5◆◆◆◆◆
――――戦いは、そう時間をかけずに決着した。
「グ、ヅッ……」
「――――――――」
榊の予想通り、その勝者は
ロックマン。
彼はガラスのように無機質な瞳で、地面に倒れ伏すフォルテを見下ろしていた。
「どうやら、決着がついたようだな。
見事な勝負だったよフォルテ。このロックマンを相手に、心意なしでよくあそこまで戦えたものだ」
実際、フォルテはよく戦った。
持てる力の全てを使い、ロックマンにも決して浅くないダメージを与えて見せた。
だが心意技による一方的な攻撃とAIDAの盾による防御、“転送能力”によるワープ移動を可能とするロックマンを倒すには至らなかった。
あるいは《ジ・インフィニティ》を回収できていれば、あるいは《完治の水》を使用できていれば、逆にロックマンを倒すこともできていたのかもしれない。
しかしそれら逆転のカギとなりえた武器とアイテムを使う間を、ロックマンは決して与えなかったのだ。
すべての手札を使い切ってしまったこと。
フォルテの敗因はやはり、その一点に尽きた。
「ッ……ま、だだ……。まだオレは……戦える……っ!」
「ほう? 立ち上がれぬほどのダメージを受けておきながら、まだそう口にする気力があるとはな。
だが余興はここまでだ。結果の見えた戦いを見続けていられるほど、私も暇ではないのでね」
致命傷を負った体で立ち上がろうとするフォルテへと、榊は感心と呆れの混ざった声でそう告げる。
こうしている間にも、対主催生徒会は反攻の準備を進めている。
無論、たとえこのまま傍観したところで、一プレイヤーに過ぎない彼らにどうにかできるほどGMは軟ではない。
が、それでも外聞というものがある。
せっかくここまで来たのだ。今更職務放棄などと言われて処罰を受けるのは勘弁願いたい。
「やれ、ロックマン」
「――――――――」
榊の指示に従い、ロックマンはフォルテのもとへと足を進める。
「ッッ…………!」
そのまま自身の頭上で立ち止まり見下ろしてくるロックマンに、ついにデリートされるのかと、フォルテはロクに動かない体を強張らせる。
だがその予想に反し、ロックマンの左手は元のまま。
武装を展開せずいったいどうするのか。そうフォルテが疑問を浮かべると、ロックマンはフォルテの首を掴み、その体を軽々と持ち上げた。
「が、ぁっ……」
喉が締め上げられ、フォルテは溜まらず呻き声を零す。
そのまま絞殺されるのかと思えば、そんな様子もない。
深まる疑問の中、それでも抵抗を続けようとロックマンを睨み付け、ふと違和感に気づく。
今自分を釣り上げているロックマンの、強膜が黒く変色し虹彩が赤く滲んだその眼に、一切の感情が籠っていないことに。
思えば、最初からそうだった。
この闘技場で再会したロックマンの眼は、あまりにも無機質に過ぎた。
最初は主催者に改造され『力』を手に入れた影響だろうと気にも留めなかった。
加えて右腕の意趣返しを受けたことで、このロックマンにもまだ感情があるのだと思った。
だが今目の前に見えるロックマンの眼からは、そんなものはまるで見えてこない。
まるで色の付いただけのガラス玉。所詮は作られた存在でしかないネットナビにしたって、あまりにも感情(色)がない。
――――ならば、あの時ロックマンから感じた感情は、いったいどこから生じたものなのか。
浮かんだ疑問に思考を巡らせ、そしてすぐに気付く。
そうだ、オレは知っているはずだ。
今のロックマンを構成する要素の中で、ロックマン以外に感情を持ちうる存在を――!
「キ、サマッ……!」
ロックマンへと向けていた視線を、その下、胸部のシンボルマークに寄生した眼球へと向ける。
フォルテの視線を受けた眼球は、ニィ、と、ようやく気付いたのかと言わんばかりに眦を歪めた。
同時にその眼球の強膜が黒く染まる。それはAIDAに深く感染した者の証。
そう。フォルテと戦っていたのは、ロックマンではなかった。
メールに記載された内容に正しく、ロックマンはすでに死んでいる。
フォルテと戦っていたこの存在は、ロックマンの姿を使っているだけのAIDAだったのだ。
そうフォルテが理解すると同時に、黒い眼球から黒泡とともに無数の触手が現れる。
それは眼球の目の前に集束して球体となると、ピシリと亀裂が走るようにその瞼を開き、
―――直後、フォルテの胸部へと、出現させた触手を突き刺した。
「ッ――――――!」
全身に焼け付くような悪寒が走る。
同時に黒いナニカが体を侵食していくのを感じる。
間違いない。新たに現れた眼球、それはコアだ。
ロックマンやダークマンに寄生しているモノと同じ、“AIDAに感染した、ISSキット”だ。
それが今、彼らと同じように、フォルテに寄生しようとしているのだ。
「フォルテ。お前はとっくに知っていたはずだろう?
勝者には報酬を、敗者には死を。それがアリーナの
ルールだと。
お前はキリトたちの情報を望み、ここで戦い、そして敗北した。
故にお前に与えられるものは死となる」
榊の言葉が、愉悦を含んで闘技場に響き渡る。
そう、その通りだ。
敗者には死を。それがアリーナの――このデスゲームのルールだ。
たとえGMに与していようと、いやGM自身であろうと、そのルールは変わらない。
ゆえにフォルテは、本物のロックマンと同じように、ここでデリートされるのが定めとなる。
「……だが、お前の“力”は失うには惜しい。
加えて来る対主催生徒会との戦いのためにも、彼らと戦う戦力は少しでも残しておきたい。
そこで、だ。お前を敗者として扱いつつも、その命は助け、且つその“力”を活用する方法を私は考えた。
それがどのような方法か、もはや言うまでもないだろう」
今まさに行われようとしているように、ISSキットのコアを寄生させ、AIDAを感染させる。
そうすることでロックマンやダークマンと同じ、GMの従順な操り人形とする。
つまりは肉体ではなく、精神の死。
それが敗北したフォルテがデリートを免れるための代償なのだと榊は口にする。
ふざけた話だ。
さも今思いついたように語るが、榊は初めからそれが目的だったのだ。
榊は言った。結果の見えた戦いを見続けていられるほど暇ではない、と。
それが本当であるならば、抵抗することが分かり切っているオレをわざわざ時間を割いてまで取り込もうとするはずがない。
そしてその目論見は、今まさに成功しようとしている。
「なに、怯える必要はなにもない。
お前はもともと、心や絆によって生じる力を否定していただろう?
そのコアを受け入れれば、それらから完全に開放され、お前は純粋な“力”となるのだ。
今まさにお前を敗北させた、そのロックマンと同じようにな」
「ッ………!」
榊の言葉を否定できず、フォルテは悔しげに歯を食いしばる。
……ああ、その通りだ。
オレは確かに心や絆の力を否定していた。
そしてだからこそ、ロックマンやキリトとの決着を望んでいた。
絆こそが力だと口にするヤツらはそれ故に弱者で、絆など不要と断ずるオレこそが正しいのだと証明するために。
そしてある意味において、それは証明された。
GMの操り人形となり果てたロックマンの“力”は、かつてのロックマンを完全に上回っていた。
だがこいつらの間に絆などない。あるのは純然たる支配関係だけだ。
それに負けたというのなら、やはりオレは正しく、そして榊の言葉がより正しいのだろう。
その榊が言っているのだ。コアを受け入れれば、心や絆から解放され、純粋な“力”となれると。
―――そうだ。
ある意味において、榊の言葉は正しい。
オレはずっと“力”を求めてきた。
全てを破壊し、人間に復讐する“力”を、ずっと。
そのためだけに、これまで数多くの敵を破壊しその力を喰ってきたのだ。
――――――――だが。
「どうした、フォルテ。己が敗北を認め、コアを受け入れるのだ。
そうすればお前は、さらなる力を得られるのだ。“絶対なる力”が望みだというのなら、拒絶する理由などないはずだぞ?」
それは違う、と。
湧き上がる怒りが、胸の内を焦がし続ける憎しみの炎が、榊の言葉を否定する。
気が付けばオレの左手は、オレへと寄生しようとするコアを掴み引き剥がそうとしていた。
「ふん。まだ己が敗北を受け入れんか。
だが無意味だ。心意に対抗できなかったお前では、コアの浸食から逃れることなどできん」
榊は呆れたように、フォルテの足掻きを嘲笑う。
その言葉の通り、どれだけ強くコア本体を抑え込んでも、体が侵食されていく感覚は進んでいる。
マクスウェルのAIDAの時のように抵抗できないのは、その感染能力さえも心意によって強化されているからか。
このまま抵抗を続けたところで、いずれは完全に侵食されてしまうだろう。
……だというのに、なぜオレは抵抗を続けているのか。
GMの操り人形になるのが嫌だというのなら、マクスウェルのAIDAにそうしたように喰らい返せばいい。
消耗した今の状態では不可能でも、いずれは支配状態を喰い敗れるはずだ。
だが違う。
オレの怒りが否定しているものは、GMに操られることではなく榊の放った言葉だ。
心を捨てることで強くなるというその言葉を否定するために、オレの怒りはコアの浸食を拒み続けている。
――ならば、この怒りの正体は何だ。
オレはなぜ、榊の言葉に怒りを覚えている。
「ッ、…………ッッ」
オレを吊るし続けるロックマンへと視線を向ける。
このロックマンが、本物のデータを使っているのか、ただデータをコピーしただけの存在なのかはわからない。
一つ確かなことは、こいつはもはや完全な人形だということだ。
何も考えず、感じず、ただ己に寄生したAIDAに操られるだけの存在。
そんなものはもはや、ネットナビとは呼べない。人間がゲームで遊ぶ際に使う仮装の肉体、つまりはアバターだ。
そんな、AIですらないただのプログラムになれと、榊は言っているのだ。
………ああ、そうか。
この怒りの正体は、それだ。
思い出す。オレを悪と決めつけた、「所詮、プログラムでしかない」と蔑む科学者たちの目を。
榊の言葉は、それと同じだ。ヤツはオレを、ただの利用できる便利な“力”としか見ていない。
ヤツはオレから意思を奪い、その“力”を都合よく利用するために、この戦いを用意したのだ。
……奪うというのか。この憎しみを。
オレが力を求めた理由。この胸に刻まれた傷痕。
それをキサマは、ロックマンのシンボルマークと同じように、消し去ろうというのか……!
「ふざ、けるなッ……!」
思い出す。この胸の傷の由来。この身を焼き焦がす憎しみの根源を。
―――そうだ。オレは、信じていた。
オレを生み出した科学者、唯一オレに愛情を注いでくれた人間、コサック博士を。
「プロトの反乱」と呼ばれる事件が起きたあの日まで、心の底から信じていたのだ。
事件が起きたあの日、ある理由からオレは科学省の人間から事件の犯人だと一方的に決めつけられた。
科学省のナビたちに終われながらも、オレは犯人ではないと訴え続けたが、聞き入れられることはなかった。
けれどオレは信じていた。
コサック博士ならきっと誤解を晴らし、オレを助けてくれると信じていた。
事件の原因が判明する最後まで、ずっと信じていたのだ………。
―――だがその信頼は裏切られた。
コサック博士は助けてくれず、オレは致命傷を負い、どうにか生き延びるもネットを彷徨うこととなった。
オレに残されたのはフォルテという名と、ゲットアビリティプログラムだけ。
その時オレは、この傷に誓ったのだ。
“より強く”。
オレを悪と決めつけた人間たちに復讐するために、最強の力を手に入れるのだと。
それこそが、オレが力を求めてきた理由。オレが今まで生きてきた意味だった。
そうだ。この憎しみも、この力も、全てあの日に得たもの。
オレは、コサック博士を信じていた。
信じていたからこそ、助けてくれなかったことに絶望し、オペレーターとの絆を否定した。
信じていたからこそ、それが裏切られたことに憎悪を懐き、そしてその憎悪がここまでオレを強くした。
ああ、オレが間違っていた。
心や絆、それらによって生まれる力は、確かにあった。
憎しみも、絶望も、心や絆があったからこそのもの。
つまりこの力は、オレが今まで否定してきた絆の力の、いわば負の側面とでもいうべきものだったのだ。
だから――――。
「認めない……」
正体を自覚した怒りのままに、より激しく燃え上がる憎しみを胸に、自身を侵そうとするコアを握りしめる。
ガチリと、体の内側で空回りしていた歯車が、ようやく噛み合ったかのような感覚を覚える。
浸食の影響で鈍っていた感覚が鋭敏になり、使い果たしたはずの力が湧き出てくる。
そうだ、認めてなるものか。
榊は科学省の科学者どもと同じだ。オレを、ネットナビを便利な道具としか見ていない。
オレはそんなヤツらに復讐するためにこそ力を求め続けた。
だというのに、そんなヤツの道具と化したロックマンに敗北するなど、ましてや自身もその道具の一つとなるなど――――
「絶対に、認められるものかァ……ッッ!!」
コアを掴んだまま左手にエネルギーを収束させ、溢れ出す怒りとともにロックマンへと向け解き放つ。
炸裂したエネルギーは周囲に粉塵を巻き上げ、二人の姿を覆い隠す。
だがすぐに粉塵の中から、ロックマンが跳び出してくる。
その姿は多少煤けてはいるが、大きなダメージを負ったようには見えない。
再びあのワープ能力を用いてフォルテの攻撃を回避したのだろう。
「なんだと!? まだあれほどの力を残していたというのか!?」
だがロックマンが回避をしたという事態に、榊は堪らず驚愕の声を上げる。
フォルテは間違いなく力を使い果たしたはずだ。
だからこそ、マクスウェルのAIDAの時のように喰らい返すことができず、コアの浸食を受けていたはずなのだ。
だというのに、フォルテは浸食に抵抗するどころか、そのまま反撃すらしてみせた。
一度は尽きたはずの力。それはいったいどこから湧いてきたものなのか。
そう榊が思考を巡らせている間に粉塵が晴れ、フォルテが姿を現す。
――だが露になったフォルテの姿を見て、榊は再び驚愕することとなった。
「あれは……なんだ、あの姿は。まさか、ジョブエクステンドしたとでも言うのか?」
露になったフォルテの姿は、先ほどまでとは一変していた。
頭部や四肢にあった金の装飾は紫色に、体にあった紫のラインも赤に変色している。
更に彼の纏っていた襤褸のマントも漆黒に染まり、その裾から禍々しい赤を脈状に走らせている。
AIDA=PCではない。
マントはAIDA=PCのそれと同じ状態だが、フォルテ自身の体は完全に本来の形を保っている。
まるでAIDAに呑まれることなく、その力を完全に己がものにしたとでもいうかのように。
「……いや、だとしても無駄なことだ。
心意への対抗手段を得ない限り、フォルテに勝ち目がないことに変わりはない。
行け、ロックマン! 今度こそフォルテを取り込んでしまえ!」
「――――――――」
榊の声に従い、ロックマンは左腕にダーク・ソードを展開し、フォルテへと肉薄する。
振り被られる黒い光刃。それを振り下ろす直前でワープ能力を使用し、フォルテの右側から急襲する。
変化の影響か、回復アイテムを使用したのか、フォルテの右腕は修復されている。
だがたとえ右腕があったところで、心意への対抗手段を持たないフォルテに取れる行動は回避しかない。
故にそこを追撃せんと、光剣を降り抜くと同時に転送準備に入り、
「―――《ダーク・アームブレード》」
「ッ――――――!」
フォルテには防げぬはずの光刃は、“その右腕に展開された黒い光刃”によって受け止められた。
直後開始される転送。
ロックマンの全身が黒い光子に変換され、フォルテが回避するだろうと予測したポイントへと瞬間移動する。
―――その直後、狙いすましたかのように襲い掛かってくる黒い光刃。
ロックマンは咄嗟にダーク・ソードで防ぎつつ、大きく飛び退いて回避する。
「バカな! ロックマンの攻撃を防いだだと!?
それにあの過剰光(オーバーレイ)……心意を習得したとでも言うのか! まさか、あの状態から!」
有り得ない。と榊は驚愕の声を上げる。
つい先ほどまで、フォルテに心意への対抗手段は間違いなくなかった。
だからこそロックマンはあそこまでフォルテを追い詰めることができたのだ。
だと言うのに、コアの浸食から脱したフォルテは事も無げにロックマンの心意攻撃を防いで見せた。
しかもそれは、心意によって構成された光剣によってだ。
だからこそ、榊はあり得ないと声を荒げる。
心意とは、使用者のイメージによって《事象の上書き(オーバーライド)》を引き起こすことで発動するものだ。
だがそれゆえに、心意の習得にはシステムを上回るほどのイメージ力が必要となる。
ネットナビやAI――どれだけ複雑であろうと、定められた反応しか返せないプログラムでは、心意の習得はまず不可能なのだ。
ロックマンやダークマンが心意技を使えたのは、外的要因によって心意を使用可能とさせるISSキットが寄生していたからに過ぎない。
だというのにフォルテは、ISSキットを装備せず心意技を使って見せた。
ISSキットのコアを喰らったというのならまだおかしな話ではない。
だがフォルテは、コアを完全に消し飛ばした。つまり心意が使える理由などないはずなのだ。
「………なるほど、これが“心意”か。
己が感情(怒り)でシステムを捻じ伏せ、従える。
いいぞ……実にいい気分だ」
黒い過剰光を放つ己が右手を見つめながら、フォルテは凶暴な笑みを浮かべてそう口にする。
「さあ……今度こそ決着を付けようか、ロックマン。いや、ロックマンの偽物。
もっとも、俺が心意(この力)を得た時点で、キサマの勝ち目など完全に消え失せたがな」
「――――――――」
フォルテの言葉に、ロックマンはダーク・ソードを無言で構える。
心意技という、フォルテに対して得ていたほぼ一方的なアドバンテージ。それはフォルテが心意技を習得したことで失われた。
つまり状況は完全に逆転した。
勝ち目がない、とまではいかないが、敗北する可能性は非常に大きくなったと言えるだろう。
―――だがそれでも、ロックマンのすることは変わらない。
フォルテを倒し、可能であれば己が支配下に置く。
なぜならそれが、現在の己が主たる榊の指示だからだ。
そこに疑念の入る余地など、僅かたりとも存在しないのだ………。
§
「ハァアア――――ッ!」
「ッ――――――――!」
高速で激突し、火花を散らす両者の剣。
同じ闇色の刃は、接触するたびに相手の闇さえも飲みこまんと唸りを上げる。
だがそれも一瞬。剣戟は鍔競合いとなることなく、弾き合い続ける。
「そらどうした! 心意の有利がなければこの程度なのか!?」
「ッ―――、――――――!」
光剣が振るわれるたび、フォルテは更に前へと踏み込み、ロックマンは逆に後退る。
相手と打ち合うことが可能になったことにより、PC自体のパラメーターの影響が出始めたのだ。
数値的な強化のなされていないロックマンでは、フォルテの斥力には敵わない。
鍔競合いにならない理由はそれだ。
そうなったら圧し負けると理解しているがゆえに、ロックマンは光剣を弾き逸らすことでフォルテの攻撃に対処しているのだ。
「オラァッ!」
剣戟の合間を縫って繰り出された足撃が、ロックマンの胴体を捕らえ、蹴り飛ばす。
「ッ――――――」
ロックマンはその一撃によって吹き飛びながらも、即座に体勢を立て直し、転送能力さえも駆使してフォルテをかく乱しつつさらに距離をとる。
そして左腕にダーク・バスターを展開し、無数の黒い光弾を乱射する。
――――がしかし。
放たれた光弾はそのすべてが、フォルテが突き出した左手に遮られたかのように空中で静止していた。
心意とは、感情とイメージによってシステムを上書き(オーバーライド)することによって発生する現象だ。
故に使用者のイメージが乱れれば、心意は容易く瓦解する。
だというのにロックマンの放った光弾は、使用者であるロックマンの意を外れ空中で静止していた。
これが意味することはすなわち、ロックマンのイメージよりも、フォルテのイメージの方が強固だということ。
フォルテの心意がロックマンの心意を完全に上回っているという証明に他ならない。
「フン。弱い心意だ。貴様のそれは所詮、借り物のイメージにすぎんということか」
言いながらフォルテは、左手をロックマンへと向けて再度突き出す。
同時に静止していた光弾が、散弾銃のようにロックマン目掛けて炸裂した。
「――――――――」
それに対しロックマンは、心意で強化したAIDAの盾を展開することで応じる。
結果、フォルテの撃ち返した光弾はAIDAの盾に弾かれ、ロックマンを傷つけることなく霧散した。
「そら、次だ! 《ヘルズ・ローリング》!」
だがフォルテはそれに構うことなく、両手に闇色の光輪を出現させると、それをロックマンへと投擲する。
二つの光輪は闘技場の床を切り裂きながらロックマンへと接近すると、容易くAIDAの盾を切り裂いた。
……だが、そこにロックマンの姿はない。
なんとロックマンは盾によって自身の姿を隠し、さらに盾に使用した黒泡を門としてワープ能力を使用したのだ。
そして攻撃によって隙のできたフォルテの背後へと現れると、その背後へと目掛けてダーク・ソードを突き出した。
そのシャドースタイルにおけるカワリミマジックのような不意打ちは、しかし。
「フン。同じ手が二度通用するとでも思ったか」
フォルテが素早く体を逸らしたことで、あっけなく回避された。
盾を利用した転送による奇襲は、先の戦いにおいてフォルテが致命傷を受けた一撃だ。
故に、たとえ心意を習得しロックマンのアドバンテージを無効化しようと、それに対する警戒を怠ることはない。
「これで終わりだ」
そういうや否や、フォルテは突き出されたロックマンの腕を掴み取ると、振り向きざまにロックマンを引き寄せがら空きの胴体へと掌底を叩き込む。
その衝撃でロックマンは勢いよく弾き飛ばされるが、ダメージはない。しかし同時に、体がマヒし身動きも取れない。
魔術礼装【空気撃ち/二の太刀】によるスタンを受けたのだ。
「やはりキサマは、ロックマンなどではない。姿を真似ただけの、ただのジャンクデータだ」
ロックマンに対しそう告げながら、フォルテは空へと右手を掲げる。
同時に形成される、巨大な闇色のエネルギー球。
負の心意によって生み出されたそれは、そのままフォルテの憎悪の強大さを表しているかのようだった。
………ロックマンならば、これを前にしても決して挫けることなく立ち上がろうとするのだろう。
あるいはオペレーターとの絆によって、この状況からでさえ逆転してみせるかもしれない。
だが今眼前に倒れ伏すロックマンからは、そんな気配はおろか抵抗の意思さえ僅かたりとも感じられない。
感じられるのはただ、胸部に寄生したAIDAコアからのマイナスの感情だけだ。
「ッ、消えろ偽物! 《ダークネス・オーバーロード》ッ―――!!」
そうして放たれる闇のエネルギーの奔流。
スタンによってあらゆる行動が封じられた今、ロックマンにはワープによる緊急回避すらできない。
結果、それまでの戦いの激しさからはあまりにもあっけなく、ロックマンは闇のエネルギーに呑まれ消滅した。
「……………………」
もはや、ロックマンの姿はどこにもない。
周囲に残っているものは、フォルテの一撃によって破壊され半分ほどとなった闘技場と、辺りに漂う無数の黒泡だけ。
……だが、それを確認してなお、フォルテは臨戦態勢を解くことはなかった。
なぜなら。
「……おい、さっさと出て来い。それともこのまま何もせず、残った闘技場ごと消し飛ばされたいか?」
周囲を漂う未だ消え去らない黒泡へと向けて、フォルテはそう言い放つ。
その言葉に触発されたかのように、周囲の黒泡が一か所へと集まり黒い大穴を形成する。
そうしてその穴から這い出るように現れたのは、ロックマンに寄生していたAIDAの本体だ。
そう、戦いはまだ終わっていない。ISSキットのコアを通じてロックマンの残骸を操っていた、AIDAの本体が残っているのだ。
フォルテは切り落としたロックマンの右腕がデータ片とならず黒泡となり、さらにはワープのための門として機能したことを覚えていた。
その時と同じように黒泡が残っている以上、黒泡の発生源たるAIDAが残っていると考えるのは当然だろう。
「フン、やっと本体が現れたか。……だが、まあいい」
己が人形であったロックマンの残骸を失ったからか、あるいはロックマンの体ではフォルテを倒せないと判断したのか。
どちらにせよ、アラクネのような姿をした赤色のAIDA――<Grunwald>はその異様を曝け出した。
つまりこれが決着。このAIDAを倒せば、榊の用意したこの茶番も終わる。
加えて、それがAIDAの本体というのも都合がいい。
なぜなら。
「“コイツ”の力を試すには、キサマのような存在がちょうどいいからな」
ノイズ交じりのハ長調ラ音が響き渡り、フォルテの全身に緋色の紋様が浮かび上がる。
「なッ、紋様だと!?」
「やはり覚醒していたか」
同時に榊が幾度目かの驚愕の、オーヴァンが納得の声を上げる。
フォルテの全身に浮かんだ紋様。それは憑神が顕現する際の予兆。
すなわちフォルテが碑文の力を覚醒させたことの証に他ならない。
そしてその“憑神”の顕現とともに、周囲の空間が認知外空間へと塗り潰され、
――――しかし。
「さあ――――喰らい尽くせ、“ゴスペル”!」
そうして現れた存在は、その名も、その姿も、二人が想像していたものではなかった。
フォルテが得た碑文は第七相『復讐するもの』タルヴォスだ。
だが現れたのは、八相としてのタルヴォスでも、憑神としてのタルヴォスでもない。
黒い身体に赤い筋を這わせた、獅子か狼のごとき姿の“獣”だった。
タルヴォスとしての要素は、その胴体を貫く杭として辛うじて残しているに過ぎなかった。
「バカな! AIDAだと!? 奴は碑文の力を呼び覚ましたのではなかったのか!?」
混乱もあらわに榊が叫ぶ。
フォルテの全身に浮かんだ紋様は間違いなく憑神が顕現する際に生じる現象だ。
だというのにフォルテが顕現させたのは、憑神ではなくAIDAだ。
しかもそのAIDAは、他のAIDAと比べ明らかに異質だった。
元となったAIDAはマクスウェルのAIDAだろう。
その姿が“獣”となっているのはフォルテに喰われた影響だろうか。
だがどうあれ、まず間違いなく元のAIDAの自我やの意識など残ってはいまい。
そう確信できるほどに、ゴスペルと呼ばれたそのAIDAは異質だった。
なにしろ本来半透明であるはずの体色が、AIDA=PCの崩壊したテクスチャと同じような禍々しい黒赤色に染まっていたのだから。
「……まさか。そういうことなのか?」
だがその異常な姿をしたAIDAに、オーヴァンは一つだけ心当たりがあった。
それは他でもない、オーヴァン自身に寄生したAIDA――<Tri-Edge>だ。
あのAIDAはオーヴァンが憑神を顕現させれば、コルベニクの左肩に侵食する形で同時に顕現する。
その際の姿は、簡単に言ってしまえば“黒い第三の腕”だ。
つまりコルベニクは、AIDA=PCと化した憑神だと言い換えることが出来る。
―――で、あれば。
もし<Tri-Edge>にコルベニクを完全に喰わせれば、その時あのAIDAは、ゴスペルと同じ黒いAIDAとして顕現するのではないのか? と。
「いくぞ」
フォルテの呟きとともに、ゴスペルが<Grunwald>へと駆け出す。
「――――――――」
対する<Grunwald>は迎撃を選択。《アルケニショット》を放ち、ゴスペルを牽制する。
だがそれに対し、ゴスペルはさらに加速して突進。散弾銃のごとき糸弾を強引に突破し、一息に<Grunwald>へと体当たりを敢行する。
その直撃を受け、<Grunwald>はダメージとともに大きく弾き飛ばされる。
「む」
だが同時に、ゴスペルは糸弾を受けたことで糸が絡まり、その特性である減速効果を受けてしまう。
その隙に<Grunwald>は体勢を立て直し、《アラクノトラップ》による糸の檻で、ゴスペルを絡め捕ろうとする。がしかし。
「無駄だ」
ゴスペルの口から黒い炎が放たれ、糸の檻が焼き払われる。
さらにゴスペル鬣から十本の光杭が形成され、<Grunwald>へと向けて連続で射出される。
「ッ――――――!」
<Grunwald>は放たれた《極刑の聖杭》を前肢の爪で迎撃するが、次々に迫る光杭全てを打ち落とすことはできず、何本かをその身に受けてしまう。
その直後、光杭が輝くと同時に空間に固定され、<Grunwald>をその場へと縫い留められる。
当然<Grunwald>は高速から抜け出そうともがくが、しかし光杭が外れることはない。
ならばと《コボルブリッド》を放ちゴスペル本体へと攻撃するが、やはり光杭の拘束は解けない。
ゴスペルが光弾を迎撃したのではない。光弾による攻撃が、ゴスペルにまったくダメージを与えられていないのだ。
「………この程度か」
その事実にフォルテは、落胆とともにそう呟く。
同時にその胸中に、さらなる怒りが湧き上がる。
ゴスペルはまだ全ての力を発揮したわけではない。牙はおろか、爪さえもまだ使用してない。
だというのに、<Grunwald>はもう抵抗の手段を失っている。
これが本物のロックマンであれば、全ての技を繰り出させる程度には耐えて見せたはずだ。だというのに……。
それすらも叶わないような雑魚が、ロックマンを……その残骸を操って成り代わっていたのか、と。
「ならばもうキサマに用はない」
その言葉と同時に、ゴスペルの咢が開かれ、その口に闇色のエネルギーが集束する。
それを見た<Grunwald>はより激しく足搔くが、やはり拘束がほどけることはない。
当然だ。その光杭の拘束から脱するには、光杭を破壊するほかない。
それすらもできないモノにその一撃を防ぐ術などあるはずもなく、そして―――。
「消し飛べ―――《バニッシングワールド》!」
放たれた極光は認知外空間のエリアデータさえも破壊し、果てのない闇のごとき虚無(ブランク)の空間を露にさせる。
それほどの一撃の直撃を受けた<Grunwald>が耐えられるはずもなく、憑神バトルにおけるHPとも呼べるPP(プロテクトポイント)は、フォルテの放った言葉通りに消し飛ばされた。
「しぶといな。曲がり形にもロックマンということか」
PPを全損したことにより<Grunwald>の顕現が解除され、入れ替わるようにその宿主が現れる。
全身いたる所を破損した、今にもデータ片となって消え去りそうなロックマンの残骸だ。
まだ生きていることが不思議なほどの状態。もはや戦うことはおろか、まともに動くことすらできないだろう。
――――だが。
「キサマの存在は、完全にデリートする。
……もう二度と、オレの前に現れないように」
……もう二度と、その亡骸が誰かに利用されることのないように。
フォルテの言葉と同時に、ゴスペルの胴を貫く杭に極彩色のエフェクトが展開される。
そのエフェクトはゴスペルの貌や鬣にまで展開され、さらに口元に展開された目のようなエフェクトには禍々しいエネルギーが充填される。
それは『The World』に深く関わる者なら誰もが知る“強き力”。すなわち――――
「喰らい尽くせ―――《データドレイン》!」
光弾となって放たれる極彩色のエネルギー。
それは身動ぎすらしないロックマンの残骸へと命中すると、その体を分解しながら無数のデータ数列を引きずり出していく。
そうしてロックマンの残骸からデータを吸収した光弾は、巻き戻るかのようにゴスペルの元へと戻り、その咢に喰われ消滅した。
つまりロックマンの残骸から奪ったデータを、フォルテ/ゴスペルへと還元したのだ。
残されたロックマンの残骸は、データ片すら残さず霧散して消滅していく。
それも当然。フォルテの放ったデータドレインは、ただのデータドレインではない。
フォルテの能力であるゲットアビリティプログラムと融合し強化された、新たなるデータドレインだ。
その力はもはや、通常のデータドレインとは比べ物にならない。
今消え去っているロックマンはもはや残骸ですらなく、存在の名残とでもいうべき残滓にすぎないのだ。
その残滓が消え去る様を、フォルテは静かに見つめていた。
「さあ、今度こそロックマンは倒したぞ。
次はどうする? まだ続けるのか?」
ゴスペルの顕現を解除し、元の闘技場へと戻ったフォルテは、司会者席の榊へと嘲りを籠めて問いかける。
「くっ………」
それに対し、榊は顔を屈辱に歪めながら口を籠らせる。
それも当然だろう。必勝を期して用意した舞台。逃れられぬはずの敗北を、フォルテは覆して見せたのだから。
この場を仕切っているのは榊だ。その気になれば、まだ試合を続けることはできる。
だが、たとえこのまま続けたところで、単体で今のフォルテを止められる存在は榊の配下にはいない。
それに――――
「まあいいだろう。この試合、フォルテの勝利だ!」
感情的になりそうな思考を抑えながら、努めて冷静に榊はそう宣言する。
同時にアリーナにファンファーレが響き渡り、どこからか紙吹雪が舞い散らされる。
それが榊の用意した余興の本当の終わりであり、
――――それが、フォルテとロックマンの戦いの、もはや果たされることのない決着だった。
最終更新:2018年02月14日 15:52