野村克則
- 1973年7月23日生まれ 大阪府出身 右投右打
- 在籍時の背番号は選手時代が「52(05'-06')」、コーチ時代が「73(07'-09')」
- 父は野村克也、母は野村沙知代、異父兄にはダン野村、ケニー野村。他に異母兄が1人。
- 「あの両親からどうしてこんな子供が生まれるんだ」と周りに驚かれるほど、非常に律義で面倒見がよい。
また練習熱心で父の威厳を笠に着ることのない好人物と言われる。
- ただいかんせん野球のセンス、もとい捕手としては弱肩すぎるのが最大の欠点。プロの選手としては大成しなかった。
- 弱肩ぶりを示すエピソードとして、引退試合のロッテ戦で6個の盗塁を許したというものがある。
これは嫌がらせというより、むしろ多く走って刺させようというロッテ側の計らいだったとも言われている。
- 通算打率は.185と低い。だが明治大学時代には首位打者・打点王・ベストナインに輝いたことも。
また楽天に入団するきっかけとなった合同トライアウトでも2打席連続HRを放っている。
意外と打撃の才能はそれなりだったかもしれない。
- リードでも一定の評価を受けている。
- ヤクルト(1996'-99')‐阪神(00'-03')‐巨人(04')を経て、トライアウトで楽天イーグルスへ。
- 巨人から戦力外通告を受けた際、阪神と巨人からはブルペン捕手や2軍バッテリーコーチといった打診を受けている。
これを人脈ゆえと見るか、本人の人格ゆえと見るかはともかく、指導者としての手腕はあるのかもしれない。
- 阪神時代の桜井、巨人時代の小田や二岡、楽天時代の一場と竜太郎など後輩の面倒見もよい。
2005年に一場が2軍落ちした際はほぼ付きっきりだった。- 現役時代は、六大学出身とあって、稲葉や真中、広澤、坪井らと仲が良かったようである。
- 阪神時代に最初に話しかけてくれたのは新庄剛志であり、笑顔で話しかけられて嬉しかったとのこと。
- 2005年のトライアウトでは、同年に楽天を解雇された小倉恒の獲得を父に進言している。
- 野村監督の教え子が多くワンマン体制の楽天首脳陣の中では、報道陣と話し込んでミーティングに遅れがちな
監督を呼びに行くなど、臆せず発言できる人物としてチーム内でも重宝されていたようだ。
- 登板過多により、一場が2006年秋の強化リーグで故障したときは、「あんたが一場を壊したんだ!」と抗議したという。
- 朝井秀樹は巨人へのトレードが決まった際、すぐカツノリへ電話したそうだ。
- 2010年シーズンより2軍バッテリーコーチとして巨人入り。いよいよ親父からの独り立ちである。
- 2013年シーズンオフに巨人を退団し、古巣東京ヤクルトの2軍バッテリーコーチとなった。
最終更新:2014年07月24日 17:28