#81 種田仁
- 1971年7月18日生まれ 大阪府八尾市出身 右投右打
- 在籍時の背番号は「81」
- 2011年より二軍内野コーチとして就任。5月半ばのコーチ入れ替えで一軍内野コーチに配置転換された。
- 2012年からは、再び二軍コーチに戻る……はずが、キャンプイン直前の1月30日、退団していたことがわかる。
- 上宮高校時代は同級生の元木大介(元G)らと甲子園にも出場。
元木の結婚式に呼ばれなかったらしいが、仲が悪いというわけではない(本人談)。
- 当時から注目の逸材で、上宮の監督が「種田が9人いたら監督はいらない」と語ったとか。
- 1990年、中日ドラゴンズに6位指名され入団。そのときの監督は星野仙一である。
- 2年目には仁村徹からセカンドのレギュラーを奪ってスタメンに定着する。
しかし、その後は出場機会を減らし、1997年オフに脱税事件に関与、98年に出場停止処分を受けてしまう。
- ガニマタ打法で復活、カムバック賞を受賞する。
- その後2001年に波留敏夫とのトレードで横浜へ移籍。
横浜でも2005年には自己最多出場の145試合、キャリアハイの打率.310を残すなど活躍を見せる。
- しかし巨人から移籍した仁志敏久にレギュラーを完全に奪われ、戦力外通告を受ける。
- 2008年にトライアウト経由で西武へ入団するが一軍出場はなく、そのシーズン限りで引退。
- 引退後は解説者・タレントとして活動。中井正広のブラックバラエティにもゲスト出演した。
- 2010年は宣銅烈(元D)が監督を務める三星ライオンズで打撃コーチをやっていた。
- 種田といえばやはりガニ股打法。この打法は2000年に開発されたものらしい。
そして代打11回連続出塁記録を打ち立て、中日からご褒美をもらった。
- コーチ就任が決まったとき、若手がガニ股打法に魔改造されてしまうのでは、という心配の声が上がる。
しかし彼は守備走塁コーチなので、その心配はないと思われる。- またこの打法は、ベース側に右肩が入るクセをなんとかしようと、種田が苦心して開発したフォームである。
- その経緯を考えると、わざわざ若手に伝授することはないだろう。
よかったのか、残念なのか……。
- 2012年に本人の申し出で退団。
- 2016年にスピード違反で逮捕された。自己破産をしていたことや、住所不定になっているなど闇が深い。
- 有名選手なだけにプロ野球ファンなら誰しもガッカリしたはずである。
最終更新:2017年07月17日 16:45