北限人民解放戦争

北限戦争
画像
時期
7619年4月13日-7628年頃?
場所
北限海
戦争の結果
交戦勢力
清河人民社会主義共和国
・紅陸軍
・紅海軍
・紅空軍
親共派人魚
・カニクイ氏族
・ミナミゾウ氏族
・その他赤化した者
ムスルマーネン=カリフ国
・チクショウ旅団
空賊連合組合
ゴマフ部族同盟
・ゴマフ氏族
・ワモン氏族
・クラカケ氏族
・アゴヒゲ氏族
・その他親奴隷軍閥・親空賊人魚
反陸上種駆除同盟
・ヒョウ氏族
流氷の盾
・タテゴト氏族
・キタゾウ氏族
・ズキン氏族
・ハイイロ氏族
・その他軍閥も空賊も清河も嫌いな者
モンク氏族
戦力
清河紅陸軍:約50万人
清河紅水軍
・前弩級戦艦:1隻
・巡洋艦:1隻
・装甲巡洋艦:1隻
・防護巡洋艦:1隻
・駆逐艦:8隻
・水雷艇:6隻
・敷設艇:3隻
・海防艦:3隻
清河紅空軍
・複葉戦闘機:約250機
・単葉戦闘機:約60機
・双発戦闘機:約50機
・複葉爆撃機:約150機
・単葉爆撃機:約100機
・双発爆撃機:約60機
・輸送機:約60機
親共派人魚:約50万人
(*非戦闘員も含む)
チクショウ旅団
・陸兵:約5万人
・戦闘機:約30機
・巡洋艦:1隻
・駆逐艦:2隻
・海防艦:1隻
空賊連合組合
・大型空中艦:3隻
・小型空中艦:8隻
・戦闘機:約100機
ゴマフ部族同盟:約100万人
(*非戦闘員も含む)
反陸上種駆除同盟:約10万人
(*非戦闘員も含む)
流氷の盾:約56万人
(*非戦闘員も含む)
モンク氏族:約18万人
(*非戦闘員も含む)
被害者数
戦死:不明
戦傷:不明
戦死:不明
戦傷:不明
戦死:不明
戦傷:不明

・概要

 北限人民解放戦争(清河側の呼び方で、一般的には北限戦争と呼ばれている。)とは現地の封建制・首長制から人魚達を開放するという名目で、清河が開始した断続的な戦争の総称である。

・前史

 古来より北限海には下半身がヒレで上半身が人間と同じである人魚が生息しており、夫々血縁・地縁*1ごとに13の氏族に分かれて、シンガの政権と部族や生息地による差はあれど朝貢・主従・互市等による関係を有していた。
 その中でジャーガルク沿岸で生活するゼニガタ氏族*2クラカケ氏族ワモン氏族ゴマフ氏族アゴヒゲ氏族の一部はジャーガルクに臣従し、清河沿岸で生活する一部は中原の王朝に土司の称号を貰い臣従しており、前者はまつろう人魚、後者は蛋民人魚と呼ばれた一方で、ヒョウ氏族など、陸の勢力とは貿易しか行わない氏族・グループも存在し、彼らはまつろわぬ人魚又は野人魚と呼ばれた。

主な人魚の氏族
名称 人口 詳細
ゴマフ氏族 約40万人 その内北限で生活する者は約27万人であり、部族主流派は親ジャーガルクである。
ワモン氏族 約50万人 その内北限で生活する者は約20万人であり、ゴマフ氏族の支族とされている。
クラカケ氏族 約24万人 その内北限で生活する者は約10万人であり、ゴマフ氏族の支族であるとされている。
アゴヒゲ氏族 約50万人 その内北限で生活する者は約40万人である。
ゼニガタ氏族 約6万人 族長を含め殆どの者がジャーガルク国民としてジャーガルクで生活しており、ゴマフ氏族の支族である。
カニクイ氏族 約60万人 その内北限で生活する者は40万人であり、ヒョウ氏族やゴマフ系氏族と長年争ってきたため親清河となった。
ズキン氏族 約15万人 その内14万人が北限で生活している。
ハイイロ氏族 約17万人 その内14万人が北限で生活している。
ヒョウ氏族 約10万人 個人主義・反権力の文化があり、全員が北限で生活している。
更に排外的で他種族の人魚を食糧として捕食しており、他の部族からは嫌われている。
タテゴト氏族 約20万人 その内19万人が北限で生活しており、ゴマフ氏族の支族である。
キタゾウ氏族 約10万人 その内8万人が北限で生活しており、ミナミゾウ氏族の支族である。
ミナミゾウ氏族 約10万人 その内8万人が北限で生活しており、食糧の乏しい場合、ヒョウ氏族に襲われ捕食されてきた歴史から、反ヒョウ氏族であり親清河である。
モンク氏族 約20万人 その内18万人が北限で生活し、あまり他の部族と交流していないとされている。

・近代

 近代以降、ジャーガルクが国民国家となっていく中で、まつろわぬ人魚達は固有の文化を維持しつつ、ジャーガルク国民へとなっていった一方、7600年代以降の船舶と航空技術の発達に伴って、北限の戦略的重要性、特に極圏航路の存在が注目されるようになっていった。
 その為、ジャーガルク軍は北限へ探検隊を送るようになり、ヤーディシア大戦中にゴマフ岩礁とクラカケ岩礁の管轄権を主張し、観測所を設置、一方で中原の勢力は権力闘争と内紛に忙しく、北限に進出する余力は無かった上、蛋民人魚の首長制も清河成立まで維持されていた。
 しかし7613年の清河成立後、同政府は封建制と世襲的自治の廃止を目指し、蛋民人魚を含む少数民族の首長一族を教化所へ送り、代わりに少数民族を指導する名目で人民革命党の指導官が送り込まれ、革命に不熱心なものは粛清され、*3更に少数民族の子供は共産化のため親から引き離されて寄宿学校へ送られた。*4
 また清河政府は政権の正統化を進めるために、領域の拡張を目論んでいたが、人口もある程度多く、主権国家と接する東西南への進出は軍事的・経済的に困難であると捉えており、そのため比較的進出が容易な北限へ着目、探検隊を送り、7617年8月15日に世界で初めて飛行機での海氷上への着氷に成功し、氷上に観測所を設置、同年12月21日にジャーガルクが管轄権を主張したものを除いた11岩礁の管轄権が自国にあると宣言、同地に観測所を建設し始めた。
 これに対してジャーガルクは国防上の理由より反発したが、北限の勢力圏を確定し現地の資源開発を進めた方が得策であるというジャーガルク財界*5の主張もあって、ジャーガルク領海の東端から極点までの線と、西端から極点までの線の間をジャーガルクの勢力圏と認めることを条件に、清河の主張を認めた。(麗江条約)
 その後、清河軍は同海上の支配権を確保するため艦隊を送り北限の人魚達と接触、共産主義の素晴らしさを説き服属を迫ったが、近海で生活する蛋民人魚やまつろう人魚と違い、陸の勢力との交流が少なかったり皆無であったため、いきなり出現した清河軍を侵略者と多くの人魚達は捉え、攻撃を行った。
 これを大義名分として清河は「いきなり攻撃してきた無知で野蛮な人魚達を封建首長の支配から解放し、文明の一員として教育しなおす。」と7619年4月13日に宣言し、反抗的な人魚の討伐を開始した。

・反清河勢力の形成と内部分裂

 一方、清河を攻撃した人魚側もそもそも一枚岩だったわけではなく、漁場を巡る氏族間の対立や因縁*6があったため、カニクイ氏族やミナミゾウ氏族等の一部氏族は清河と組んで敵対する他氏族を討伐しようと画策し、また反清河勢力もヒョウ氏族中心の反陸上種駆除同盟、人口的に最大勢力であるゴマフ系氏族が中心となって結成したゴマフ部族同盟*7ゴマフ氏族系が力を持ちすぎる事に反発した氏族が結成した流氷の盾、更にどこの部族ともあまり仲が良くなかったモンク氏族勢力に分かれ分裂していた。
 その様な中でまつろう氏族に伝手が多かったゴマフ部族同盟はその繋がりを用いジャーガルクに接近したが、麗江条約によって勢力を確立したジャーガルクは清河を刺激して権益が脅かされる事を良しとせず、表立って支援を行おうとしなかった。
 一方、ムスルマーネン内の勢力争いで有力な財政基盤を持っていなかった*8チクショウ旅団は北限海の漁業利権に注目しゴマフ部族同盟に接触、空賊連合組合も輸送業*9に関わる関係から北限の極圏航路に注目しており同じく接触してきた。
 ゴマフ部族同盟は自分たちに従わない部族の漁場を差し出す事を条件に空賊やムスルマーネンの軍閥と同盟し、今まで手に入れる事ができなかった航空戦力や火砲による支援を得ることができたが、勝手に漁場を引渡された他勢力は勿論反発し、反清河の人魚勢力はゴマフ部族同盟とそれ以外に分かれ、この事は一般的に「ゴマフの裏切り」と呼ばれている。

・清河側の攻撃

 北限には殆ど陸地が存在せず、人魚達は流氷の下の海中から攻撃を行っていたため、清河側は都市や戦略的要地を占領して戦局を有利にする事ができず、勝利のためには反清河的な人魚の殲滅が必要であったため、清河側は砕氷船等を中心とする艦艇や航空機より爆雷やサンショオールの入った薬液を投下し、人魚を魚ごと殺した。
 この作戦によって人魚を直接殺すだけではなく、人魚の食糧となる魚介類も減少させる事ができたため、人魚は大ダメージを食らい、また航続距離の長い双発機が飛行場の少ない北限で活躍し、飛行場の要らない水上機も重宝したため、清河は水上機と双発機を海外から購入したり優先的に製造した。
 更に雪上での移動ではジャーガルク製のアエロサンも重宝したため、清河はジャーガルクから輸入し、即席で機銃を備え付け、輸送部隊を氷の下から攻撃する人魚ゲリラに対抗する事に利用して戦果を上げた。

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最終更新:2020年05月11日 00:39

*1 人魚は食糧が豊富で子供の養育に最適な岩礁を聖地としていた。

*2 ゼニガタ氏族の聖地であるゼニガタ岩礁はジャーガルクの勢力圏に存在した。

*3 粛清から逃れるため一部の人魚はシンファナ=タンクレート共和国連合に亡命した。

*4 なお寄宿学校に送られた一部の人魚は特殊工作員へと教育されたという情報もある。

*5 吉良ツクヨミが中心

*6 特にヒョウ氏族は他の部族を食糧として捕食していたため嫌われていた。

*7 但しゴマフ系氏族でも本家と確執があったタテゴト氏族は参加せず、逆にゴマフ系ではないアゴヒゲ氏族は首長間の交渉によってゴマフ部族同盟に参加した。

*8 他のサジュ旅団はアババ二スタン・タヴェリア方面で、マムルーク旅団はアブダラ島を中心にイクファターナ方面で、ヌヒ旅団はシンガ方面で権益を有していた。

*9 鏢局