ハルナ殿との共同生活が二週間も経った頃――
「がくぽ、あんたのデビューイベントが決まったわよ」
唐突な言葉に思わず刻んでいた大根が俎板の上を滑って転がった。
ハルナ殿にばかり面倒をかけさせてはゆかぬと我も家事の手伝いを申し出たのであったが…
「でびゅう…いべんと?」
「そ」とハルナ殿は流しに転がった大根を拾い我の手元に戻すと、「たーくんからメールが来たの」と嬉しそうに我の隣でじゃが芋の皮むき作業に戻った。
「がくぽ、歌の上達も早いし新曲もお披露目できるかもしれないわね」
そうか…我は最初のがくぽ…我の歌が「がくっぽいど」の“でもんすとれーしょん”になるわけか…。
「して、場所はいずこなりや?武道館か?東京どーむか?」
「バカ、いきなりそんなデカイとこでやるわけないじゃん」とハルナ殿が吹き出した。
ハルナ殿「バカ」という物言いにも慣れた。
「青山のライブハウスよ。結構デカイ箱だし客筋はいいわよ?」
ハルナ殿によれば、コンサート会場とまで行かない“らいぶはうす”のことを「箱」と呼ぶらしい。
ふむ…我のでびゅういべんとにしては地味だが我の歌声がやっと披露できるのは喜ばしいことである。
「して、我は何曲ほど歌うのだ?」
「…あんた一人のライブじゃないのよねー」
へ?
「ク○プ○ン社のボーカロイド五人のライブにあんたが混ぜて頂く形になるわね。ちょっと添え物的に」
な…!
「なんと!?なにゆえ我がらいばる会社のボーカロイドの添え物的にでびゅうするのであるか?!」
「うーん」とハルナ殿は視線を上げて少し困ったような顔になった。
「まぁ…もとはY社の開発したエンジンだし、お初のあんたが浮かないように、イ○ター○ット社とク○プ○ン社が相談の上決めたことらしいのよね。すでに固定ファン層もついているク○プ○ン社のボーカロイドたちと混じれば、あんたにもファンがつくんじゃないかって…」
「解せぬ!我がおこぼれを貰うようではないか!」
「仕方ないじゃん」とハルナ殿がこちらを向き軽く我を睨みつけた。
「実際あっちの後発機に当たるあんたを買うかどうか吟味するのはあっちのファン層なんだしさ」
なんと…なんと…
名誉と矜持をかけた初見得が、先達の…しかも他者のボーカロイドたちのおこぼれをもらう形とは…!
「後ろ向きに考えないで。あんたの美声であっちの連中を圧倒してあげなさい」
ハルナ殿は元気づけるように我の背中を叩いたが、我は包丁を握って大根を押さえたまま呆然とした。
何はともあれ演目を決めねばならぬ。
一曲はどうしてもク○プ○ン社のボーカロイドたちと一緒に歌わなければならないという話で、鏑木殿からめーるで楽譜が届いた。
そして我個人の見得はハルナ殿と相談した結果、ハルナ殿オリジナルの曲を歌うことになった。
ハルナ殿は、べーすとどらむを得意とすると鏑木殿から聞いたが、ぎたーやしんせさいざーも流暢に爪弾く。
いずれも些か耳に悪そうなかしましい音曲であることが気になると言えば気になるが、我のために作ってくれた歌はそれほどかしましい音ではなく安堵した。
あとはでびゅういべんとに向けて練習あるのみである。
「がくぽ、あんた高い音苦手?」
ハルナ殿の知人が持ち主だというすたじおの一室でハルナ殿がぎたーの演奏をやめて聞いてきた。
「う…うむ、我はおのこゆえ、そう、おなごのような声は出ぬのだ…」
「ふーん…ちょっと計算違いだったかしら…。ク○プ○ン社の男ボーカロイドは高音域を得意とするから、あんたもてっきり高い声出せるのかと思っちゃった」
「きゃつらと比べるでない!」
「いちいち反応しないの!鬱陶しい!」
ハルナ殿の鶴の一声でいつも我は黙らされてしまう…。
「じゃあ思い切ってキー下げてみましょうか」とハルナ殿が楽譜に何か書き加えて、肩から下げたえれきぎたーをかき鳴らした。
このえれきの音にはいつまで経っても慣れぬ…。
「こんなもんで行ってみましょうか」とハルナ殿がにっこり微笑んだ。
「あんた、低音はすごく安定しているし、あっちのボカロは逆に低音が苦手だからいい武器になるわよ」
ふと、考えないようにしてきた敵の姿を思い浮かべた。
どのようなボーカロイドであろうか…敵を知らずして勝てるのであろうか…?
「マスター」
「なぁに?」
爪先でリズムを取っていたハルナ殿が怪訝そうに振り返る。
「その…ク○プ○ン社の…我の宿敵に当たるボーカロイドはどのような輩なのだ?」
「宿敵って…!ライバルって言ってよ」とハルナ殿は笑った。
「そうね、直接あんたとガチで当たりそうなのはカイトかな。年恰好もあんたと大差ない感じだったと思うし、最近少年型のボーカロイドが出てくるまで唯一の男性ボーカロイドだったから」
「カイト…」と反復した我に「そ」とハルナ殿は答えた。
「甘いマスクに男とは思えない高い声で今女の子に人気ばつぐーん!らしいわよ?」
「解せぬな…おのこでありながらなよなよした風情に柳のような声で人気とは…」
唸った我に「あたしはがくぽのほうが好きよ。がくぽの声が好き。古武士みたいなアナクロいところも好きよん」とハルナ殿が歯を見せて笑った。
うむ…ハルナ殿のためにも先達に負けるわけには行かぬ。
我のでびゅういべんとは、マスターであるハルナ殿のためにも絶対に成功させなければ。
「じゃ、行くわよ、がくぽ」
ハルナ殿がかき鳴らす、先ほどよりも低い旋律に合わせて我は咽を震わせた。
すたじおの利用時間が過ぎて我とハルナ殿は防音壁に囲まれた個室から退出した。
すると、ハルナ殿の知人であるというこのすたじおの持ち主がべんちに座って我らを待っていた。
「あ、ハルナちゃん、ちょっとちょっと」
「何?ゲンさん、わざわざ」
ゲンさんという親父はハルナ殿を手招きすると、耳を寄せたハルナ殿の耳元で何事か囁いた。
その仕草が不快だったが、我の耳に入ってきたのは「え――――っ!?」というハルナ殿の大声だった。
「な、何事であるか?」
「ちょっとちょっと、がくぽ」と今度はハルナ殿が我の腕を掴んで壁際の隅に引き寄せると、声を潜めて「あんたにお客さんよ」と我の耳元で囁いた。
「我に?ハルナ殿にではないのか?」
「多分あんたよ…」
そう言うとハルナ殿はくるりと振り返って「ゲンさん、それ内緒ね。応接室ね、わかったわ」と親父に伝えた。
はて――?我は鏑木殿とハルナ殿以外に知り合いなどいないはずだが…。
首を捻る我に向かってハルナ殿は「おめでとう、あっちがあんたに会いに来てくれたわ」と言った。
まさか――
「ク○プ○ン社のボーカロイド、カイトがどこで知ったか知らないけど面会に来てるわ」
応接室、というのはゲンさんこと原直也のぷらいべーとるーむを指すらしい。
「しゃっきりしなさいよ、がくぽ」と緊張した面持ちのハルナ殿に「マスターこそ気丈にせぬか」と言うと、「バカ、あんたのライバルなんだからあんたがしっかりしていればいいの」と背中を叩かれた。
コンコンとハルナ殿が扉を叩くと、中から「はい、どうぞ」と柔らかい声が聞こえてきた。
思い切って扉の取っ手に手をかけて回すと、扉は安っぽい軋みの音を立てて外側に開いた。
雑多な物が積み上げてある部屋の真ん中の小さなテーブルの横の椅子に、蒼い髪の男が腰かけていた。
「神威…がくぽさん?初めまして、カイトです」
にっこりと微笑む表情はいかにも穏和そうで、気張って扉を開けた我は少し気が抜けた。
「いかにも、我が神威がくぽである。して何用で参られた?」
少しぶっきらぼうに聞くと、目の前の男は少し言い淀みながら俯き頬を染めて「あの…」と言いかけ、意を決したように我を見上げて微笑んだ。
「今度、一緒に舞台に上がりますよね?俺とあなたで一緒に歌うんです。一緒に練習しませんか?」
ハルナ殿と我は目を丸くした。
「そ…そうね。当日一発合わせじゃマズイだろうし…」とハルナ殿が我を見上げた。
「はじめまして、片桐さんとお聞きしました。合同練習、いかがですか?」
その男はにこやかにハルナ殿に微笑みかけ、「え…」とハルナ殿は頬を染めた。
何か、かちんと来た。
「練習時間はきちんと取ってあろう。その時で十分ではないか」
「え…でも、あれだけの短時間じゃ声質の違う俺たちがユニゾンするのは難しいんじゃないかって…」
なるほど、確かにこのカイトという男、おくたーぶが我より数段高い声質である。
西洋の歌手で言えば“あると”といった声であり、ハルナ殿より高い声やもしれぬ。
「ク○プ○ン社とイ○ター○ット社がそれで十分と判断したのであろう。我等の一存で勝手に取り決めしてよいものかどうか、いかがであろうかの?カイトとやら」
「そうですけど…」と目の前の男――カイトは困ったように俯いた。
このような「やわ」そうなおのこが人気とは、世間のおなごもだいぶ歌舞いているようじゃの。
我は見た目こそおなごのような紅をさした顔立ちだが、このような軟弱そうな男とは断じて違うぞ。
「ねえ、がくぽ、この話受けましょうよ」
「何っ!?」
思わず大声を出してハルナ殿を見てしまい、こほんと咳き込んだ。
「だってあんたソロは十分イケるけど、彼とじゃ個性が違いすぎてユニゾンなんて時間かけないと無理そうよ」
「片桐さん…!」
カイトの顔が俄かにほころぶ。
なんと、おなごのような華のある笑みであろう。
「し、しかしだな…ハルナ殿…」
「マスター、でしょ?」
チラリと上目遣いにねめつけられ、ぐ、と言葉に詰まり、「マスター」と言い直した。
「ありがたい気遣いじゃないの。あんたも素直に懐を借りるくらいの度量を見せなさい。男でしょ」
「う…」
「俺の家には練習室もレコーディングルームもあるんで是非がくぽさんと片桐さんでいらしてください」
自慢する風でもなくさらりと言ってのけたカイトは「家族がいますけど邪魔しませんから」とにこやかに笑った。
「へえー、おうちにお邪魔していいなんて光栄だわ。だって内緒なんでしょ?」
「まぁ、内緒ですけど」とカイトははにかみながら微笑んだ。
「がくぽさん、俺と同じくらいの年恰好のボーカロイドだって聞いて、デモテープの歌声も聴いて楽しみにしていたんです。弟もいますけど、弟は少年の声ですから…。この機会に仲良くなれたらいいなって思って…」
「嬉しいこと言って頂いてるわよ?がくぽ。あんたも頭を下げなさい」
ニヤニヤとハルナ殿が笑う。
不本意である…不本意であるが……ここは、ハルナ殿の面目も立てねばならぬ。
「よかろう。そなたの厚意、しかと受け取った」
ホッとしたようにカイトが微笑み、「よろしく、がくぽさん」とぺこりと頭を下げた。
我はハルナ殿に無理やり頭を掴まれ頭を下げさせられた。
しかしてこのような「やわ」なおのこが男性ボーカロイドの代表とは解せぬ、誠に不本意である。
我の声でこの「やわ」なおのこの声を圧倒し、男性ボーカロイドのなんたるかを見せつけてやろうぞ。
そう我は胸に誓ったのであった。
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お約束の合同ライブです。
がくぽはサザエさん的な展開が似合うと思うんだ。