「ノエ【10】」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

ノエ【10】」(2006/01/22 (日) 11:39:08) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

<h2>ノエ(10)</h2> <p align="right">見習氏</p> <p> 身に覚えのある額の痛みと、身に覚えのない後頭部の痛みで目が覚めた。<br> 覚醒へと近づく意識は白い靄に包まれ、昨日の事をうまく思い出せないで居る。<br> 「……ああ、私は――結局、裏庭で眠ってしまったのか……」<br> ふと、周囲を見回す。今居るここは間違いなく私の屋敷の客間だ。<br> はて、私には夢遊病の気があったのだろうか。と首を傾げていると、客間の扉が開き、<br> 誰かが入ってくるのを感じた。賊か?と一瞬身を硬くする。<br> 「……誰だ。私の屋敷で何をしている」<br> 頭の回転速度を上げる。コンディションは良好、頭の痛さも然したるものではない。<br> 三人以下なら是を撃滅。四人以上なら戦略的撤退。我が屋敷に押入るとはいい度胸だ。<br> 私を侮辱するとどうなるか、たっぷりと体で教えてやる。さあ来い、賊め――<br> 「兄様?起きられたのですか?」<br> よく見れば。ああ、賊ではない。一気に目が覚める。頭が冴え渡る。<br> 声の主は盆にティーセットと濡れたタオルを乗せて慎重な足取りで歩いてくる。<br> そこまで細かく注視できるというのに……私は己の浅薄を哂った。<br> 「そうだ、そうだったな。私は君に来てくれと頼んだ。頼んだのだ。そして今君がここにいる。<br> 何も問題はないし、矛盾もない。ただ一つ、私が暈けていただけの事だ。<br> ――おはよう、ルーク=ウェルマー。遠い所を態々、すまないな」<br> 笑顔で差し出した握手の右手に、ルークは自らの手ではなく、濡れたタオルを置いた。<br> 「おはようございます。頭、冷やしてください。湯浴みの準備も出来ていますので、是非どうぞ。<br> その様に草臥れたみすぼらしい格好の兄様は、見るに耐えません」<br> <br> ――私は何時、ルークを怒らせるようなことをしただろうか?<br> 力なく笑いながら浴室へ向かう私の背中に、ルークの鋭い視線が容赦なく刺さっていた。</p> <p> 突っ撥ねるような言動のその実、ルークの気配りは完璧に近い程素晴らしい。<br> 使用人としての才能があるのではないか、と思うが、何れ紳士となり国を支える少年に<br> そんな事をさせるわけにはいかないのだ。全くもって、惜しい。<br> <br> 「いい湯だった。着替えも用意されている。おまけに紅茶の準備まで出来ている……完璧だ。<br> ルーク。どうだ、私の屋敷で働かぬか?三食昼寝付き、個室アリだ。いい条件だと思うが」<br> 途端、怒りで顔を赤くするルーク。からかうのは楽しい。紳士にあるまじき行為だが、これ位は大目に見てくれよう。<br> 「……冗談だ。何、そう怒るな。偶には冗談の一つも吐いてみたくなる」<br> 「兄様の冗談は、僕にとっては洒落になりません。……愚鈍な兄様には、何の事かお解かりにならないでしょうけど」<br> 腕を組んで、そっぽを向いてしまうルーク。愚鈍、という響きに一瞬眉根を寄せるが、こういう時は私から折れなければ<br> ならないことも知っているつもりだ。<br> これ好機とばかりに、そっぽを向いているルークの隙を見て、その頭に手を置いた。<br> 髪の流れに逆らわぬように、力を入れずに撫でてやる。<br> 「はは、よしよし。そう臍を曲げるな。私が他人への賞賛を口に出すなど、滅多にないことなのだぞ」<br> ルークの髪は、黒く美しい。……本人は混血であることの証明のようなものだ、と嘯いていたが。<br> 黄金や白銀で美しい、と感じるのは当然だ。それは見慣れぬし、その色のものが大抵高価であるから。<br> だが黒、全ての色素を以ってして尚存在を誇示し続ける漆黒。<br> どこにでもある、当たり前の色を以ってして美しいと思わせるのだ、ルークの髪は本当に素晴らしい。<br> 「……僕は、犬ですか。……そんな事で、機嫌を直すとでも、思ってるんですか……」<br> とは言うが、言葉に棘がない。顔も赤い。ルークは感情を隠せない。尻尾があったなら、きっと千切れる程に振っているだろう。<br> 時に行動は、言葉を凌駕する。そんな言葉をかみ締めていた。</p> <p> 「…そうか、不快か。いや、すまん。私はルークの髪の毛を触る悪癖があるようだ。自重しよう」<br> わざとらしく眉根を寄せ、手を引く。<br> 「……あ……兄様は僕の事を犬か何かと勘違いしてらっしゃいます」<br> 俯くルーク。言葉の端々に残念そうな含みが聞こえて、つい笑ってしまう。<br> 「ふむ。私は猫より犬が好きだが、確かに紳士を犬扱いするのは失礼の極みだな。<br> 本当にすまなかった。もう二度としないと誓おう」<br> 宣誓のように、胸に手を当てて言う。<br> 「…い、いえ、その…兄様がそうなさりたいのなら、僕は一向に構いませんが!」<br> 語気が荒いのは、慌てているからであろう。それがたまらなく可笑しい。<br> 「そうか。よし、漸くルークの許可がおりたのだ。今日はゆっくりと時間をかけてその髪の手触りを<br> 愉しませてもらおうか」<br> …自分でも破綻した事を言っているのはわかっている。<br> だが、ルークの言動は私の悪戯心を助長するのだ。こればかりはどうしようもない。<br> 再びルークの頭に手を伸ばし、艶やかな髪の手触りを愉しもうとしたその時――客間の扉が開いた。<br> <br> 碧色の眼を擦りながら、その人物がやってくる。ルークのそれとはまた違う美しさの金髪が、朝の陽光を浴びて輝く。<br> 何ということ、何という失念。私は今の今まで、彼の事を頭の片隅においやってしまっていた。<br> それはまるで、思い出したくない事――昨晩の私の痴態――から逃れるように。<br> 「兄様?」<br> 一向に髪を撫でる気配がない、そう思ったのか、ルークが伺うように私を見る。そして、彼を見て、言葉を詰まらせる。<br> <br> 輝ける金色の髪。穏やかな光を湛える碧眼。そのか細く白い肌には、乱雑に短く切られた私のガウン。<br> <br> 「おはよう、ノエ。よく眠れたか?」<br> 肯定するように一度だけ頭を振る。まだ夢から醒めきらぬその顔に、まるで毒気のない微笑みを浮かべて――</p>
<h2>ノエ(10)</h2> <p align="right">見習氏</p> <p> 身に覚えのある額の痛みと、身に覚えのない後頭部の痛みで目が覚めた。<br> 覚醒へと近づく意識は白い靄に包まれ、昨日の事をうまく思い出せないで居る。<br> 「……ああ、私は――結局、裏庭で眠ってしまったのか……」<br> ふと、周囲を見回す。今居るここは間違いなく私の屋敷の客間だ。<br> はて、私には夢遊病の気があったのだろうか。と首を傾げていると、客間の扉が開き、<br> 誰かが入ってくるのを感じた。賊か?と一瞬身を硬くする。<br> 「……誰だ。私の屋敷で何をしている」<br> 頭の回転速度を上げる。コンディションは良好、頭の痛さも然したるものではない。<br> 三人以下なら是を撃滅。四人以上なら戦略的撤退。我が屋敷に押入るとはいい度胸だ。<br> 私を侮辱するとどうなるか、たっぷりと体で教えてやる。さあ来い、賊め――<br> 「兄様?起きられたのですか?」<br> よく見れば。ああ、賊ではない。一気に目が覚める。頭が冴え渡る。<br> 声の主は盆にティーセットと濡れたタオルを乗せて慎重な足取りで歩いてくる。<br> そこまで細かく注視できるというのに……私は己の浅薄を哂った。<br> 「そうだ、そうだったな。私は君に来てくれと頼んだ。頼んだのだ。そして今君がここにいる。<br> 何も問題はないし、矛盾もない。ただ一つ、私が暈けていただけの事だ。<br> ――おはよう、ルーク=ウェルマー。遠い所を態々、すまないな」<br> 笑顔で差し出した握手の右手に、ルークは自らの手ではなく、濡れたタオルを置いた。<br> 「おはようございます。頭、冷やしてください。湯浴みの準備も出来ていますので、是非どうぞ。<br> その様に草臥れたみすぼらしい格好の兄様は、見るに耐えません」<br> <br> ――私は何時、ルークを怒らせるようなことをしただろうか?<br> 力なく笑いながら浴室へ向かう私の背中に、ルークの鋭い視線が容赦なく刺さっていた。</p> <br> <p> 突っ撥ねるような言動のその実、ルークの気配りは完璧に近い程素晴らしい。<br> 使用人としての才能があるのではないか、と思うが、何れ紳士となり国を支える少年に<br> そんな事をさせるわけにはいかないのだ。全くもって、惜しい。<br> <br> 「いい湯だった。着替えも用意されている。おまけに紅茶の準備まで出来ている……完璧だ。<br> ルーク。どうだ、私の屋敷で働かぬか?三食昼寝付き、個室アリだ。いい条件だと思うが」<br> 途端、怒りで顔を赤くするルーク。からかうのは楽しい。紳士にあるまじき行為だが、これ位は大目に見てくれよう。<br> 「……冗談だ。何、そう怒るな。偶には冗談の一つも吐いてみたくなる」<br> 「兄様の冗談は、僕にとっては洒落になりません。……愚鈍な兄様には、何の事かお解かりにならないでしょうけど」<br> 腕を組んで、そっぽを向いてしまうルーク。愚鈍、という響きに一瞬眉根を寄せるが、こういう時は私から折れなければ<br> ならないことも知っているつもりだ。<br> これ好機とばかりに、そっぽを向いているルークの隙を見て、その頭に手を置いた。<br> 髪の流れに逆らわぬように、力を入れずに撫でてやる。<br> 「はは、よしよし。そう臍を曲げるな。私が他人への賞賛を口に出すなど、滅多にないことなのだぞ」<br> ルークの髪は、黒く美しい。……本人は混血であることの証明のようなものだ、と嘯いていたが。<br> 黄金や白銀で美しい、と感じるのは当然だ。それは見慣れぬし、その色のものが大抵高価であるから。<br> だが黒、全ての色素を以ってして尚存在を誇示し続ける漆黒。<br> どこにでもある、当たり前の色を以ってして美しいと思わせるのだ、ルークの髪は本当に素晴らしい。<br> 「……僕は、犬ですか。……そんな事で、機嫌を直すとでも、思ってるんですか……」<br> とは言うが、言葉に棘がない。顔も赤い。ルークは感情を隠せない。尻尾があったなら、きっと千切れる程に振っているだろう。<br> 時に行動は、言葉を凌駕する。そんな言葉をかみ締めていた。</p> <br> <p> 「…そうか、不快か。いや、すまん。私はルークの髪の毛を触る悪癖があるようだ。自重しよう」<br> わざとらしく眉根を寄せ、手を引く。<br> 「……あ……兄様は僕の事を犬か何かと勘違いしてらっしゃいます」<br> 俯くルーク。言葉の端々に残念そうな含みが聞こえて、つい笑ってしまう。<br> 「ふむ。私は猫より犬が好きだが、確かに紳士を犬扱いするのは失礼の極みだな。<br> 本当にすまなかった。もう二度としないと誓おう」<br> 宣誓のように、胸に手を当てて言う。<br> 「…い、いえ、その…兄様がそうなさりたいのなら、僕は一向に構いませんが!」<br> 語気が荒いのは、慌てているからであろう。それがたまらなく可笑しい。<br> 「そうか。よし、漸くルークの許可がおりたのだ。今日はゆっくりと時間をかけてその髪の手触りを<br> 愉しませてもらおうか」<br> …自分でも破綻した事を言っているのはわかっている。<br> だが、ルークの言動は私の悪戯心を助長するのだ。こればかりはどうしようもない。<br> 再びルークの頭に手を伸ばし、艶やかな髪の手触りを愉しもうとしたその時――客間の扉が開いた。<br> <br> 碧色の眼を擦りながら、その人物がやってくる。ルークのそれとはまた違う美しさの金髪が、朝の陽光を浴びて輝く。<br> 何ということ、何という失念。私は今の今まで、彼の事を頭の片隅においやってしまっていた。<br> それはまるで、思い出したくない事――昨晩の私の痴態――から逃れるように。<br> 「兄様?」<br> 一向に髪を撫でる気配がない、そう思ったのか、ルークが伺うように私を見る。そして、彼を見て、言葉を詰まらせる。<br> <br> 輝ける金色の髪。穏やかな光を湛える碧眼。そのか細く白い肌には、乱雑に短く切られた私のガウン。<br> <br> 「おはよう、ノエ。よく眠れたか?」<br> 肯定するように一度だけ頭を振る。まだ夢から醒めきらぬその顔に、まるで毒気のない微笑みを浮かべて――</p>

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
目安箱バナー