関川浩一
- 1969年4月1日生 東京都調布市出身 右投左打
- 楽天在籍時の背番号は選手時代が「23(05'-07')」、コーチ時代が「81(08'-09')」「75(11')」
- ヘッドスライディングが代名詞。
- 阪神時代は俊足巧打で鳴らした異色の捕手だったが、中日移籍後は外野手にコンバートされる。
広いナゴドでその脚による守備範囲を武器に、長年センターを守ってきた。
- しかし福留孝介の外野コンバート、また英智の台頭が重なり出番が激減。
- 2004年オフ、半袖とともに無償トレードでやってきた球団創設メンバーである。
- 2005年の開幕戦では1番レフトでスタメン出場し、新球団の記念すべき最初の打者となった。
ちなみに結果は地味様こと清水直行(現星)の初球を叩いての左飛。
- 4月には自身の1000本安打を球団史上初の猛打賞、球団初の三塁打で飾る。
- 外野のレギュラーをがっちりキープし、球団初年度の良心として活躍した。
その後鉄平、リックさんらの加入もあったが、サブとして欠かせない存在に。
- 1試合4犠打を記録したことがある。これは日本タイ記録である。
- また2006年に、監督に就任したノムさんの言いつけで、捕手の練習も再開した。
緊急時に備えるためとのことだったが、結局捕手としての出場機会はなし。
- 2007年は出番が激減し、9月24日引退を表明。
- 10月4日の引退試合は1番センターでフル出場した。
現役最後の打席は、一塁ゴロながら代名詞であったヘッドスライディングを見せてくれた。- 余談ながら、そのときの相手投手は楽天移籍後に初対決した地味様だった。
- 引退後は一軍打撃コーチに就任。
2010年は海を渡り、韓国のSKワイバーンズで打撃コーチを務めた。
- そして2011年より、再び楽天にコーチとして復帰することが報じられた。
以前同様、打撃コーチかと思われたが、よもやの(?)二軍外野守備走塁コーチに。
が、コーチ陣の入れ替えに伴い、シーズン途中に一軍外野守備・走塁コーチへ配置転換される。
- 翌年も留任することが内定していたが、シーズン終了後、阪神タイガースからのオファーを受けて退団。
2012年より、阪神の外野守備コーチとなることが決まった。
- い、忙しい……。
最終更新:2011年11月01日 22:13