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トップページ - (2006/04/11 (火) 19:14:08) の編集履歴(バックアップ)


事件のあらまし



1963年11月22日金曜日、アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・F・ケネディは、翌年に迫った大統領選挙のため、ジャクリーン夫人、ジョンソン副大統領夫妻と共にテキサス州ダラスを訪問した。 この日、フォートワースで行われた朝食会に参加したケネディは、フォートワース空港よりエアフォースワンに搭乗し、ごく短いフライトで11時40分に隣のダラス・ラブフィールドに降り立った。
ラブフィールドでは、既にこの日のパレードのために車列が組まれ、ケネディの到着を待っていた。 
隊列は以下の通りである。

  1. 先導車(白のフォード) ダラス市警署長、シークレットサービス2名と、ダラス市警の護衛が乗車
  2. 大統領車(リンカーン・コンチネンタルSS-100-X) 大統領夫妻と、コナリー知事夫妻が乗車
  3. 護衛車(リンカーン・コンバーチブル)シークレットサービス5名と、大統領側近2名が乗車
  4. 副大統領車(リンカーン1964コンバーチブル)ジョンソン副大統領夫妻と、ヤーバロー上院議員夫妻が乗車
  5. 護衛車(Varsity、セダン)シークレットサービス3名と、副大統領側近1名、テキサス州警察1名乗車
  6. 報道車1
  7. 報道車2

パレードは途中、大統領が観衆と握手をするために2回停車した以外は、順調に進んだ。午後0時29分、車列はデイリープラザに差し掛かるとメイン通りから、ヒューストン通りへと右折した。 車列はテキサス教科書倉庫ビルに差し掛かると、さらに120度の確度でエルム通りへと左折した。

暗殺

目撃者の証言によると、大統領車がエルム通りへと差し掛かるとすぐに発砲が始まった。 最初の発砲が始まった正確な時刻は今に至るも確実な証拠は存在しない。 しかし多くの研究者はザプルーダフィルムで大統領車がステモンス・フリーウェーの標識の影に隠れている瞬間に起きたと指摘している。 さらに最初の発砲から数秒後、大統領は頭部に致命的な銃撃を受け、パークランド病院に急送されるものの、午後1時に公式に死亡が確認された。
この間、大統領車に同乗していたコナリー知事も、背中、胸、右手首、左太腿に銃撃を受け重傷を負ったが、パークランド病院の救急治療を受けて一命を取り留めた。 知事の負傷についても、大きな論争となったが、その後に行われたウォーレン委員会と、下院の暗殺特別調査委員会の2回の委員会において、大統領が被弾した最初の一発の銃弾が、その全ての傷を負わせたと結論づけた。 この件については、現在に至るも多くの論争を呼んでいる。


事件直後の動き(オズワルド)

ウォーレン報告書に記載された、ダラス市警の警官マリオン・ベーカーによると、暗殺事件発生直後の74秒から90秒後にテキサス教科書倉庫ビル2階の喫茶室に居たオズワルドに遭遇し、銃を向け誰何したと証言している。 しかし、直ぐに教科書倉庫ビルの管理人、ロイ・トルリィーにより身許が確認されたため、釈放された。 トルリィーとベーカーの両者ともオズワルドが”息切れしておらず、落ち着いており、冷静に見えた”と証言した。 オズワルドは0時33分に、ソーダの瓶を手に持ったまま正面玄関から外に出て行く姿が教科書倉庫ビルの秘書により目撃されている。 捜査当局は0時39分もしくは0時40分までグラシノール裏側の駐車場や、鉄道の操車場を真っ先に捜索していたため、教科書倉庫ビルを封鎖しなかった。 同様にデイリープラザ一帯も、現場として封鎖される事は無かった。  暗殺から9分後に撮影された写真では、現場一帯で、車の通行が再開されている様子が撮影されている。
オズワルドは、バスやタクシーを乗り継いで午後1時00分下宿に戻っている。 下宿の女性の大家は、午後1時3分か4分に下宿を後にしてバス停でバスを待っているオズワルドを目撃している。 午後1時15分か16分頃、オズワルドの自宅から1.4km離れた路上で、警戒中のダラス市警の警察官、J.D.ティペット巡査が射殺された。 13名の目撃者が、ティペットと、逃走するオズワルドを目撃している。 ティペット巡査殺害後、オズワルドは映画館「テキサス・シアター」に向けて徒歩で移動した。

午後1時35分、テキサスシアターの隣にあるハーディー靴店の店主、ジョニー・カルバン・ブリューワーは、通りを走り抜けるパトカーから身を隠すように店に飛び込んできたオズワルドを目撃した。 不審に思ったブリューワーは、オズワルドが店を出ると後を付け、隣のテキサスシアターに入場券を買わずに入ったのを確認すると、その事を映画館の係員に告げ、午後1時40分、ダラス市警に通報した。 映画館の中に居た目撃者によるとオズワルドは何度も席を変える不審な行動を取っていたと証言した。 警官殺人事件に殺気だった市警察は20名以上もの警官を現場に派遣し(直前にも付近の図書館で同様の騒ぎが起きていた)、午後1時50分、劇場内に警官がなだれ込んだ。 劇場内でオズワルドは抵抗し、警官に殴りかかったが、その場で逮捕された。 
この1時間後の午後3時、FBI長官のエドガー・フーバーは、側近に”大統領暗殺犯が逮捕されたようだ”と書かれたメモを司法長官宛に渡すよう側近に依頼した。

事件直後の動き(ケネディ大統領)





ケネディ暗殺事件に関しては、膨大な量の記事、書籍、論文が存在します。
しかし、そのほとんどは陰謀論に関するもので、陰謀論に対する地味で科学的な検証は、翻訳される機会がほとんどありません。このページでは、陰謀論、反陰謀論に関する議論を順次紹介していきたいと考えています。 
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