12月9日(金)

12月9日(金)ミーティングログ
記入:髄
前半:展覧会リサーチ
後半:今後のMTGについて

高山登 退任記念展「枕木―白い闇×黒い闇」のリサーチ

浅香ver

搬入時の感想
枕木の60~70キロ、足に落とすと潰れるレベルの重量、薬品の匂いを身体的に感じた。

展覧会を観て
搬入時に使った労力、時間が一気に感じ取れてしまった。
彫刻科の学生の「何も作っていないのに何処を観れば良いのか?」と言うセリフを聞き、「そのモノでない知覚」について考察する事となった。
まずは、背景、時代的関連性についてリサーチした。
本来はレールを安定させ固定する為の枕木を不安定に構築していくことにショックを受けた。
満州鉄道の手記を読んだものの、作品と有機的につながる感じがしなかった。
それよりも満州鉄道の写真と展覧会の図録を見比べた時、近代化に対する生贄の意味合いが伝わってきた。
枕木=枕木を運んだ人々のミイラ
枕木が実際に使われている写真を見て初めて枕木の意味を知ることが出来た。

萩原ver

宮城県美術館での展示の紹介
無骨と言うイメージが強かったが、鉄のベットピアノと組み合わされている事で耽美な感じがした。非常灯すらも作品の中に取り込まれていた。展示室から廊下まで枕木が展示されていた。

登米市の展示の紹介
自然の中にスパイラル状の枕木が展示されていた。

人柱についての考察
神話などでは無い近代の人柱とは?
タコ部屋労働(戦前1870~1946)の北海道、道路、鉄道建設
定紋トンネル(1914年開通):「人柱」の遺体が発見される
トンネル、炭鉱の場合、火災発生時に火を止める為、人が入っているにも関わらず注水して鎮火させることがあったが、災害を防ぐための人柱という意味合いがあった。また、過酷な労働で死んだ人たちを埋葬する事すらなく、壁に埋めていってしまった。

田中泯のパフォーマンスを観て
輪廻、解放されない、重し、「舞踏とは命がけで突っ立つ死体(土方巽)」永遠の中間地点を感じた。
解放されない苦しみを感じた展覧会だった。

議論
近代の美術は造形的だが、リチャードセラ等の造形処理をしないで連想させる動きが出た。
宮城県美に比べてさらに作らない方向に行ったのは3.11を経て、破壊などのイメージが現実になってしまった。その為、空間的に迫ってこないが地に着く感覚を覚える作品になり、その分考える必要を感じる。
枕木の使われ方を知ない世代は満州鉄道まで遡るが、昔は線路が身近だったので枕木を見るとその事を思い出せる。
もの派は多摩美の人たちが中心になって起こしたので、一緒にされるがちであるが違う。時代的には新表現主義へと移行して行く
関東大震災で在日朝鮮人の方々が死んでいった隅田川を見つめている高山先生の目が印象的だった。その静かな空間に作者の身体感覚を感じた。
作家が身近な存在だった為、作品の背景を知りつつ、個人が感じた事を話し合う事が出来る密度の濃い時間となりました。

今後のゼミに関するmtg

12月22日 上野図書館MTG 17:30~
各自、今年を閉める一言、一文字と、5分程やりたかった事、やれなかった事を話す。
その後、駅馬車にて打ち上げ
最終更新:2011年12月13日 14:03
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