否や、スミスは体を回転させてシノンを振り回し、地面へと向けて投げつけた。
「っ、ァ……ッ!!」
回転と加速に平衡感覚を失い、シノンは減速することもできず、地面へと叩き付けられる。
その衝撃に、身体は石畳を砕き、跳ね上げられた。
そこへ落下とともに迫る、スミスの一撃。
シノンは激痛を堪え、どうにかその場から飛び退く。
直後、スミスの墜落した石畳は、爆発したかのように粉塵を巻き上げる。
その粉塵の中から、即座にスミスが飛び出してきた。
その標的は当然シノン。
スミスは彼女を再び空へと逃がすまいと、驚異的な速度で突進する。
対するシノンは、自身の命運を分ける最後の賭けへと打って出る。
後方へと飛び退きながら、ウインドウを開き、そのアイテムを選択。
スミスの接近に合わせ、アイテムの使用を決定する。
同時に出現する巨大な多面体――プリズム。
スミスのすぐ目の前に出現したそれは、そのままスミスが正面衝突すれば、その衝撃を跳ね返すだろう。
だが―――
「読めているよ、お嬢さん」
石畳を踏み砕く強引なカットで、スミスはプリズムを回避する。
そして、そのすぐ後ろにいるシノンへと、更なる踏み込みを以て接近し、渾身の力で一撃する。
「、ガッ……ッ!!」
シノンの身体を強烈な衝撃が襲い、勢いよく跳ね飛ばす。
そしてすぐ背後にあった建物の壁に激突し、そのまま粉砕して瓦礫の中へと身を埋めさせた。
まるで一度目の戦闘の再現のような顛末。違いは、プリズムが既に使用されてしまったという事か。
「――――――――」
――――殺った。
その手応えから、スミスはそう確信した。
だが、まだ安心はできない。シノンには一度、死を確信した一撃から生還していた事実がある。
死体は残らないが、遺留品は残る。警戒を解くのは、それを確認してからだ。
そう判断し、スミスはシノンの埋もれた瓦礫へと視線を向ける。
――――動きはない。
確実に死んだのか、それとも気を失ったのか。
いずれにせよ、埋もれたままでは判断できない。
それを確かめるために、一歩前へと踏み出した―――その瞬間。
「う……アアアア――――ッ!!」
咆哮とともに瓦礫を押しのけ、シノンが飛び出してきた。
そしていかなり理由からか、彼女はスミスへと向け突進してきた
スミスの脳裏に、やはり、という感想とともに、なぜ、という疑問が過ぎる。
彼女はこれまで、徹底して距離を取ってきた。それがなぜ、今になって接近戦を挑むのか。
その疑問により、スミスは一瞬体を硬直させる。
その一瞬の隙を突くように、シノンは全身を左に強く捻りつつ踏み込み、弾丸のように螺旋回転させて突進してくる。
そして左手に握られたファイブセブンを、左下から右上へと、立て続けにトリガーを引きながら振り上げた。
それによりスミスは、シノンの狙いを悟る。
ゼロ距離射撃。
至近距離ですら有効なバレット・ドッジが無効化される、唯一の近接射撃を行うつもりなのだ。
拳銃を乱射しているのは、あえてバレット・ドッジを使用させ、こちらの動きを縫うためか。
……だが、不意を突くには少しばかりタイミングが早すぎる。
スミスは進んだ一歩分だけ後退し、シノンから距離を取った。
そのたった一歩分で、たとえシノンが二回転したとしても、ゼロ距離となることはない。
その想定に違わず、宙に斜めのラインを描いて飛翔する弾丸は、ただの一発も掠めることなく過ぎ去り―――。
瞬間。シノンはその右手に握った新たな武器――フォトンソードから、青紫色に輝くエネルギーの刃を実体化させた。
この光剣の名は《カゲミツG4》。ハセヲから譲り受けた、シノンの最後の切札である。
「なにっ……!?」
スミスが驚愕に目を見開く。
突然の直接攻撃の発動に、バレット・ドッジを使用していた体は急な制動を余儀なくされ、次の動作を遅延させる。
その致命的な隙を見せるスミスへと、シノンは時計回りに旋転する体の慣性と重量を余さず乗せた光剣を、左上から叩き付けた。
二刀流重突進技、《ダブル・サーキュラー》。
かつてシノンを救ったその技を、今度はシノン自身が再現して見せたのだ。
その必殺の威力を秘めた一撃を、スミスはどうにか右手の銃剣で受け止める。
……だがしかし、光剣の刀身は実体のないエネルギー刃。光剣の攻撃力を上回る物質は透過する。
結果、緑玉石の銃剣による防御は防御とならず、青紫色の光刃はスミスの身体を、右肩から左脇腹にかけて深々と切り裂いた。
「ッ、ッ………!!?」
肉体を切り裂かれた衝撃とダメージに、たたらを踏んで後退さる。
――つまり、未だ存命。
たとえ瀕死であっても、生きていることに変わりはない。
そして生きているのならば、次はない。
そう考え、スミスは激しい憤怒の念とともに、シノンへと右手の銃剣を振り抜く。
……そう、次はない。
シノンはその一撃を後方へと飛び退いて回避し、同時にスミスへと向け光剣を投げつけた。
「―――ッ!」
再三、スミスの顔に驚愕が浮かぶ。
あれほどの威力を秘めた武器を、何故手放すのか、と。
そこへ放たれる、ファイブセブンによる銃撃。スミスの位置に到達するタイミングは、ほぼ同時。
なるほど、銃弾ではなく剣でならと考えたのだろう。
しかし、それは無駄なこと。バレット・ドッジは、回避可能な遠隔攻撃全てに対応する。
故に、スミスはそれらを纏めて、バレット・ドッジによって回避した―――瞬間。
ドン、と。背後から強烈な衝撃が、スミスへと襲い掛かった。
「ッ――――!?」
四度目となる驚愕。
衝撃に勢い良く弾き飛ばされながらも、どうにか背後へと視線を向ける。
するとそこには、巨大な水晶のような多面体、プリズムがあった。
それが、スミスを弾き飛ばしたものの正体だった。
プリズムは敵の攻撃を反射するアイテムではなく、プリズムにヒットした攻撃のダメージを、周囲へと拡散させるチップだ。
シノンはこの特性を利用し、プリズムに光剣を投げつけることで、そのエネルギー刃の威力を拡散させたのだ。
「おのれッ……!」
その完全な不意打ちに、スミスは受け身も取れないまま、地面へと叩き付けられる。
だがすぐさま起き上がろうと上体を持ち上げ―――後頭部に当てられた固い感触に、その動きを止る。
「Bye……」
その言葉とともに、シノンは躊躇いなく引き金を引いた。
避ける間もない、ゼロ距離射撃。
当然バレット・ドッジは発動せず、スミスは後頭部を撃ち抜かれ、再び地面へと倒れ伏した。
もう二度と、このスミスが起き上がる事はない。
―――こうして、戦いは決着した。
シノンとスミス。彼女たちの三度目の戦いは、シノンの勝利で終わったのだ。
†
「今更だけど教えてあげるわ。
奇跡はね、願えば起きるものじゃなくて、自分の手で起こすものなのよ」
スミスの亡骸へと、シノンはそう言い捨てながら、先程の攻防を思い返していた。
シノンにとって、この作戦が成功するかどうかは、非常に大きな賭けだった。
一、プリズムによる足止めにわざと失敗し、その存在を終わったものとして忘れさせる。
二、スミスの立ち位置を、プリズムによる反射の影響圏内ギリギリ外に誘い出す。
三、ダブル・サーキュラーを成功させ、そのまま反射の影響圏内へと押し込む。
四、投擲した光剣を弾かれないために、ファイブセブンも同時に乱射し、回避させる。
これらのどれか一つでも失敗すれば、この作戦は失敗し、シノンはそのまま殺されていただろう。
特に危うい綱渡りだったのは、ダブル・サーキュラーの再現だ。
あれは本来、キリトが二刀流ソードスキルを使用した経験から再現した一撃だ。
遠方から視認しただけの自分に、完全な再現は不可能だと思っていた。
いや、こうして成功させた今でもそれは思っている。
あの一撃が完璧に決まったのは、それこそ“奇跡”だったのではないかと思える程度には。
だが結果として、ダブル・サーキュラーの再現は成功し、こうしてスミスを倒すことができた。
現在HPは一ポイント。アンダーシャツの効果分だけ残っている。
その代償として、スミスに殴られた腹部を中心として、全身が激痛にさいなまれていた。
ダメージを受けた直後は、もとより覚悟をしていたために耐えることができた。
だがこうして気が抜けてしまえば、その痛みは耐えがたいものとなって甦ってくる。
しかしそれも、雷鼠の紋飾りを装備することで使用可能になるスキルで回復させる。
これもまた、黄昏色の少年が残したアイテムの一つだ。
結局自分は、名前も知らないあの少年に、どこまでも助けられたという事だろう。
いずれにせよ、戦いは終わった。
ならこれ以上ここに留まっている必要はない、とスミスの死体から背を向ける
だがその直後に起きた現象に、シノンは驚きとともに振り返った。
「ッ!? これは……!」
スミスの死体が、放電とともに消えていく。
あとに残ったのは、茶色い巻き髪の女性――ランルーくんの死体だった。
そしてランルーくんの死体もまたすぐに、データの破片となって消えていった。あとには何も残らない。
「そう、そういう事……!」
それによってシノンは、スミスの口にした“取り込む”という言葉の意味を理解する。
そしてスミスが二人いた理由も、また同様に。
いかなる手段によってか、スミスは自分以外のプレイヤーを“もう一人の自分”に変えることができるのだ。
そしておそらく、取り込んだ人物の能力も使うことができるのだろう。
だからスミスは、イニスを使用したアトリに固執したのだ。
「っ、急がないと……!」
もしスミスがNPCも取り込めるとしたら、@ホームにいたデス☆ランディは間違いなく取り込まれている。
たった一人でさえ凶悪な敵だというのに、二人や三人ともなっては、まともに相手にできるはずがない。
それに、マク・アヌにはほとんどNPCの姿を見なかったが、最悪その人数は数えきれなくなっているかもしれない。
だとすれば、アトリだけではなくハセヲも危ない。
そう判断し、シノンは空へと飛び立とうとして、不意に視界の端にあるものを捉えた。
石畳の隅に横たわる、一台の(おそらくは)バイク。
おそらくは、スミスに襲われた参加者のものだろう、と最初に現れた二人目のスミスを思い出し、シノンはそう推測した。
「そうね。放っておく理由もないし、ありがたく使わせてもらうわ」
移動の自由度では飛行に劣るが、それでも普通に走るよりは早いだろう。
それに飛行には『滞空制限』がある。残り飛行時間を回復しつつ移動する上でも、このバイクは有用だ。
そう考えて、シノンはバイクを起き上がらせた。
―――その時だった。
「な、あれは……!?」
マク・アヌのどこかで、黒い稲妻を伴った真っ赤な火柱が、空高くへと昇って行くのが視界に映った。
そしてその火柱が生じている場所は、あろうことか@ホームのある方角だった。
【コピー・スミス(ランルーくん)@マトリックスシリーズ Delete】
14◇◆◆◆◆
「ぁ……れ……?」
意識を浚う“波”の音に、ようやく私は目を覚ました。
だけど視界に広がったのは、先程までの@ホームではなく、見覚えのない暗色の荒野。
「ハセヲ……さん……?」
そこに、彼が倒れていた。
いつものような3rdフォームではなく、以前少しの間だけ見た2ndフォームで。
その、少し奥の方に、もう一人ハセヲさんがいた。
……いや、ハセヲさんじゃない。その巨人がスケィスだというのはわかるけど、中にハセヲさんがいない。
……どうやら私は、いつの間にか、またハセヲさんに助けられていたようだ。
けど、あの白いスケィスに襲われて、ハセヲさんは窮地に陥っているらしい。
その事だけは、今の朦朧とした頭でも理解できた。
……なら、助けないと。
いつもは、私が助けられてばかりだった。
だから今度は、私がハセヲさんを助けないと。
そう思って、起き上がろうと体に力を込めた。
けれど、体はとても重くて。
左腕と右脚は、もう何の感覚もなくて。
それでも、私は懸命に起き上った。
起き上がって、動かない右脚を引き摺って、前へと歩き出した。
「私が……助ける……」
頭にあったのは、それだけだった。
今度は私が、彼を助ける番なのだ、と。
その想いだけを支えに、私は、『死の恐怖』へと立ち向かっていった。
……大切な人を、守るために。
それが、悲劇の引き金になるとも気付かないで…………。
†
「く……そ……っ!」
ハセヲは霞む視界で、どうにか自分のPCボディを確認する。
見ればPCボディが、3rdフォームから2ndフォームへと変化していた。
あの時と同様、初期化された……のだろうか。
だとすれば、完全に初期化されなかったのは、碑文使いとして覚眼していたためか。
白いスケィスへと視線を向ければ、奴は青黒い燐光を纏いながら、こちらへと視線を向けている。
「っ………!」
戦いは、まだ終わっていない。
こいつを倒さなければ、俺はなにも守れない。
鈍い身体を動かし、どうにか立ち上がろうと力を込める。
「え…………?」
そんな俺の前に、アトリが歩み出てきた。
いつの間に目を覚ましたのか。彼女は黒く変色した脚を引き摺りながら、前へと一歩ずつ進んでいる。
そう。今まさに彼女を狙っている、スケィスへと向かって。
「……アトリ?」
何をしているんだ、と茫然と呟く。
まさかアトリは、あの白いスケィスと戦うつもりなのか?
無茶だ。彼女の身体には、まだ黒いバグが張り付いたままだ。
「よせ、アトリ! おまえは逃げろ!」
ハセヲは声を荒げ、アトリを制止する。
そんな、歩くこともままならない状態で、まともに戦えるわけがない。だというのに―――
アトリは僅かに振り向いて、大丈夫、と言うかのように微笑んだ。
――――ハ長調ラ音。
ピアノの鍵盤を弾く様な音が響く。
「お願い……。私に力を……みんなを守る力を……!」
その身体に、水色の紋様が浮かび上がる。
仕様外の力の顕現に、再び荒野にノイズが奔る。
なるほど。たしかに『憑神(アバター)』なら、今のアトリでも戦えるかもしれない。
プロテクトブレイクしている今の白いスケィスなら、それはなおさらだ。
「私はここですっ!!」
アトリが、毅然と己が内へと呼びかける。
その視線は、白いスケィスへとまっすぐに向けられている。
その姿からは、PCボディの異常など、影響がないようにさえ思えた。
………だが。
「イニスっ!!!!」
その名を叫ぶ。
世界を書き換え、自分自身さえも書き換えるその力は……しかし。
その声に反し、カタチとなることなく霧散した。
「………あ、…………え?」
茫然と、アトリが声を漏らす。
「な………、あ………ッ!」
その光景に、ハセヲの思考が停止する。
気が付けば、アトリの胸から黒い“腕”が突き出ていた。
その黒い“腕”は、掌に水色の輝きを放つ球体を……アトリの碑文を掴んでいる。
「ふむ。ようやく捕らえたか。
君が力の発現をしてくれて助かったよ。上書きに対する抵抗力が、一気に弱まったからね。
おかげでこうして、このプログラムだけを切り離すことができた。」
そう口にするのは、黒い“腕”の持ち主――スミスだ。
スミスは喜悦に笑みを浮かべると、勢いよく“腕”を引き抜き、大きく飛び退いた。
「ぁ…………」
アトリが小さく声を漏らし、その身体から紋様が消える。
そして、まるでその瞬間を狙ったかのように、白いスケィスが、赤い十字架を振り上げた。
「!? 逃げろ、アトリ――!!」
すぐさまアトリへと声を上げるが、逃げる間もなく、赤い十字架がギロチンのように振り下ろされる。
アトリは悲鳴さえも上げず、あまりにもあっけなく撥ね飛ばされた。
―――悪夢が、現実の光景となって甦る。
「っ!? アトリィ―――ッ!!」
堪らず声を上げて、重い身体を我武者羅に動かして、アトリの元へと駆け付ける。
アトリから碑文を奪った存在も、アトリを弾き飛ばした存在も、この瞬間だけは頭になかった。
ただ、アトリの事だけが頭にあった。
「おいアトリ! しっかりしろ、アトリッ!!」
アトリの身体を抱き上げ、懸命に声をかける。
『ハ、セヲ……さん………?』
彼女はぼんやりと目を開けて、俺の名前を口にした。
それはいつかのような、音のない声だった。
『ごめん……な、さい………』
「無理に喋るな! 今回復させるから!
……リプス! オリプス! くそっ……それなら、リプメイン!」
掠れるような声で謝るアトリに叱咤を飛ばし、回復スペルを使用する。
だがリプスも、オリプスも効果はなく、最後に使用したリプメインは………。
【蘇生効果発生の制限時間、5秒を過ぎています。対象への蘇生効果は発生されません】
そんなシステムメッセージを表示させるだけで、何の効果ももたらさなかった。
「な、なんだよそれ……。蘇生効果の……制限時間!?
ふざけんな! ちくしょう……ちくしょう……っ!」
あんなに、固く誓ったはずなのに……。
こうやって、手の触れられる場所にいるのに……!
俺にはもう、アトリを助けることができない……いや、助けることが、できなかった………。
そうして、アトリのPCボディが、足先から徐々に崩壊を始めた。
もう全てが終わったのだと、もはや何もかもが手遅れなのだと、そう告げるかのように。
「…………ゃだ」
『……………………?』
「いやだ……消えるな、アトリ。消えないでくれ……!
また助けられないのはいやだ……もう目の前で失うのはいやだ……。
俺はここにいるのに……この手はちゃんと、こうして届いたはずなのに……っ」
一度だけでもたくさんだった。
二度と失いたくなかった。
三度も繰り返したくなかった。
四度はないと、信じたかった……。
「なのに、おまえまで助けられなかったら、俺は……俺は………っ!」
どうして誰も、助けられないのか。
俺は何のために、この『力』を手に入れたのか。
志乃を取り戻したかった。仲間を守りたかった。そのために戦ってきたはずだった。
……それなのに。
アトリがいなくなってしまう。
アトリの声を、もう……聞くことができない。
彼女の笑う声も……泣く声も……怒る声も……。
俺は……どうしたらいい? この痛みはどうしたらいい?
指先がチリチリする。口の中はカラカラだ。目の奥が熱くて堪らない。
『……ハ、セヲ………さ……』
振り絞るような声で、アトリが俺の名前を呼んだ。
彼女の身体は、もう欠けていない所がないほど、あちこちが欠落していた。
「頼む……消えないでくれよ……アトリィ……」
それを認めたくなくて、俺は無意味だと解っていながら、彼女へとそう懇願した。
そんな俺へと、最後の力を振り絞るように、アトリは手を伸ばしてきた。
そして俺の頬へと手を添えて、小さく微笑むと、
『……なか、ない……で…………』
そう言い残して、無数のデータ片となって消えていった。
「ぁ……ぁあ……ッ、アトリィィィィイイ――――――………ッッッ!!!!!!!!」
堪えることなどできるはずもなく、感情のままに、力の限りにその名を叫ぶ。
けれど、その名前で呼びかける相手は、もうどこにもいない……。
「あ、ああ……う、あぁああ………」
どこにもない彼女の亡骸を抱えるように、両腕を掻き抱いて蹲る。
口から零れる声は、もはや何の意味もなさない、呻く様な音だけだった。
伽藍のような心の中では、ただ行き場のない感情と痛みだけが、激しく渦巻いていた。
「ふむ。目的を達した以上、他の人間に用はないという事か」
ふと聞えたその声に、ようやっと視線を上げる。
いつの間にか周囲の光景は、薄暗い荒野から、見慣れた@ホームへと変わっていた。
その中に、黒いスーツを着た男の姿があった。――白いスケィスの姿は、どこにも見えなかった。
「しかしやはり、直接的なプログラムの掌握は手間がかかるな。
それも未知のプログラムともなれば、どれだけの時間がかかることか」
男の手には、水色の光――アトリの碑文が握られている。
それを認識した瞬間、視界は真っ赤に染まり、全身が激しく戦慄いた。
……そうだ。
アトリが死んだのは、誰のせいだ。
アトリをあんな姿にしたのは、一体誰だ!
……赦さない。絶対に、赦してなるものか……!
噴火する火山の如く湧き上がる憤怒。
心に渦巻いていたありとあらゆる感情が、どす黒い憎悪へと変換される。
その憎悪は灼熱を遥かに超えた温度を放ち、血管を流れて全身を焼き焦がしていった。
――――ナラバ、壊セ。
不意に、体の奥から、そんな囁きが聞こえてきた。
――――壊シテ、喰ラエ。肉ヲ貪リ、血ヲ飲ミ干シ、全テヲ奪エ。
それは聞き覚えのある声だった。
いつかどこかで確かに聞いた、歪んだ金属のような歪な声。
同時に体の内から、液体金属のような強烈な冷気が、全身へと解き放たれた。
その極低温の飢えと、自身の極高温の憎悪が、血流に乗って融合し、その瞬間―――。
「…………えせよ」
知らず、ハセヲは唸るように声を漏らしていた。
その全身に、血のように赤い紋様が浮かび上がる。
その全身から、飢餓的な闇色の稲妻が迸り始める。
それでようやく自分の事を思い出したのか、男がこちらへと視線を向ける。
「ああ、そう言えば君も“これ”と同じ力を持っていたね。
アトリ君の代わりに君を取り込み、プログラムを掌握する参考とするのもいいかもしれないな」
男はそう何かを口にするが、それを意味のある言葉として認識できない。
視界が、男へと向けて狭窄する。それ以外の全ては、揺れる闇の向こうへと消えた。
「アトリの碑文を、返しやがれ……ッ!!」
抑えきれない激情が、叫び声へと形を変える。
今ハセヲの頭にあるのはそれだけだ。
助けたかった少女の、存在の欠片。それを男から奪い返すこと。
それだけが、憎悪に塗り潰された今のハセヲに残る、たった一つの感情だった。
それ以外は全て、眼前の敵を破壊し尽そうとする衝動に飲まれて消えた。
「さもないと……」
激しいノイズが、周囲の空間を掻き乱していく。
ハセヲのPCボディから、弾ける寸前の爆弾ように赤い光が零れ出す。
――――ソウダ。喰ラウ。喰イ散ラス。
凶暴な声が、頭の中心でそう囁く。
ハセヲが、その声に駆り立てられるように一歩だけ踏み出す。
瞬間、全てが停止したかのように静寂し――――
――――割れ鐘の如き、ハ長調ラ音。
ピアノの鍵盤を力の限りに弾いた様な音が、悲鳴を上げるように響き渡った。
「喰い殺すぞォォォォオオオオオオ――――………ッッッ!!!!!!!」
【YOU EQUIPPED AN ENHANCED ARMAMENT《THE DISASTER》】
ハセヲを中心として、極大の紅蓮の炎と暗黒の稲妻が放たれる。
その猛り狂う炎雷は@ホームを一瞬で飲み込み、内側から破裂するようにあっけなく吹き飛ばした。
そうして今ここに、一人の少女の死を代価として、悲しき憎悪を宿す、黙示録の獣が誕生した…………。
【アトリ@.hack//G.U. Delete】
最終更新:2014年05月15日 17:25