俄に雪が降り始める中で、壮年の男が億劫そうに欠伸をしながら一歩を踏み出した。白髪の男だった。長いが艶のないそれは彼という人間を表すように華々しさとは無縁で、気怠げな足取りも手伝ってその姿は老人のように見える。
右手に抜き身の刀をぶら下げて歩く男の名前は、エヴァンといった。
本名は別にあるが、今となっては未練もないごくつまらないものでしかない。
全ては無価値、無味乾燥。世界が死んでいるのだからあれこれと起伏を用意して煩わしい自慰に浸るのも馬鹿げた話だろうと自己完結している。
その彼の首にもまた、邪聖のスティグマが刻まれていた。
「言っても詮無いことと解っちゃいるが、てめえの狗にまで爆弾を結ぶかね。何度やってもこの感覚だけは慣れねえもんだ」
ソピアは邪悪な女である。聖女ぶっちゃいるがあれの本質は底なしの自己愛だ。
なのであの女は、自分の目的を果たすためならば恥も外聞もない。どれだけの非道にだって手を染めるし、糾弾されたところで真の聖道は余人には理解されないものだと白々しく笑ってみせるだけだろう。
にも関わらずエヴァンにまでスティグマが刻まれている点は、神禍という力がいかに人の思い通りに動かないものかを物語っている。
エヴァンは、そんな女が用意した舞台装置――ジョーカーという役目の手駒だった。
殺し合いの促進剤としてあえて自分の息のかかった人間を参加させ、ルクシエルに捧げる贄を狩ってこいという訳だ。
当然、理屈で考えればエヴァンにはスティグマを刻まず、他の参加者をルールを無視して一方的に斬殺出来る仕組みにした方が合理的である。
なのにそれが出来ない。ソピアに宿った神禍、『涜し否定する神拒の密域』はあくまでも平等な殺し合いを求めている。
なんとも面倒で、難儀な話だった。どうやら自分は本当に、"もう一度"バトルロワイアルを戦い抜かなければならないらしい。
儀式による殺し合いは莫大な想念を生み出し、主催者である自分は儀式の完遂後にそれを抽出することが出来るのだと、ソピアは言った。
これが何とも妙な話であることに気付いた者は、一体どれほどいるだろう。儀式を完遂することが抽出の条件であるというのなら、どのようにしてソピアはそれを知ったのか。神禍に使い方を教えてくれる説明書など存在しない。
つまりだ。実際に実行して確かめでもしない限り、それを知る術はない筈なのだ。そしてその事実が、このバトルロワイアルの影にある悍ましい真実を浮き彫りにさせていた。
そう、バトルロワイアルは既に一度行われている。
敬虔の皮を着た邪聖は、一切の犠牲というものを気に留めない。
自らの得た力の試運転として、ソピアは極東で細々存続していたある共同体に目を付けた。後は今回と全く同じだ。強いて言うならあの時は島ではなく町が舞台だったが、三十余の命が救済の題目の下に立ち消えたことは変わらない。
その生き残りこそが、エヴァンという男であった。
彼は殺した。視界に入った全ての命を、昨日までは同じ共同体の仲間として顔を合わせたら軽口を叩き合うような間柄だった隣人達を悉く殺し、最終的に生贄の八割方を一人で屠って儀式を終結させている。
想念の抽出は恙なく行われ、ソピアは力をエヴァンに注ぎ……完成したのは全能にも等しい能力を持つ転送能力者(テレポーター)。
彼の神禍はあくまでも視界に存在する物体を転送するものであったが、結論から言うと、此処の部分の縛りが取り払われた。たとえ書類越しにでも視認さえ果たせば、地球の裏側からでも任意の人物を転送して連れて来られる前人未到の超能力。
『十二崩壊』や『空の勇者』、その他この争い溢れる氷河時代を五年も耐え凌いだ悪鬼羅刹達をかき集め、一つの儀式の生贄として型に嵌める事が出来たのは言うまでもなくエヴァンあっての功績だ。
エヴァンがいれば事実上、地球上で出来ない事など存在しない。無限射程の転送能力は言わずもがな殺し合いにも非常に有用であり、彼ならば名だたる十二崩壊が相手だろうと互角以上の戦いを成立させられただろう。
いやそれどころか、この瞬間にだって参加者の大多数を目の前に呼び出して殺戮出来る。なのに彼がそれをしていないのは、『涜し否定する神拒の密域』が抱えるある種の拘りめいた制約が原因だった。
「神禍が正しく使えねえな……あの糞女から力を受け取る前の規格に戻ってやがる。二周目(ズル)は許しません、報酬が欲しかったらもう一回ちゃんと儀式を勝ち抜いて下さいねーってか? チッ、聞かされてねえぞこんなの」
"儀式の報酬として得た力は、次の儀式には持ち越せない"。
つまり、雑多な生贄を集めて儀式を乱発し、周回ランカーを使ったゴリ押しで突破して報酬を荒稼ぎするのは不可能ということだ。
ソピアの人格は糞の煮凝りだが、彼女に宿った神禍は歪んでいるなりに公正な秩序という奴を重んじているらしい。
地球の再生に加えて死者の全蘇生ともなれば、確かに生贄にもそれなり以上の質が必要なのは肯ける話だった。
「しかしこうなると、ちったあ考えて殺し回らねえと俺も我が身が危ねえな」
心底面倒臭そうに溜息を吐きながら、エヴァンはデイパックから一枚の紙を取り出した。
そこには都合五十名ほどの人名が五十音順で記載されている。これが今回の生贄のリストという訳だ。勿論、中にはエヴァンの名前も含まれている。
【アーロン・J・ラッドフォード】
【エヴァン】
【エトランゼ・ティリシア・ミルダリス】
【エンブリオ・“ギャングスタ”・ゴールドスミス】
【賀月京姫】
【カノン・アルヴェール】
【北奈杉 意秋】
【昨日峰未架】
【牙野弐弧】
【猿田玄九郎】
【白鹿優希】
【ジャシーナ・ペイクォード】
【ジョン・ダグラス】
【シルヴァリオ・ロックウェル】
【シンシア・ハイドレンジア】
【石光復】
【スピカ・コスモナウト】
【小鳥遊宗厳】
【タツミヤ】
【ダンヴァール】
【ドクター・サーティーン】
【ハード・ボイルダー】
【『ブラックサンタクロース』】
【ブランケッタ・グランプライス】
【フランチェスカ・フランクリーニ】
【保谷州都】
【星野眞未】
【マハティール・ナジュムラフ】
【ミア・ナハティガル】
【メリィ・クーリッシュ】
【ラタン・サリム】
【ラルフ・ローガン】
【リズ】
【霖雨】
【零墨】
【レンブラングリード・アレフ=イシュタル】
【轍迦楼羅】
【『雨』の勇者 / ルーシー・グラディウス】
【『晴』の勇者 / ミヤビ・センドウ】
【勇者候補『風』 / 弥塚槍吉】
【勇者候補『凪』/シティ・草薙】
【No.2『金獅子』 / ライラ・スリ・マハラニ】
【No.4『魔王』 / ゲルトハルト・フォン・ゴッドフリート】
【No.6『姫』 / 沈芙黎】
【自称No.7『啓蒙』 / エックハルト・クレヴァー】
【No.8『恐獣』 / ルールル・ルール】
【………】
【……】
【…】
「……改めて見るととんでもねえ面子だなオイ。関わりたくねえ名前が一人二人どころじゃなくあるんだが?」
集めるの自体はソピアが寄越した書面を見て流れ作業で力を使うだけで良かったのだが、いざこうして見ると壮観だし血の気も引く。
こんな面子を一つの島に押し込めて殺し合わせるなど、どう考えても正気の沙汰ではない。この連中に混ざって殺し合いをし、あまつさえそれを促進しろなどと無理難題にも程があった。
「十二崩壊共に気ィ取られてたが、ジャハンナムのジジイも面倒臭ぇなぁ……。まあ取り敢えず、先ずは適当に雑魚から減らしてくか……」
極寒の氷河時代には凡そ全く相応しくない甚兵衛姿で、しかし身震い一つせずにエヴァンは歩き始める。
何のかんのと文句を言ってはいるが、結局彼はやるのだ。信仰狂いの自己愛者の高尚な理想などには誓って微塵も興味はないが、あれの傍にはルクシエルがいる。地球の再生という身の丈に合わない重荷を背負って、それでも進むのだと光を唱える少女がいて、自分の働きを待っている。
であればエヴァンはどんな難題だろうが断れない。ソピアもそれを見越して自分に無茶苦茶を言ってくるのだろうなと頭では分かっていたが、だからと言ってやっぱり断れないのがエヴァンという男だった。
そう、あの娘にだけは逆らえない。何を言われようと押し付けられようと、あのあどけない顔でお願いしますと乞われると自分は何も言えなくなるのだ。
かつて戦場で何百人という兵士や民衆を殺し、ソピアの儀式に巻き込まれるなり昨日まで友人だった連中をすぐさま殺し、今からも会った事も話した事もない無数の人間を抹殺せんとしている人でなしが、ルクシエルにだけは頭が上がらない。
――片足を引きずって歩き、この世の誰より不自由を抱えているのに、いつでも気丈に振る舞う姿がどうしても重なってしまうからだ。
世捨て人の延長で戦場に出るよりも前、まだ自分が人間と呼べる生活をしていた頃、こんな男にも娘がいた。
病弱な娘。生きている間、何も病んでいない姿を見た時間の方が圧倒的に少なかった。いつも片足を引きずっていて、それでも明るく清らかに十年ほど生きて、それだけの間も持ち堪えてくれた、自分には過ぎた子供だった。
つまらない感傷だ。結局の所自分は、いつまでも下らない、掃いて捨てるほどありふれた過去に縛られたままの凡夫なのだろう。
その癖力と、生きたいという渇望だけは人一倍にあったから死体を増やすのだけは抜群に上手い、そんな救いようのない人でなし。
既に取り零した人間に、この世の全てを手に入れる力だなんて代物を遅蒔きに授けたカミサマとやらは、やはり底なしに腐った性根をしているに違いない。そこに関しては、エヴァンもソピアと同感である。
『世界を救いたいんです。こんなわたしでも、誰かの役に立てるなら……それはとても素敵な事だと思うから』
そう言って笑う顔を覚えている。そうだ、その顔だ。その顔をされると、俺はおまえに逆らえない。
『――エヴァン。あなたもいつか、わたしの前で笑ってみせてください。そんな誤魔化すみたいな顔でじゃなくて、心から』
下らない事を言う女だ。世界は無限に広がっていて、きっと苦痛の果てには優しさがあるのだと信じている筋金入りの大阿呆。
あれを救世主だなどと呼ぶ人間の正気が知れない。誰がどう見ても只の子供だろうに、何故どいつもこいつもこぞってあの双肩に大層な肩書きを背負わせたがるのか理解に苦しむ。
と、其処まで分かっていながら、異を唱えるでもなく彼女を真の救世主として完成させるための企てに加担している自分に気付いて苦笑した。
「世界なんて、そうまでして救う価値があるのかね」
呟いて、白髪の殺人鬼は新雪の大地を踏み締める。
ジョーカーである彼の起動を合図として――密域で繰り広げられる神拒の儀式は、世界を救うために開幕する。
本当に?
◇ ◇ ◇
「神なるものは実在する。いや、したというべきか」
人の心を救うべき者の装束に身を包みながら、穢れたる聖女が一人邪悪に微笑んでいる。
時は午前0時。この時をもって生贄の儀式は開幕し、数十の命を捧げた末に救世主が来臨する事が決定された。
その悪行を裁く神は、もはや天にも地上にも居らず。神は人を見捨て、かつて愛し子と呼んだ人類に滅びという名の糞便を垂れて何処かへと消えてしまった。全くもって腹立たしく憎らしいことだったが、邪聖はこれを一つの好機と見ていた。
「蒙昧な父よ、さらば。貴方の投げ捨てた仕事は、選ばれたこの私が引き継ぎましょう」
父なる御神が去ったなら、今この世界を統べる偉大な御方の肩書きは空であるということ。
このままでは人類は跡形もなく滅び去る、それは誰もが同意する所であろうし、その避けられない破滅をそれでも回避しようと足掻くならば、どうしたって次代の神が立ち上がるのは必要不可欠になってくる。
世界には柱が必要なのだ。人の行く末を照らし、無為に広がる人生に方向性を与える神祇なくして人間の星は立ち行かない。
生贄を集め、火を焚べて、聖戦を繰り返し彼らの想念を濃縮して抽出する。ソピアは己の神禍が、愚かな先代神が差し向けた滅亡に抗う為の福音のようなものであると理解していた。
「ふふ、うふふ、あははははは――!」
バトルロワイアル。これは――次の神を産む儀式である。
◇ ◇ ◇
最終更新:2025年06月19日 02:18