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絶望ユートピア:地上の楽園編


はじめに

「どこにもない場所」から転じて理想郷を意味するようになった「ユートピア」という言葉をご存じの事と思う。
しかしその元ネタとなると余り知られていない。この言葉はイングランドの法律家、トーマス・モアの造語であり、
彼が1516年に著した作品に登場する架空の国家だ。今回はそのユートピアについてひとつお付き合いいただきたい。

本文

ユートピアとか理想郷とか聞くと、のほほんと暮らす住人や豊かな自然、晴耕雨読と言ったのどかなライフスタイルを
想像してしまう。しかしモアの創造したユートピアは現代の視点から見ると中々に苛烈だ。
モアの本はその正式名称を「社会の最善政体とユートピア新島についての楽しく有益な小著」と言い、
ユートピア島に滞在した人から聞いた話として物語を作っている。ユートピア国の主な特徴は
  • 私有財産が無く、必要なものは倉庫に保管され必要により分配される
  • 貨幣が存在しない。またユートピア人は貨幣や宝石への欲望が全く無い。着る物も食べる物も同じ
  • 家は10年ごとの輪番で交代し、また2年おきに農村と都市で暮らす
  • 全員が1日6時間の労働をする義務を負い(故に失業者は存在しない)、余暇に学問に従事する
  • 主な仕事は農業だが、労働を免除された学者グループがおり、彼らが都市や部族を統治する
  • 奴隷が存在し、各家庭に2人ずつ配置されている。奴隷は罪人などがなる
  • 夫婦は離婚できず、性への取り締まりは厳しい
ここまで読んで「え~? これってユートピアどころかディストピアじゃね?」となった人、あなたの感性は多分正しい。
経済に関する統制や強固な管理社会ぶりは「のどかなライフスタイル」からははるかに遠い。
男女関係や奴隷制については「まぁ、書かれた時代が時代だから」と納得することも不可能ではないが、
貨幣や私有財産の廃止はかなり先鋭的なアイデアだ。面白いのは奴隷を繋ぐ鎖や便器が黄金で出来ているなど
住人は貴金属を軽蔑し、宝石類は子供のおもちゃとして扱われているという所だ。ユートピア国に来た外国人が
豪奢な装飾品を身に纏っているのを見てユートピア人は冷笑するというが、この辺なんかすごくもやもやする物を感じる。
奴隷の鎖も便器も、別に鉄や銅や錫で作っても構わないのであって、「金に高い価値を与えている」という
文化があることを理解した上で「意図的に」アンチな行為をしている訳だ。理想のために自由を抑制する。
何やら不健康な感じがしませんか?

ともかく、モアがこの作品を通して言いたかったのは「戦争が絶え間なく続き、羊毛工業をめぐって貧富の格差、
都市的退廃が拡大する同時代のイギリスの現実を批判する」事であり、「近代化に抵抗する保守的メンタリティーを
てことする近代化の批判」だった。*1

19世紀の産業革命期に誕生した初期の社会主義は工業化の現実を認めながらも、フランス革命の
理性主義を信じて新しいユートピアを追い求めた。そのような運動の中で新たなユートピア像を最も
整った形で描いて見せたのがフランスの思想家、エティエンヌ・カベーの1840年の著作「イカリア旅行記」だった。
この作品もモアのユートピアと同じく、架空の国を舞台に滞在者の旅行記を受け取ったという設定で展開される。
イカリア国の特徴は
  • 人民主権と普通選挙が基礎であり、選出された2000人の国民が各分野15の委員会に別れ行政を行う
  • すなわち立法と行政は一体である。司法は一種の人民裁判であり、警察は存在しない
  • 出版の自由は制限されており、作家は国によって養成される。
  • 新聞は国民に選出された公務員が編集する。つまり政治的に「異論」が存在しない
  • 生産手段は国有ないしコミュニティが所有。貨幣は存在しない
  • 工業は共有の大工場が主力。規則を考案し役員を選出するのは労働者自身である
  • 食事は巨大なレストランで食べるほか家でも食べるが、その材料は国から各家庭に配達される
などが挙げられる。1848年から数回にかけて、このユートピア像に魅せられた人たちと共にカベーは海を渡り、
アメリカで実際にコミュニティを設立してその運営を行ったが、数年の後に失敗して帰国したと伝えられている。
それ以前の1825年にも、カベーに影響を与えたイギリスの社会改革家で綿業工場主のロバート・オウエンが
同じくアメリカで「ニューハーモニー村」という共同体の運営に挑んだが、こちらも失敗している。
ただしオウエンの思想は後に生活協同組合として実を結ぶこととなり、その意味では価値ある失敗だった。
ちなみに世界初の幼稚園を作ったのも彼である。(システムとして確立したのはドイツの教育学者だけど)
「イカリア国のユートピアは初期社会主義者のユートピアの中でもっとも完成度の高いものと言えるだろう。
バブーフを継承したその構想は友愛、平等を優先して自由をそのあとにおく点でも、共有経済性に統制された
民主主義を結合する点でも、典型的であった」*2

社会主義の巨星、マルクスが登場した後もユートピア思想は続いていた。アメリカの作家エドワード・ベラミは
1888年に「顧みれば――2000年より1887年を見る」という本を出版し、大ベストセラーとなった。
主人公が社会主義化された2000年のボストンにタイムスリップするという話で、その特徴は以下のとおり。
  • 労働者は産業軍(労働義務と軍隊式の組織から成る産業構造)に編成され、国家が唯一の雇用者となる
  • 商業は完全になくなり、必要なものは国営倉庫から直接分配される
  • 賃金は存在せず、労働の成果に対する取り分は平等。能力が違ってもベストを尽くす人はキチンと評価される
  • 犯罪は激減しているので警察官も少なく、裁判も弁護士抜きで行われる
  • 議会は5年に1度召集されるだけで、産業軍のトップから大統領が選出される
労働と軍隊を密接に結びつけている点が特徴的であり、ミソだという。ベラミの著作は各国語版が出版され
批判されたり称賛されたりと大きな話題を呼び、アメリカとヨーロッパでは彼の思想を実現するためのクラブも
作られたそうだが、やはり上手くいかなかったようだ。

このように様々な人が考え実践し、そして失敗してきたユートピア建設の夢だが、彼らとは全然関係のないところで
実現しかけることとなる。時に1914年、第一次世界大戦によって。

総力戦体制においては国家が経済を強く統制し、工場で何を作るかを決め、食糧は配給制になり、
各種物資は政府によって管理され出版や言論に圧力がかけられ、どれだけの労働者をどう配置するかを国が定め、
私企業への規制が強まり、老若男女問わず工場や農場での労働に狩り出され、国民は国から食と仕事を強力に
斡旋して貰える代わりに禁欲的生活を送ることを余儀なくされる……。これはまさしくモアが、カベーが、
ベラミが目指したユートピアではないだろうか? というか、実際にレーニンは社会主義のモデルをドイツの
戦時統制経済に見いだし、革命運動と統制経済をセットにしてロシア革命へと進んでいくことになる。
言ってみれば世界大戦がユートピア実現の可能性をつくり出した(あるいは「作り出してしまった」)のだ。

理想郷、楽園、桃源郷、常世の国……。ユートピアというのはその響きの割に、どうにも住みにくいらしい。
現代におけるガチガチな統制経済・管理社会の国と言われると、やはり思い浮かぶのは北朝鮮だ。
北朝鮮のマスメディアや国民が繰り返し言っていた(らしい)「我が国は地上の楽園です」との謳い文句。彼らは皮肉でも、
洗脳の結果でもなく、割とマジで、元々の意味でのユートピアと言っているのではないだろうかと勘ぐってしまう。

ユートピアとは完成された、それ以上付け加える物が何もない社会である。しかし現実の社会はそんな都合の良い物
ではなく、我々は多くの問題を解決すべくあれこれと四苦八苦している。我々にとってはどこまで行ったって
「理想の社会」が完成されることはないのだ。アーミッシュヤマギシ会のように完成された社会を持つ人たちは確かに
存在する。しかしそこで起きているのはおそらく、ユートピア的な極楽生活ではなくあれはダメこれはルール違反と
いった同調圧力と内ゲバだ。そこでは「理想の共同体」はいともたやすく「圧政としての共同体」となる。
エンゲルスは「『理性の勝利』によってうちたてられた社会的・政治的諸制度は人々を幻滅させる痛烈な諷刺画である
ことがわかった」と述べ、またフーリエ(数学者じゃなくて思想家の方ね)を引用してこう言っている。

彼(フーリエ)は、理性だけが支配する社会だとか、すべての人を幸福にする文明だとか、無限に完成してゆく人間の
能力だとかについての、以前の啓蒙思想家たちの魅惑的な約束や、同時代のブルジョア・イデオローグたちのはなやかな
美辞麗句を、このみじめさとつきあわせる


ロシア人哲学家で反共主義者のベルジャーエフは1927年の著作「新しい中世」で次のように言っている。
おそらくこれが、我々が持つべきユートピア像なのだろう。

人類の黄金の夢と見えた社会主義的ユートピアは自由を約束したことはなかった。それはむしろつねに自由を
完全に否定する専制的な社会秩序の像を描いてきた。……人はこれらのユートピアについてよく知らず、
忘れてしまっており、その実現の不可能性ばかりを惜しんでいた。しかし、これらのユートピアを実現することは、
以前に考えられたより、ずっと容易であることがわかったのである。そしていまや人は、
いかにしたらユートピアの完全な実現を回避しうるかという別の難問を前にしているのである。(略)
ユートピアは実現可能である。……生活はユートピアに向かって進んでおり、知識人と文化人的層にとって、
いかにしてユートピアを避けるか、いかにしてユートピア的でない、より不完全だが、より自由な国家に
もどることができるかについて、熟慮し、夢想する新たな世紀が始まるであろう。いまや人は、もはや
社会主義について夢見ない。……いまや人はもはや完全な体制ではなく、不完全な、したがって自由な
体制を夢見るのだろう(前掲書より引用。強調は引用者による)

ところでユートピア行きのチケットがここに有るんだけど、そこのあなた、一枚どう?





最終更新日 2015-11-27




参考
  • 和田春樹「歴史としての社会主義」
今回の種本





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最終更新:2015年11月27日 22:55

*1 「歴史としての社会主義」より引用

*2 前掲書より引用