1◆
二度目の定時メールは唐突に送り込まれた。
開いてみると、やはりそこには目にするだけで胸糞が悪くなる文章が書かれていた。
死者のことを【脱落者】などと表記していて、追悼の想いが全く感じられない。前回のメールの時から思っていたが、やはり奴らは人間を食い物にする機械どもと同じだった。
これまで人間の死は何度も見てきたので、モーフィアスは大きく動揺しない。そういう世界に身を投じるならば、冷淡になることもまた生き残る為に必要だ。
トリニティが死んだと聞いた時だって、そうして乗り越えたのだから。
だからこそ、一刻も早くこの空間の謎を暴き、脱出をしなければならない。
既にタイムリミットは半分を過ぎている。榊の言葉が正しければ、自分達に残された時間は12時間だ。
いや、こんな悪質な戦いを強制させる連中が真実を言うとも限らない。もしかしたら、更に短い恐れもある……それを考えるなら、尚更迅速な行動が必要とされるが、焦れば逆に自滅してしまう。
今はこのネットスラム内でどう行動するかが重要となるが、それよりも気にかけなければいけないのは仲間達の状態だ。
「……エンデュランス」
揺光の声は震えている。
やはり彼女は苦々しい表情を浮かべていた。こんなメールが送り込まれた後ならば仕方がないかもしれない。
彼女は戦場の空気に慣れていないのだから、人の死を割り切れというのが酷な話だ。
「揺光……」
「……正直、気に入らない奴だったわ。チートを使ってチャンピオンになって、いい気になって、ズルしてちやほやされる……
でも、今は違うはずだった」
「今は?」
「変な奴だけど、少なくともあいつの力を必要とする奴はいたわ。それに、あいつのことを慕ってる人だってたくさんいた。
過程はズルかったけど、それでもあいつは多くの人から認められてた……これだけは確かよ。
ボルドーって奴も気に入らないし、弱い相手をいたぶっていい気になってた。でも、少なくとも死んでいい奴じゃなかったはず……
それに、あいつらだけじゃない。アトリ…………」
新たに二つの名前を口にしたことで、揺光の表情が更に暗くなっていく。
「彼女達は、私にとって大切な仲間……それに、ハセヲにとってはもっと大切な人達だったわ」
「ハセヲ……確か、榊から『死の恐怖』と呼ばれていたプレイヤーだったな」
「それって……もしかしてハセヲもここにいるの?」
「確か、榊がその名を口にしていたはずだ。もしかして、気付いていないのか?」
「ごめん。あの時は色々と動揺していたから、あいつの話をちゃんと聞けなかったかも……」
ふむ、とモーフィアスは頷く。
何の前触れもなく奇妙な所に放り込まれた上に、こんな殺し合いを強制されては誰だって驚愕する。
それに、些細なミスをいちいち言及しても仕方がない。責める事よりも、カバーすることこそが重要だ。
「そうか……ハセヲとは一体、どんな奴なんだ?」
「……一つ言っておくけど、今のあいつは榊が言うような酷い奴じゃないわ。そりゃ、昔は気に入らなかったけど…………今は頼れる仲間よ。自分から物騒なことなんてもうしないはず。
でも、もしもみんながいなくなったら……」
彼女は目を背ける。先程までの男勝りな雰囲気は微塵も見られず、年相応の儚さが感じられた。
尤も、自分が信じる人間が三人も死んだと聞かされたら、落ち込んで当然だ。加えて、遺された仲間達のことを考えると、平静ではいられなくなる。
どうすれば今の揺光を励ませるのか……それがモーフィアスには思い付かなかった。中途半端な慰めなど意味がないし、間違えた激励を口にしては反感を受ける。
「……揺光ちゃん」
モーフィアスが悩む中、揺光の前に出てきたのは
ロックマンだった。
「……エンデュランスは気に入らなかったけど、ファンを得る為の努力はしてきたわ。だからこそ、アリーナのチャンピオンとして君臨できた。もしもあいつがいなくなったら…………たくさんのプレイヤーが悲しむはずよ。
それにアトリだって『The World』の平和の為にPK撲滅運動に努めてきた。彼女がいなくなったら……ハセヲだけじゃなくて、カナード……ハセヲがいるギルドのみんなだって悲しむはずよ。
でも……アタシは悲しまない。悲しんでいる場合じゃないの」
「どうして? 無理をする必要なんてないんだよ」
「ここでウジウジしたって、みんなは帰ってこないわ。それに、みんなは私が悲しんだりすることを望むなんて思わない
クラインだってきっとそうだったはずよ。アタシは、この世界から絶対に脱出して…………みんなに伝える。
この世界でいなくなった人達のことを伝えるまで、アタシは負けないわ」
「…………じゃあ、僕も手伝うよ。僕も揺光ちゃんと一緒に、アトリさんやエンデュランスさんやボルドーさんのことを……帰りを待っている人達に伝える。
僕だって、ロールちゃんのことを熱斗君やメイルちゃん達に伝えなきゃいけないから」
彼の表情は曇っていながらも、その視線からは情熱が感じられる。まるでネオを始めとしたネブカドネザル号のクルー達を見ているようだった。
ロールとは、一度目のメールでトリニティと共に書かれていた名前だ。恐らく、ロックマンにとっては大切な存在だったのだろう……例えるなら、ネオとトリニティのように。
彼女を失ってから数時間しか経過していない、しかしこの決断をしたロックマンを冷酷とは責めない。むしろ、その強さは称賛に値するものだ。
「そっか……ありがとう、ロックマン」
「どういたしまして」
「じゃあ、アタシもロックマンと一緒にそのロールって子のことを伝えるわ。アタシだけがやって貰うなんて、不公平だもん。
でもロックマン。そこまで言ったからには、絶対に一緒に帰るわよ……途中で倒れたりなんかしたら、許さないからね!」
「それは僕の台詞だよ、揺光ちゃん!」
ロックマンと揺光は互いに力強い笑みを向けた。もしかしたらそれは空元気かもしれないが、前に進もうとする強い決意は感じられる。
見た所、彼らは年がそれなりに離れていないように見える。だからこそ、互いに共感し合えるのかもしれない。彼らがいてくれてよかったと、モーフィアスは思う。
もしもどちらか一人だけだったら、モーフィアスだけでは支えきれないはずだから。
「これからどうするの? このエリアのクエストはまだ続いているだろうし、あのパーティだっているはずよ」
「ああ……その事に関してだが、俺は決めた。あの黒いナビ達と一刻も早い接触を試みるつもりだ」
揺光の問いかけにモーフィアスはそう答える。
「あのグループは恐らくこのゲームには乗っていない……だからこそ、俺達の誤解を解く必要がある。
ワード集めとゲートの警戒も必要だろう……だが、それ以上に厄介なのがラニ達の存在だ。こうしている間に、もしも奴らが黒いナビ達と接触して俺達の悪評を伝えたとしたら……敵は更に増える。
そうなっては、俺達は一気に不利になるはずだ。ワードだって武力で奪われるに決まっている」
「なるほど……確かにその通りね」
「それに、ラニって人達が僕達をデリートしたら……その後に黒いネットナビ達にも襲いかかるかもしれない」
「そうだロックマン。俺達が今やるべきことは、少しでも敵に戦力を与えないことだ。クエストはその後でも遅くない」
揺光もロックマンもこの提案に異論はないようだった。
現在の脅威はラニ達であることは、ここにいる三人が認知している。彼女達の策略で敵を増やされて、それが原因でこちらが不利になることだけは避けなければいけなかった。
「よし、それでは共に彼らを捜索するぞ。奴らに全てを奪われる前にな」
2◆◆
―――そして同じ頃、ラニ=VIIIもまたツインズと共に、ネットスラムを捜索していた。
目的はこのネットスラムに現れた第三勢力―――ブラック・ローズ、ブラック・ロータス、アーチャー―――と、モーフィアス達との接触を阻止する事だ。
「Mr.モーフィアスの徒党《パーティ》は、高い確率で三番目のパーティとの協定を結ぶでしょう。何故なら、それこそがこの場で勝利するにおいて最も確実な選択なのですから」
ラニの意見にツインズは頷く。それは肯定とも否定とも取れない様子だが、構わずに続けた。
「私達が三番目のパーティにMr.モーフィアスの誤解を与えました。しかし、彼女らにとっては私達も敵なのだから、そんな相手の言葉など信用するに値しないでしょう。
そうなっては、この誤解もすぐに溶けたとしてもおかしくありません。そんな状態の中で二つのパーティに接触などされたら、確実に同盟を結ばれてしまいます……
だからといって、私達が先回りをして三番目のパーティに接触しても、同盟を結べる確率は期待できません。
あのサーヴァントは私の存在を知っているでしょうし、何よりもMr.ツインズ……貴方は、あのグループと敵対しましたね?」
ツインズは相変わらず無言のままだが、反論などはしない。やはり正解と見て間違いないだろう。
緑衣のサーヴァント・アーチャーはツインズを見た途端、警戒するように構えていた。詳しい事情はわからないが、何か一悶着があったと考えて間違いない。そんな相手と同盟を組むなど、向こうからすれば容認しがたいはず。
アーチャーの存在が同盟における最大の障害だが、それだけを除去することは不可能に近い。ならば、モーフィアス達と結託される前に撃破しなければならなかった。
とはいえ、真正面からぶつかっても無駄な消耗をするだけ。ここは一時的にでも同盟を組むふりをして、それから不意打ちを仕掛けなければならなかった。
「ネットスラムから逃走する選択もありますが、そうしたら自分からクエストを放棄したとGM側に認識されてしまうでしょう。
最悪の場合、私達が獲得したnoitnetni.cyl及びワードが強制的に没収されて、彼らの手に渡ってしまうかもしれません……そうなっては、私達の生存率は一気に下がります」
ネットスラムから逃走して、一旦体勢を立て直すプランもある。
他のプレイヤーにモーフィアス達の悪評を広めて、自分達と同盟を組んで貰うプレイヤーを見つける……だが、これは期待できない。戦略としては20点にも届かなかった。
まず、そんなプレイヤーと都合よく会える確立からして、極めて低い。この広大なるフィールドには多くのプレイヤーが、何の法則性も無しに榊によって解き放たれている。ゲームスタートから12時間、既に彼らは様々なエリアに移動しているだろう。
そんな中でこのネットスラムに近づくプレイヤーがどれだけいるのか? また、仮にいたとしても非戦的なスタンスでいるとも限らない。もしもPKならば、否応なしに戦闘を強いられてしまう。
不確定が揃う状況の中、余計な消耗だけは絶対に避けなければならない。故にこのネットスラムに留まり続ける必要がある。
「だからこそ、私のバーサーカーとMr.ツインズの存在が不可欠となります」
ラニは一旦足を止めて、ウインドウを展開させる。
怪訝そうに首を傾げるツインズを前に操作しながら、二つのアイテムを取り出した。それはラニにとって使い道のない疾風刀・斬子姫と、未だに用途のわからないセグメントだった。
「Mr.ツインズ。私は貴方の能力を信用して、貴方にこれらを託します。
こちらの武器は私では扱い切れません。なので、白兵戦を得意とする貴方が持つべきでしょう。そしてもう一つは……恐らく、noitnetni.cylやワードと同じように、複数揃えることで効果を発揮するアイテムかと思われます。
いずれ、必要とする時が来るかもしれません。それに私に何かあったときの為にも、貴方にも重要アイテムを持って頂きたいのです」
セグメント(segment)……断片、部分、分割などの意味を持つ名が与えられたアイテムが、いかなる効果を持っているのか……それをこの場で知ることはできない。
しかし、こんな単品では何の効果もないアイテムを、わざわざデスゲームに放り込む必要性はない。故に、いくつか集めると何かが起きるはずだった。
本来ならばセグメントこそラニが持っているべきだが、今はここにいるツインズの信頼を少しでも獲得することが優先だろう。この二つはその手段だ。
受け取った後にツインズが裏切る可能性は低い。何故なら、ここでラニを始末したとして他のアイテム及びポイントを獲得したとしても、その後に待っているのはツインズ単体の戦闘だ。どれだけ道具が揃っていても、それだけで6人ものプレイヤーを撃破できる確率は低い。
ツインズとて、それがわからないような愚か者ではないはず。
「Yes」
そして案の定、ツインズは二つのアイテムを受け取り……それらを自らのアイテムフォルダに移した。攻撃を仕掛けてくる様子は感じられない。
ラニは再び歩みを進める。時間にすれば一分も経たなかったが、今は一秒でも惜しい。遅れは取り戻さなければならなかった。
つい先程、届けられたメールはラニにとってそこまで関心を与える内容ではなかった。
イベントは気になるが、ネットスラムのクエストと違って堂々と公表されている。故に、ゲームの根幹に関わる秘密は隠されていないだろう。
詳細の書かれていない野球ゲームには可能性があるかもしれないが、それでも期待はできない。他のイベントも率先して攻略するほどではないはず。
強いてメリットを挙げるとするなら、他プレイヤーとの戦闘で有利になれるアイテムが手に入るくらいだ。
そしてこの六時間で新たに十名のプレイヤーが脱落している。全体の総数から考えて、そろそろ半分を切ろうとしている。
生き残ったプレイヤー達は更に警戒を強めるだろう。更に能動的にPKを仕掛けるプレイヤーがいれば、徒党を組んで本格的な攻略を進めるプレイヤーが出てくるはず。だとしたら、尚更積極的な行動が求められる。少しの遅れが致命的なミスに繋がりかねなかった。
一方で、脱落者の中にダン・ブラックモアとランルーくんが書かれていても、ラニはさして気にしていない。かつて脱落したはずの者達が再び敗れ去った……その程度の認識しかなかった。
(白野さん……貴方/貴女はまだ生き残っているのですね)
だけど、
岸波白野の名前が書かれなかったことだけが気がかりだった。これが意味することは、彼がまだこのバトルロワイアルで生き残っている。つまり、彼とまた巡り会う機会はまだ残っていた。
…………しかし、そこからどうするべきなのかがまだ決まらない。仮に白野と出会ったとしても、また手を取り合える保証は微塵もなかった。
榊の言葉が正しければ、VRバトルロワイアルから生還できるのはたった一人だけ。いずれ、白野とも戦わなければいけない。
だが、白野が榊の言葉に従って能動的に他者を襲うかどうかも疑問だった。
彼は数多のマスター及びサーヴァントを打ち破り、その果てにトワイスと言う壁も乗り越えて……月の聖杯戦争を勝ち残る程の強者だ。しかし白野自身は他者を犠牲にすることを望む人間ではない。平穏な世界では真っ当かもしれないが、戦場では生き残れるような人種ではなかった。
それでも岸波白野は罪を背負い、戦い続けた。そして敵であったはずのラニ=Ⅷですらも、白野によって救われている。
そんな白野を倒す…………だが、師の教え通りに聖杯を獲得するには、これもやむを得ないのだろうか。
(白野さん……あなたはどこにいて、そしてこのバトルロワイアルに何を思っていますか。あなたは私を打ち破ることを望んでいるのでしょうか)
考えてもどうにもならないことがわかっているのに、ラニは疑問を抱いてしまう。
人間らしさを教えてくれた白野が相手だから……それこそがラニ自身の感情(なかみ)だ。白野に会えば、求めている感情(なかみ)を見つけられるだろうか…………
「……Hey」
…………と、ラニの思案を遮るようにツインズの声が響く。
「あれは、先程接触したグループ……」
顔を上げた先にいるのは、ラニ達が探し求めていた第三勢力だった。
周囲を見渡すが、モーフィアス達の姿は見られない。つまり、先回りに成功したのは自分達だ。
距離は数メートル。それほど遠くはないが、不意打ちを仕掛けるには難しい。彼らを前に足音を鳴らしては気付かれてしまう。
「Mr.ツインズ。貴方は隠れてください」
その意味を察したのか、ツインズは頷きながら後退する。
隙を見計らって、合図をする。そうして戦闘に突入するしかなかった。
それを見届けたラニもまたゆっくりと歩みを進めるが、同時に緑衣のアーチャーがこちらに振り向き、目が合ってしまった。
3◆◆◆
ブラックローズ/速水晶良は震えていた。
ネットスラムで行われているクエストの攻略の最中に一通のメールが届けられた。そこには、あろうことか……カイトとミアの名前が書かれていた。
それはつまり、二人が【脱落者】となってしまったことになる。このバトルロワイアルにおける【脱落】は『The World』における未帰還者どころの話じゃない。現実で、本当の意味で【死】を迎えてしまった……カイトという人間がもうこの世にいない。
そう認識した瞬間、何かが砕け散るのをブラックローズは感じた。
「何で、二人の名前が書いてあるのよ……何で、何でなのよ!?」
胸の奥から湧き上がる感情を吐き出すが、疑問が解かれることはない。
ミア。エルクと共に行動し、様々な冒険を乗り越えてきた猫の獣人を元にしたNPCだ。モルガナの影響で第六相「誘惑の恋人(マハ)」に覚醒してしまい、一度はカイトの腕輪によってその命を散らせてしまうが、アウラと共に新しい命を得たはずだった。
それなのに、こんなバトルロワイアルに巻き込まれて、また命を散らせてしまう…………これでは、エルクは悲しみに沈むはずだった。
ミアがNPCだとしても関係ない。エルクはそれを知った上でミアと真っ直ぐに向き合い、かけがえのない存在と思ってきたのだから。
「カイト……何で、あんたがいなくなるのよ。あんたは『The World』を救った勇者なんでしょ? みんなの憧れなのよ…………
あんたがいなくなったら、悲しむ人がたくさんいるのがわからないの!? ミストラルも、オルカも、エルクも、ニュークも、レイチェルも……たくさんの人が悲しむのよ!?
それがわからないあんたじゃないでしょ!?」
カイトは未帰還者となった親友オルカ/ヤスヒコを救う為、女神AURAから授けられた腕輪を用いて『The World』で幾度となく戦った。彼がいたからこそ、未帰還者となった晶良の弟・カズだってリアルに戻ることができた。
だけど、そのカイトがいなくなったら……今度はオルカ/ヤスヒコを始めとした多くの人が悲しんでしまう。ミストラルだってリアルで子どもが生まれて、幸せを感じているはずなのに…………こんなことが、あっていい訳がない。
それに一度目のメールにはバルムンクとワイズマンの名前が書かれていた。これでは、仮にこの仮想空間から脱出しても、リアルではもう戻ってこない仲間達が四人もいる。
彼らのことを、遺された者達に伝えなければいけなかった。
脳裏にカイトとの思い出が過ぎっていく。
カズを救わなければならない焦りと合わさって、頼りない奴にしか見えないカイトにイライラしていた頃があった。しかし何度も共に冒険して、絆を深めあい、いつしか彼には特別な感情が芽生えるようになった。
そんなカイトがもういない。ネットでもリアルでも、カイトにはもう二度と会えなかった。
ふと、思う。カイトと共に『The World』で攻略し続けたけど、一体カイトのことをどれだけ知っていたのだろう……と。
確かにカイトは素晴らしい相棒だ。しかしそれはネットの世界での話で、リアルではどうだったか? リアルでは顔も本名も知らない相手だから、これから葬式が開かれたとしても……オルカに頼る以外に方法がない。
だけど、もしもカイトの家族がそれを拒んだら……カイトと会えなかったら、あたしは一体どうすればいいのか? この気持ちを抱えたまま、あたしの預かり知らぬ所で永遠にカイトと別れなければいけないのか?
「……大丈夫か?」
困惑と絶望が渦巻く中、声をかけてきたのは緑衣のアーチャーだ。
振り向くと、彼はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべている。それを見て、ブラックローズは思い出した。
大切な人を失ったのは自分だけではない。彼だって、数時間前にかけがえのないパートナー……ダン・ブラックモア卿を失ったばかりなのだから。
「あ……その、すまねえ。
空気読めないってレベルじゃないのはわかってる。こういう時、なんて言えばいいのか俺には全くわからねえ。
元気出せなんて言わねえ。だけどよ、俺はアンタらが落ち込んでいるのを見たくねえ…………これだけは本当だ。ダンナだって同じだと思うぜ?」
それはアーチャーなりの励ましなのだろう。皮肉屋で、そして不器用な彼なりに自分達を励ましてくれているのだ。
本当は彼だって悲しいはずなのに、自分達を想ってくれているのだ。死に目に遭えなかったのに、それでもダン卿の遺志を継いで自分達の力になろうと動いている。
……そんなアーチャーの姿に、ブラックローズは胸を痛めた。
「…………悪い、こんなことしか言えなくて」
「……あたしの方こそ、ごめん。あんたの気持ちを……考えなくて」
「俺は戦場に身を置いていたから、ダンナと別れる覚悟はいつでも決めてたつもりだ。
けどよ、あんたらはそうじゃない。詳しいことはわからないが、あんたらが生きてたのはそういう世界じゃないだろ? まあ、あんたらの場合は違うかもしれねえけど……それでも、普段は別だったはずだ」
不器用な励ましを責める気になれない。
アーチャーが言うように『The World』とは、例の事件さえなければ人と人とが繋がり合うネットゲームだったはずだ。未帰還者達も最終的には元の生活を取り戻している。それにあの頃も、少なくともカズ達を目覚めさせられるという希望だけはあったはずだ。
だけど今は微かな希望すらない。遺されたのは死別という絶望だけだ。
「…………それでも、私達は歩みを止めてはいけない」
掠れるような声が聞こえてくる。それは、黒雪姫/ブラック・ロータスのものだった。
「ダン卿は私達に言ってくれた。歩みを止めなければ、きっと、何かを掴めると」
「黒雪姫……?」
「だから私は進む。ここで止まっては、私のことを信じてくれたダン卿…………そして、ハルユキ君への裏切りになるからだ」
表情が変わる気配を見せない。しかしその声は余りにも辛そうで、そして何かを押し殺したかのようにも聞こえた。
それを聞いて、ブラックローズは察する。このメールには彼女にとって大切な人の名前が、書かれてしまったことを……
「ねえ、あんた……まさか…………!」
「ああ。私も、カイト君やミア君と同じように書かれていた……ハルユキ君。いや、シルバー・クロウの名前が…………」
その名を口にする彼女の身体は震えていて、まるで痛みを堪えているように見える。瞳からは今にも涙が流れそうだ。
それなのに感情を抑えようとするブラック・ロータスの姿が、ブラックローズには理解できなかった。
「……だからこそ、私は挫ける訳にはいかない。私が挫ける事を彼が望むとは到底思えないからな」
「どうしてよ、何で…………そんなことが言えるのよ?」
「言ったはずだ。ダン卿やハルユキ君の想いを無碍にしない為にも、私は止まってはいけないと……あの方は最期まで私達の身を案じてくれた。そんなダン卿の遺志を継ぐのであれば、私は…………」
「ちょい待った」
辛い気持ちを抑えながら紡がれる言葉を遮るように、アーチャーが前に出る。
「……どうかしたのか?」
「なあ、姫様。あんた、それがダンナの為になるって本気で思っているのか?」
「何を言っている。私はダン卿の……」
「あんたがダンナの最期を見届けたことは知ってる。ダンナの遺言を聞いて、それを俺に伝えてくれたことには感謝してるぜ。
俺はダンナじゃないし、ダンナの最期を看取ってやれなかった……だからダンナが遺した言葉の意味を、完全に知ることはできねえ…………
けどよ、それって本当に遺志を継いでることになるのか?」
真摯な表情と共に向けられるアーチャーの問いに、ブラック・ロータスは答えを返さない。いや、返せないのか。
彼女が抱いている感情は、奮起ではなくただのごまかしにすぎないのだから。
「……ワシがお前さんがたに何があったのかは知らんし、深く掘り返す気もない。
じゃが、そこの兄さんの言う通りじゃ。娘さんよ、お前さんは履き違えておらんか?」
次に問いかけてきたのはタルタルガだった。
「な、何を言っているのだ! 私は……!」
「道半ばで散った者の遺志を継ぐことは確かに立派な心がけじゃ。だが悲しいことに、それは時に勘違いされて……挙句の果てには受け継ぐ者を縛り付ける呪いにもなるのじゃ」
「……ご老体。貴方が私の為に忠告して頂いているのは充分に承知だ。悪意がないことだって理解している。
だが、彼らの想いをそういう風に言うのはやめて頂きたい!」
「そうじゃったな……すまなかった」
タルタルガは深い溜息を吐いてしまう。
だけど、彼の言うこともわからなくはない。極端なことを言ってしまえば、今のブラック・ロータスは勘違いしている。
このまま放っておくと、シルバー・クロウというプレイヤーの無念を晴らそうとする余りに無茶をしてしまう恐れがあった。しかし、どうすればそれを止められるのか……ブラックローズには思い浮かばない。
細かい心のケアなど、リアルではただの女子高生に過ぎない晶良には無理な話だ。下手な同情など役には立たない。
ブラックローズは途方に暮れそうになった。
「爺さんの言うとおりだ……と言いたい所だが、どうやらお客さんが来たみたいだな。たく、こんな時によ……」
そんな時だった。アーチャーが表情を顰めながら呟いたのは。
彼はこちらを見ていない。その視線はここではないどこかに向けられているようだった。
「爺さん、あちらさんはあんまりいい奴じゃなさそうだから離れた方がいいぜ」
「ワシらの心配はいらんが……そうさせて貰おう」
アーチャーの進言通りにタルタルガは去る。
心配はいらない、の意味がよくわからないけど今はどうだっていい。
「アーチャー……一体、何なの?」
「そこのあんた。隠れてるつもりかもしれねえけど、俺の目は節穴じゃねえぞ?
さっさと出てきてくれ。じゃなきゃ、俺はあんたを撃つ」
高圧的で、それでいて明確な敵意が込められていた。今のアーチャーに遠慮は感じられない。
すると、彼が言うように建物の陰から褐色肌の少女が姿を現した。それは、壮年の黒人男性に襲われていたあの少女だった。
「……やっぱりあんただったか」
「失礼。状況が状況なので、貴女達と接触する前に周りの状況を見計らっていたのです……他に悪質なプレイヤーが潜んでいる可能性も、充分に残っていますから」
「まあ、それは確かにあり得るな……例えば、あの白い奴らとか?」
アーチャーの言葉はまるで鎌をかけるようにも聞こえてしまう。しかし一方の少女は表情を微塵も動かさない。
「白い奴ら……それは、先程あのグループと交戦していたプレイヤーのことでしょうか?」
「そうだ。あいつらは一体、どこに行ったんだろうねぇ……まだこの近くにはいそうだけどな。例えば、あんたのすぐ後ろとか?」
アーチャーはずけずけと問い出さそうとするが、やはり少女は何も答えない。
それに見かねて、ブラックローズは前に出る。
「ちょっとアーチャー! いきなり何を言っているのよ」
「悪いな、俺はこいつを完全には信用しきれねえ。元の世界じゃ敵同士だった相手の話を聞いてやれるほど、俺はお人好しじゃないからな」
「その言い分は理に叶っています。私はあなた方との同盟を望みますが、短時間で信用を得られるとは思っていません……私から歩み寄らなければ」
「ほう? 知らない間に人間味のあることを言うじゃねえか。何、改善傾向にありますってか?」
「そう受け取って貰っても構いません。私は無駄を好みません……故に、不要な争いはゲームからの脱出に遠ざかるだけです。
そしてそこのお二方……私はラニ=Ⅷ。以後、お見知りおきを」
淡々と言葉を紡ぎながら、ラニ=Ⅷと名乗った少女はお辞儀をする。
その様子にブラックローズは面食らってしまう。彼女は危険なプレイヤーではないのかもしれないと、思ってしまうほどだった。
「なるほどね……じゃあ、だったら何で足音が二つも聞こえてきたんだろうなぁ?」
「それは……」
「おっと。バーサーカーを召喚していたってのはナシだぜ?
俺が聞いたのは図体のデカい足音じゃねえ。あんたと同じように静かだった……ここにいる奴らは誤魔化せても、サーヴァントである俺を舐めない方がいい。
…………あんた、あの白いあいつと手を組んでるだろ?」
アーチャーの推測にブラックローズは瞠目する。
「えっ……それって、どういうこと?」
「大方、こいつは俺達を嵌めようとしてたんじゃねえか? 俺達にさっきのパーティの悪評を流して、同士討ちをさせて消耗した隙に白い奴らと一緒に、漁夫の利を狙う……
そうすりゃワードは集められるし、何よりも邪魔な奴らだって確実に始末できる。まあ、膠着した状況を打ち破る戦略としては悪くはねえよな?
けどよ……」
アーチャーは弓を構えて、瞬時に矢を放つ。それはラニの横を通り過ぎながら遥か彼方まで突き進み……次の瞬間、白い影が飛び出してくる。
何事かと身構えた瞬間、二人の白い男……ツインズが姿を現した。先程とは違い、今度は二人とも武器を構えている。
一人は大鎌。もう一人は刀。それもあってか、瞳に込められた殺意がより鋭いものに見えてしまう。
「Shit」
「……悪いが、騎士様と姫様を食い物にさせる訳にはいかねえな」
男達に合わさって、アーチャーの視線もまた鋭さを増す。やはり始めから信用していないようだった。
ふと、ラニの方を見てみるが、やはりその表情は微塵も揺れない。しかし、今度は冷酷さすらも感じられた。
まるで、目的だけを遂行する機械のようにも見えてしまった。
「なるほど……お前のような者がいたから、彼も……死んだのだな」
と、ブラック・ロータスの声もまた冷たくなっている。
彼女が構える漆黒の刃が煌めいた。しかしその輝きからは、薄気味悪い何かが感じられてしまう。何かを守る為の刃ではなく、全てを破壊する為の兵器……そんなイメージと同時に、ブラック・ロータスに奇妙な違和感を抱いてしまう。
その時だった。
――――ハ長調ラ音。
ポチャン、という水滴が落ちるような音が聞こえてくる。それは、ブラックローズにとって聞き覚えがあった。
そして振り向いた途端、彼女の全身に悪寒が走る。何故なら、そこにいたのは…………
「……嘘よ」
ブラックローズは顔を青ざめさせてしまい、震える声を零してしまう。
信じられない。信じたくない。信じる訳にはいかなかった。故に一歩だけ下がるも、現れた存在はこちらに近寄ってくる。
「おい、どうしたんだ?」
「何でよ、何で…………何で、あいつがここにいるのよ」
アーチャーの問いかけを聞いて、それに応える余裕すらなかった。周りの視線すらも、今のブラックローズにとっては意識の外だ。
巨人の姿を忘れることはできない。石造のように無機質な巨体と、ケルト十字の杖……色がほんの少しだけ違うようにも見えるが、今はどうでもよかった。
ブラックローズは、ただ叫ぶことしかできなかった。
「何でなのよ……何でなのよ……何でなのよおおおおぉぉぉぉぉっ!」
PHACE:1 第一相
The TERROR of DEATH 死の恐怖
かつて 選ばれし 絶望の 虚無 エリアで激闘を繰り広げられた第一相『死の恐怖』スケィス……否、スケィスゼロが、このネットスラムに出現してしまった。
最終更新:2015年08月24日 19:04