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*古術:気走るのこと(2006-10-18)&counter 古術では「気走りを読む・気筋を読む」ということが重要視されている。これは、他派に無い特別な理合いというものではなく、剣道で言うところの先の先とか先々の先にあたる概念である。 「相手が打とうとする『う』を打つ、相手が斬ろうとする『き』を断つ」ということを最重要視している。 このことを「宇気断ち(うけだち)」と呼んでいる。 空手や剣道などでは、これを乱稽古で自然と学んで行くわけだが、古術には乱稽古が無いため、手形で学ぶ。だからこそ「寄せ手(技を掛ける方)」は、一本、一本、真剣に打っていく。 その「宇気」を悟って、一気に斬り込むことが大変重要なこととなる。また、この稽古をしていると、自然と相手の「気走り」が読めるようになる。 私は、日本拳法時代、カウンターが得意だとよく人から賞されていたが、正確に言うと、相手の「気走り」を読むことにけっこう長けていたということである。 これは、剣道家なら全く当然の術理であり、特別なことではないのだが、乱稽古無しでも案外といける、と言うのが私の実感である。 ただし、手形稽古とは言え、一本、一本を寄せ手が本気で打っていかないとこれはできない。だから、乱稽古以上に手形稽古は達人を生みにくいシステムだ、と私は考えている。 よく、古武道関係の本などで、現代武道はルールのある闘いであり、古武道は死合いの手だとか言って、現代武道を批判する記事を見かけるが、私は防具付きでも現代武道の方が厳しく、本当の実戦では、型稽古のみの者はよほどの才が無い限り、打ち負かされるのではないかと思っている。 あまり、古武術を神秘化するのもどうかと考えている。しかし、確かに古武術の技の方が真剣試合では役に立つのも事実だから、理想を言えば、乱稽古のある現代武道をやった人が古武道を学び、真剣手合いを知る、というのが一番良いのではないかと考えている。 そういう理由があって、私の所では日本拳法道と古術の二つを平行してやっている訳である。(館長) [[風門の儀に戻る>風門の儀]]

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