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FEと将棋と乱数と… ゲーム「ファイアーエムブレム 新・紋章の謎」



FEは将棋やチェスによく似たゲームだと言うことは前回少しだけ述べた。今回はシリーズ最新作「新・紋章の謎」を取り上げ、「将棋的SRPG」の現状を考えてみたい。
よって、ストーリーやキャラクターについての細かく言及することは避けることを先に記しておく。

今作ではシリーズ初となる「キャラが死んでも復活するモード」を搭載し、また4(+オマケ1)段階の難易度がある。
最も簡単な「ノーマル」では原作であるSFC版よりも優しいと言われるが、最高難易度の「ルナティック」は経験者をも唸らせるほどの難しさだった。
しかし、難易度をいくつも用意したり、初心者のための救済システムをあらかじめ配置しておくことのみが「間口が広い」理由となるのだろうか。

はっきり言ってFEなんて上っ面だけ見れば古くさいゲームだ。基本的に高低差の概念は無いし、ユニットの後ろから攻撃するとダメージ増加、なんてこともないし、
スクエアを使ったトップビューのマップは拡大縮小回転なんて器用なまねは出来ない。戦闘のたびに格好良いカットインやボイスが入るわけでもなく、
「蒼炎」「暁」を覗けばマップ上のユニットは色違いなだけでほぼ敵味方両用のアイコンで描かれているし、高名なイラストレーターがデザインしたキャラクターが
ゲーム中で大活躍するわけでもない。ストーリーやキャラクター類型にもお約束というかワンパターンなところはある。

だがしかしそれらは必ずしもSRPGとしての面白さをスポイルする物ではない。事実将棋や囲碁は百年以上同じルールでプレイされているが、未だに底が見えない遊戯性を持っている。
ルール自体シンプルだし、駒や盤は実にプリミティブな出来だ。ではFEのFEらしさとは何だろうか。
それは「『てごわいシミュレーション』と表現される難しさ」「キャラクター1人1人に人格や個性があること」のふたつに集約される。
1ターンはおろか1マスの移動ミス、1回の武器選択ミスで死者が出るのがFEの難しさでもあり面白さでもある。
だからプレイヤーは何度も何度もステータスや移動範囲を確認しHPの計算を繰り返す。けれどもどうしても凡ミスや乱数の気まぐれで死者が出る。
格好いいキャラ、可愛いキャラ、ネタなキャラ、あるいは純粋に強いキャラクターを死なせてしまった。
彼ら彼女ら抜きの部隊なんて考えられないし、後ろ髪を引かれるような散り際の台詞を吐くではないか。
そして泣く泣くリセットボタンへと手を伸ばす。今度こそ勝ってくるぞと勇ましく。

「死んだキャラクターは生き返らない」「武器には使用制限がある」に代表される高難易度と、ギャルゲーもかくやと言うほどよく作り込まれたキャラクター、
どちらが欠けてもFEでは無くなってしまう。「FEはキャラゲー」という意見は実に正しい。アクの強い面々だからこそ、死なせるわけにはいかない。
メインテーマでも「誰一人として死なせはしない」と歌っているじゃないか。
人殺し-、方位445、ばかめ…死ね!、そうりょリフ、そうだよロシェetcetc
加入時に喋っただけなのに深く愛されているキャラクターがいたり、ほんの一言二言の台詞しかない序盤のボスキャラが皆に記憶されている、なんてゲームはそうそうない。

今作で使用可能な味方キャラクターは70人を超えるが、出撃可能な人数は15人未満である。ファンの間からはもっと出撃枠が欲しいとの声が当然あったが、
これは意外と難しい問題だ。今作と前作は、計算式の都合上敵の攻撃を避けることがかなり難しい「受けゲー」であり、それが難易度向上に一役買っている。
過去作と違いエース級のユニットを放り込めば敵軍壊滅、などというイージーな展開にはならないのだ。
ルナティック序盤では、冗談抜きで大抵のユニットが敵の攻撃を1度耐えるのが精一杯なので、より1手1手慎重に進めなければならない。
慢性的な詰め将棋状態を強いられる高難易度では、出撃する人数にあわせたマップを作ろうとすると
その調整作業に無茶苦茶な時間を要する事になる。調整に失敗すると「数の暴力で押し切られるマップ」あるいは「数の暴力で押し切れてしまうマップ」
といったダメな物が出来上がってしまう。絶妙な調整が出来たところで、今度はプレイヤーが数十人×数十ターンにも及ぶ苦しい詰め将棋を強いられる。
「敵の強さは据え置きで数を増やす」ではなく「数は余り増やさないで1体1体の強さを激増させる」というルナティックでの調整手法は、
作る方にもプレイする方にもメリットが大きかったのではないだろうか。とりわけルナティックでは結構調整の後が見られる。例えば…
  • 難易度が変わっても敵の守備は変わらない。ダメージが通らなくて成長すらままならないキャラが出てくることを未然に防いでいる
  • 前日編のリフは敵の攻撃を1度だけなら耐えられる
  • 前日編8のマルスは盗賊の追撃を喰らっても死なないが一方で盗賊を2発で倒しきれないという絶妙な性能
  • 1章はマイユニ以外初期値でも突破可能
  • 2章で新規加入する3人はドラゴンナイトの攻撃を1回耐えられる
  • 7章の盗賊は速さが19。これはナバール(速さ16)がギリギリ追撃を受けず、かつ速さカンストのドラゴンナイト(23)が追撃できる数値である。
  • そしてこの「速さ19」は7章ボスのダール(速さ24)に星のスコーピオ込みで追撃を受けないために必要な数値でもある。
  • で、シリウスをソードマスターにすると初期値でも丁度速さ19になる。ただし盗賊撃破のため彼はDKとして起用したいとプレイヤーは考えるためドツボにはまる。
などなど。ダウンロードマップや新・アカネイア戦記もかなり良い感じの、「何とか突破できそうで出来ない!」バランスになっている。

将棋の場合、手持ちの駒は20個だが1度に動かせるのは1つだけというルールがある。一方FEは全ての駒を動かしても動かさなくてもいいし、
その順番も自由である。毎ターン全てのユニットをフルに動かす必要がある、といったガチなマップを作られたが最後、プレイヤーは終わることのない長考を強いられる。
「聖戦の系譜」では味方の全員出撃が可能だったが、これはいわゆる無双プレイやごり押しが比較的しやすいこと、毎ターンセーブ可能というシステムあってのことだ。

セーブと言えば今作も新暗黒同様、何回かマップ中でセーブが可能だ。FEらしさをスポイルするとしてかなり評判が悪かった記憶があるのだが、
今回は高難易度が功を奏したのか、レベルアップの際キャラクターが納得のいく成長をするまでリセットを繰り返す「吟味」という行為のために使われている。
というよりも、ルナティックでは狙って吟味をしていかないと本気で「詰む」危険性がある。(プレイヤー間の情報交換が進み、攻略方法が
確立されてからは必ずしも必要ではないことが判明したが、発売当初は「ルナでは吟味が必須」と考えられていた)
また高難易度では半永久的に資金と経験値を稼げる「闘技場」が非常に使いづらくなったため、うっかりミスを予防するためにセーブしてウハウハ、なんて事は出来ない。
そのおかげで「闘技場で鍛えまくったせいで次のマップから急にヌルゲーに」と言うことが起きにくい。
「低難易度の初心者は安全網として。高難易度の経験者は吟味のため」という棲み分けが出来ているわけで、新暗黒の「嫌なら使わなくてもいい」という
投げっぱなしに比べれば遙かに良くなったと言える。結局、制作側もプレイヤー側も新システムに慣れたということだろうか。

相も変わらず叩かれている「兵種変更」だが…。ちょっと極端なことを言いますよ? 
兵種変更がいらないとか言ってる奴は間違いなくプレイしていない。
はい。多分に誇張を含んでいます。まぁちょっと聞いて欲しい。特にルナティックの3,4,7章なんかは
「後一人飛行系とか弓系ユニットが欲しい」という状況になるようデザインされているし、マイユニットはプロローグ突破のため否が応でも育てる必要が出てくるのだが、
それが返って彼あるいは彼女を火消しとして使う土台となる。例えばドラゴンナイトにしたり、スナイパーにしてロングボウを撃ってもらったり。
また、元がSFCのソフトなのでキャラの台詞が少なかった。酷いのになると加入時と死亡時に台詞があるだけなんてキャラもいた。
つまり個性が少ないわけで、それを逆手に取ったシステムだと言える。後の作品だと「狩猟が趣味なので弓矢の扱いが上手い」なんて台詞を言うキャラが
弓兵だったりする合理的な面があったが、今作にはそのような「このキャラは設定や台詞からしてこの職業でないとおかしい!」みたいな合理性があまりない。
二つ名が付くような有名な剣士が魔法を使ったり大陸一の弓使いが槍を振り回したりする事も出来るが、彼らは設定的にもゲーム攻略の上でもわざわざ兵種変更させる必要性が薄い。
逆にマイユニットにはその必要性が顕著で、サブタイトルの「影の英雄」を文字通り体現し、心酔ぎみな主君のために粉骨砕身、
狂った(ルナティックな)難易度の戦場を打破するために、プレイヤーとマップの都合次第でどんなクラスにでもなる(ならされる)という必然性がある
歴史に残らない人物という逆説的な設定だからこそ顔も性別も自由に決められるし、もう一つプレイヤーにある意見を投げかける。
それは、後世の人間が眺める歴史(全員生存でクリアしたセーブデータ)の裏には血を吐くような誰かの奮闘(プレイヤーの度重なる挑戦とリセット)があったのではないか?
という意見だ。リセットした分のプレイ時間はセーブデータのプレイ時間に加算されないし*1、強くてニューゲームという概念が無い*2ので
基本的にクリアしたら「はいそれまで」だ。しかしそこに至るまでには文字通り死闘があったわけで、
獅子奮迅するマイユニットと理不尽な難易度に苦悩するプレイヤーが妙に重なって見える。
マイユニットの凶悪な成長率と、彼・彼女以外が兵種変更する必要性の相対的な薄さを踏まえれば「マイユニットのみ兵種変更可能」という仕様の方がスマートだったとは思うが、
マイユニットとSFCのリメイクという二重の理由のおかげで兵種変更というシステムがそこそこ上手くマッチングしたように感じる。
新暗黒竜でも「キャラの台詞=個性が薄い」という理由は付けられようが、それだけでは根拠薄弱だろう。

さて、「指運」という言葉は存在するが、基本的に将棋に運の要素はない。負けるべくして負けたし勝つべくして勝つゲームだ。
しかしFEには乱数という要素が存在し、これは攻撃の命中からキャラクターの成長にまで関わっている。
プレイヤーが将棋を打つとする。相手は加藤一二三でも羽生善治でもBonanzaでもいいが、100回対戦しても100回負けることは目に見えているだろう。
だがもし「数%の確率で駒を取るのに失敗します」「3回攻撃しないと駒をとれません」「しかしこれまた数%の確率により一撃で駒をとれます」
などというルールがあったら、100回も対局すれば1回は運のおかげで勝ちを拾えるかもしれない。
もっと乱数の要素を強くして、いっそのことジャンケンで勝負するとすれば相手が誰であろうと3分の1の確率で勝てる。

運の要素をどこまで取り入れるかはSRPGの性格を決める。例えば「スーパーロボット大戦」なんかは精神コマンドという、
1回だけ敵の攻撃を完全回避とか、1ターン必ず攻撃が命中などといったプレイヤーが乱数をねじ曲げることが出来る要素を積極的に取り入れたりしている。
極論すれば、FEにおいて乱数が猛威を振るうのは「攻撃の命中判定」「攻撃のクリティカル判定」「レベルアップ時どう成長するか」の3つしかない。
プレイヤーは新紋章において、その内の一つ「レベルアップ時の成長」をある程度コントロールすることが出来るようになった。
難易度据え置きならその分簡単に、その恩恵の分だけ難易度が上がっていれば相対的に難しくなったように感じる。
例えば7章ダール戦に速さ19以上のユニットがほぼ必須とか、終章メディウス戦に速さカンストのマルスが要るとか、
ルナティックでは「吟味して当然」というくらいの調整がされていて、その辺に制作側の意図が見えてくるような気がする。

強い奴が勝つ。上手い奴が勝つ。これは当然と言えば当然だが、だからといって負けたら何も意味がないかと言えばそれは違う。
負けた理由を学習し次に生かす事が上達へのコツ、なんていうのは今更偉そうに言うことではないし、最初は誰だって初心者だったのだ。
心地よく負けるというか、次へのモチベーションが湧いてくる負け方というものを生み出せないだろうか。
例えば自分の配置ミスで手塩にかけていたキャラクターがやられてしまったとき。これは猛烈なモチベーションとなる。
闘技場でうっかり操作ミスをしてキャラクターがやられてしまったとき。これははっきり言って泣き寝入りしたくなる。
FC版暗黒竜は「キャラが死んでもそのまま続けること」を前提にデザインされており、そのために毎章のように仲間が増えていく。
しかしプレイヤー達は制作者が思った以上に「仲間を失うこと」「仲間を加入させないこと」に拒絶反応を示した。
それは今現在「誰も死なせない・全員加入」というプレイスタイルがごく当たり前になっていることからもうかがえる。
ルナティック19章の「仲間にしても使わないと分かりきっているキャラ*3をわざわざ苦労して仲間にするより、
あっさり殺害or無視して速攻した方が攻略上はるかに楽だ」とプレイヤーに思わせてしまう、限界まで攻め込んだような調整はそれはそれで素敵だが、
全ての難易度・マップでこんな初心者お断りな手段を使うわけにも行かない。
そもそも難しさと楽しさって正比例な関係なの? という根本的な疑問も湧いてくる。

新作が出るたび「難易度が下がった」「ヌルくなった」という声が聞こえるのはSRPGに限らずSTGでもなんでも見られるテンプレート的現象だが、
その裏には確実に一定数の新規プレイヤーが存在する。
「レベル10になったけどすぐにクラスチェンジするべきですか」「3章の攻め方が分かりません」なんてプレイヤーは間違いなくいたのだ。*4

ゲームとは言え、プレイしたからには何か目に見えるレスポンスが欲しい物だ。具体的にはキャラクターのレベルが上がったとか、よりレアな武器を手に入れたとか、
ストーリーを進めたとか、ハイスコアを更新したとかだ。「この面を攻略する見立てが付いた」「相手をより上手く出し抜けるようになった」という雲を掴むようなレスポンス、
修行僧的・将棋的で個人の中で完結する喜びが、誰かの反応によってゲームが展開するMMORPGとか、ソーシャルゲームに勝てる道理はない。
「将棋・チェス・囲碁の面白さ」を人に伝えるのは結構難しいのだが、この辺に理由がある気がする。それら3つと違って対戦相手と会話したり様子をうかがったりすることもないし。
クリア後の評価があっさり気味なのがいけないのだろうか。攻略評価B、生存評価A,なんていう項目がいくつかあるだけでは寂しい。
合計で何ダメージ与えたor喰らった。合計何ターンでクリアしたか。何回ユニットを動かしたか。何マス移動したのか…。いわゆる「実績」を用意しても面白いかもしれない。

「完璧だと思った配置に意外なミスがあり、味方がさっくりやられた」「5%くらい何とかなるだろうと危険な配置をしたら、やっぱりさっくりやられた」
「数十ターンがかりで攻略してきたのに、うっかりミスで味方が死亡」なんて事が起こったときに「ムキィー!」となれるような人間には
ファイアーエムブレムというゲームは向いていると思う。この「ムキィー!」こそシミュレーションの神髄、
死んで覚える面白さだと個人的には思うが、それを他人に押しつけるのは非常に危険だとも同時に思う。

で、新紋章の反省と次回への対策である。
熟練者に血涙を流させるくらいにはルナティックは難しかった。これは良い。
初心者をなんとか引きつけよう押しとどめようとしたのも見て取れる。けどいまいち上手くいっていない。兵種変更もマップセーブもカジュアルモードも、
少しかじれば「あ、ここで使えば攻略が簡単になるじゃん」と分かるけれども、右も左も分からない状態で押しつけられても仕方がない物だ。
押しつけておいて「嫌なら使わなくても良いです」と投げっぱなしにするのは良くない。非常に良くない。
「死んで覚える」の真逆みたいな「あれこれ豊富な救済システムに手綱を引っ張ってもらう」感がするのはプレイヤーにとってバカにされているようで不快だ。
誤解がないように書いておくがチュートリアルが豊富でない方が良いというわけではなく、
「使うと便利だけど、使わなくてもまぁ良いですよ」みたいな中途半端なシステムを組み込む必要は無い、ということだ。
「使わなくても良い」ならば、「使いません」と表明・認定してくれるプログラムを付け加えれば済むわけで、
例えばセーブデータに「この人は兵種変更・マップセーブ・武器錬成をオフでプレイしています」と表示されるとか、その程度のことだ。
その程度だが、縛りプレイはFEにおいてよく行われている行為なので、ゲーム側で「あなたはこんな縛りを達成しましたよ」と言われるとちょっぴり嬉しいかもしれない。

いっその事、無茶苦茶シンプルなシステム・鬼畜な難易度にしておいて、発売後1週間に1回とかのペースでwebサイトで
答え合わせのような、「誰でもこの通りに動かせばこのマップをクリア出来ます」みたいな詰め将棋ライクな情報を公開する、なんてことをすれば初心者もクリアは出来るだろう。
「攻略本を見ておいて『簡単すぎてつまらない』と叫ぶプレイヤー」みたいなのが出てくるかもしれないが。

「新規プレイヤーにとって簡単すぎず難しくもない難易度A」「古参プレイヤーが泣き出すほど難しい難易度B」「感情移入出来る個性あるキャラクター」の3つさえ用意出来れば
あとは将棋並みにシンプルなシステムでも構わないと考える。我ながら身も蓋もない「校長先生のおはなし」的な結論だが。
ファイアーエムブレムシリーズは昨今のSRPGの中でも特に簡素なシステムだし、シンプルであることそれ自体が人気に関係しないことは将棋・チェス・囲碁が証明済みだ。
将棋のようなシンプルなゲームとウォーゲームのような重厚長大なゲームにはどちらも独特のおもしろみがあるが、FEが目指すべきはどちらかと聞かれたら、やはり前者だろう。
レベルデザインやテストプレイを棋士に頼む、なんて訳にもいかないのであろうが。





まとめ
  • FEのシステムはシンプルさが売りである
  • ゲームとしては「個性あるキャラ」「死んだら生き返らない」「めちゃんこ難しい」が売りである
  • 故にSRPGの中では将棋やチェスに近いゲーム性である
  • なのでちょっと頭を捻らないと初心者と熟練者両方を納得させるのは難しい
  • あれこれ救済システムを盛り込むより手厚い指導と達成感の演出が必要ではないか

最終更新日 2012-01-21








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最終更新:2012年01月21日 20:10

*1 シリーズ作ではキャラが何回死んだかをカウントしている物もある。

*2 聖魔のフリープレイはこれに近いが

*3 オレルアンズの事だ

*4 この辺だいぶ主観的になるので当時の2chのスレを漁ってくれとしか言いようがない…