「ただいまー」
っても誰もいないけどな。
白い買い物袋をぶら下げたまま開錠し、ドアをくぐる。
「邪魔するぞおおおおおーーーーーっ!!」
嬉々として、住人である俺のン倍の声量を張り上げてヒーが後から入ってくる。
「懐かしいなっ、確か五年前は、惜しくもこの錠に敗北して入れなかったんだったなっ!!」
「半年前だ、人ン家の鍵と戦うな、そもそも忍び込もうとするな、色々と捏造するな」
以前、こいつは俺の晩飯を作るためにウチに不法侵入未遂を起こしたことがある。
何をとち狂ったか素人技術の針金一本で錠を開けようとし、
あえなく失敗して玄関前でションボリしていたが。
「細かいことは気にするなっ!わっはっはっ!」
豪放に笑う上機嫌なヒー。…こいつ、絶対懲りてないぞ。
「さあ、善は急げだ!!男、何が食べたい!?」
リベンジの機会が訪れ余程嬉しいのか、
台所へとズカズカと進みながら手持ちの買い物袋を振り上げて訊ねてくる。
「おい、二人で作るって事忘れてないか。
食べたいかどうかは別にして、俺の出来るものはそんなに多くないぞ」
繊細なモノは、一先ず作ったことはない。
俺が作れるのは、時間や分量をそれほど細かく気にしなくていい、
大雑把な料理だけである。
「むうっ、そうかっ。よし、じゃあ男が決めてくれっ!!
私はそれに合わせるぞっ!!」
「マジか」
よもやこいつの口から、『人に合わせる』という台詞が出てくるとは思わなんだ。
意外な事態に、つい反射的に確認の言葉を口走る。
「応っ、期待していいぞ!」
ヒーは威勢良く、豪快に胸を張り制服のリボンを揺らして応えた。
ふむ。それほどいうなら、お言葉に甘えさせてもらうとしよう。そうだな…。
「…じゃ、チャーハン」
量を作れて、材料も豪快にぶった切ってぶち込んで炒めるだけ。
仮にこいつの腕が自信に見合わぬへっぽこだったとしても
俺の力で巻き返せる、ベターな選択だ。
「わかったっ!ならば差しあたって米だっ!!」
ぐりんと買い物袋を一回転させ、台所へと飛び込んでいくヒー。
…本当に大丈夫なんだろうな。
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時刻は五時半過ぎ。とりあえず私服に着替えて、居間から外の様子を眺める。
普段なら空に日没寸前の綺麗な赤味を拝める時間なのだが、
昼頃から雲が湧き始め、今ではどんよりと黒色で染まってしまっている。
「…んで。おまえは何してるんだ」
「はっ、はっ…む?」
窓の外から、人の家のリビングで四つん這いで上下している変態に視線を移す。
何を思ったか、こいつ米を研いでジャーにセットするや否や筋トレをおっぱじめやがったのだ。
「む?じゃねぇ、ジャー、スイッチ入れなくていいのかよ」
首だけ上に向け、さも不思議そうな顔をして腕立て伏せを続けるヒーに尋ねる。
「ああ、すまん、この時間は、トレーニングと決めているんだっ。
心配は要らんぞっ、飯が炊けるのは七時の予定だっ、下拵えは六時からで十分間に合うからな!」
ぐるん、と体勢を変え、尻を支点に今度は仰向けになって腹筋に切り替える。
…どうでもいいが、よく喋りながらそんな運動できるな。逞しい奴だ。
「なんで?すぐ炊けば一時間も掛かんないはずだろ」
思った疑問を、とりあえず口にしてみる。
が、その瞬間。
「…っ甘いぞ男おおおおおっ!!
米は最低三十分、充分に水分を吸わせてから火を入れるのが常識だあああーーーっ!!!」
俺の言葉に聞き捨てならないものがあったのか、
ヒーは運動を止めて見下ろしている俺に向かって吼えた。
「………」
…びっくりした。こいつに、そんな時間を気にする観念があったなんて。
ん?待てよ、そういえば。
「じゃあ…さっきジャーに入れてた、黒い塊は何だ?」
スーパーで材料を調達している最中、あいつは突然いなくなったと思ったら、
何やら黒い物体を持って帰ってきた。
…百円そこらの代物だったので、特に気にも留めずにスルーしたが、まさかアレを釜に入れるとは。
「ああ、竹炭のことかっ。まあ見ていろ、男に本物の米の力を見せてやるからなっ!!」
ふむ。どうやらヒーは、料理に関しては一家言あるようだ。これは期待していいのか。
…しかし、この物言いは何だかシューを思い出して仕方がない。今度けしかけてみるか?
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三十分後。
「エプロンは…そうだな、お前はそこに掛かってるのを使ってくれ」
「応っ!わかった!」
あれだけ運動したのに、息切れ一つ見せずに元気に応えるヒー。
あのトレーニングが最早日課と化しているが故の体力、というところか。
…そうなると、それと対等に渡り合うクーが普段何をしているのかが
激しく気になってくるが、まとりあえずそれは置いといて、だ。
「んじゃ俺は…久々にアレを使うか」
ドスドスドス…
小走りで二階へ駆け上がり、自分の部屋の箪笥から真緑のエプロンを引っ張り出してくる。
一年の時に、家庭科の洋裁の授業で作らされた自作エプロンだ。
…多少趣味が悪い彩りで、当時の自分のセンスが疑われるが、とりあえず今はどうでもいい。
「(ギイ)さて、まずは何からはじm…」
背中で紐を締め、後ろ手にドアを閉めながら台所に戻った直後。
俺は、我が目を疑った。
「――――――男っ、こっちは準備できてるぞっ!」
制服に、エプロン。
たったそれだけの、何の変哲もない組み合わせのはずなのに。
不覚にも―――固まってしまった。
(………メチャクチャ様になってる)
腕まくりし、ステンレスに敷いた布巾の上に置かれたまな板と包丁を前にするヒーの姿は、
恐ろしいほど似合っている。
はっきりいって、普段のヒーからは冗談でも想像できない光景である。
「…?」
と。ヒーは何も言わない俺を不審に思ったのか、
つかつかと歩み寄って覗き込んでくる―――って、うおおっ!近い!近い!!
「―――男。ちゃんと手は洗ったか?」
「え…?あ、いや、すまん、まだだ」
口を真一文字に結び、む、と眉間に皺を寄せて問い掛けてくるヒー。
それに、よく分からないまま高鳴っていく鼓動に気を散らされ、不自然な対応をしてしまう。
くそ、これじゃ俺のほうが馬鹿みたいじゃないかっ!
「…いかんぞ男っ!!料理の最大の敵は、不器用でも未熟でもない!
不・衛・生・だああああああーーーーーっっっ!!」
「っっっ~~~~!」
ヒーは高らかに(それも俺の顔のまん前で)、己が主張を絶叫した。…耳がどうかなりそうだ。
…ちぃっ、油断した、いつもならコレを回避するため、
こいつにここまでの接近を許すことなどないのだがっ。
「っやかましいっ!!ああ、悪かったよ、ちくしょうっ」
「はっはっはっ、それでこそ男だっ!」
大口を開けて高笑いするヒーを見て、漸く普段のペースを取り戻す。
ああ、そうだとも。あれは何かの錯覚だ。
一瞬たりとも、あいつにエプロンが似合うなどと思った俺が浅はかだったのだ。
最終更新:2007年07月26日 18:19