貴方は小説家。それならばこだわるべき
これは実際、とあるプロ作家の作品中にあった表現です。引用させて頂きます。
「彼女はメロンのように豊かな胸をしており、またカモシカのような
足をした美しい女性であった」
メロンの胸にカモシカの足。
さすがにちょっと…、というのが私の感想でした。私はこういう表現をみると、恥ずかしくなるのですが、皆様は如何でしょうか。
私だけなら問題はないのですが、多くの方の場合、このような文章に抵抗があると思います。
小説家は、安易な表現に頼りすぎてはいけないのでは、と思います。
ありがちな比喩は非常に楽ですが、その分作品の質を落とします。
数十年前に使われた比喩表現は用いるべきではありませんし、むしろ言葉を書く人間である以上、
私達は自分で新しい表現を生んでいかなければならないのでは、と感じています。
もう少し具体的な話。音について
まず初めに結論を出してしまうならば、小説の中で擬音語を使うのはあまりに危険です。
(擬音語とは、直接、音を文字で表すもの。例えば、「ドン」「ガン」「バン」「ドカーン」など)
例えば戦争のシーン。こういう表現があったとします。
例
その時、主人公の背後で巨大な爆発音がした。
ドカーーーン
「一体何が起こったんだ!」
などとしてしまうと安っぽく見えませんか?
安っぽく見せたい、それを狙っているのならば話は別です。コメディなどのジャンルでは特にそうです。
しかし真面目な話を書きたいのならば出来るだけこういう表現は避けるべきです。
擬音語を使うと表現が楽になります。しかし作品の質をキープする事が難しくなります。
音を文字で表現するのだから、性質がまるで違う分やはり難しくなります。
しかしここで「ドカーン」を使って楽をしてしまうとどうでしょう。
読者様を貴方の文章の世界に引き込む事が大切であるのに
「ドカーン」としてしまう事で一瞬でも読者に安物感覚を与えてしまっては、読者様も引いてしまうでしょう。
そういう難しい物を頭をかかえて考えるからこそ小説家なのではないでしょうか。
狙いのない擬音語はNGです。自分だけの音の表現を見つけましょう。
どこまで見せるか
小説は映画やドラマとは違います。描写においてもそうです。
映画であれば、貴方は画面に映った物はどこを見ても自由です。
主演の顔を見なくとも、背景のぶらんこを見ていてもOKです。
しかし小説の場合は書かなければ見えません。
「ここは公園で、ぶらんこがある」
と言わなければ、ぶらんこは見えません。(厳密には少し違いますが、ここは話をシンプルに…)
ここが問題となります。
描写をすれば背景はしっかりと写りますが、逆にストーリーの流れを止めてしまうというデメリットがあります。
例えば 主人公が学校に来たとします。その時、情景描写を始めれば、その間は主人公は動きません。
「グラウンドには昨日の雨の跡があり…」と言っている間は主人公は停止しています。
たとえ隣に友人がいたとしても、友人も一緒に止まります。
つまり、天秤です。右の秤にはストーリーの流れ、左の秤には情景描写。
ストーリーのスムーズな流れを優先すると描写が犠牲になり、描写をリアルにするとストーリーが止まってしまう。
色々な小説論を読んでいると、描写のしすぎはストーリーの流れを止めてしまうので、少ない方が良いと書いてあるものが多く感じられます。しかし描写を少なくすると、漫画で言うと背景が真っ白な状態になります。
どんな良いストーリーでも背景がいい加減では、どこか冷めてしまいますよね。
ここがあらゆる小説家の悩むところと思います。
私も必ず、完成した小説は描写の量だけをチェックするために何度か読み返します。
この二つの割合は結構、自分の好みの問題です。
この相反する表現の問題をある程度解決する方法もない訳ではありません。
それはまた後日お話しようかと思います。
最終更新:2008年10月07日 16:28