連携
- 対戦日時:1936年10月29日
- 戦闘形態:スペイン共和派軍攻撃戦 対 スペインナショナリスト派防御戦
- 作成:Ed Mortimer
- V6でアップデート
スペイン内戦は世界に戦車戦についての多くの教訓を教えることになった。そして、その教訓の多くは多大な犠牲を以て得られることとなった。このシナリオはマドリード郊外のナショナリスト派の陣地に対する共和派の諸兵科連合部隊の攻撃をシミュレートするものである。この攻撃を率いるのは華麗なるラトヴィア人戦車指揮官ポル・マティソヴィチ・アルマンである。(「状況はそんなに悪くない。やつらには15000人の兵士がいる。我々には15両の戦車がいる。それで兵力は同じだ!」)
攻撃計画にはすべての重要な要素が含まれていた。砲兵・航空機・歩兵・戦車である。だが実際の作戦にはたった一つ欠けていたものがあった:連携である。戦闘後の報告で双方が勝利を主張するに至った史実の結果を変え、共和派に決定的勝利をもたらすにはどうすればよかったのだろう。
砲兵の砲撃は間違った場所に着弾し、正しい目標を見つけるまでには時間がかかった。航空攻撃は非力で、決まった目標をもたなかった。アルマンは歩兵の前をさっと通り過ぎ、前進を続けた―歩兵をはるか後方に展開されたまま置き去りにして。歩兵は消えた戦車に追いつこうとするばかりだった。
この戦車部隊はセセーニャ市の交差点に集結しているナショナリスト派の新たに編成された戦車中隊と潰走する練度の低い歩兵部隊に遭遇した。アルマンはセセーニャを通り過ぎ、エスキヴィアスとボロクスのナショナリスト派の後方陣地を攻撃しようとした―そして彼の歩兵部隊がはるか後方にあったため、潰走したナショナリスト派の戦力が再集結し戦車部隊の後方に接近するのを止めるものが誰もいなくなってしまったのである。大きな可能性をもってはじまったことが必至の苦闘へと変わった。結局アルマンはセセーニャから退却することになるのである。
その時展開されていたT-26戦車の全てにそれぞれソヴィエトの軍事「アドバイザー」が配置されていた(ソヴィエトの戦車兵が34人、スペイン人の乗員が11人いた)。またナショナリスト派の将兵にはイタリア人が多くいた。この戦闘はスペインのみならず、ソヴィエト連邦とイタリアにも経験を与えることになった。
さらに指摘しておくこととしてこの戦いはスペインで最初にモロトフカクテル(ガソリン爆弾)、そして対戦車地雷が使用された戦いとされている。またこの戦いはイタリア軍の豆戦車が「本物の」戦車と戦うには非常に武装の威力不足、装甲不足であることが形として示された最初の戦いでもあった。
このシナリオは共和派側でプレイするように作られています。もしナショナリスト派でプレイしたい場合は戦車に捕捉されるまでセセーニャの町に部隊を移動させないこと―そして共和派軍の装甲強度と偵察能力を150%に増やし、AIの戦術のまずさを打ち消してください。
AAR
対AI戦
対人戦
最終更新:2014年07月16日 01:56