1◆
「ハアアアァァッ!」
カイトの叫びと共に振るわれる虚空ノ双牙。禍々しき一対の刃がエネミーの体躯を抉り、ほんの一瞬で散らせた。
勢いを保ったままカイトは疾走し、二体のエネミーを同時に撃破する。敵も決して弱くないが、カイトからすれば脅威になり得ない。
だが、それを意に介していないように、FIRE BABYはATTACKをカイトに仕掛けてくるが。
「させない!」
叫びと共に発せられるのは金属の激突音。
先回りしたブラックローズが紅蓮剣・赤鉄を構えて、FIRE BABYの一撃を防いだ。
GUARDはATTACKより有利。ブラックローズへのダメージはまともに通らず、カイトに至っては傷一つとして付いていない。
ブラックローズは反撃の一閃を横薙ぎに振るって、その威力でFIRE BABYは消滅した。
迷宮には未だに大量のエネミーが蔓延っている。だがカイトとブラックローズにとっては敵ではなかった。
モルガナ事件に身を投じて、数多の困難を乗り越えた二人だ。厳密に言えばここにいるカイトは勇者カイトを模した存在だが、その実力は決して本物に劣らない。
圧倒的物量を誇る相手で、そして一体ごとのスペックも侮れなかったとしても、奴ら以上の敵を打ち倒し続けた二人に負ける道理など存在しなかった。
流れるような動作。
カイトとブラックローズのコンビネーションは完璧だった。
やはりカイトはオリジナルのカイトを知っているからこそ、相棒であるブラックローズの動きを予測できるのだろう。
そしてブラックローズもまたオリジナルのカイトを信頼しているからこそ、ここにいるカイトと息を合わせられている。
岸波白野達は『四の月想海』まで到達している。
アリーナの構造自体はかつて訪れた時と変わらず、ナビゲートは容易だった。そしてレオが言うように、アリーナに配置されているアイテムフォルダは空となっており、探索する手間が省けている。
唯一の障害であるエネミーやボスエネミーも、歴戦の勇士たるカイトとブラックローズには脅威となり得ない。その結果、第四層に辿り着くまでにそれほどの時間を要しなかった。
ボスエネミーを撃破したことでアイテムを入手したものの、これもやはりプロテクトがかけられている。ユイならばプロテクトの解析が可能かもしれないが、それは安全な場所で行いたかった。ここで優先させるのはダンジョン攻略だ。
本当なら岸波白野達もエネミー撃破に協力したかったが、カイト達から拒まれる。何故なら、岸波白野達の魔力を少しでも温存させたいかららしい。
「うむ! やはりブラックローズもなかなかのものだ!
このデスゲームを止めた暁には、いずれ剣を交えたいと思うぞ!」
「ありがとね、セイバー!
でもあたしは負けるつもりはないから覚悟してよね!」
セイバーとブラックローズの声は実に爽やかで、そして頼もしかった。深海を明るく透き通った世界に変えてくれそうな程に心地よい。
「お気を付けてくださいね、ブラックローズさん。
セイバーさんは暑くなったら猪みたいに狂暴化しますから、怪我などなされぬように!」
「心配してくれてありがとうね、キャスター! 例え相手が皇帝だろうと、全力で戦って勝ってみせるから!」
キャスターの皮肉を意に介さずにブラックローズは頼もしい笑顔を浮かべる。
彼女達につられて岸波白野も微笑んだ。ここが敵地であることを充分に承知しているが、この一時があまりにも尊くて。
……だからこそ、これ以上の犠牲を出さない為にも戦うべきだ。
『白野さん達、攻略は順調のようですね』
耳元よりレオの声が聞こえてくる。
定時メールが送られる少し前、実を言うとレオは密かに通信システムを作っていた。レオ特製の受信機を岸波白野は受け取って、内部の様子を逐一報告している。
そしてボスエネミーとの戦闘になった際は図書室での情報をリンクしてもらい、それを元にカイトとブラックローズは撃破している。
『さて、恐らくもうすぐ次のボスエネミーと遭遇するようですが……準備はよろしいですか?
今回はこれまでと違って『特定プレイヤーを参加した上での攻略』というサブミッションが与えられています。
その特定プレイヤーが何者かは不明ですが、皆さんがこうして攻略出来ているからには既にパーティーに含まれているのでしょう』
下層に突入する直前、『特定プレイヤー参加の条件をクリアしました』というシステムメッセージが表示された。
その意味がわからないまま、岸波白野達はアリーナの探索を続けている。
『僕はこのデスゲームが始まった直後、闘技場にてユリウス兄さんを模したエネミーと戦闘しました。
兄さんと同じように、GMはプレイヤーと因縁のある相手をこのダンジョンに配置したのでしょう。そして闘技場を攻略の際には、特定プレイヤーとボスエネミーの一騎打ちをしなければならない。
…………榊も随分と悪辣な仕掛けを用意してくれますね』
耳元からは沈んだようなレオの声が響く。
例え再現データとはいえ、肉親をこの手にかけるという十字架を背負わされたのだ。その業はGMを打倒したとしても消えることはない。
そして今また、ここにいる誰かがその苦痛を味わうことになる。
それでも足を止めようとする者は誰一人としていなかった。
六人は皆、覚悟を決めていた。
『皆さん、どうかお気を付けて。
僕にできることは限られていますが、いざとなれば全力でサポートを致しますから』
その言葉を支えに再び歩き出す。一歩進む度に闇は濃くなり、まるで冥府への階段を下っているようだ。
しかし微塵も臆さない。かつての聖杯戦争で戦ったサーヴァント達と、そして新たに出会った仲間達が共にいるのだから。
「ねえ、ちょっといい?」
ダンジョンを飲み込む黒が濃度を増す中、ブラックローズはそう零す。
「ここにいるカイトはあたし達が知ってるカイトを元に、アウラが生み出したんでしょ? だったら、腕輪だって持ってるんだよね」
ブラックローズの問いかけにカイトは頷く。
腕輪とは、女神アウラより授けられたという"力"のことだろう。モルガナ事件の際、オリジナルのカイトはアウラより託された黄昏の腕輪で幾度となく危機を乗り越えた。
何故、それをここで尋ねるのか。彼女ならば充分に承知しているはず。
そして気がかりなことがもう一つ。
何故、ブラックローズの表情は曇っているのか。
エネミーやデスゲームに対する恐怖とはまた違う。まるで、もっと根本的な大きい何かに対する不安を抱いているようだ。
「えっと、確かあなた達は学校に襲ってきたスミスって奴らと戦って、カイトはデータドレインを使ったでしょ。
その話を聞いて思ったの…………もしかして、この世界のデータって壊れていってるんじゃないの?」
そう投げかけられた途端、ここにいる全員が目を見開いた。
この反応によって、ブラックローズの顔はより深い影が宿ってしまい、そのまま俯いてしまう。
「あなた達は知っているかもしれないけど、あたし達は未帰還者になった人達を助ける為に『The World』で戦っていたの。
その時、あたし達の周りにはたくさんの仲間が集まった。でも、時にはあたし達を快く思わない奴だって現れた。
そいつはカイトの腕輪を危険視して、『The World』の平穏を守る為にアカウントを削除しようとしていたこともあったの……」
「ブラックローズさん。その人は確かリョースという『The World』の運営でしたっけ……?」
「そうよ、ユイちゃん。あたしやカイトを目の敵にしていたすっごく嫌な奴だったの!
…………まぁ、状況が状況だからしょーがないかもしれなかったけど」
リョースとはCC社を運営する幹部の一人であり、勇者カイトが持つ腕輪の存在を危険視した人物だ。
スーパーハッカー・ヘルバがカイト達を指示していたのに対して、リョースはカイト達を快く思わなかった男らしい。
一時はリョースによってブラックローズ達のアカウントは凍結の危機に陥ったが、ヘルバの尽力によって最悪の事態は回避された。
「っと、話がずれちゃったね。
CC社はカイトの腕輪を危険なものだと思っていたの。だって、一歩間違えたら『The World』そのものを壊しちゃうかもしれないから。
CC社が腕輪を危険視していたなら、あの榊達だって……腕輪が危険だってことを知ってるはずよ。
でもどうして、あいつらは警告をしてこないのかな?」
『それはこのデスゲームが、システム外の力の使用を前提としているからでしょう』
生徒会室でこのやり取りを聞いているであろうレオの声が響いた。
『ハセヲさんは言っておりました。
あの榊はAIDAに感染されたプレイヤー……通称AIDA=PCを増やす為、無数のプレイヤーをAIDAサーバーに閉じ込めました。
そしてこのデスゲームでも既にイリーガルな力を持つプレイヤーが多数存在していて、幾度となく激突しています。
無論、それに伴ってこの世界そのものも徐々に崩壊していくはずです。もしかしたら今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに、世界は脆くなっているかもしれません。
仮にクビアが誕生しなくても、その前にアウラもろとも世界そのものを滅ぼせば、何の問題もなくGMは勝利を納められますから』
「じゃあ、あたし達がこうしてダンジョンを攻略している間にも、この世界はどんどん壊れていっているの……!?」
『だからこそ、一刻も早いクリアが求められます。
オーヴァン、フォルテ、ダスク・テイカーの三名の動向が読めない以上、僕達が今できることは手がかりを一つでも多く集めることですから』
システム外の力による世界崩壊。その推測が正しければ、現段階でも甚大なる負荷がデスゲームの世界にかかっているはずだ。
……そういえば、購買部に配置された言峰神父は時間がないと言っていた。あの言葉は、まさかデスゲーム崩壊へのタイムリミットが確実に迫っていることを意味していたのか?
『白野さん。
ここでそれを言峰神父に問い詰めても、彼は答えない……いいえ、答えられないでしょう。
何故なら彼はGMに配置されたNPCである以上、自分自身の役割から逸脱した行動は取れませんから』
全てのNPCは己の役割を全うするだけ。過度な介入は不可能。
言峰神父と間桐桜はスミス達の襲撃の際に生徒会を救ってくれた。けれど、それはシステムによって定められた処置に過ぎない。
例え彼らがどのような意志を持っていようと、GMが存在するからには越権行為は不可能だ。
だからこそ、真実を見つける為にも歩まなければならない。
レオが言うように、自分達に残された時間は長くないのだから。ここで立ち止まっていても何も変わらない。
闘技場に足を踏み入れる。そこは広大で、一切の飾り気がない無機質な空間だった。
薄闇に阻まれて先の空間を完全に把握することができず、思わず身構えてしまう。敵は何処から現れるのかわからない。
岸波白野の警戒に応えるように、人型のシルエットが浮かび上がる。漆黒をかき分けるように現れたのは、白いケープを羽織った少年だ。
「…………カ、カズ!? アンタ、文和なの!?
なんで、アンタがこんな所にいるのよ!?」
少年が出現した途端、ブラックローズは驚愕の叫びをあげる。
反射的に振り向くと、彼女は信じられないというように目を見開いていた。
「お姉ちゃん」
ブラックローズの叫びに応えたのは、この場にそぐわない穏やかな声。
お姉ちゃん? つまり、ここに現れたのは…………!?
「……6ズ…………」
「……ハクノさん。ここに現れたのはカズさん…………ブラックローズさんの実の弟さんだと、カイトさんは言っています……」
ユイは苦渋の表情で告げる。
岸波白野の推測は最悪の形で当たってしまい、同時にミッションの意味に気付く。
『特定プレイヤー参加』とは、条件に指定されたプレイヤーの関係者がボスエネミーとして配置されること。そして選ばれたプレイヤーがボスエネミーを撃破しない限り、フロアをクリアすることができない。
…………なんて最悪のミッションなんだ。あまりの悪辣さに、岸波白野は拳を強く握りしめてしまった。
2◆◆
「いらっしゃいませ」
言峰神父の渋い声が耳に響く。
俺は今、なんとなく購買部のメニューを眺めていた。ちなみに俺は1ポイントも持っていないので、当然ながらアイテムの購入はできない。
それなのに購買部に訪れている理由は…………ただ何となくだ。
「君は確か1ポイントも持っていないんだったな?
ならば冷やかしはお断りだぞ」
神父の瞳がギラリと輝く。まるで獲物を狙う猛獣の様におぞましくて、俺の全身に悪寒が走った。
まずい。このままだと何をされるかわからない。ここは…………
>A.何か世間話をする
B.この場から去る
「なあ、ちょっといいか」
俺は神父と話をすることにした。
「どうしたのだ?
言っておくが、値切りやローンなどの交渉はお断りだぞ」
「そうじゃない。
えっと、この購買部ってバイトの募集とかしてないのか? もしも何かやれることがあるなら、俺は引き受けるけど……」
「残念だが募集はしていない。
手は充分に足りている。こちらから申請をすれば可能性はなくもないが、決してすぐには承認されないだろう。
何よりもそこまでの時間は君達にはないはずだ」
あっさりと突き放される。
元の世界ではアルバイトをして生活費を稼いでいた。それと同じようにこの購買部でアルバイトができないかと思ったが、無理らしい。
神父が言うように俺達には時間がない。ウイルスの猶予は刻一刻と迫っているし、何よりもGMにはクビアってヤバい奴がいるかもしれないから。
「そうか……なら、仕方がないか」
「だが、君自身の心意気には感心する。
それに免じて、私から一つアドバイスを提供しよう」
「アドバイス?」
「君も知っての通り、学園のダンジョンには大量のエネミーがいる。奴らを撃破すれば、ポイントはいくらでも獲得できるぞ」
「……それができないから、こうしてアルバイトを頼んだんじゃないか」
「最後まで聞け。私とて、君だけでエネミーと戦えるとは思っていない。
だが、君の周りには一騎当千の強者が何人もいるはずだ。時には他者の力を頼るのも必要となるだろう」
「まさか、レオ達と一緒に行けってことなのか?」
「それは君自身が決めることだ。
そして私からの顧客へのサービス……もといアドバイスはこれで終了だ。君が私の前に現れるのを、楽しみにしているぞ」
そうして神父の話は終わる。
要するに、仲間達と力を合わせて敵を倒せと言うことだ。レオ達にエネミーのHPを削らせて、俺がトドメを刺す。確かにこれが一番確実だろう。
……だがそれではダメだ。結局、みんなの支えになれていない。
スミスとの戦いではニコと力を合わせたけど、俺は何もできなかった。カイトが駆け付けてくれなければ、俺は無残に殺されたままだ。
「そっか。ありがとう、色々と教えてくれて」
「言ったはずだ、これは私からのサービスだと思ってくれればいいと」
でも、ここで神父に悩みを言うつもりはない。
彼のアドバイスを参考にして、レオにも相談しよう。そしてどうするかは、その後に考えればいい。
俺は購買部から去って、レオがいる生徒会室に向かって足を進めた。
その時だった。
カツリ、と足音がどこからともなく響いたのは。
「ん?」
思わず俺は足を止める。
振り向くと、ここから数メートルほど離れた先に、奇妙な人型のシルエットが見える。
闇色に染まった『そいつ』の姿は、どことなく俺と似ていて…………
「――――――――」
俺の存在に気付いて、『そいつ』はニヤリと嗤った。
3◆◆◆
空に広がっている黄昏の色は漆黒に塗り潰されて、煌びやかな星の輝きが無造作に散らばっていた。
現実の様に忠実な再現を目指しているようだが、結局はただのデータに過ぎない。どれだけ小奇麗に作ろうとしても、あの榊達が作ったハリボテの世界を有り難がることなどできなかった。
そもそも、ここは志乃やアトリを始めとした大切な人達が殺された世界だ。美しいと思える訳がない。
それでも夜空を眺めずにはいられない。
何故ならデスゲームが始まったばかりの頃、俺は同じ空の下で一人の少女と出会ったのだから。
「なあ、ロータス。トモコ…………いや、スカーレット・レインってどんな奴だったんだ?」
隣に立つ黒雪姫/ブラック・ロータスに俺は尋ねる。
彼女は俺が初めて出会ったサイトウトモコというプレイヤーの同郷だ。いや、サイトウトモコとは偽名で、真の姿はスカーレット・レインというバーストリンカーだ。
かつて彼女はシルバー・クロウの内情を探る為にサイトウトモコを演技したらしい。それを踏まえると、レインは俺にも取り入ろうとしたのだろう。
あどけない少女の仮面の裏では一体何を想っていたのか。ほんの僅かとはいえ確かな繋がりがあったから、彼女のことを少しでも知りたかった。
「……彼女は横暴だった。がさつで、とにかく態度が悪い。
私やハルユキ君は何度振り回されたかわかったものではない」
「おいおい、随分な良いようだな」
「私は事実を言ったまでだ。ハセヲ君は彼女と出会ったようだが、それはただの演技でしかない。
そして一方では利害の判断に長けていて、抜け目ない策士でもあった。恐らく、君のことも探ろうとしただろう」
「何となくそんな感じはしてたけどよ……じゃあ、一歩間違えたら嵌められてたかもしれないのか?」
「いいや、少なくともハセヲ君に対してそれはないな」
辛辣な評価から一変して、ハセヲの言葉を明確に否定する。
「レインは油断ならない相手だが、同時に義理に溢れてもいた。
かつてチェリー・ルークというバーストリンカーを救う為に力を尽くし、そして私達を何度も救ってくれた。
そんなレインだからこそ、この世界でも生徒会長やジローさんの支えになった……きっと、君とも仲良くなれたはずだ」
「じゃあ、ハセヲとよく似た奴なのか? 話を聞く限りでは、そんな感じがするし」
穏やかな黒雪姫の声色に応えたのは、間に割り込んできたキリトだった。
ふ、と黒雪姫の息が聞こえる。表情は伺えないが、微笑みながら肯定しているのだろう。
「言われてみれば、彼女とハセヲ君はどことなく似ているな。
ハセヲ君も悪ぶっているが、根は人情家だからな」
「おいおい、お高く評価するのはやめてくれよ。くすぐったくなる」
「それはすまない。だが、間違ってはいないだろう。
君は己の感情に任せて罪のない誰かを傷付けようとしなかった。私やブラックローズのことだって、必死に救ってくれただろう?
だから君がどう言おうとも、私は君の評価を変えるつもりはない。生徒会騎士団の皆だって、同じのはずだ」
黒雪姫の称賛に顔が熱くなってしまう。きっと、頬が赤く染まっているはずだ。
キリトは意味深に微笑んでいて、何も言わないまま黒雪姫の言葉を肯定している。姿は見えないが、霊体化をしている緑衣のアーチャーも同じだろう。
俺は思わず否定しそうになったが、やめた。ここで反論しても、それをダシに余計にからかわれるだけ。
レインと俺が似た者同士と言われても実感が沸かない。
本当の彼女が一騎当千の強者で、カイトと共にスミスの一体を撃破する程の実力を誇っていると聞いても、まるで想像がつかなかった。
だが、もしも再び巡り会うことになっていたら、どこかでぶつかっていたはずだ。そして絆を深め合い、共にこのデスゲームを打ち破る為に尽力していたはず。
もう叶わないのはわかっているが、それでも有り得た可能性を想わずにはいられなかった。
「そうだ、ハセヲ。俺からも一つだけ聞きたいことがある
…………オーヴァンのことについてだ」
追憶にふけそうになったが、キリトの言葉に阻まれる。
そして当人は気難しそうな表情を浮かべていた。
それも当然だ。キリトが知りたがっているのは大切な人の仇であるのだから。
「私も聞きたかった。あの男は一体何者なのか……
いずれあの男と再び出会う。けれど、その前に知らなければいけないと思うんだ。オーヴァンという男について」
黒雪姫も同じだろう。シルバー・クロウとスカーレット・レインの命を奪ったのは、他ならぬあの男だ。
オーヴァン。『The World』で俺の手を取り、何度も俺を導いてきた男だ。その背中に憧れ、時にその実力と人望に嫉妬し、並々ならぬ興味を抱くようにもなった。
俺や志乃、そしてタビーや匂坂はもちろんのこと、あのがびというケモノオヤジを始めとした多くのプレイヤーが集まった。スミスを利用できたのも、その類稀なる人望があったからだろう。
けれど、俺はあの男についてどれだけ知っていたのか。それを聞かれると、俺自身も首を傾げてしまう。
「……昔から、よくわからねえ奴だった。
訳わからねえことばかり言いやがるし、俺は何度も煙に巻かれたか…………けどな、同時にすげえ奴でもあった」
『The World』でハセヲというアカウントを作ってすぐ、二人組のPKに嵌められている所を救われた。
それから『黄昏の旅団』のメンバーとなって、志乃達と共に何度も冒険をした。そしてさまざまなエリアに赴いて、モンスターと戦い、数え切れないほどの景色を見た。
「オーヴァンの周りにはたくさんの人が集まっていた。
あいつには、人を惹きつける才能ってのがあったんだ。だから俺や志乃はあいつを信じて、冒険をしていた。けれど、その全てが…………あいつにとっては偽りでしか、なかったのかもな」
レオは図書室の検索機能で数多の情報を得て、それを元にオーヴァンの真実に辿り着いた。
碑文使い達の碑文を覚醒させて全てのAIDAを駆逐する。真実を知った時、俺の中であの男への鬱屈が更に強くなった。
AIDAは人類にとって脅威となり得るのは充分に理解している。アトリを始めとした多くのプレイヤーがAIDAに苦しめられてきたから、その排除に手段を選んではいられないのだろう。
けれど、それが全く関係ない人間を犠牲にする正当な動機になる訳がない。いいや、なってはいけない。
人類を救う為に
シノン達を犠牲にした。馬鹿な、そんな道理で自分の行いを正当化させるつもりなのか。
「オーヴァンがあのクソスミスと組んでいたのも……きっと、俺の碑文を覚醒させる為でもあったはずだ。
例え、奴らを倒すことが本当だったとしても、俺は認めない。アトリやシノンを苦しめた奴と手を組んで、キシナミ達を傷付けた……そんなこと、許せるわけがあるかよ!」
オーヴァンはスミス達にAIDAや碑文の情報を与えて対主催生徒会を襲った。
つまりオーヴァンはアトリの力でキシナミ達を傷付けさせた。アトリは本来、他者と争うことを望まないプレイヤーであることを知って、その想いを最悪の形で踏み躙った。
アトリだけではない。このデスゲームに巻き込まれた何人ものプレイヤーが、オーヴァンによって運命を狂わされてしまった。
「……ハセヲ。それは俺も同じだ。
俺だってオーヴァンは許せない。サチを道具のように扱って、あまつさえアスナやシノンの命を奪った……例えどんな理由があろうとも、俺は許すつもりは一切ない」
キリトの表情から怒りが滲み出ている。
ギリ、と拳を握り締める音が聞こえてきて、もしもこの場にエネミーが出現したら有無を言わさず飛びかかりそうだ。
「サチはオーヴァンを信頼してた。けどオーヴァンはサチを見下し、裏切った。
…………俺に力があれば、サチを守れたはずだ」
その言葉だけで、彼が味わった絶望が俺にも伝わってくる。
キリトもまたオーヴァンに大切な人を奪われ続けていた。サチやアスナ、そしてシノン。
サチはオーヴァンによって感染させられたAIDAと共にデータの狭間に去ってしまい、アスナとシノンはその手に宿らせたAIDAに屠られた。
「キリト君。必要以上に自分を責めたりするな。そんな風に考えた所で、状況は何も変わらない」
「姫様の言う通りだぜ。全部を自分のせいだと思うのは、傲慢なだけだ。
剣士さんよ、お前は全ての元凶になれるほどにでっかい奴なのか?」
黒雪姫と、そして霊体化を解除したアーチャーがキリトを否定する。
二人の言う通りだ。シノンの最期に立ち会っていたからこそ、二人はキリトを支えられる。
シノンは俺達を最期まで想っていた。そこには、キリトやユイだって含まれているだろう。
「……そうだったな。すまない、こんな時に弱気になって」
二人の言葉に頭が冷えたのか、キリトは落ち着きを見せた。しかしオーヴァンに対する怒りが消えた訳ではない。
彼もまた己の感情を持て余しているのだろう。仇の居所は知れず、そしてこうしている間にも仲間が狙われるかもしれない。
けれど、この学園を離れるということは、レオ達を危険に晒すだけ。非戦闘員であるジローやユイを守る為にも、一人でも多くが残るべき。
でも、本当ならキリトはオーヴァンやフォルテの元に向かいたいはずだ。
ロータスや緑衣のアーチャーも同じで、大切な人の仇がのうのうと生き延びているなど耐え難いはず。
今の俺達にできるのはキシナミ達のダンジョン攻略を待つだけ。どうやらこのダンジョンはそれなりに深いらしく、攻略には時間がかかるだろう。
「そうだ。お前らに渡しておかなきゃいけない奴がある。ちょっと待っていてくれ」
だから俺は時間潰しとして、二つのアイテムをオブジェクト化させる。
プリズムとアンダーシャツのバトルチップ。どちらもシノンの命を守ったであろうアイテムだ。
「オーヴァンとの戦いはいつ来るかわからない。その時が来る前に、持てるだけ持っておくべきだ」
「いいのか、ハセヲ? それはお前だって同じじゃないのか?」
「俺は
スケィスでオーヴァンに立ち向かえる。けど、お前らは碑文使いじゃないだろ?
お前らが強いのは充分に知ってるが、碑文使いじゃない奴が憑神と戦うなんて自殺行為だ。だから、少しでも装備を整えてろ。いいな」
そう言って、俺はバトルチップを二人に差し出した。
キリトにはプリズムを。ロータスにはアンダーシャツを。それぞれの手に渡した瞬間、ここにいる二人はシノンと関わりが深いことを思い出す。
キリトとシノンは元々いたゲームで互いに助け合い、ロータスはこのデスゲームでシノンと支え合った。
バトルチップがオーヴァンのような相手に通用する保証はない。それでも、確率は1%でも上げておきたかった。
「ん?」
と、何かに気付いたようにアーチャーは呟いた。
それと同時に、二つの足音が唐突に響く。つられて振り向くと、二体のアバターが立っていた。
全身を漆黒に染めて、獰猛な野獣の様に瞳を煌かせているそいつらは、キリトやロータスとよく似ていて…………
「なっ……こいつら、ドッペルゲンガーか――――――ッ!?」
俺の叫びを肯定するように、そいつらは薄気味悪い笑みを浮かべる。
その直後、俺の身体に何かが衝突して、勢いよく弾き飛ばされた。
最終更新:2017年02月12日 09:18