イタリア社会共和国(Italian Social Republic)

シナリオ

キャンペーン

シングルバトル


国家詳細

1943年10月~1945年5月

1943年9月以降ドイツ軍は自分の支配地域のイタリアとイタリア軍を支配下に置き始めた。ドイツ軍はイタリア軍部隊の多くを武装解除し、いくらかを処刑、615000人をドイツ軍の労働キャンプに輸送した。ムッソリーニに忠実なファシストの部隊のみがドイツ軍と新しい傀儡イタリア政権に忠誠を保ち続けた。

イタリア社会共和国軍は1943年10月28日に成立した。ムッソリーニとファシスト党への忠実ゆえに多くがこれに加わったということであったが実際のところこれに加わった兵士たちのほとんどがドイツ軍の労働キャンプを避けるためそうしたにすぎなかったのである。

RSI軍はいくつかの異なる部隊から成り立っていた。それらは以下の通りである:

共和国軍(Esercito Nazionale Repubblicano, ENR)は4つの師団と降伏時にドイツ軍に抑留されていたイタリア人から構成されたより小さな独立部隊からなっていた。共和国軍は山岳兵師団「モンテ・ローザ」、ベルサリエーリ師団「イタリア」、海兵隊師団「サン・マルコ」、歩兵師団「リットリオ」を含んでいた。

そして国防義勇軍(MVSN。黒シャツ隊の後継組織)を置換する新たなファシスト党員民兵として作られ、ムッソリーニに忠誠を保った部隊から人員を集めて作られた共和国親衛隊(Guardia Nazionale Repubblicana, GNR)がある。これらの部隊は対パルチザン警備部隊が主であった。後に新たな組織がGNRを支援するために組織され、これらは黒色旅団(Brigate Nerre)と呼ばれた。

また停戦したイタリア海軍特殊攻撃部隊第10潜水戦隊(10 Flottiglia Motoscafo Anti-Sommergibile)の指揮官により創設されたRSI軍の完全独立部隊「デチマ・マス」も忘れてはならない。

イタリア武装SSは旅団から大戦の終わりには師団にまで成長するにしたがって違う名前で呼ばれ、公式には第29武装親衛隊擲弾兵師団「イタリア第1(Italienische Nr: 1)」と名付けれらていた。1943年9月24日、ヒムラーはかつてのファシスト党員を徴募して武装SSに編入することを許可、武装解除されたイタリア志願兵軍団の兵士80万人、かつてイタリア軍に属していた抑留者25万人への徴募が開始された。1943年11月、1万5千人以上ののイタリア人が武装SSへの参加を志願した後、義勇イタリア軍団が設立された。この部隊はまず1944年2月に対パルチザン作戦で初めて交戦し、1944年3月17日部隊の一部がアンツィオに送られ、そこで初めて戦闘に入った。この部隊はSSではあったがアンツィオ橋頭保での激戦で頭角を現した後の1944年夏までSSの一部ではなかった。

他にも短期間しか存在しなかった大量の小独立部隊があり、その中には対パルチザン特殊警察警視隊(Ispettorato Speciale Polizia Antipartigiana, ISPA)が含まれている。「白炎(Fiamme Bianche)」はファシスト青年運動の青年兵たちであり、500名の部隊であったサルデーニャ義勇大隊(Sardegna Volunteers Battalion)はユーゴスラヴィア国境で活動した。山岳ライフル兵(Moschettieri delle Alpi)はアオスタ地方のかつての山岳兵からなっていた。「アペニン猟兵(Cacciatori degli Appennini)」は3個連隊からなる大規模な対パルチザン部隊であった。

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最終更新:2014年07月16日 14:34