ドイツ国営鉄道(DR:Deutsche Reichsbahn/ドイチェ ライヒスバーン)は1920年にドイツ国(ヴァイマル共和政)にて発足した国営鉄道。第二次世界大戦終戦後、1949年にドイツが分断国家となって東西それぞれの国営鉄道に路線が継承されるまで存続した。
沿革
王立鉄道時代
1871年のドイツ統一により、連邦国家としてドイツ帝国が成立した。しかし鉄道に関しては国家による一元管理ではなく連邦を構成する王国や大公国ごとの運営となっていた。この時期にはそれぞれの鉄道事業者において技術が発展し、当時黎明期にあった日本の鉄道においても他の欧州各国と並んでドイツの技術が輸入されている。鉄道整備は重要な国家戦略の一つとなったが、それは軍事技術との一体化など帝国主義政策の手段となることを意味し、第一次世界大戦の勃発と、敗戦へとつながっていった。
国営鉄道の発足
1918年、第一次世界大戦がドイツの敗北によって終結、1919年にヴァイマル共和政が発足した。1920年4月1日に「ドイツ国営鉄道」(DR:Deutsche Reichsbahn)が発足し、それまで王国や大公国の単位で運営されていたドイツの鉄道は国家による運営となった。このころのドイツは敗戦による国土の荒廃と莫大な賠償金やそれに伴うインフレによって社会が混乱しており、1924年には賠償金返済を役割を担う公共事業体に改組され「ドイツ国有鉄道」(DRG: Deutsche Reichsbahn-Gesellschaft) となる。
鉄道黄金期
統一こそされたものの、旧王立鉄道時代にそれぞれの事業者で異なっていた多数の機関車や客車(200種類以上といわれる)を抱え、さらには敗戦、賠償によって機関車や設備を失うなど、社会同様の混乱に陥っていた。これらの体系を整理するため、1925年に「制式機」として01型
蒸気機関車を導入し規格統一を進めていく。1923年に特急列車(
FD-zug)の運転を開始、1928年には戦後まで続く豪華特急「ラインゴルト」の運転を開始するなど輸送の質を向上させる一方、1931年には高速試験用車両「シーネンツェッペリン(プロペラ推進車両)」によって最高速度200km/h以上の記録をつくるなど技術的にも大きく発展し、1933年には高速
気動車特急「フリーゲンダー・ハンブルガー」が世界最速の営業列車として運転を開始する。ドイツの鉄道技術が世界最高の水準に達した「鉄道黄金期」であった。一方で自動車や航空機が新たな交通機関として台頭し始め、陸上交通の王者として独り勝ち状態であった鉄道は急速に競争にさらされていくことになる。
ナチス政権下
1933年にヒトラー政権が誕生し、ナチスによる独裁が始まると、国威発揚のため鉄道技術の発展にはより力が注がれるようになった。1936年には05型蒸気機関車002号機がイギリスのLNER ClassA4 4468号機「マラード」に先んじて蒸気機関車としては世界初の最高速度200km/hを記録した。1937年に「ドイツ帝国鉄道」(DRあるいはDRB: Deutsche Reichsbahn)に改組され、周辺国の併合によって各国の鉄道もドイツ帝国鉄道に吸収されていった。
第二次世界大戦による衰退
1939年、第二次世界大戦が勃発。鉄道は軍需輸送が最優先とされ、フリーゲンダー・ハンブルガーをはじめとする黄金期を彩った車両たちも徴用され、戦禍に晒されていくこととなる。またナチスによるユダヤ人の強制収容所への移送には鉄道が利用され、これは現在においてもドイツ鉄道史における「負の歴史」とされる。1945年にドイツが敗戦するころには、連合国軍による攻撃やドイツ自身の焦土作戦による破壊によって、栄華を誇った鉄道網はズタズタの状態となってしまっていた。
戦後
戦時中、ドイツの鉄道設備や車両は完膚なきまでに破壊され、無事だった車両や設備も多くが戦勝国に接収されていき、マイナスからの再出発を余儀なくされた。敗戦によってドイツは連合4ヶ国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)による占領を受け、鉄道は占領地域ごとに各占領国のもと運営された。1949年には米英仏占領地域が「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」、ソ連占領地域が「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」として建国され、分断によって旧国営鉄道の路線網も東西両国に継承された。後に1951年に西ドイツで「ドイツ連邦鉄道(DB)」が発足、一方の東ドイツでは「ドイツ国営鉄道(DR)」が国営鉄道の名を継承する形で発足している。
最終更新:2017年01月29日 02:34