6月19日(金)

前回の上野でのミーティングでの続きとして  記入:桐生眞輔

桐生眞輔の「浮光」について批評会

スーザン・ソンタグの『写真論』の
幾つかの引用から、今回の制作について考察を加える。


●写真の攻撃性の部分について

●写真における経験の要素について

●展示による経験の表現について

そのほか文身「忍」についての
制作プロセスや背景などについて紹介が行われた。

今回、8×8での展示に向け、幾つかの案を実験的に進めようと
試みたが、そこで3つほどの案があったので、そのことについて
触れた。

「実験」する、実験とは、私は「失敗する事」、「失敗の危険性、可能性を
負ってでも自己拡張を目指す事」だと考えている。安定性のないもの、
責められる要素のあるものだと考える。こうした姿勢のなかで制作を試みる
ことが時間と思考を積み重ねる事で次第に表現として立ち上がることに
繋がる。

今回この展示に関してa、b、c、とプランの経緯について説明する。


a,写真と墨の表現について(別体系の制作)

b,文身表現を書的な表現と組み合わせインスタレーション的拡張を目指すことについて

c,文身表現の映像と写真、見せ方によって、異なる要素、意味を引き出す展示について

 表現には

種の段階

芽が出た段階

細木の段階

木の段階

樹の段階

と色々な段階があるのだと考えている。

a,のものは種の段階のもので、種の段階のものは「直感」と「思いつき」
のものが多い。

表現として成立させるという事は、
これら「直感」と「思いつき」、分断した色々な要素に
整合性と体系を与え、統一させて形を与えていく事
だと考える。


今回は墨と写真の表現について、そこに「何らかの要素」を
加える為に音楽的な世界とどうしたらつなげられるだろうか
(現時点で音楽は一例で、何らかの要素が重要)という思案
とそこでの痕跡についての提示であった。
それは表現として成立していないし、展覧には至らないもので
整合性、必然性がない所からの出発点のものである。

それをどのような進め方、思考の展開の仕方、整合性のとり方
視点の向け方を話せるかが、ゼミとして素材を持ち出してくる
意味かと考えていたが、今回の発表ではうまくそのように
作用せず残念なものとなった。


桐生の発表後、

佐藤先生の台湾、1839當代藝廊での展示に関しての紹介


現地での展示風景を中心に、先生の現地での交流などを写真の
スライドショーで鑑賞。

海岸の侵食された岩の風景など、感銘を受ける景色や、
幾つかの工場やお店などが写真で紹介されFRPで作られた仏像の制作風景、
などは面白く、笑みがこぼれた。


その後、田中一平君の今8×8で行われている展示、

Material Ability -素材力の編集-

についての公表会を行う。田中君が今まで追及してきた、「仕組み」と「表現」が今回の展示によって再構築され、統一されてきた展示となっている。

2枚のガラス板の間に5ミリ程度の間隔あけて額をつくり、そのガラス板の間に
パラフィンワックスが満たされているもので、それに電球を近づけることで
パラフィンワックスが溶けて背後にあるイメージが視認されるという
システムの作品である。

当人曰く、制作途中で、パラフィンワックスを溶かすさいにガラスがひび割れる
といった素材のコントロールに問題が生じたと述べていた。

素材について、展示の構成について幾つかの議論が重ねられるのが、どのような定義、田中君の思想が介在したのかを、もっと議論できればより豊かなものになるだろうと感じられた。
最終更新:2009年06月21日 20:13
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