血塗られた尾根
- 対戦日時:1942年9月13日
- 戦闘形態:日本軍の攻撃戦 対 米国海兵隊の防御戦
- 作成:Bill Wilson
1942年8月、合衆国軍はミッドウェーでの勝利に続いてガダルカナル島に上陸、部分的に完成した日本軍の滑走路を奪取した。この飛行場は米軍のもとで完成し、ヘンダーソン飛行場と名づけられた。即座に日本軍はこの飛行場を奪還せんと断固とした攻撃を仕掛け、合衆国第1海兵隊師団を撤退させしめんとした。
テナル川付近での攻勢が失敗した後、日本軍は川口大佐率いるより強力な部隊を上陸させた。この部隊は第124歩兵連隊第1大隊と第124歩兵連隊第3大隊、第4歩兵連隊第2大隊からなるものであった。
連合軍の沿岸警備隊とその現地人斥候部隊は海兵隊に川口支隊の到着と進撃を警告した。日本軍の進撃を止めるため選ばれたのは「レッド・マイク」エドソン中佐率いる第1レイダー大隊である。エドソン中佐は来るべき日本軍の攻勢はヘンダーソン飛行場南の草に覆われた尾根を通るものと断定した。第1レイダー大隊は連日の戦闘で疲労困憊であったが、この尾根に布陣し、日本軍を待ち構えた。
日本軍の最初の攻撃は9月12日の夜に開始されたが、集結地点に全部隊が集結できていなかったため成功しなかった。この攻撃の後、エドソン中佐は彼の指揮下のレイダー部隊、空挺部隊を尾根の中央部付近の新たな地点に後退させた。
日本軍の主攻撃は9月13日夜に開始され、エドソン中佐率いる部隊は川口支隊の2つの大隊の攻撃を受け止めることとなった。兵士たちは疲労の極致にあったが、海兵隊の機関銃の砲火、手榴弾、砲兵部隊の砲撃は日本軍の波状攻撃を食い止め続けた。9月14日の朝までには700名の日本兵の死体が尾根を覆い尽くしていた。エドソン中佐率いる部隊も60人の死者、103名の負傷者を出していたが、なおも尾根を保持していた。その後、この草に覆われた小さな高地は「エドソンズリッジ(エドソン尾根)」あるいは「ブラッディーリッジ(血塗られた尾根)」として広く知られることになる。
ガダルカナル島の戦い全体が合衆国軍の伝説としての側面を持つようになってもなお、「血塗られた尾根」での戦闘は第二次大戦中において合衆国軍がなした中でも最高の勇戦の一つとして屹立している。
我が軍へと進撃してくる日本軍歩兵部隊は3千から4千人と推定される。貴官へ命ずる。部隊の交代までこれを死守せよ。忠誠と共にあれ。
ユニット名中の略語の意味
Inf―歩兵大隊
Para―海兵隊第1空挺大隊の残存兵
Wpn―火器
出典:Richard B. Frank著「Guadalcanal」、pp. 235-241
translated by Tokiedian
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最終更新:2014年07月16日 02:07