スクラップページもどんどん増え6ページ目に突入。ブログにでもした方がいいんじゃないかという気はするが
サイト全体の移転など作業量を考えただけでげんなりする。10ページ目にでもなったら考えるさ。
宗教的チートアイテムで世を満たせ、の巻
有名なトリビアなのでご存じの方も多いだろうが、ユダヤ教の安息日にはいくつもの「~するべからず」という決まりがある。例え
ば機械の操作をしてはいけないのでエレベーターが自動運転になったり電灯がタイマーで動作したりするし、公共交通機関が止まっ
たりする。そんな「べからず」の一つに「
Hotzaah」と呼ばれる物がある。かいつまんで言えば自分の家のようなプライベートな場
所から公共の場(あるいはその逆)に物を運んだり移動させたりすること、公共の場で物を4
キュビット(1.8メートルくらい)以上
動かすことが禁止されている。こんな決まりがあってはポケットに家の鍵を入れて散歩することも自転車に乗って外出することも出
来やしない。それを解決するために「
エルブ」と呼ばれるワイヤーがある。このワイヤーを街のブロック全体を取り囲むように張
る。ワイヤーの内側全てを「プライベートな領域」と見なすことで誰もが気兼ねなく行動できるというわけだ。エルブは厳格に決ま
りを守るユダヤ教徒、特に正統派ユダヤ教徒のコミュニティで使われており、イスラエル国内だけでなくロンドン、ニューヨーク、
シドニーと言った他国の都市におけるユダヤ人コミュニティでもエルブは張られているとwikipediaに書いてある。
しかし……、正直に言わせて貰えば違和感がありありである。全知全能である神(ですよね?)を小細工で出し抜いた気になっておい
て神の教えに敬虔な信者でございというのは相当に面の皮が厚い話ではないか? 何もユダヤ教に限らず、キリスト教にもイスラム
教にも仏教にもこの手の「都合のいいアイテム」は存在するのだろう。輪蔵とかマニ車なんかはそのものずばりだ。「このお札には
お祈り100回分の効果があります!」といったものも探せばあるのだろう。信仰心があるんだか無いんだか分からない話である。な
にがしかの宗教を信じている割には、様々なチートアイテムに頼るほど世俗化している。かといって葬式仏教化するほど不信心なわ
けでもない。まぁこの手の難癖は数百年前からあったはずで、おそらく昔の偏屈屋も「南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土に行け
る!? 都合良すぎるだろ!」と叫んでいたに違いない。
だがしかし、ここまで好き放題言ってきたが、宗教の世俗化・戒律の軟化は全体的には良いことじゃないかとも思うわけだ。なぜか
と言えば、自分に対する宗教的な縛りが緩い人は、他人の宗教的習慣に対しても緩く振る舞うだろうと想像できるからだ。不信心で
結構。ズルもチートアイテムも好きに使えばいい。宗教にのめり込むあまり地球は平面だとかわめいたり、中絶した/しようとする
女性に集団で嫌がらせしたり、コロナは祈りの力で治るとか言い出したり、布で顔を隠さない女性をぶん殴ったり、同性愛者を投石
で死刑にしたりするよりかはよっぽどいい。街に張られたエルブや寺院に置いてあるマニ車で傷つけられる人はまずいないが、宗教
的情熱によって傷つけられている人は山ほどいる。左手に握ったカツサンドを缶ビールで喉に通すイスラム教徒が、「種の起源」と
か恐竜図鑑を熱心に読むキリスト教徒とワイワイ騒ぐ程度に世俗化すればよいと勝手に思っている。そうすりゃ世の中少しは平和に
なるだろう。
……なるだろうと書いたところでニュースを見たらフランス、ついでオーストリアでイスラム過激派によるテロが発生したとやって
いた。自分の考えの甘さを痛感してやるせない気分になると同時に、リチャード・ドーキンスじみた皮肉の一つも言いたくなる話である。
彼らをテレビで晒して誰が救われるというのか、の巻
銀の食器を盗んだ罪で引っ捕らえられた犯人に「それはおれがあげた。あとこれもやる」と銀の燭台を差し出す……「レ・ミゼラブ
ル」の有名なシーンだ。ところが現実はこう美しくはいかず、日本の神社の賽銭箱には監視カメラが設置されていて、ときおり間抜
けな賽銭ドロの犯行の一部始終がお茶の間に流れる。数千円、下手すりゃ数百円の賽銭のために数万円は下るまい監視カメラを仕掛
けるのはなんとも牛刀割鶏な気もする。メロン農家がメロン畑にカメラを置くのとは訳が違う。賽銭は神社や寺の主な収入源ではな
い。(
1,
2,
3)むろん「10円だろうが100円だろうが窃盗は窃盗だろ」との指摘は疑いようもなく正当である。しかし、おれは心のどこ
かで、そういう俗っぽすぎる価値観から解脱した振る舞い、神主さんや坊さんの「持っていきなされ。この賽銭はあなたのために取
っておいたのだ」みたいな気の利いた粋な台詞を期待している。
寺社の経営難の話は昨今よく聞く話だ。信仰に金がかかるのも事実だろう。「月刊住職」の誌面が金の話だらけなのを見ればそれも
うかがい知れる(この文章を書いた時点での
最新号の特集の一つが「住職はどのような車に乗るのがふさわしいのか」なのはいろん
な意味で示唆的である)。とはいえ、貧乏人に施すのは神仏の御心にも叶うと思うのだが……。
見るなよ、絶対見るなよ!の巻
いわゆる「検索してはいけない言葉」というものほど矛盾した言葉もないのではないか?
検索するな! 絶対見るな! と赤文字で警告しながらその単語について事細かに説明し、
閲覧方法まで詳細に述べられているのはどう考えたって変だ。
そして今や当該のワードで検索すれば、そのワードが指す見てはいけないなにがしかより先に
「まとめwiki」や「いかがでしたか?ブログ」、果ては
「【閲覧注意】メキシコの最狂グロ動画を視聴してみた!(Youtube特有のデカ文字サムネ)」
みたいな動画が出てきたりする……。
我々は見るなのタブーに全力で中指を立てている。だが悪いことではあるまい。
ヤード・ポンド法のせいではないと思うのだが、の巻
時は1980年代のアメリカ。
A&Wレストラン社はマクドナルドの1/4ポンドの肉を使ったハンバーガー、「クォーターパウンダー」に
対抗して1/3ポンドの肉を使ったハンバーガーを販売した。価格は同じで、顧客の味に対する評価も上々、テレビやラジオで広告も
打った。にもかかわらずなぜか売れ行きがいまいちだった。
当時のオーナー、アルフレッド・トーブマンはこのことを不思議に思い、
フォーカスグループを実施する。そこで意外な事実が明か
になった。なんと消費者達の半数以上は1/3と1/4のどっちが大きいかが分からず、「3は4より小さい。だから同じ価格なら1/3ポン
ドバーガーを買うのは損」と判断していたのだった! 一見冗談のように聞こえる話だが、これはA&Wの公式サイトにトーブマンの
著書を引用する形で
記載されており、相当に確かなようだ。(他のソースはこちら
1、
2)
この小話から我々は多くのことを学べるだろう。マーケティングはかくも難しいとか、平均的な消費者はそんなに賢くない(当時の
アメリカでファストフードを買う客層の、と留保がつくが)とか、適切なコマーシャルの必要性、などなど。経営者でも名うてのビ
ジネスマンでもないおれは別の感想を持った。1980年代のアメリカは、分数の大小が分からずともつつがなく人生を送っていける
懐が深い国だったのだろう、と。スーパーで450グラム入り550円プラス税と800グラム入り870円プラス税のどちらがコスパに優れる
かを必死で計算せずに生きていけるのは、それはそれで素晴らしいことだ。正直に言えば「アメリカ人は分数も分からないのかよ
w」などと草を生やしまくったり、あるいは米国の教育レベルについてドン引きしたりしたくなるのは事実である。しかしそのよう
にネタとして消化して終わりにしてよい話ではないように思える。
名は体を表しまくるのか、の巻
ゲームのキャラ名を決めるのが苦手だ。おれにとってはキャラクリエイトにおいて一番時間がかかる項目と言える。中世欧風ファン
タジーなゲームで主人公に「武蔵丸」なんて付けるのは世界観をぶち壊しにしているし、ポストアポカリプスなゲームで「ケンシロ
ウ」なんて付けるのは雰囲気には合っているが元ネタが偉大すぎて名前負けしてしまいやはり面白くない。
それでもまぁ主人公だけならどうにか頭をひねって名前を与えることもできる。しかし特定バックグラウンドを持たない仲間、ルイ
ーダの酒場やWizの訓練場で機械的にクリエイトするキャラの名前を考えるのはほとほと困るのである。困るのであるが、ランダム
に命名してくれる機能を使うのはキャラへの感情移入を妨げるようであまり使いたくない。
初めてその問題にぶち当たったのはDSのメタルマックス3である。MM3は主人公が記憶喪失であり、しばらくの間プレイヤーが付けた
名前とは別にドラムカンと名乗る。そのまま仮名で通すこともできるのでさほど困らない。なんだったらシリーズ伝統の主人公ネー
ム「はんた」だって構いやしない。ところが仲間キャラを加入させる段階で困った。MM3の仲間は上記のようなプレイヤーが一人一
人自由に職と名前と性別を決められるタイプの加入方式だったのだ。うーんと頭をひねった。あんまり中二病っぽい名前にはしたく
ない。MMシリーズは酒場で「ぬめぬめ細胞」を肴に「いちころ」を飲むという絶妙に気の抜けたネーミングが売りだと個人的に思っ
ている。だから「アウグスト・フォン・パーセヴァル」とか付けると格好が良すぎる。そもそも字数が足りん。世界が崩壊した後の無国
籍なゲームだから意味のある単語を名前にするのもあんまり良さそうじゃない。同じ聖人ゲオルギオスから取ってきた名前でもジョ
ージ(英)なのかジョルジュ(仏)なのかゲオルク(独)なのかゲオルギー(露)なのかでそのキャラのバックグラウンドが勝手に
決まってしまう。「サクラ」「カエデ」みたいな植物名は悪くないチョイスだがちょっとアニメっぽすぎる気がする(わがまま!)。
ところでMM3にはコーラというヒロインが居る。これは使えるんじゃないか。そうか適当な飲み物から取ればいいんだ!
キリンレモン、アクエリアス、ポカリスエット、ジンジャーエール、クラフトボス。なんかリから始まる名前が多い気がするがこの
調子でどんどん作っていけばいい。特定の言語から取ってきた名前ではないので三国志か戦国時代が舞台でもない限り違和感なく使
い回せる。男性名女性名どっちとしても使えそうだ。かくしておれのゲームの中では今日もリンレちゃんやリスエちゃんが世界を冒
険しているのだった。(なぜ「ちゃん」かって? ゲームの中でくらい女の子に囲まれたいだろう??)
あるいは悪趣味なのぞき見でしかないのか、の巻
ウクライナの紛争によって完全に忘れ去られた感のあるナゴルノ・カラバフ紛争だが、
そこに住む人にとってはまだ終わっていない痛みと恨みである。停戦したあとくらいに
redditで
アゼルバイジャンの板と
アルメニアの板をそれぞれ見に行ったことがある。
アゼルバイジャンの方は完全にお祭りムードで、「アルメニア人に対して寛大に対応しようよ」みたいな
勝利者としてふさわしい振る舞い(事実勝利者である)をするべきと言ったスレが立っていた。
アルメニアの方はその逆で、できるだけ敗戦について触れず、スポーツやコロナの話題に関する
スレが立っていたような記憶がある(大分うろ覚えなので許して)。
戦争に勝ったり負けたりするとはこういうことなのかと、まったく無関係な第三者ながら感じ入るところがあった。
ネット軍事評論家による兵器の解説を読むよりも、リアルな「戦後」の生活を送る彼ら彼女らの生の意見を
機械翻訳を通じて読んだ方がよほど戦争の現実を知れるだろう、とは思うものだよ。
規律の高さでライバルに差をつけろ!の巻
日中戦争中の共産党軍のスローガンに「
三大紀律八項注意」というものがある。まあくどくど説明するよりリンク先を見てもらった
方が早いのだが、要するに兵士たちに対して民衆から盗むな壊すな丁寧に話せと説くものである。正直に言わせてもらえればそんな
に偉いものでもない。三国志にでも出てきそうなシンプルな規則集である。
だが……「これを守っているから共産党軍は偉い!」と民衆の支持を得たということはすなわち、国民党軍や日本軍はこんな簡単な
決まりさえも守れないほど軍紀が緩みきっていたわけだ。
三笠宮もこう証言している。
かれらの対民衆、ことに対婦人軍紀はおどろくほど厳粛であった。ある北支軍の参謀は「八路軍の兵士は男性としての機能が日本人
とすこしちがうのではなかろうか。」とさえ語った。読者はこれを笑い話とお考えになるかもしれないが、当時としては、けっして
笑い話どころのさわぎではないのであって、これを裏がえせば、とりもなおさずわれわれの軍自体に対する痛烈な批判にほかならなかったのである。
共産党軍がコツコツ民心を得ていったのとは対照的に、国民党軍は
黄河の堤防をぶった切って10万単位で民間人を死なせたり、長沙
の
街に放火して市街地を壊滅させたりして民衆の恨みを買うような真似をしている。このあたりの差が第二次国共内戦におけるジャ
イアントキリングに繋がっていくのだろう。あるいは逆に考えることもできる。人も金も物もないないづくしの共産党軍は規律の高
さを見せつけるくらいしか歓心を買う手段がなかった。ゲリラ戦を遂行するためにも民衆の支持が必要であったが、そもそもがニッ
チ戦略であった……なんて具合にさ。(専門書調べたわけじゃないから鵜呑みにしちゃだめよ)
中小企業の経営者はビジネス誌に乗ってる戦国武将の逸話や孫子の兵法を学ぶより、「遊撃戦論」「持久戦論」を読んだ方が案外学
びがあるかもしれない。でも「経営の極意は毛同志から学びました!」って言って目を輝かせる経営者はそれはそれでちょっと、
いやかなりイヤなものを感じるが……。
本当に盗まれているのは人件費かもしれない、の巻
ここのところ3日に1回は冷凍食品の無人販売所に泥棒が入ったとか、代金に満たないわずかな金額しか入れずに商品を持ち去ったとかい
うニュースを聞く。冷凍式ロッカー型自販機だって探せばあるだろうが、防犯対策を完全に施した店舗を作りましたとの話はあまり聞
かない。冷凍餃子をはじめとするこの手の無人販売所が今も営業を続けられている現状は、盗みによる被害よりも店員の人件費や機材
の購入・維持にかかる資金の方が高いことを意味している。もし逆なら人を雇ってでも番をさせた方が儲かるはずだからだ。
店側にまったく防犯意識がないかといえばそうでもない。人通りの多い場所に店を構え、店内を明るく照らし、監視カメラを設置し、
「
お賽銭箱形式の会計箱で、心理的に不正しづら」くしているそうだ。(個人的にはそんなものになにがしかの効果があるとは思えな
いのだが…)それでも盗まれる被害は続出している。盗む人間が悪いのは論をまたない。だがおれは盗まれる店側が全くの無垢で可哀
想な被害者だとも思わない。「窃盗の被害<押さえられるコスト」というビジネスモデルを前提とした上で薄利多売な薄氷の商売をし
ているのは店側である。まさか学校祭の模擬店レベルのどんぶり勘定で出店しているはずもない。慎重にコストと利益を勘案し、多少
窃盗被害に遭っても儲かると踏んだからこそ店を出している(そうでない場合、通常それはビジネスではなく博打と呼ばれる)。テレ
ビカメラの前で泥棒に憤る経営者も、少なくとも帳簿の上では織り込み済みの話のはずだ。
窃盗する方とされた方のどちらが悪いかは子供でも分かる。だが良い悪いと儲かる儲からないは別の話だ。これら無人販売所に新規参
入ラッシュによるコスト削減競争の波が押し寄せ、前述の不等式がひっくり返り「窃盗の被害>押さえられるコスト」になるまで餃子
は盗み続けられるだろうとぼんやり想像するのである。
追記:この手の無人販売店は防犯コスト(の一部)を警察に丸投げしている、という言い方も可能だ。万引きが起こらなければ
警察はその分別の事件に取り組めたわけで、結局は食料を安く買えた分の税金が消えて無くなっているとの主張も屁理屈ではな
かろう。儲かるのは経営者ただ一人である。もちろん、出店戦略として交番や警察署の隣に店を出すなんて考えは誰でも思いつ
きそうなものだ。防犯コストとは何か、どこまで社会に頼っても不当ではないかはおれには手に余る議論だ。
戦国武将に賃金労働者は務まるか、の巻
毎年恒例の「理想の上司」ランキングだが、その中には歴史上の人物を理想の上司として挙げる回答が結構あるようだ。例えば
2023年の調査では織田信長だ
の徳川家康だのといった戦国大名がランクインしている。おれはそんな奴らはまっぴらごめんだ。人権も民主主義も労働法も理解していない
戦国大名ごとき
に上司になってほしくない。とはいえ、平均的な「日本人上司」が人権や民主主義や労働法について確かに理解しているかと聞かれればそれは極めて怪しい
ところではあるが……。
そんな「日本人上司」が
理想とする新入社員像は7年連続で大谷翔平が1位だそうだ。こっちの方も十分どうかしている。「“実力がある”“謙虚”といった
イメージで支持を得て」ランクトップになったとのことだが、周知の通り大谷は世界指折りの「実力がある」スポーツ選手である。当然、彼を部下として扱
う上司には世界指折りのマネジメント力が求められる。
あんたらにそんなものあんの? 彼が「謙虚」であることを良いことにクソどうでも良い仕事を押し
つけてその力を無駄にするのが関の山で、下手すりゃ出来る部下に嫉妬してパワハラかますのが典型的「日本人上司」じゃないのか? そうでない、と反論
するにはどうにも日本人労働者は上司が嫌いに見えるのだが。
我々は子供の夢にいちいち突っ込むクソ野郎なのか、の巻
凶悪犯が逮捕されるたび、犯人の中学高校時代の卒業アルバムやら卒業文集がテレビを通じて世に送られる。たいしたことが書いてあ
るわけでもないその中身を真剣に受け止め、アナウンサーやゲストの学者が訳知り顔で犯人の心理を分析して見せたりする。
確かに、それら文集の中身は往々にしてこっぱずかしいことが書かれている。だが中学生高校生が大人から見てこっぱずかしいことを
書いたからといってそれがいけないとは思わないし、中高生のまま頭と心の成長が止まった人間というのもさほどいないだろう。卒業
アルバムやら中高生時代の趣味やエピソードだのを材料にして現在大人になった犯人をプロファイリングしようというのは、人間の精
神年齢は15~18歳で成長が止まってしまうと考えているようなものだ。
ひょっともすると、報道する側はそんな下世話なことは百も承知で、内心視聴者を小馬鹿にしながら視聴率のためにわざとそうしてい
るのかもしれない。だとすると犯人の卒業文集をのぞき見して喜んでいる視聴者の方がよっぽど精神年齢を問われかねない。ところで
マッカーサーが日本人の精神年齢は12歳とご発言あそばされたことはつとに有名だ。
大元帥もご覧じろ、80年の時を超えついに我々の精神年齢は5歳ほど成長したぞ。(今回この嫌味を書きたかっただけ)
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最終更新:2024年03月01日 08:47