フランス(France)

~1940年6月、1944年7月~(フランス共和国)
1940年7月~1944年6月(自由フランス軍)

シナリオ

キャンペーン

シングルバトル


国家詳細

1930年~1946年

1940年のフランス軍の戦車は紙上ではよく見えたが、多くの設計上の弱点に悩まされた。それは主に無線の不足と車長が装填手と砲手を兼ねなければならない一人用砲塔の使用である。そのためこれらの戦車は無線所有率が低く、射撃速度低、射撃管制・距離測定器も貧弱である(なおこの時代ではわりに強力なものである)。ソミュアはドイツ軍が継続使用しノルマンディーで連合国軍に対して使い、イタリアにいくらかを投入されるほどに良い戦車であった。

21口径37mm砲装備のフランス軍戦車は400m以内まで接近しなければII号戦車を撃破するのに苦戦することになるであろう―このピュトー社製の砲はWW1に開発され、本当は歩兵支援のためにHEを撃つためのものであった。よってH-35は実際徒歩歩兵と共に行動してドイツ軍歩兵を斃し、機関銃巣を叩く等に集中したほうがよいであろう。21口径37mm砲は徹甲弾としてSabot弾を用いていますがこれは単にSPWW2の仕様から徹甲弾を短射程にするということにすぎません―もし幸運ならII号戦車は2~3ヘクス(100~150m)の距離からなら正面から撃破できるかもしれません!

フランス軍の47mm長砲身戦車砲・対戦車砲はこの時代のドイツ軍装甲部隊が敬意をもって扱う必要があるものである。この砲を装備したあらゆるユニットに対して長距離での戦車戦に突入してはいけない。不幸にもフランス軍は47mm砲を配備するよりも大量にあるより小さな25mm砲を大量に配備するのに予算を割く方がよいと判断していたのである。

機械化歩兵も使用できるが、実際にはこれらは非常に稀だった。WWI期の旧式のルノー17・18型は1940年の戦闘には投入されなかったが1600両以上が後方予備としてとどめられていた。

フランスは実際には国全体の士気の点から戦闘を行うに良い状態にあったとは言えなかった。特にマジノ線を迂回されてからはそうで、何よりもこのせいで部隊の質は低くなり、ドイツなら75~80のところ65ぐらいしかない(1940年の国家特性はこれを反映している)。だが、いくつかの部隊は平均よりも際立ってよく、なのでおそらくド・ゴールの第4機甲師団やアフリカ猟兵などの優れた植民地部隊などの精鋭部隊とプレイしたいはずだ。

V4では自由フランス軍のユニットと編成に大きな変更が行われた。これらのユニットは詳細とフランス名の使用についてより包括的で正確になった。

あまり広くは知られていないのが大戦後期のフランス軍ユニットの強力さだ。自由フランス軍は最初はフランス植民地部隊で構成され、のちに正規兵となったパルチザンが加わった。この部隊はフランス第1軍として知られ、誰にも劣らぬ気力を以て戦い「電撃戦」の名にふさわしいドイツ軍に対しての数回の戦役を指揮した。大戦終わりまでにはフランス軍はシュヴァルツヴァルトとバイエルンの大半を蹂躙していた。フランス第1軍のモットーを添えておこう「ラインとドナウ(Rhin et Danube)」

V4で大戦後期のフランス軍部隊の種類が素晴らしく豊富になった。グミエ(Goumier)、レジョネア(Legionnaire)、「ショック(Choc)」コマンド部隊、山岳部隊、装備の貧弱な都市計画部隊(1944年後半~1945年)等である。

編成と装備の点では、自由フランス軍ユニットは同時期の合衆国軍ユニットに非常に似ている。ただ、少しの違いがあり、グム(Goum)のような独自の編成単位もある。

諸兵科連合部隊は「増強中隊(Cie Renforcee)」を購入することで簡単に手に入れることができる。これは装甲部隊と工兵部隊、砲兵部隊、偵察部隊で増強された歩兵中隊である。

1940年のフランス軍とは異なり、自由フランス軍は際立った士気や指導力の問題に苦しむことはなかった。多くのフォーメーションが植民地部隊・精鋭部隊の優れた練度と士気を反映している。

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最終更新:2014年07月19日 04:22