金炳賢
- 読み方は「キム・ビョンヒョン」
- 1979年1月19日生まれ 韓国出身 右投右打
- 在籍時の背番号は「99」
- 楽天が初めて獲得した韓国人である。アジア系選手としても、L.インチェと林恩宇以来。
- 「コリアン・サブマリン」とあだ名されたアンダースロー。
だがリリースポイントが地上5cmの俊介ちゃんを見慣れていると、あんまり下手投げっぽくない。
- 絶頂期はアンダーながら150km/h台のストレート、フリスビーと呼ばれたキレのいいスライダーを投げていた。
怪我の影響で球速が落ちてしまっており、現在は最速で140km/h台。
- 2010年秋季キャンプでテストを受けたものの、一度は見送りの報道が出る。
が、その後再テストすると言われ、結局春季キャンプ前にテストなしでの入団が決定した。- 秋季キャンプで捕手を座らせて投げたのはわずか10球という噂。最速は130km/h台だったとか。
- 本人は「野球を3年間できずにいたが、3年間で一番の内容」と涼しい顔。
- 「右打者のインコースにいい球を投げていた。林昌勇みたいだよ」(田淵幸一ヘッドコーチ談)
- ダイヤモンドバックス (1999-2003・2007)、レッドソックス (2003-2004)、ロッキーズ (2005-2007)、マーリンズ (2007)に在籍。
メジャー通算54勝60敗86S、防御率4.42。2008・09年は浪人、2010年は独立リーグに所属。
- ロッキーズでは松井稼頭央とも同僚だったことがある。
- Dバックス時代の2001年、ワールドシリーズでリリーフとして2度登板し、2度ともヤンキース打線に捉まり救援失敗。
- 第1回WBCに韓国代表として出場している。そのときに色々やらかす。
- 秋のテスト前から問題児として話題になり、さっそく「コリアンリンデン」というあだ名がついた。
むしろ反抗期まっしぐらのリンデンの方が可愛く見える、という声も。
- 「いざというときはわしが鉄拳制裁すればいい」という過激(?)な住民もいる。
- 実は内気な性格らしい。そう思うと、問題行動も小型犬がキャンキャン吠えるようなものなのだろうか?
仲良し術を心得る草野に期待がかかる。
- オープン戦や練習試合ではまあまあの投球を見せた。しかし左足を捻挫し開幕一軍を逃す。
- 解説者からはそこそこ評価されるも、「問題児」の前評判、特にWBCでの印象は根強く、住民の反応はイマイチ。
というか、全然期待されていない。
- 二軍では18試合に登板して防御率2.66。
スパが不調に陥った時期に「一度お試しで見てみたい」という声がちらほら出た。
- 時間をかけて元の状態に戻す、と言われていたが結局一度も昇格しないままオフに退団となった。
誰だよ? 林昌勇みたいとか言ったヤツは?
- その後韓国のネクセン・ヒーローズが獲得したことが報じられた。
実はこれまで韓国球界に所属したことがなく、故郷でプレーするのは初めてとなる。
- 二軍ということもあったかもしれないが、目立ったトラブルや問題行動は聞こえずじまい。
住民期待はずれ(?)。せめてネタ要員して活躍して欲しかった。
キムの問題児履歴
メジャー時代
- スポーツ紙記者に暴力をふるう。
- 地区シリーズ第3戦、ブーイングしてきたファンに対して中指を立てる(第1戦で救援失敗していた)。
またチームメートともうまくいっておらず、シカトされていたという。
- 2005年、レッドソックスからロッキーズへトレード。
その際レッドソックスGMセオ・エプスタインに「あの契約は間違いだった」と言われる。
- 2008年パイレーツ在籍時のスプリングトレーニング中に登板拒否、違約金30万ドルを払って解雇される。
第1回WBC編
- 日本との準決勝で福留の代打先制2ランを浴びた後、すぐさま小笠原へ死球。
一部ファンからHRにキレた故意死球ではないかという声があがった。
その後、韓国投手陣大炎上。自身は敗戦投手ではないもののガソリンを注いだ形となった。
- イチローが歩いてる前にわざとボールを転がし、転ばせようとする。
- ところで「日本に勝利した際、マウンドに太極旗を立てたのがキム」と言われることがあるが、それは別の選手。
- 一応、第2回WBS代表候補にも選ばれていた。ところがハワイでの代表キャンプへの出発直前にパスポートを紛失。
監督に「連絡が取れずコンディションが確認できない」と代表入りを拒否される始末。
楽天時代
- 2011年キャンプの紅白戦で初登板。
わしせん民がかたずを飲んで見守る中、さっそく大廣に死球を与える。
WBCでのことから「大廣が小笠原に見えたのでは?」と言われた。
最終更新:2012年01月29日 00:28