1◆
「では皆さん、食堂へと向かいましょうか」
休憩をしようと提案したレオは、続いてそう口にした。
「食堂? 別にいいけど、なんでだ?」
「サクラの弁当ではHPと状態異常しか回復しませんが、幸い併設されている購買部にはMPの回復が可能なアイテムが販売されています。
僕や白野さんは魔力(MP)を、
カイトとヘレンはHPを消耗していますから、その回復ついでに昼食をと思いまして」
「成程な。仮想世界だから気にはならなかったが、確かにとっくに昼過ぎだもんな。いいと思うぜ、あたしは」
「では決まりですね。
いやぁ、一度やってみたかったんですよ、こういう学生っぽいこと。生徒会と銘打ってはいっても、その業務内容は学生とは程遠かったですからね」
レオたちはそう言って席から立ち上がる。
自分にも拒否する理由はないのでそれに追従し、生徒会室を後にして食堂へと向かう。
その途中、自分たちがアイテムを買うためのポイントを持っていないことに思い至り、それをレオに告げる。するとレオは、
「ああ、ポイントに関しては大丈夫ですよ。
生徒会加盟祝いという事で、僕が奢りますから」
なんて気前のいいことを言ってくれた。
ポイントを貸すのではなく奢るといったことから、ハーウェイトイチシステムの心配はないだろう。
円卓の借金取りに襲われるのは、できればもう二度と経験したくない。
……………………。
ふと、そこで奇妙な疑問が過る。
聖杯戦争中、レオからお金を借りるような事態はなかったし、そんな理由でガウェインと戦ったこともなかった筈だが………。
この珍妙な状況の記憶は、いったいどこで経験したものなのだろう。
そんな風に首をかしげている間に、どうやら食堂へと到着したらしい。
さて、何を注文しようかと購買部へと向かうと、
「いらっしゃいませ」
なんか、神父が店員やってた。
学校の購買部にはあまりにもミスマッチな光景。
そのどこか見覚えがある、妙にこなれた業務態度は、先ほどまでの疑問が吹き飛ぶほどの衝撃だ。
というかそもそも、聖杯戦争の運営NPCだったはずのこの男が、なぜ教会ではなく購買部にいるのだろう。
「いやなに、本来の担当であるNPCは現在外のショップへと派遣されていてな、その代理として私が店員をすることになったというだけの事だ。
何しろ君が言ったように、私の本来の役割(ロール)は聖杯戦争の運営。このバトルロワイアルにおいて、その役割はすでに埋まっていたからな。
もっとも、あくまで代理でしかないので、さほど大きな権限はないのだがね。せいぜいが新商品を一つ入荷させる程度だ」
なるほど。
もし桜と同じように彼の役割を流用しようとするなら、それはバトルロワイアルの運営になってしまう。
だがいかにムーンセルが再現した人物とはいえ、一介のNPCにその役割は任せられなかったのだろう。
その点については納得いった。納得いったのだが―――
やはり、この神父がここにいるのは非常に違和感がある。
「違和感は無視したまえ。どうせそう長くは続かん。
場合によっては最強の店員を目指すことも考えたのだが、さすがにそこまでの時間はないだろう。
せめて新メニュー、麻婆ラーメンの申請が通るまで持てばいいのだが……」
時間がない? それはどういう意味なのか。
それに麻婆ラーメンとはいったい―――
「気にするな。私から話すことは出来んし、バトルロワイアルを進めればいずれ知ることだ。それよりも――――
何をお求めですか、お客様?」
神父がそう口にすると同時に、目の前にウィンドウが表示される。
個人的な会話は、これで終了という事だろう。
ならば彼が言ったように気にしても仕方がない。レオの方へと振り返り、何を注文するのか尋ねる。
今回の昼食はレオの奢りだ。彼の意見を聞くべきだろう。
「そうですね。彼の言葉は気になりますが、それは後にしましょう。今は昼食が優先です。
……何かおすすめはありますか? 希望としては、MP回復効果の高いアイテムが望ましいです」
「ならばこの【激辛麻婆豆腐】がおすすめだ。他より値は張るが、期待に応える自信はある。
まずはその目で確かめ、次にその舌で味わうといい。その後、君たちに稲妻走る」
【激辛麻婆豆腐】。
それはたしか、辛さの中にまろやかさを兼ね備えた、言峰神父イチ押しの逸品だ。
たしかその効果は、MPを10%ほど回復させるというものだったはず。
なるほど。確かにこのアイテムならレオの要望に応えられるだろう。
「そうですか。ではその商品を二つお願いします」
「あたためますか?」
「ええ、もちろん」
「ではもっていけ。またのお越しを、お待ちしております」
レオは代金分のポイントを支払い、半端に丁寧な接客対応の神父からアイテムを受け取ったのだった。
§
「さあ皆さん、早く座って昼食にしましょう」
その後レオはジローたちの分の食べ物も食堂から購入し、食堂に備え付けられたテーブルへと座りながらそう促してくる。
嬉々として食べ物を並べていくその様子は、聖杯戦争中の彼の姿からは連想できないものだ。
おそらくどこか年相応なこの姿が、王としての責務から解放されたレオ本来の性格なのだろう。
ちなみに食堂で売っている食べ物は購買部のアイテムと比べると、アイテムとしての効果がない分安いらしい。
効率の面から見ればポイントの無駄でしかないが、昼食会と銘打った以上、何も食べられない人物がいるのは避けたかったのだろう。
「こ、こいつは……」
「うわぁ……」
そうして並べられたアイテムを前にして、レインとジローがそう声を漏らす。
彼らの視線の先には、激辛の名に恥じない紅さを湛えた二つの麻婆豆腐がある。
「その麻婆豆腐は僕と白野さん用です。この中でMPの回復効果があるのはそれだけですからね。
……ああそうだ。白野さん、麻婆豆腐の半分は僕の方へと分けてください。その方が回復量の比率がいいですから」
レオのその言葉に頷き、自分の分の麻婆豆腐から半分ほどをレオの皿へと移す。
これは別に、レオが欲張りというわけではない。
このデスゲームにおいて、 “食べ物系”の回復アイテムには二通りの“使い方”がある。
一つはアイテム欄のコマンドから【使う】のコマンドを選択し、即時にその効果を得るという方法だ。
この方法は確実にアイテムの効果を受けられる代わりに、文字通りデータとして処理される――つまり味がわからないというある種の欠点がある。
そしてもう一つが、今現在行っているような、アイテムを実体化させ直接“食べる”という方法だ。
こちらはその食べ物の味を知ることができる代わりに、口にした割合分しか効果が得られないのだ。
だが逆に言えば、複数人で効果を分割できるという利点にもなるのだ。
効率や安全面を重視するのであれば、選ぶべきは間違いなく前者だ。これは命を懸けたデスゲーム。食べ物を味わっているような余分はない……のだが。
今は休息の時間だ。いつ来るかわからない敵を警戒し続けていては、体力より先に気力が尽きてしまう。
それに
岸波白野のMP残量は95%ほど。MPを10%回復させる【激辛麻婆豆腐】を全て食べてしまっては、5%分の無駄が生じてしまう。
それくらいならば、その分をよりMPを消費しているレオに食べてもらう方が効率の面でも良いだろう。
「それでは準備もできましたし、早速いただきましょう」
大盛りになった麻婆豆腐を手元に引き寄せ、レオがそう言って手を合わせる。
それに合わせ、自分もいただきます、と言って麻婆豆腐を匙で掬い口に含む。
直後、スパイスの強烈な辛みが構内に広がり、それに伴って気力が充実していくのがわかる。
つまりは、美味い。
うむ。とその味に満足して頷き、もう一口分掬って口へと運んでいく。
その途中、ふとカイトとサチ/ヘレンの様子が視界に映る。
「――――――――」
「……………………」
二人は備え付けの先割れスプーンを片手に、無心で【桜の特製弁当】を食べ続けていた。
「カイトさん、ヘレンさん、桜さんのお弁当はどうですか?」
そのあまりにも食事に集中したその様子に少し気になったのか、ユイがそう問いかける。
「……………………」
「――――――――♪」
それに対し、カイトは答えず黙々と食べ続け、サチ/ヘレンは無表情ながらも明らかに上機嫌と分かる態度で答える。
二人のいた『The World』に、“味”という概念はない。一応屋台などの施設はあるが、それはあくまで見かけだけのものでしかない。
それ故に、初めて口にした食べ物の“味”という感覚が、彼らにはとても鮮烈に感じられたのだ。
「はは。AIすらも魅了する味、というのは気になりますね。
少し不謹慎ですが、HPが全く減っていないのが残念です。ええ、本当に」
二人の様子を見たレオが、そう羨ましそうに口にする。
このデスゲームにおいて回復アイテムは貴重だ。
まったくHPが減っていないのにアイテムを消費する“無駄遣い”は出来ない。
ましてや自分やレオのようなマスターは、戦闘の際はサーヴァントを前衛とする。
そんなマスターがダメージを受けるという事態は、それこそ窮地という事になるのだ。
「む。それでしたらレオ、私が味見をし、その感想を述べるというのは」
「結構です。貴方は騎士の役割に専念してください」
「そ、そうですか……。主の役に立てぬとは、無念です」
実体化したガウェインの進言を、レオは一言に切り捨てる。
それに内心で同意する。
なんとなくではあるが、ガウェインに食事関連の事を任せてはいけない気がしたのだ。
ところで、レオはもう食べ終わったのだろうか。
大盛りとなっていたレオの麻婆豆腐が見当たらないのだが。
それともまさか、あの量をあっという間に平らげたというのだろうか。
「いえ。レオは一口分だけ食べた後、【使う】のコマンドを使用して処理していました」
む。それはつまり、この麻婆豆腐はレオには辛過ぎた、という事だろうか。
「ええ、まあ。これを顔色一つ変えず食べ続けられる白野さんに、驚嘆の意を感じる程度には。
おかげで口の中が大変ヒリヒリします。よく平気で食べれますね、こんなもの」
そう口にするレオは笑顔を浮かべているが、その口調にはどこか棘すら感じる。
「同感だ。その麻婆豆腐は余も以前口にしたことがあるが、余の愛らしい唇がタラコのようになってしまったぞ」
「赤セイバーさんの唇が愛らしいかどうかは別として、ご主人様の味覚問題については同意します。嫁として。
なんなんですか、あのコンソメ汁粉とかいう飲み物。和食に対する冒涜ですし、そもそもおいしいんですか、アレ?」
それに便乗するかのように、セイバーとキャスターまで苦言を呈してくる。
そんなに辛かったのだろうか、この麻婆豆腐は。
いや、激辛なのだから辛いのは当然なのだが、別に食べれないほどではないと思うのだが。
むしろこの辛さこそが、この麻婆豆腐の旨味であるとさえ言えるだろう。
そんな風に思っていると、ユイがぴょこんと挙手をしてきた。
「あの、私も一口食べてみていいですか?
そこまでの辛さというのに、ちょっと興味があります」
「……………………」
「む、ユイと、それにカイトもか。はっきり言って、おススメは出来んぞ」
「大丈夫です。普通に辛いのは平気ですから」
「あれはもう普通の辛いというレベルを超えている気もしますが……」
別に問題はないだろう。
自分たちと同じように、二人ともMP……カイトはSPだが……を消耗している。
それに自分の好きなものを他の人も好きになってくれるという事は嬉しいものだ。
そう言って麻婆豆腐を一口分掬い、ユイたちへと差し出す。
それをカイトが受け取ってユイへと差し出し、彼女が一口分口にした後、カイトも残りを口にした。
直後。
「っ!? か、からっ! 辛い! ものすごく辛いですこれ……!」
「!!!!????」
ユイは足をバタつかせて悶えながら、口元を抑えつつそう声を荒げた。
カイトなどは青白い顔を真っ赤にして、口から火まで吹いている。
どうやら二人にとっても、この麻婆豆腐は辛すぎたらしい。
むう……。
「……普通のご飯でよかったな、俺たち」
「……全く同感だぜ」
そんな岸波白野たちの様子を横目に見ながら、ジローとレインは巻き込まれないよう静かに、しかし素早く箸を進めていた。
が、しかし。
「おや? ジローさんにレインさん、そんなに離れてどうしたんですか?」
「げ!?」
「やべ!」
「ほら、もっと近くに座って、一緒に雑談でもしましょうよ。いわゆるフリートークというやつですね」
そんな他人のふりをレオが見逃すはずもなく、二人はあっけなく渦中に巻き込まれるのであった。
そんな風に、対主催生徒会の昼食会は和気藹々と進んでいったのだった。
2◆◆
「BRショップ・日本エリア支店へようこそ。
本日は何をお求めで吶縺ァ――――――――」
日本エリアのショップへと入店し、店内の様子を確認し終えるのと同時に、ショップ店員であるNPCの上書を開始する。
上書きによってエラーが生じたのだろう。NPCの言語が変調を来すが、構うことなく上書きを続行する。
あと一時間もすれば、このNPCは“私達”の一人となるだろう。
「なるほど。君達はそうやって、他者を“自分”へと書き換えているのか」
その様子を見ていたオーヴァンが、感心したようにそう口にする。
これで“私達”の手札を一つ晒したことになるが、問題はない。
行動を共にするのであればいずれ知られることではあるし、元より隠す気もなかったのだから。
故にこちらも、オーヴァンを観察し返す。
この上書き能力に対し、オーヴァンはどのような反応を示すのかを。
「だが販売されているアイテムを確認しなくていいのか?
ショップを管理しているNPCがいなくなれば、ショップを利用することができなくなると思うが」
「その心配は無用だ。このNPCを上書きした“私”がショップ内に居れば、ショップは問題なく利用できる」
「なるほど。上書きした相手の能力も使える、という事か」
探っている。
オーヴァンは“私達”の能力を把握しようとしているのだ。
おそらくは、自らがその脅威に晒された時に、それに対処するために。
だがそれも無駄なことだ。
たとえ“私達”の能力を把握しようと、膨大な数の暴力に対処しきれるはずがない。
現在の“私達”の数は四人。これはオーヴァンも把握していることだ。
だが“私達”は、これからまだまだ増え続けるだろう。そしていずれは、オーヴァンに対処可能な人数を超える。
オーヴァンは榊の仲間とはいえ、バトルロワイアルの参加者であることに変わりはない。殺されれば当然死ぬ。
そして死を恐れぬ人間などいない。“私達”が自身を脅かすと判断した時、オーヴァンは必ず反旗を翻すだろう。
その時こそ、オーヴァンを“私達”の一人にしてしまえばいい。
無論、オーヴァンとて無策で“私達”と戦うつもりはないだろう。
いかな強者であろうと、必ず限界は存在する。
つまりオーヴァンが反旗を翻した時の人数が、オーヴァンに対処可能な”私達”の数だ。
ならば、そこにあと一押しを加えてやればいい。ただそれだけで、オーヴァンは私達に対処しきれなくなる。
残る問題は、それまでの間に、どれだけこちらがオーヴァンの能力を把握できるか、だ。
それだけは、オーヴァンを他の参加者と戦わせることでしか観察は出来ない。
そして幸いにして、そのための対戦相手は、すでに用意されている。
「学園の様子はどうだ。何か動きはあったか?」
遅々として進まない上書き作業に退屈したのか、オーヴァンがそう訊ねてきた。
通常で考えれば意味の通らない問いかけ。
だが“私”の視界には、ショップ内に居ながらにして、すでに月海原学園が見えていた。
現在“私達”のうち、一人が学園内部を、もう一人が学園周辺を監視しているためだ。
それを知っているが故の質問だろう。
「いや、目立った動きはない。
現在は全員が一か所に集まって何かをしているようだ」
妖精のオーブで把握した学園内の人間の数は七人。
対してこちらは、オーヴァンを含めて五人。
人数の上では不利だが、学園内の人間全員が強力な力を持っているとは考え難い。
このまま戦っても負ける気はしないが、これまでの経験からして予期せぬ切り札を持っている可能性は十分にある。
こうして時間のかかるNPCの上書を行っているのはそのためだ。少しでも万全を期すために、“私”の数を増やしているのだ。
「そうか。
……ああ、そうだ。先に言っておくが、俺は学園内に入るつもりはない」
「……何?」
「正確に言えば、ペナルティを受けるつもりはない、だ。
多少の不利なら数で補える君たちと違って、俺の体は一つしかいないからな。
その必要もないのに、制限を受ける気はない」
「成程な」
確かに“私達”と違い、オーヴァンはペナルティの影響を完全に受ける。
ペナルティの詳細は知らないが、もし受けてしまえば不利になることは確かだろう。
だがオーヴァンは、学園内には入らないと言っただけだ。戦わないとは言っていない。
つまりペナルティを無視できるのであれば、学園内の人間と戦ってもいいという事でもある。
「つまり学園内の人間を外に引き摺り出せば、君も戦うということだね、オーヴァン」
「そういう事だ」
それを確認するためにそう訊けば、頷いて肯定する。
そして何を思ったか、次いでこんなことを言ってきた。
「それともう一つ。
AIDAに碑文を与えれば、その力を増幅させることが可能だ。
まずないとは思うが、窮地に陥ることがあれば試してみるといい」
我々は仲間ではあるが、決して味方ではない。
ましてやこの男は、榊やボルドーと同様AIDAを宿している。
碑文がAIDAを強化するというのなら、この男にとっても碑文は欲しいプログラムのはずだ。
その秘密を何故、わざわざ“私”に教えるのか。
「なに。学園内での戦いを君達だけに任せる対価だと思ってくれればいい。
仮にも仲間であるのなら、多少の助け合いは当然だろう?」
オーヴァンはそう言い残すと、先に行く、と言い残してショップを後にした。
話すこともなくなり、何の変化も起こらない上書き作業に飽きたのだろう。
オーヴァンの狙いはわからないが、少なくとも、今すぐ“私達”と敵対する気はないようだ。
でなければ、“私達”がより強い力を手に入れる可能性を教えるはずがない。
碑文もAIDAも解析はまだ進んでいない。
未知のままを未知のまま使う事への危惧はあるが、最終手段としては考慮してもいいだろう。
学園内の人間に動きはなく、また新たな人間が現れる様子もない。
このまま順調にいけば、襲撃の準備は問題なく整う。
「縺ョ雉ェ蝠上〒縺吶ゅ%縺ョ繝・Η繧ィ繝ォ縺ィ縺・≧繝「繝シ繝峨〒縺ッ莉悶」
まだ急ぐ必要はない。
まずはこのNPCの上書を完了させるとしよう。
3◆◆◆
そうして対主催生徒会の昼食会は終わり、一同は解散となった。
会長であるレオは生徒会室へと戻り、集まった情報を整理・分析するとのことだ。
それにユイが、少しでも何かの役に立ちたい、と手伝いに向かい、またカイトもそれに同行した。
ジローとレインは二人一緒にどこかへと向かった。何をしに行ったのかは知らないが、そう遠くへは行ってないだろう。
そうして残された自分とヘレンはというと。
「お待たせしました。お茶はまだちょっと熱いので、気をつけてくださいね」
間桐桜のいる保健室へと入り浸っていた。
支給品を受け取った以上、もう彼女に用はない筈なのに、なぜかここへ足が向いたのだ。
ならばきっと、彼女に会う理由が岸波白野の中にあったのだろう。それを思い出すことができないのが、少しだけ悲しかった。
暗くなり始めた気持ちを振り払うように、湯呑に入ったお茶を一口飲む。
その瞬間口に広がる、絶妙な熱さ、渋さ―――懐かしい味。
……やはり、桜の煎れてくれたお茶は心が落ち着く。
「よかった。ちょっと久しぶりだったので、配合を間違えてないか心配だったんです」
自分の感想を聞いた桜は、そう安心したように笑みを浮かべていた。
その様子が本当に嬉しそうだったからか、自分まであたたかい気持ちになってきた。
ふとヘレンの様子が気になり、横目でその様子を見る。
「――――――――」
湯呑を両手で抱えたヘレンは、非常に落ち着いているように見えた。
どうやら桜の煎れたお茶は、ウイルスである彼女にも好評のようだ。
そのことに不思議と嬉しくなって、桜へと空になった湯呑を差し出し、おかわりをお願いする。
「はい。すぐに用意しますから、ちょっとだけ待っていてくださいね」
桜はそう言うと、そそくさと給湯器のある場所へと向かい、手慣れた様子でお茶を入れ始めた。
それは岸波白野にとって、どこか見覚えのある光景だった。
いや、この光景はきっと、実際にあった日々なのだ。聖杯戦争のいつごろにあった出来事なのかは思い出せないが、この光景を懐かしいと想う自分がいる。
バラバラに散ってしまった、岸波白野の記憶。その一欠けらを思い出せたことが、ほんの少しだけ/泣きそうなくらい嬉しかった。
§
……………………。
何杯目かのおかわりを一口飲み、ふう、と一息を吐く。
あれから少し時間が経ったが、レオからの連絡はなく、状況に変わりはない。
ヘレンの様子も変わることはなく、比較的穏やかな時間が過ぎていく。
そのあまりの穏やかさに、この時間が永遠に続けばいいのにとさえ思ってしまう。
だがそんなことはあり得ない。そう間もなく、デスゲームは再開されるだろう。
それを思うと、少しだけ憂鬱になる。
こうして落ち着けば、このバトルロワイアルの最中に起きた様々なことを思い出す。
特に深く思い出すのは、やはり岸波白野と直接関わりのある事柄だ。
慎二とアーチャーのこと。ユイとサチ、キリトのこと。そして……デスゲームに乗ったらしい、ラニのこと。
ありす達やダン達、
シノンの事も気にはなるが、今自分の心を占めているのは、主にこの三つだ。
現状、他にすることもない。
少しでも心を軽くするために、彼らの事を思い返してみるのもいいだろう。
慎二たちの事を考える
ユイたちの事を考える
>ラニの事を考える
ラニ=Ⅷ。
彼女は凛と同じく、聖杯戦争で岸波白野を助けてくれたマスターだ。
分岐点は三回戦後。凛とラニの対戦で、自分がどちらを助けようとしたかでその運命は変わる。
ホムンクルスである彼女は、その出生ゆえか感情が希薄であり、合理的に物事を考えようとする。
だがそれは彼女に心がないということではなく、むしろ自身に芽生えた感情に戸惑ってすらいた。
そんな彼女がデスゲームに乗ったのは、それが一番合理的だと判断したからなのか。
聖杯戦争のマスターである以上、自分が生き残るために他のプレイヤーを殺すことは躊躇わないだろう。
だがそれとデスゲームに乗ることは違う。
デスゲームに乗るという事は、自分の生存のためではなく、優勝するために他のプレイヤーを殺すという事だからだ。
そして優勝を目指すという事はすなわち、何か願いがあるという事だ。
その願いとは何なのか。
そこに、岸波白野の存在は関わっているのだろうか。
そう考えると、胸の奥から悲しみと悔しさに似た感情が湧き上がってくる。
だがそれ以上に、なぜ、という疑問が浮かび上がってくる。
なぜ、彼女はデスゲームに乗ってしまったのか。
なぜ、敵対していた凛だけではなく、仲間であったリーファまで殺したのか。
なぜ――――
「………奏者よ、そなたもわかっていよう。
その疑問に、意味がないという事は」
実体化したセイバーの声に、静かにうなずく。
ああ……きちんとわかっている。
どんな理由があれ、ラニはデスゲームに乗ることを選んだ。
たとえそれが、誰かに強要された結果であったとしても、その事実は覆らない。
「その時が来ても、どうか目を背けないでくださいませ、ご主人様。
たとえどのような結果になったとしても、貴方様の在り方を曲げることだけはして欲しくありません」
続いて実態化したキャスターの言葉に、もう一度頷く。
叶う事ならば、ラニと殺し合うことなどしたくない。
たとえ一度対決し、その命を奪った記憶があったとしても……いや、その記憶があるからこそ、より強くそう想ってしまう。
だが岸波白野がデスゲームの打破を望み、ラニがデスゲームに乗る限り、彼女との戦いは避けられない。
…………ならばせめて、彼女を止める人間は、自分でありたかった。
考えることは他にもある。
特にサチとヘレンに関する問題は、いつまでも先延ばしには出来ない。
いつかは必ず、決着を付けなければならないだろう。
ならばせめて、その結末に悔いの残らないよう、できる限りのことをしよう。
そう決意を新たにし、湯呑の中のお茶を飲み干した。
4◆◆◆◆
そのころ生徒会室では、コンソールを弾く音が静かに響いていた。
生徒会長の席に座るレオの周囲には幾つものウィンドウが展開され、そこには無数の文字数列が止めどなく流れている。
それはユイの方も同様で、レオから譲り受けたコードキャスト[_search] によって情報を収集しつつ、集まった情報を整理していた。
残るカイトは、時折情報の確認のために質問される以外はすることがなく、静かに佇んでいるだけだった。
「――――成程、そういう仕組みですか」
そんな中、不意にレオがそう呟いた。
「レオさん? もしかして、何かわかったんですか?」
「ええ。と言っても、まだ推測の範囲は越えていませんけどね」
「それでも構いません。今は少しでも、状況の打開策が欲しいですから」
「わかりました。
これまでに集まった情報から推測できたこと。それは「『この世界』の仕組みです。
まあ簡単に言ってしまえば、この世界は『The World』の亜種なんです」
「『The World』の亜種、ですか?」
「そうです。正確に言えば、『The World』のプログラムを起点として作られた、となりますが。
これにレインさんの属するブレインバースト――加速世界のプログラムを組み込むことで、この世界は成立していると予測されます」
そう言いながら、レオはユイの前にウィンドウを展開する。
そこにはメンテナンスの際に収集したデータを基にした分析結果が表示されていた。
「加速世界のプログラム、ですか?
たしかメンテナンスの際に起きたという現象が、加速世界における“変遷”と類似していたんですよね。
ですが、それを組みことにどんな意味があるんでしょう。フィールドや建造物を修復するだけなら、規格の異なるプログラムを使う必要はないと思うんですが」
『The World』ど『Brain Burst』は異なる世界の産物だ。当然、そこに働くロジックも違う。
ただマップを修復するためだけに互換性を持たせて機能させるなど、どう考えてもリソースの無駄でしかない。
だというのに、この『世界』には二つ以上の異なるプログラムが働いているとレオは言う。
その理由が、ユイにはどうにもわからなかった。
「その答えは簡単ですよ。
たしかに異なるプログラムを同時に働かせるより、同一規格のプログラムを働かせる方がデータの処理は容易です。
ですがこのデスゲームは、現実側におけるある問題を抱えています。その問題を解決するために、加速世界のプログラムを利用しているのでしょう」
「加速世界のプログラムで解決可能な、現実でのある問題? ………そうか、ログイン時間ですね!」
「その通りです。
このデスゲームはその性質上、最短でも一日……つまり24時間以上を消費して行われます。
しかし特殊な事情でもない限り、24時間もゲームにログインしているなんてことはまずありません」
なぜなら現実にあるプレイヤーの肉体が、それによって生じる負担に耐え切れないからだ。
ましてやそれほどの時間ログインし続けていれば、外部の人間によって現実側から強制ログアウトされる可能性もあり得る。
そうなれば、生還か死亡かは別として、そのプレイヤーはデスゲームの内容とは関係のない理由で脱落することになる。
当然ゲームマスター側としては、それは避けたい事態のはずだ。回線切断による強制終了ほど、興ざめする戦いはないのだから。
「ですが加速世界のプログラムを使えば、その問題は容易く解決します」
加速世界の時間は、現実の1000倍の速さで流れている。
すなわち加速世界での24時間は、現実においては86.4秒――つまり一分半程度でしかないのだ。
これでは現実側から異常に気付き、干渉するような余裕はまず存在しない。つまりデスゲームの進行が妨害されることはなくなるのだ。
「わざわざ互換性を持たせてまで異なるプログラムを働かせているのは、おそらくそれが理由でしょう。
加えて解析の結果、『The World』と『Brain Burst』の他にも、様々なプログラムが組み込まれていることがわかりました。
その詳細は不明ですが、おそらくそれらのプログラムにも、このデスゲームを進める上での何らかの役割があると思われます」
「なるほど。しかしそれなら、『The World』のシステムはどんな役割で働いているのでしょうか」
「……………………」
「レオさん?」
……確かに加速世界のプログラムを用いることで、現実側の問題は解決する。
だがその問題は、そもそも “現実に肉体が存在しているならば”の話でしかないのだ。
―――デウエス。
ジローから聞いたその存在は、現実にいる人間を、その肉体ごと電脳世界に取り込む力を持っていたという。
その証がジロー自身のアバターだ。量子化されていたとはいえ、彼のアバターは紛れもなく人体の構造をしていた。
そして生身の人間を電子世界に取り込めるのであれば、現実世界の問題はほぼ無視できる。
そうなれば、加速世界のプログラムを使う理由はなくなってしまう。
そしてデウエスがゲームマスターの一人である可能性はそれなりに高い、とレオは予想していた。
なぜなら、自分や岸波白野のような“聖杯戦争の参加者”が、このデスゲームに招かれているからだ。
本来、聖杯戦争に参加したマスターがムーンセルから脱出するには、聖杯戦争に優勝する以外にない。
しかし現実問題として、自分たちはバトルロワイアルに参加させられている。それも自分のような死んだはずの人間さえも、だ。
つまり現実の肉体を電子世界へと引きずり込めるのであれば、ムーンセルから自分たちを引きずり出すことも可能なのかもしれない、とレオは考えているのだ。
………だが。
デウエスがゲームマスターの一人ならば、なぜ『この世界』には複数の規格の異なるプログラムが働いているのか。
デウエスの力を行使するには条件を満たすがあるらしいが、それと何か関係しているのだろうか。
あるは予想に反し、デウエスはこのデスゲームに関わっていないのだろうか……。
「………いえ、なんでもありません」
これ以上は考えても仕方がない、とレオはかぶりを振る。
疑問の答えを出すには、あまりにも情報が足りなかった。
「『The World』のシステムが使われている理由は、残念ながらまだわかりません。
榊がそのゲームの出身であることと何か関係があるとは思いますが、それ以上のことは」
「そうですか……」
「ただ、働いているシステムが『The World』のものだと推測できた理由ならあります。
これについては生徒会の今後の方針にも関係しますから、その時に話しましょう。
あとの問題は、ゲームマスターの目的とサーバーに関して、でしょうか。
もっとも、サーバーについては他のプレイヤーの話を聞いてからでないと何とも言えませんけどね。
まあデスゲーム開始時に同期のずれがあったことからして、SE.RA.PHでないことだけは確かですが」
どのようなソフトウェアも、ハードウェアがなくては機能しない。この電子世界においてもそれは例外ではない筈だ。
その点で言えば、人知未踏の超巨大量子コンピューターであるムーンセルは最優のハードといえるだろう。
なにしろ128人のマスターに加え、それ以上の情報量を持つサーヴァントを128騎も処理していたのだから。
だがそれ故に、この電子世界がムーンセルに存在することはあり得ない。
なぜならムーンセルはその性能故に、たとえ異なる世界からプレイヤーを招いたとしても、処理落ちするようなことはまずあり得ないからだ。
しかしこのバトルロワイアルは、オープニングの際に処理落ちし同期が取れていなかった。それはつまり、『この世界』がムーンセルの外であることを示しているのだ。
「ゲームマスターの目的に関しても、同じく推測の目処はたっていません。
当初はこのデスゲームは聖杯戦争の再現であり、聖杯が目的なのでは? とも考えたのですが、聖杯戦争の
ルール上それはあり得ませんから」
月の聖杯戦争において、聖杯が与えられるのは戦いの勝者のみだ。
たとえ絶対的な権限を持っていようと、戦いに参加していないゲームマスターでは聖杯を手に入れることは出来ない。
つまりこのデスゲームのルールで聖杯を得られるのは、最後まで生き残ったプレイヤーだけなのだ。
もしかしたら何かしらの例外があるかもしれないが、例外はあくまで例外。参考となる情報もなしに考えたところでどうしようもない。
となれば、ゲームマスターの目的は聖杯とは別のところにある、という事になるのだが……。
仮にも万能の願望器たる聖杯を、他者に渡すことになったとしても果たそうとする目的。
彼らにとって、聖杯以上の価値を持つだろうそれは、しかし自分たちには皆目見当もつかなかった。
なぜなら人の欲望を叶えるにおいて、聖杯以上に優れた機能を持つ物はほぼ存在しないからだ。
「……いえ、ゲームマスターの目的がなんであるにせよ、僕たちがやるべきことは変わりません。
このバトルロワイアルを打破する。そのためにも、今できることを全力でやりましょう」
レオはそう言うと、再び情報の分析へと戻った。
主催者の目的は気になるし、最終的には解決しなければならない問題だろう。
だが現状、それは後回しだ。
なぜなら今は、最優先に解決すべきものが迫っているからだ。
「はい、了解です」
それを受けて、ユイも情報の整理に戻る。
そうして生徒会室には、再びコンソールを弾く音だけが響き渡る。
発現まで残り半日を切ったウイルスへの対策。それを見つけ出さない限り、主催者打倒はあり得ないのだから。
5◆◆◆◆◆
一方、残るメンバーであるジローとレインはというと。
「そらっ、いったぞー」
「おーらいおーらい……って、ああクソッ、またミスった」
「ニコー、大丈夫かー?」
「へーきだへーき。こんなもんすぐ慣れるって」
それこそする事がなかったため、校庭でキャッチボールを行っていた。
といっても、二人はただの暇つぶしにキャッチボールを行っているわけではなかった。
ペナルティによってニコに掛けられた制限。それを確かめるためのキャッチボールだった。
だがその結果は、どうにも芳しくなかった。
「ったく、思ってた以上にペナルティが効いてやがんな。
デュエルアバターで言えば、2・3レベルダウンってところか? この分じゃ、インビンシブルの火力も落ちてそうだな」
前回のキャッチボールの時には取れた球が取れない。
自身の動きが、普段よりも二、三泊ほど遅い。
全力で投げたはずの球が、想定したよりも飛んでいかない。
そんな、ハイレベルな戦闘においては致命的とも言える状態となっていたのだ。
「まったく。自業自得とはいえ、厄介な枷を負ったもんだぜ」
自身の状態にぼやきながら、レインはジローへとめがけて返球する。
現状に文句を言ったところでペナルティは解除されない。
ならばせめて、少しでもこの状態に体を慣らしておくしかない。
そんな風に考えながらも、レインの脳裏には、別の事が浮かんでいた。
一つはすでに死を告げられた、シルバー・クロウの事だ。
このデスゲームで敗北したものは本当の死が与えられると榊は言った。
その本当の死とは何か。現実(リアル)側のシルバー・クロウは、いったいどうなったのか。
……いやそもそも、いったい誰がシルバー・クロウを殺したのか。
それを考えると、どうしようもなくハラワタが煮えくり返った。
このデスゲームで、シルバー・クロウがどう動いたのかはわからない。
だがどんな理由があったとしても、クロウを殺したプレイヤーを前にした時、自分が冷静でいられる自信はなかった。
だから逆に、必ずそいつの面を一発殴ってやる、とレインは決意を固めた。
一度思いっきり殴ってしまえば、そのあと少しは冷静になれるだろうと思ったのだ。
そしてもう一つは、勝手に単独行動をとったハセヲの事だ。
マク・アヌで何があったのかは人伝で聞き及んでいる。
大切な仲間を失う事の辛さは、少しは理解できるつもりだ。
チェリー・ルークの時も、そして今回のシルバー・クロウも、どちらも嫌になるくらい辛かった。
だからハセヲが単独行動をとった理由も、実のところ分からないでもないのだ。
だが、それでも、一度は自分達に声をかけてほしかった。
ほんの数時間程度の短い付き合いではあるが、そう思ったのだ、
だからもし次に会ったときは、ハセヲの面もぶん殴ってやる、とレインは固く誓った。
それくらいには、ハセヲに対して怒りを懐いていたのだ。
「うっし。だいぶ慣れてきたな。そらっ」
ジローが投げ返してきた球をどうにかキャッチし、その手応えに頷いて投げ返す。
徐々にではあるが、感覚のズレもなくなってきた。
このままキャッチボールを続けていれば、そのうち完全に慣れるだろう。
あとはレオの連絡を待って、次の行動を決めればいい。
そう考えながら、レインはジローの投げる白球へと、グローブを付けた手を伸ばした。
最終更新:2015年11月18日 01:09