第6SS義勇突撃旅団「ランゲマルク」―ナルヴァの戦い

  • ドイツ 対 ソ連
  • 1944年
  • 4回戦
1944年7月、SS突撃旅団「ランゲマルク」に属する部隊はエストニアのナルヴァで圧倒的劣勢の中叙事詩的な防勢抵抗を行った。この4回戦キャンペーンは史実の戦闘に従っている。

レーマン戦闘団は歩兵中隊と自走対空分隊、そして非常に重要な75mm対戦車砲中隊からなる。貴官の任務は北方軍集団正面の重要な拠点をなす一連の高地群を防御することである。

援軍ユニット―装甲部隊と砲兵部隊―は可能な限りを使用することになる。

これは難易度の高いキャンペーンである。これを勝利で終えるためにはそれなりの戦術的能力が必要になる。10ポイントが決定的勝利にはキャンペーンポイントが必要になってくる(DV=3ポイント、MV=2ポイント、引き分け=1ポイント)。貴官の幸運を祈る!

戦闘の背景:

主にフラマン人からなる「フランダーン」兵団(大隊規模)はヨーロッパSS義勇部隊の一つである。他の多くの部隊と同じようにフランダーン兵団は堂々たる戦闘の名誉を積み重ねることとなった。

その戦績の中でも1943年には失陥した連隊級前線地区を大胆な攻撃でソヴィエト軍から回復し、そこで1週間に渡ってソヴィエト軍の攻撃を耐え抜いた。この戦闘の後、フランダーン兵団は実働兵力45名にまで減少していた。

同数のフラマン人が第5SS師団「ヴィーキング」と義勇連隊「ノルトヴェスト」に所属していた。最終的にこれらの兵員は新たな募集者と合わせて突撃旅団「ランゲマルク」を形成することとなった。

1944年7月、ランゲマルクはエストニアのナルヴァの前線にあった。ここでランゲマルクは戦術的に重要な孤児院高地と擲弾兵高地をめぐるソヴィエト軍との苦しい防衛戦を戦うこととなった。この戦闘は4日間にわたって激しく続いた。

孤児院高地の北側面ではフラマン人下士官レミ・シュライネンが負傷し、自分の部隊とも連絡の取れない状態で単身12両以上の敵戦車を撃破した。48時間後彼は自分の陣地を包囲しようとしていたソヴィエト軍戦車数両を追い返した―たった一人でである。シュライネンは騎士勲章を授与された。

出典:Brandt著「The Last Knight of Flanders - Remy Schrijnen and his SS-Legion 'Flandern'/Sturmbrigade 'Langemarck' Comrades on the Eastern Front 1941-1945」(注:注:レミ・シュライネンは対戦車砲小隊第3砲の砲手である)

キャンペーン作成:C.B. Blackard&Doug McBratney

translated by tokiedian

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最終更新:2014年08月02日 12:24