まったく、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
エレベーターを待ちながら、ふと溜め息をついた。
連休最後の日曜日、私は唯先輩に誘われて一緒にショッピングに来ていた。
もっとも替えの弦を買うって話だったはずが、唯先輩に引っ張り回されるままに
何軒ものブティックを梯子する羽目になったけど。
「結局一着しか買わなかったね」
唯先輩が私の足元の紙袋を見ながら残念そうに言う。
「あんな高い服、何着も買えるわけないじゃないですか。これだって一番安いの
なんですよ。それより唯先輩こそ、自分のは買わなくていいんですか?」
「
あずにゃんが私の選んだ服を着てくれれば、それだけでしゃーわせだから~」
「……さわ子先生ですか。確かにこの服は似合ってましたけど」
そんな話をしているうちに、やっとエレベーターが来た。このビルのエレベーターは
扉の反対側が全面ガラス張りで、外の景色を見ることができる。
「ここの最上階にね、とってもおいしいスイーツの店があるんだって!」
「そうなんですか」
私たち二人きりのエレベーター。上がっていくにつれて低い建物は下に消えて、
その向こうの公園が視界に入ってくる。
「……あれ?」
「どうしたの、あずにゃん?」
公園の木々に止まっていた鳥が、一斉に飛び立った。
「今、鳥が……」
そう言いながら唯先輩の方を振り返った瞬間。
床が激しく揺れ始めた。
「じ、地震!?わぁっ!」
「あずにゃん!!」
よろけて倒れそうになった私の手を唯先輩が掴み、そのまま引き寄せると抱き締めた。
いつもの甘甘なハグじゃない、息が苦しくなるほど全力の抱擁。
嵐の中を漂う小船のように揺れ続けるエレベーターの中で、背中に回された硬い腕と
顔に押し付けられた柔らかい感触が私の恐怖を和らげてくれた。
「……終わったよ、あずにゃん」
揺れていたのはほんの一分ほどだったらしいけど、私にはとても長い時間に感じられた。
気がつくと私たちは床に座り込んで、唯先輩は私の頭を優しく撫でてくれていた。
「おわった……?」
「うん、もう大丈夫。だからそろそろ腕をほどいてくれるかな」
「え?あ、すいません、すぐに離れ……あ、あれ?」
そして私は、いつのまにか唯先輩にしがみついていた。腕がこわばって思い通りに
動かない。焦っていると、
「そのままでいいよ」
唯先輩はそう言って、腕を伸ばして非常通話ボタンを押した。
「……」
へんじがない。ただの(略
「むぅ……これは……」
「もしかして……閉じ込められちゃったんですか?」
役立たずの非常通話ボタンと私を交互に見ながら考え込んでいた唯先輩は、いきなり
妙なことを言い出した。
「とりあえず、脱いで」
「へ?」
「だからあずにゃん、それ脱いで」
「……なぁぁぁ~~~っっっ!!!」
「あ、やっと離れた」
「何てこと言うんですか、こんな時に!」
私は狭いエレベーターの中で、精一杯唯先輩から遠ざかろうとした。
「こんな時だからこそだよ。見て」
唯先輩は外を指差した。午後の太陽が、ガラス越しに扉と床を照らしている。
「きっとここ、すごく暑くなると思うんだ。だからその黒い上着を脱いで」
「……!」
暑くならずに熱くなった。私の顔が。
「おやぁ?あずにゃん赤いですよ。何を考えてらっしゃったのかな~」
「何でもないです!」
唯先輩の笑顔が悔しくて外を向いた。所々で窓ガラスが割れたり、看板や自転車が
倒れたりしているけど、火の手は上がっていない。
「良かった、この程度なら……え?」
街並みが一瞬ぶれたかと思うと、再び床が揺れ始めた。
「ゆっ、唯先輩!」
「心配しないであずにゃん!余震だから、さっきのより小さいから!」
最初の揺れの恐怖が蘇りかけた私を、唯先輩が抱き締めて落ち着かせてくれた。
「……ありがとう、ございます」
「脱いでくれるね?」
「……はい……」
唯先輩にしがみついたまま、私はうなずいた。
「もういいよ、あずにゃん」
あれから何度目かの余震がおさまった。唯先輩の手が背中から離れるのを感じて、
私も腕をゆるめる。気がつくと随分汗をかいていた。
「ほんとに暑くなりましたね」
「そうだね。メール、来てるかな?」
「私が見てみます」
一番の問題は携帯が繋がらないことだった。おまけに私のも唯先輩のも、電池は
残り少ない。そこで部の先輩たちや憂、そのほか数人にメールを打った後は電源を
切って、時々返信があったかどうか確かめるようにしたのだ。
「来てませんね……皆さん無事なんでしょうか?」
「前にどこかで聞いたんだけど、こんな時はメールも遅れて届くものなんだって。
だからきっと大丈夫だよ!」
何の根拠もないけど、唯先輩がそう言ってくれて少し安心した。
「それよりさ、おなか空かない?確かここにキャラメルが……あ」
キャラメルが出てきた。1個だけ。
「あずにゃん、どうぞ」
「いえ、唯先輩こそ」
そんなやり取りを数回繰り返した後。
「それじゃあ……ふんすっ!」
キャラメルを二つにちぎろうとしていますよ、この人は。やがて無理だとわかると、
真ん中あたりを歯でくわえて噛み切り、半分を私に押し付けた。
「遠慮しなさんなって」
さすがにここまでされては、私も食べないわけにはいかなかった。でも……
こ、こういうのも間接……なんだろうか?
「夕方ですね……」
「そうだね……」
余震が起きなくなり、空が赤く、暗くなり始めた頃から、唯先輩は徐々に口数が
減ってきていた。今も隣に座っている私の方を向くでもなく、ぼーっとしている。
「そろそろ上着、着ましょうか?」
「……ごめんね」
「唯先輩?」
「私があずにゃんを買物に誘ったりしなきゃ、こんな事にならなかったのに……」
この数時間、私を何度も元気付けてくれていた唯先輩が、いきなり弱気になった。
いや違う。唯先輩もずっと不安だったのを我慢していたんだ……私のために。
「唯先輩が誘ってくれなかったら、私は自分の家で地震に遭っていたはずです。
もし一人でいる時にあの揺れに襲われたらと思うと、ぞっとします。今日は唯先輩が
私の目の届く範囲にいてくれて、とても助かりました」
「あずにゃん……ほんとに?」
「はい!今日の唯先輩、なんだか格好良かったです」
「そっか」
夕日を浴びてオレンジ色に染まった唯先輩の笑顔がとても奇麗に見えて、私は目が
離せなくなってしまった。
「唯先輩……」
「あずにゃん……」
視線が絡み合う。唯先輩が私の肩に手を掛ける。私はそっと目を閉じて……
扉越しに、何かの機械が動いているような大きな音が聞こえ出したのはその時だった。
それから10分とかからず、私たちは救出された。
次の日。
「ニュース見たよ。二人とも大変だったな」
そう、あの地震で数十台のエレベーターが人を乗せたまま止まり、そのうち一番長く
閉じ込められたのが私たちだったらしい。エレベーターの外にはテレビカメラまで
来ていて、私たちの姿はしっかり写されていた。
「どうもです、澪先輩。それに他の皆さんも、メールありがとうございます……
読んだのはあそこを出てからでしたけど」
「それでさー、お前らずっと二人きりだったんだろ。少しは進展したのか?」
「何言ってるんですか律先輩」
「私も興味あるわ。どうだったの?」
「ムギ先輩まで……私たちは別にそんな関係じゃありません」
「こ~んな関係だよねっ♪」
唯先輩が私に飛びついてきた。
「もう、いいかげんにしてください」
私は唯先輩の手を払いのけようとした……はずなのに。
唯「おぉお……」
紬「まぁあ……」
律「ほほぅ……」
澪「んなっ……」
なぜか私の腕は唯先輩の背中に回って、しっかり抱き合ってしまっている。
いきなり騒がしくなった外野の声を遠くに聞きながら、ふと溜め息をついた。
そして苦笑すると、目の前にある柔らかい体に額を押し付けた。
こんなことになっちゃったのはあなたのせいなんですからね、唯先輩。
めでたしめでたし!!
- 地震は危ないけど、 ある意味感謝するか? -- (あずにゃんラブ) 2013-01-10 20:37:46
最終更新:2011年02月03日 03:07