ソフィア王国内戦は7621年10月1日~762〇年にかけて
ソフィア王国で発生した内戦。
背景
7617年4月総選挙における国民福祉党の大勝と政権交代
7617年、ソフィア王国では政治に対する国民の不満が渦巻いていた。立憲王政党政権は党利党略を優先し、トラスフォルリズモによる議会派多数派形成に腐心し、国民の意見を無視し、国民の財産を合法的に搾取し、不満を訴えるデモは警察や軍の直接射撃による虐殺で鎮圧してきた。国民は諦観と絶望に支配されていたが、ポピュリズム政党、国民福祉党の
ピエール・デュカス幹事長は、国民の不満が政治によって解決されない今こそ政権奪取の好機であるととらえていた。彼らは凡そあらゆる手段を通じて国民の支持を取り付け、組織化し、7614年のアルピナ行政区議会選挙で勝利し、続いて7617年4月の王国議会議員選挙で55%の支持率を得て大勝し、政権交代を実現した。
国民福祉党はカトルーを首相とし、円十字党民主党と連立を組み、共産党と政権外協力体制をとって政権運営を行った。政権の基本政策は、当選地域における税制の優遇と非当選地域における課税、そして対立候補に対する課税と軍事予算の削減、福祉政策の充実である。これらの政策は、法的にあいまいであったり、あるいは少なからず違法であったりしたが、少なくともこれまで全く無視され、虐待されてきた多数の貧困層や労働者層にとって歓迎される事であった。国民福祉党政権は反発や訴訟を乗り切り、国民の支持を背景に福祉政策を進めていった。
7619年の軍事予算を巡るクラーラ王女の介入事件
7619年まで王室と政権の関係は良くも悪くもなかった。しかし、7619年の軍事予算を巡り大問題が起こる。王室のクラーラ王女が、退役軍人の会の党や軍と共に、削減され続けていた軍事予算を増大し、
立憲王政アーカルソン=リペルニアから新型戦車を購入するように圧力をかけてきたのだ。結局政府は福祉予算を削減してアトリオンから戦車120輌、戦闘機20機を購入する契約を締結した。
しかしこの事件は国民福祉党政権と王室に緊張を生じさせ、国民福祉党幹事長ピエール・デュカスに王室の排除を真剣に考えさせるきっかけとなった。
王制廃止を巡る議論と7621年4月総選挙の国民福祉党の大勝
国民福祉党政権はクラーラ王女介入事件をきっかけに王室の排除を真剣に議論し始めた。こうした議論は立憲王政党や保守党、退役軍人の会の党などから強く非難されたが、党幹事長ピエール・デュカスは「福祉予算が軍事費に充てられた」として国民的議論を訴え、7621年4月1日の王国議会選挙に挑んだ。
結果は国民福祉党が議席の70%を占める大勝利で終わり、ピエール・デュカスを首相とする単独政権が発足した。
この時、王室は野党より国民福祉党の組閣を拒否するよう提案されたが、国王クローヴィスは提案を拒絶し、国民福祉党政権が発足した。国民福祉党政権は王政廃止を審議し、10月1日に議決を行う事とした。
このような状況の中、野党、立憲王政党や保守党、退役軍人の会の党(以下王党派)などはクーデターによる国民福祉党政権の排除と政権奪回を計画していた。王党派のクーデター計画を国王クローヴィスは泰然と拒絶したが、王政廃止議論に激怒していたクラーラ王女を計画に引き込むことに成功。王党派は近衛師団を用いて10月1日にクーデターを実施することを決定した。
経過
7621年
王党派のクーデターと失敗
王党派のクーデターを計画している頃、既に計画は政府側に漏洩していた。ピエール・デュカスはこれを王政廃止の好機とみて罠を仕掛けた。10月1日、近衛師団によりクーデターは実施された。しかし、政府は与党議員らと共に安全なビアンカに避難しており、3個師団を動員してカウンタークーデターを実施。近衛師団は王女と共に王党派が支配するヴェラリアに避難した。
内戦と王党派臨時政府の樹立
王党派のクーデターが失敗した際、ヴェラリアで妻子と共に静養中であった国王は王党派がクーデターを起こしたことに激怒した。国王は王党派の議員を逮捕してクーデター軍を掌握すると、政府に降伏を提案したが、政府は黙殺し、軍に叛乱軍の殲滅を命令した。
国王は政府側に降伏する事を断念し、和平の道を探りつつもクーデター軍に自衛を命令。ソフィア王国内戦が勃発する。
国王は妻リーナ・ユスティニアヌス・ソフィア・クラリッサ・フェンタジネットと共に王党派と協議して国王親政による王党派臨時政府を設立。王党派支配域での総選挙と法律イニシアチブ、レフェンダム制度の実施を発表する。またリーナ・ユスティニアヌスにより
リントヴルム朝ヤード帝国に支援の要請がなされる。
アルピナ蜂起/バルボ街道作戦
クーデターが失敗し、内戦が発生するとソフィアの各地で共産党に組織された労働者などが抗議デモを実施。うちディアナでは暴動に発展し、ラ・ドロワグループのオフィスやブティック、ラ・ドロワ家当主シャルロッテ・ラ・ドロワの館が襲撃される。シャルロッテ・ラ・ドロワは王党派に保護を求めるも、王党派により謀殺される。国民福祉党政府はシャルロッテ・ラ・ドロワが王党派を頼った事を公表し、王党派に対する国民の反感と、政府軍に対する支持を強める事に成功した。
7621年の虐殺
ソフィア内戦が勃発すると、議会派は兵力の優位を生かして王党派を包囲した。その際、議会派は地方の農村などを占領したが、そうした村々で略奪、強姦、虐殺を繰り返した。また議会派の勢力圏内では、国民福祉党シンパによる「王党派狩り」がおこなわれ、最初の2ヶ月で35000人もの農民や無辜の人々が殺戮された。
一方王党派は国王より戦争犯罪を禁止する命令が出ていたにもかかわらず、バルボ街道作戦において進撃路の住民が略奪、強姦、殺人の被害に遭った。こうした犯罪行為にクラーラ王女は激怒し、王党派は綱紀粛正とモラルの改善に取り組んでいくことになる。
7622年
王党派臨時政府による総選挙の実施とレオネッサへの支援要請
7622年1月、王党派臨時政府は総選挙を実施。また同時にレオネッサ王国に軍事支援を要請し、レオネッサ国王より統領にレオネッサ王国軍介入の提案がなされる。
7622年3月4日、レオネッサ王国軍が軍事介入。国防義勇軍3個師団からなるソフィア派遣軍団は国境を超えるも、議会派1個師団に進撃を食い止められる。
…続く
影響
著名な人物
名前 |
役職 |
備考 |
トマス・ベルゴンツォーリ |
中将 |
ついた渾名は「電気髭」。レオネッサ王国国防義勇軍ソフィア派遣軍団長。国防義勇軍はリンディスヴァートの将校に「合理的な訓練がいっさい欠如している」と言われる有様で、装備も貧弱な彼の指揮下の部隊は幾度となく敗北を喫する事になる。 |
ル・ファンタスク |
少将 |
貴族。非常に優れた能力を持つ王党派参謀長でクラーラ王女の副官。軍事的には無能な王女を傍で支え、多くの軍事作戦の成功に貢献する。 |
ギィ・ケーニグ |
中佐 |
中産階級出身だが、成績優秀で忠誠心の厚い事から近衛師団に配属された将校。王女付き参謀となる。軍事的に無能な王女を補佐する。歯に衣着せぬ物言いをして王女の逆鱗に触れる事が多々あるが、王女は彼に全幅の信頼を置いている。 |
アウグスト・モイゼス |
王党派狙撃兵 |
仕立て屋の息子。たった一人と一丁の小銃で、攻め寄せた議会派の軍を次々狙撃して撃退したという「ヴェラリアの英雄」。内戦時で28歳。カメラ写りの良い、微笑を絶やさない好青年に見えるが、内心では戦争や人の生き死にを非常に冷めた目で見ている。戦場においては弁が立ち、部下達ともフランクに接する。 |
ヴィルヘルミナ |
王党派兵士 |
有翼亜人。王女に受けた恩義から王党派に志願するが、彼女の故郷の村は彼女の家族もろとも議会派に殺戮されてしまう。 |
フィリオリ・エルクリス |
議会派従軍看護師 |
強制動員された十代後半の少女看護師。この世の地獄とも言える凄惨な野戦病院での献身的かつ的確な処置から「塹壕の聖者」という異名を持つ。看護した全ての人間の顔と名前を覚えていたり、遺書の口頭筆記を行ったりもする。後方支援に携わる者としては英雄的な働きをしているが、与えられたリソースや権限は乏しく、数多の人間が彼女の腕の中で息を引き取っている。 |
諸外国の動向
スルガ
政府としては非干渉主義及びソフィアへの渡航禁止を決定したが、メディアは議会派に対して好意的であり、共和主義者たちが議会派に対して義捐金を送ったり、数百人規模の義勇兵が議会派として従軍した。
カラシュ公国
公式声明は何も無く、ヤード帝国の動向を伺う。混乱の最中で誘拐団が活動していたようである。
カスパー・ロウ男爵はフェンタジネット家に嫁いだ娘オプスキュリテを呼び戻すが、オプスキュリテは拒否。夫と共に居ることを選ぶ。
内戦時の大貴族の動向
ビアンカ公爵家
クーデター勃発当初は静観の姿勢を示すも、内戦が始まると議会派に接近し、ピエール・デュカスにソフィア王位を要求する。ビアンカ公爵フィリップの3男マイヤー・ビアンカ・フェンタジネットは当時第13師団師団長であり、議会派正規軍として軍事的にも貢献する他、私財を投じて外国より兵士を募兵してマイヤーに預ける等、議会派に対して積極的な支援をおこなった。
一方長男レイナウト、次男ローデウェイクはフィリップ大公の王位請求を時代遅れの行動と看做しており、公爵家の存続のためにビアンカ行政区の安全確保や難民の保護を積極的に推進して民心の収拾に努める。
ヴァレリア公爵家
クーデター勃発当初は静観の姿勢を示す。しかし、王党派がバルボ街道作戦を実施しヴァレリアに迫ると、当主アンリ公爵はフローリス公子夫妻を王党派に送り、自身と一族は議会派に属した。これは、どちらが勝利してもヴァレリア公爵家は残るという事を意図したアンリ公爵なりの戦略だった。アンリ公爵は積極的に議会派と連携し、ピエール・デュカスにソフィア王位を要求した。次第にビアンカ公爵家との関係が悪化し、敵対していくようになるが、クラリッサ方面の戦線が悪化の一途を辿ると基盤を失い、没落していった。
一方王党派に渡ったフローリス公子夫妻は王党派臨時政府に登用され、
リンディスヴァート制憲諸邦同盟に派遣され、積極的に王党派への支援を訴えていく。
ヴァンセラス家
王党派のクーデター時に不運にも王党派の拠点とされてしまう。不幸にも内戦に巻き込まれたヴァンセラス家は王党派臨時政府発足後は当主が教育大臣を務め、主に内戦時の児童保護や教育に努めていく。
ラ・ドロワ家
王党派のクーデターには静観を示す。その後、アルピナ蜂起で大衆が蜂起し、憎悪されていたラ・ドロワ家は襲撃を受ける。当主シャルロッテ・ラ・ドロワは持ちうる財産をもって王党派に保護を求めたが、王党派にも憎悪されていた彼女は王党派に謀殺される。一族も襲撃にあってリンチされたり、王党派に忙殺されたため直系は断絶したと思われたが、シャルロッテ・ラ・ドロワのひ孫が教会に保護されており、ラ・ドロワ家は全てを失ったが存続することが出来た。
資料
内戦時の兵力
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7621年の陸軍 |
ソフィア王国王党派 ・近衛師団 ・第12師団 ・第14師団 ・第22騎兵師団 |
ソフィア王国議会派 ・第11師団 ・第13師団 ・第15師団 ・第16師団 ・第17師団 ・第21騎兵師団 ・第23騎兵師団 ・第91鉄道防衛師団 |
7622年の陸軍 |
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内戦に使用された兵器
陸上兵器
航空兵器
正史/小説版
趣味と道楽で書いているので、気ままに内容が修正されます。ヤーディアの話ではないので、やど箱Zとはパラレルワールド的な感じでご覧ください。