オマハビーチ
(V4で改訂)
- 対戦日時:1944年6月6日
- 戦闘形態:合衆国軍攻撃戦 対 ドイツ軍防御戦
- 作成:Bill Wilson
「貴官はヨーロッパ大陸に進軍する。そして他の連合国と共同してドイツの心臓部とその軍隊の崩壊を目標とする作戦を開始するのだ。」合衆国軍将軍ドワイト・D・アイゼンハウアーはナチスに支配されている西ヨーロッパの解放の任務を命じられた。
連合国軍のヨーロッパ大陸への上陸計画ではイギリス軍に二か所、カナダ軍に一か所、アメリカ軍に二か所の上陸地点が割り当てられていた。。アメリカ軍担当の二か所は上陸地域の西端にあたり、それぞれ「オマハ」「ユタ」のコードネームが与えられていた。この二つの海岸のうち、オマハはユタビーチとイギリス軍担当の2海岸の間に位置する最も重要な地点であった。もしオマハへの上陸が失敗すれば、ドイツ軍は分かれた敵上陸地点を簡単に各個撃破できるであろう。D‐デイを成功させるためにはオマハビーチへの上陸を成功させなければならないのだ。
第16・第116増強歩兵連隊は1944年6月6日火曜日0630にオマハビーチへと上陸した。高練度のドイツ軍歩兵大隊の奇襲、荒れた海、不十分な空軍・海軍の支援によって、オマハビーチの合衆国陸軍は大敗北一歩手前にまで追いつめられることとなった。
最終的には個々人の自発性や小部隊の統率力、常軌を逸したまでの豪勇がアメリカ軍を前進させた。その日の終わりには合衆国軍に2000名以上の死傷者が、オマハをその全力を尽くして防衛していたドイツ軍に1000名以上の死傷者が出ていた。ドイツ軍の必死の反撃も失敗したことにより、合衆国軍はこの地点に橋頭保を確保し、遂に他の橋頭保との連絡にも成功することとなった。
この戦場となりし浜辺
自由の門よ
我らが祖国の同朋の
勇気と犠牲によりて
そは永遠に崇め奉られん
―オマハビーチアメリカ軍共同墓地のコローネードにある碑文
「レンジャーが道を拓く!」(第29歩兵師団副官ノーマン・コタ将軍:1944年6月6日、オマハビーチにて)
「このビーチから動かない奴は二種類、すでにくたばった奴と、もうくたばっちまう奴だ―さあ、ここからさっさとズラかるぞ!」(第16歩兵連隊連隊長ジョージ・テイラー大佐、1944年6月6日)
O部隊指揮官たる貴官の任務はカブール―ヴィエルヴィル間に橋頭保を確保することである。何としてもこの海岸から内陸の進出路を確保するのだ。
ドイツ軍の抵抗は確実に激しいものとなるだろう。情報局の推定ではドイツ軍は1個増強大隊でオマハビーチを防衛しているとのことである。これらの戦力を圧倒するため、貴官には2個増強連隊が与えられている。加えて、全ての上陸舟艇に鉄条網切断機と重火器を備えた支援班が乗船している。第741・第743戦車大隊は最初に上陸し、攻撃を行う各中隊への火力支援を行うことになる。艦砲射撃は貴官らの上陸の後、友軍誤射による死傷者発生の危険を減らすため次第に減少するはずだ。
ユニット名中の略語の意味
AAA―対空火器
B/116th Inf―第116歩兵連隊B中隊
Elm―部隊
GR―擲弾兵連隊
GW―クラナートヴァッファー(迫撃砲)
Inf―歩兵連隊
VerBereichKdr―地方防衛の指揮官
WN―ヴィーダーシュタンツネスト(守備拠点)
出典:
「Cross Channel Attack」(合衆国陸軍)
「D-Day」(Stephen Ambrose)
「Omaha Beachhead」(合衆国戦史部)
「The Longest Day」(Cornelius Ryan)
translated by Tokiedian
ターン数:60(時間換算3時間)
マップ:縦160ヘクス(8km)×横100ヘクス(5km)
指揮部隊:
AAR
対AI戦
対人戦
最終更新:2014年07月16日 01:39