長期の記録

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北アルプス長期合宿の記録


※実際に山行に行ったメンバーが執筆した記録です。

1日目 新穂高温泉/わさび平/鏡平山荘
雨の中、新穂高温泉を出発した。川の流れる音が大きかった。しばらく林道を歩くと最初の山小屋、わさび平小屋に到着した。屋根のあるところに荷物を降ろして、少しほっとした。あとから思うと、初日の歩くペースはかなりゆっくりだったと思うが、そのときは重いザックに慣れていなくて精一杯だった。林道が終わり、登山道に入ると雨が一段と激しなり、またところどころに雪渓が残っていて歩きにくかった。誰かが、「なんだ、この雨は?舐めてるのか!?」といった。たしかに初日からこれだと気が滅入る。もちろん、眺望などない。そんなで、ずっと沢沿いに上って歩いていった。このあたりの記憶は少ない。足を交互に前に出すことしか考えられなかったからだと思う。鏡池山荘に着いたときには、全身濡れていたし、ヘトヘトだった。だから双六小屋まで行くのをあきらめて、ここで小屋泊まりにすることになった。突然もう歩かなくてよくなると、気持ちが楽だった。しかも今晩は布団で寝られるのだ。本当なら池にきれいに映って見えるはずの槍・穂高は見えなかったけれども、とても居心地のいい小屋だった。

2日目 鏡平山荘/すごろく小屋/三俣山荘
この日の行程は、尾根まで1時間くらいで登って、後は三俣山荘まで縦走するというものだった。途中、双六小屋で休憩をとった。寒い。やっぱりとまると合羽から浸透した雨に体温を奪われて、寒い。でも、ここまでは結構すんなりと来られたので、こんな感じならいけるなと思った。どうせ何も見えないし、残雪もあるらしいということで、双六岳と三俣蓮華岳は迂回することになった。こんな調子でいったら全然ピークを見ないで終わってしまうのではないかと少し心配だったが、そんなことはなかった。あと一時間ほどでテント場だというあたりで、初めて晴れ間が見えた。「本当はここはすごいところを歩いているんだよ」と誰かが言った。本当だった。テント場に着いたころにはさらに太陽が照っていたので、濡れたものを干した。

3日目 三俣山荘/鷲羽岳/水晶小屋/野口五郎岳/烏帽子小屋
三俣山荘から、鷲羽岳を登った。初めてのピークだった。この日はとても疲れたが、中でも水晶小屋に向かう3本目が特につらかった。鷲羽の頂上などでは元気だったのが、三本目に入って急にどっと疲れた。こんなでは、烏帽子に着く頃にはゾンビみたいになる気がした。以来、自分のなかでは、3本目は「魔の3本目」になった。水晶小屋から野口五郎、烏帽子へと続く稜線はとても長かった。霧の中から次々と山がでてきて果てしがない感じだった。それと、風。野口五郎の最後の登りは飛ばされそうなほどの強風が吹いていた。山は、人間のためにあるのではないことを感じた。野口五郎小屋からは、あとは平らな道のりか下りだった。それに太陽も出たのでやっと少し笑うことができた。「要塞みたいな」と誰かが言った烏帽子岳が見えてきた。なんとか日没までには間に合いそうだった。それから一時間くらいで烏帽子小屋に到着した。自分はこの日バテてかなり滅入っていたのだが、先輩たちはスタスタ歩くし、「今日調子いい」と言っていた人もいて驚異的だった。

4日目 烏帽子小屋に停滞
いつものように3時に起きると、リーダーの判断で停滞が言い渡された。内心ほっとして、またシュラフを広げた。この展開を予期して、シュラフの中で待機していた人もいた。そして、再び寝た。

5日目 烏帽子小屋/不動岳/南沢乗越/船窪乗越/船窪小屋
まだ暗い中、烏帽子小屋を出発した。昨日烏帽子岳は空身でピストンしていたので、今日は通過した。不動岳、南沢岳と尾根を歩いてく。たしかこのときも霧がかかっていて景色は見えなかった。危険といわれていた南沢乗越は、たしかに足場がジャリジャリしていてそのうえ切り立っていたので注意を要した。そのあとは樹林帯のなかをしばらく下っていく道だった。もともとそういう場所なのか、天気のせいなのか、ほとんど人には会わなかった。後のほうの白馬岳あたりとは大分違う。船窪岳の前後はギザギザしていた。鎖や梯子でたくさん下ったかと思うと、コルがあってまた登りだった。そしてそれが何度か繰り返された。まだかまだかと歩いていくと、突然トイレが現れた。その先に少し開けたところがあり、それがテント場だった。雨が降り始めていたので強風のなか急いでテントを立てた。自然は容赦してくれなかった。夜、テントの中で話し合いがあった。思ったように進めていないので、親不知をあきらめることも選択肢に入れなければならないということだった。「メンバーの体力を過信していた」「こんなに余裕のないのはまずい」と厳しい言葉が出た。テントをたたく雨の音を聞きながら、寝た。

6日目 船窪小屋/蓮華岳/針ノ木小屋
幸い、テントをたたむときには雨は止んでいた。風と雨が強い中、足元だけをみて進んでいった。雨はもうたくさんだった。テント場をあとにしてから3時間くらい、ずっと同じような道を黙々と歩いていった。蓮華ののぼりの手前で1本休憩をとったときには、太陽が出て少し温かくなっていた。思えばこのとき以降は、ほぼ好天に恵まれたのだった。蓮華の大登りは、岩にはりつくような登りからはじまった。頂上の手前の、斜面をジグザグに上がっていく道沿いにはコマクサが生えていた。そして、突然霧が晴れたのだった。山の下のほうまで見えたし、遠く南には槍ヶ岳がしっかりみえた。はじめて山に来ているんだという気になった。蓮華岳の山頂でお茶を沸かしているとまた霧が出てきてしまったが、こんな景色はこれからたくさん見られることだろう。針ノ木小屋まで下っていった。テント場ではすばらしいことが起こった。

7日目 針ノ木小屋/赤沢岳/新越山荘/種池山荘
針ノ木岳への登りでは、この山行で初めて日の出を見ることができた。サポートに来てくださった先輩方とは山頂で別れた。ここからは、1時間ごとくらいにピークを踏んでいった。針ノ木岳、スバリ岳、赤沢岳、鳴沢岳、というふうに。雲海を見下ろしながらの稜線歩きは気持ちがよかった。赤沢岳からは、景色の終わりに日本海が見えた、ような気がしたが本当に見えていたのかどうかは分からない。いずれにしても、まだ海は遠かった。昼ころには、新越山荘に着いた。ここからコースタイム2時間30分でテント場だ。ただ、このころにはうすうす感じていたのだが、一日の行程で最もきついのは、テント場につく前の2~3時間なのだ。これは、一日5時間の日だろうが11時間の日だろうが大差ないから不思議だ。たぶん、もうすぐ着くはずだという期待が、まだ着かないという苛立ちを引き起こし、その苛立ちが疲れを増すのだと思う。この日も例外ではなく、新越山荘から種池山荘までの植生ゆたかな道のりは、太陽にじりじり炙られて苦しかった。少し前までは、有り難かったお日様なのに。人間はわがままで、弱い。種池山荘のテント場には所狭しとテントが張られていた。小屋からは今日出発した針ノ木小屋が小さく見えた。

8日目 種池山荘/爺ヶ岳/冷池山荘
種池山荘からはすでに、冷池山荘が見えている。爺ヶ岳の三つのピークを越えれば、2時間あまりで今日のテント場に到着した。なんて楽なんだろうと思った。テント場は日差しが異様に暑かった。すこし涼しくなったところで、皆でトランプをしていると脇を登山客が多く通った。中学生の一行もいたし、なかには扇沢から鹿島槍岳を日帰りで登っているという、強者のおじさんもいた。

9日目 冷池山荘/鹿島槍ヶ岳/八峰キレット/キレット小屋
久しぶりに、朝から雨だった。真っ白な中を淡々と歩いていくと、いきなり布引山の頂上に着いた。結構いいペースで来ているみたいだ。さらに1時間ほどで鹿島槍南峰に来た。しかし、数メートル先が見えないような霧だったので、写真を一枚撮って先へ進んだ。北峰へ向かう道との分岐を過ぎると、しばらく急な下りだった。そして、本日の危険箇所、八峰キレットは絶壁に梯子が貼りついている感じで恐ろしかった。よくこんな所にルートを作ったと思った。霧が濃かったので分からなかったのだが、キレット小屋は意外と近かった。小屋に一番乗りで入り、お茶を飲んだり漫画を読んだり、ゆっくり過ごした。そのうちに小屋はたくさんの登山者で埋まった。そのなかには筑波大の先輩の方もいた。この日の夕飯、五目御飯と麩の蒲焼はおいしかった。夕方は雲が取れたので、小屋の窓から夕日が差し込んできた。

10日目 キレット小屋/五竜岳/唐松山頂小屋
キレット小屋から五竜岳までの稜線歩きは結構タフだった。4Gとか5Gとか、峻険な小ピークをいくつも越えていかなければならない。しかも、水平距離にしてもかなり長かった。前方の五竜岳と後方の鹿島槍とを見比べては、どっちが近いか測っていた。でも朝の時間に稜線を歩くのは気持ちがよいものだった。五竜岳に着いた時には、出発から5~6時間は経過していたように思う。ザックをおろして少し離れたピークまで歩いていった。ザックがないと、嘘のように体が軽い。「跳んでいけるぜ!」と誰かが言った。五竜岳の360度の眺めを楽しんだあと、五竜山荘まで下った。後ろを振り返ると、今さっきまでいた五竜岳は黒い雲の中だった。危なかった。だんだん日差しがうっとうしくなってくる時間帯のなか、唐松山荘までてくてく歩いていった。唐松山荘は斜面に平行に伸びた巨大な山小屋で、下の方に点々と張られたテントを見下ろしていた。剣岳がとてもよく見えた。

11日目 唐松山頂小屋/不帰キレット/天狗の頭/天狗山荘
長期用に持ってきた3枚のエアリアマップのうち、最後の一枚に入った。そろそろ終わりが見えてきた。唐松岳山頂で小休止をして、いよいよ不帰瞼だ。不帰Ⅱ峰南峰と言うところから、一気に鎖をつたって降下し、しばらく北へ進むと大きな一枚岩を下った。途中、足場が悪いところがあって、後ろから来た登山客が石を落としてしまい、あわや下で待っていた人たちにぶつかるところだった。そういう不注意から山の事故は発生するのだろう。「不帰キレット」と呼ばれる地点を過ぎると、天狗の400mの登りだった。急な斜面を上がりきると、平坦な道が天狗の頭へと続いていた。ここの道は気持ちが良くて、別天地に来たようだった。お花畑も点在していた。天狗山荘は、大きな雪渓のふもとに建っていたので、水場では雪渓の冷たい水が豊富にでていた。その水で足や顔を洗った。テントを張ってのんびりしていると、雪渓の上から3人の先輩方が現れた。2回目のサポート隊だった。この日の夕飯は、下界でもないくらいの豪華さだった。

12日目 天狗山荘/鑓ヶ岳/杓子岳/白馬山頂宿舎
鑓ヶ岳は真っ白な石でできた山だった。じゃりじゃり登っていった。山頂からの眺めはとてもよかった。少し下ってまた登って、杓子岳の山頂に着いた。今日は日程に余裕があるので、ここでは長めの休憩をとった。皆で、太陽の下で昼寝をした。山の頂上で昼寝をしたのは初めてだった。白馬山頂宿舎のテント場は、尾根から脇へ、少し窪んだところにあった。斜面に黄色い花がたくさん咲いて、青い空に(不吉でない)雲が浮かんでいた。あまりにも長閑だったので、「ここは天国か!?」と思わず叫んだ人がいた。でも、本当にそんな感じだった。時間が経つと、人が次第に増え、テント場はみるみる埋まっていった。60梁はあった。大雪渓を登ってきたのだろう。とても小さい子を連れた人もいた。初めの方の三俣・烏帽子などとは大きな違いだ。ハガキを書くなどして時間をすごすと、また日没の時間になった。白いはずの鑓・杓子が真っ赤に染まっていた。

13日目 白馬岳/雪倉岳/朝日小屋
日の出を白馬岳山頂で見るには間に合わず、歩きながら朝日を拝んだ。白馬岳は2932mで、今回の山行の最高峰だった。北の方角をみて、ここから日本海までの道のりを遮るものはもはや何もない、と思った。白馬岳から雪倉岳までのルートは、遠くまで見渡せたし、丸い斜面に花がたくさん咲いていて、良かった。赤い朝日小屋の屋根が遠くに小さく見えた。雪倉岳からはぐんぐん高度を下げていき、樹林帯に入った。朝日岳を巻く水平道に残っていた雪渓のうえで長めの休憩をとった。暑くて仕方がなかったからだ。真夏の雪を楽しんだあと、最後の一本で朝日小屋に到着した。暑い、暑い、これぞ夏だ。長引いた梅雨が開けないまま高山帯に突入した我々にも、夏が到来したようだった。

14日目 朝日小屋/朝日岳/栂海小屋/白鳥小屋
親不知は近い。しかし、それには今日のコースタイム11時間を歩ききらなければならない。パーティーの皆にそういう緊張感があった。だから、最後の2000m級だった朝日岳も、10分きっかりの休憩で後にした。草原の中に敷かれた木の道の上を歩いていった。4時間くらい歩いたところで南北に走る尾根の上に乗った。なんだかもう半分下界にいるような気がしていたのだが、まだ山の上にいるのだった。その尾根の上を、のぼりくだりを繰り返しながら栂海山荘まで歩いていった。ここから白鳥小屋まで3時間半。疲れはしたが、まだ余力はある。もしかしたら今日の行程は、心配したほどには過酷ではないのかも知れなかった。一時間ほど歩いたところに、黄連の水場という場所があり、今日の分の水を汲んだ。このころには、ザックを開けたり閉めたりするのも嫌なくらい疲れていた。でも日が暮れる前に着かなくてはいけないので進んだ。ここからの下駒ケ岳ののぼりはとても急で、息があがった。最後のほうは、30分に一回くらい休憩をとらざるを得ないような状況だったが、無事に白鳥小屋にたどり着くことができた。梯子で小屋の屋根に上がると、日本海が見えた。海は、夕日に赤く染まっていた。海岸線は、すぐ足元にあるみたいだった。

15日目 白鳥小屋/親不知海岸
白鳥小屋からはぐんぐん下っていった。なにしろ、今日は標高0mまで行くのだから。深い森のなかを歩いた。太陽は出ていたが、それは木漏れ日となってやわらかく降り注いだ。気持ちのよいさわやかな風が吹いた。海の予感がする気がしたが、思い込みだっただろうか。久しぶりに見る車道の上で休憩をとり、さらに下っていった。残り400mのくだりを残すのみとなったところで、最後の一本をとった。「海に着くまで転ぶなよ」とリーダーが言った。たしかに、心がはやって転んでしまいそうだった。最後は赤っぽい杉の斜面を下りていくと、国道が現れた。国道を渡ると日本海だった。
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