――みんな、ありがとー!
歓声と拍手と照らしあげるライトの中、先輩は大きく手を振りながら叫んでいた。
本当にうれしそうに、楽しそうに。
初めてという言葉を差し置いても、成功といえた演奏の最後に。
私の視界の左半分で、本当に嬉しそうに、楽しそうに、両手をいっぱいに広げながら、笑っていた。
夜。
私たちはコタツを囲んで、のんびりとトランプへと興じていた。
憂の作った年越しそばを食べて、年末のテレビ番組を流しながら、ぼんやりと年の切り替わるその瞬間を待ちながら過ごしている。
さっきまでの緊張感がうそみたいな、のんびりした時間。
唯先輩は私の横でトランプを繰りながら、楽しそうにお喋りに興じていた。ほんにゃりと、すっかり力の抜けた笑みを浮かべながら。
不意にその目が少し細まったかと思うと、先輩は小さなあくびをする。そして、それをじっと見ていた私に気づいて、えへへと照れ隠しの笑みを浮かべて見せた。
「眠いですか?」
「んー、そうかも…」
無理も無い、と私は思う。初めてのライブハウスでのライブ演奏。何もかも初めてだったそれをこなし、そのまま唯先輩の家になだれ込んで今まで騒いでいたのだから。
実際のところ、私の方もさっきから眠気と格闘していたりするし。
その余韻じみた興奮状態で何とかそれをしのいでいたけれど、それももう限界みたい。私も、そして唯先輩も。
ぱらり、と先輩の手からトランプが落ちそうになり、そのままふにゃりと先輩はゆっくりと崩れ落ちていく。
「う~ん…もう、だめぇ……」
そう、最後に呟きだけを残して、先輩の体はぽすんと音を立ててクッションの上に倒れこみ、間髪いれずすやすやと寝息が聞こえ始めた。
その寝付きのよさに感心と、そして半分くらいの呆れを交えて、私もそれに追随するようにその隣、カーペットの上へと倒れこんだ。
それにしても、やはり冷たい空気は下に、暖かい空気は上にということなのだろうか。
コタツに突っ込んだままの下半身は暖められているけど、腰から上はひんやりと肌寒かった。
「寒い……かな」
ぽそり、と私は思わずそう呟いてしまう。
呟いたからといって、それは変わらない。変わるはずが無い、なんてそんなことはわかっていたことだけど。
だけど――きっとそうならないって、私は期待していた。
「すぅ……すぅ」
視線を横に向ければ、そこには小さな寝息を立てながら眠る唯先輩の背中が見える。
だから、私はコタツ以外には自分を暖めてくれるものを得られないまま、小さく肩を震わせている。
「ゆい、せんぱい……」
小さく、その耳にぎりぎり届くか届かないか、その程度の声量で、私は先輩に呼びかける。
けれども返事はやはり、返ってこない。私の目に映るのは、変わらない先輩の背中だけ。
いつもなら、あずにゃーんなんていいながらぎゅーっと抱きついてくるのに。
だから今も、この瞬間も、きっとそうされたまま私は眠りにつくんだと。そう思っていたのに。
「……」
ほんのちょっとだけ、恨みがましさをこめた視線を、その背中にぶつけてみた。それで何かしようというつもりは欠片も無かったけど、とりあえず抵抗のような何か。本気なんて半分も、どころかおそらく一割程度にもこもっていない。
だって、本当のところ、きっとこうなるだろうってことはわかっていたから。
まるで習慣のようにそうするから、私を取り巻く人たちはそれが
当たり前のことだと思っているかもしれないけど。先輩は、いつも私にくっついているわけじゃない。先輩が私にそうするのは、この人の周りに私より興味を引くものが存在しないときに限られる。
そう、例えばこのところ。初めてのライブハウスにすっかり興味を惹かれてしまった先輩が、私に抱きつくことが無かったように。
先輩はいつもそう。
傍にいる、近くにいてくれると思ったら、いつの間にかすごく遠くまで歩いて行っていたり。
それでもまた気が付けば、びっくりするほど近くまで来てくれたりもするんだけど。
思うが侭、大好きを振りまいて、楽しいよって笑って、いつだってにこにことしてる。
本当に、この人は無邪気で、無垢で、憂の台詞じゃないけどまるで生まれたての天使のような人で――そして残酷だ、と思う。
先輩たちは私のことを、唯のお気に入りだな、なんて言ってくれるけど。それはときに皮肉のように聞こえてしまう。
つまりはそういうことで、私は唯先輩のお気に入りにしか過ぎない。私がその目に入ったときだけ、ぎゅっと抱きしめて可愛がって、そしてまたふいっと次のお気に入りに行ってしまう。
ずっと私だけ、なんて、そんな素振りは微塵も見せてくれない。
今もこうして、寒さに震える私のことなんてぜんぜん知らないよなんて、私に背中を向けて気持ちよさそうに寝息を立てているように。
距離的にはこんなに近くなのに、すごく遠くに感じてしまう。
それはとても苦しくて、胸がぎゅうっと締め付けられるように痛くなって、辛い。辛くて、苦しくて、泣き出してしまいそうなほど。
本当に、残酷だと思う。私を、これをそう思わせるまでにしてしまったくせに。
「……仕方ないけど、ね」
だけど、それを先輩のせいにはできないこともわかっていた。
だって、それは全部、私が勝手に思っていることだから。
抱きしめられても、素直にそれに甘えられない。先輩にはついつい小言ばっかりになってしまう――まあこれは先輩にも問題はあると思うんだけど。
いつもそれを受け取るばかりで、私は先輩に何も返してあげられてないから。
そんな私が、そんな状態でいながらそう望んでしまうこと自体が、間違っているんだと思う。
だから、いつも私は後悔ばかり。いったいそれをいくつ重ねれば、私は素直になれるんだろう。
越えるべきハードルは、たくさん目の前に転がっているのに、私は全然足を踏み出せずにいる。
燃料になるべき想いを、まるで錘のように胸に抱え込んで、その重さに膝を震わせているだけ。
そして。
後いくつ後悔を重ねている間、私はこの場所にいられるのだろう。
まだ先輩が、私の傍にいてくれるこの場所に。
先輩は、いつも思うままに歩いていく。そして、思いのままに歩いていける力を、その胸にちゃんと抱え込んでいる。
先輩が思うよりもずっと、先輩は強いってことを、私はよく知っているから。
だからきっと、先輩はいつかずっとずっと遠くに進んでいってしまうんだろう。
足踏みしたままの私なんて置き去りにして、この手の届かないずっと遠くまで。
それは予想でも想像でもなくて、予言じみた何か。
このままなら、いつかきっとそれは実現してしまうとはっきりと瞼の裏に、夢の中に浮かべられる。
「……あ」
ふと気が付けば、私は先輩の背中、その服をきゅっと掴んでいた。
逃がさないように、離れないように、遠ざかってしまわないように。
それが嫌だと、そんなシーンなんて絶対に来てほしくないと、そう願うように。
それは普段の私らしくない、自分でも驚いてしまうくらいに素直な行動で、思わず小さく苦笑してしまう。
そんな素直な行動を、こんなに簡単に取れてしまった自分が、なんだかおかしい。
唯先輩が寝ているから、それに気付かれないという前提があるからだとは思うけど。
だけど、それでもそれはびっくりするほど簡単な行為だった。
今まで思い悩んでいたことが、そんな自分が馬鹿みたいに思えてしまうほどに。
「……はぁ、もう」
せっかくだから、とその勢いのまま、私はそうっと唯先輩の背中に寄り添う。掴んだ手をおなかの方まで回して、肩をきゅっと寄せて、頬を背中に当てて。
まるで、いつも唯先輩がしてくれるみたいに――なんてそこまでは積極的にはなれないけど。
「あったかい……」
背中越しの先輩のぬくもりは、やはり暖かかった。いつものそれには、少しだけ及ばないけど、だけどそれでもちゃんと暖かい。暖かい、先輩のぬくもり。このシーンでは諦めていたものが、今確かに私の胸の中にあった。
つまりは、私はずっと踏み出せなかったその一歩目を、踏み出せたということなんだろう。
「せんぱい、あったかいですよ……?」
浮かべた苦笑は微笑に変わって、それに押されるように私は小さく、でも甘えた声で先輩に囁く。
いまだ眠ったままの先輩は、それには応えてはくれないけれど。だけど、いなくなったりなんかしないまま、私を暖めてくれている。
私は先輩に抱きしめられていないのに、今こうしてそのぬくもりに暖められている。それは先輩に会ってから、そんな想いを抱くようになってから初めてのことで、それが嬉しくて私はくすくすと笑った。
ぎゅっともう少しだけ、先輩を起こさないほどの強さを右腕にこめて、その背中に顔を摺り寄せたまま、私は目を閉じる。
この幸せに浸ったまま、寝てしまおう。きっとそれは、ささやかだとは思うけど、とても幸せなことだから。さっきまでの私には決して味わえなかった、その一歩を踏み出せたからこそ、得られたもの。
そして起きたら、またいつか次の一歩を踏み出せたら、と思う。
起きている先輩相手に、顔をあわせながらは難しいとは思うけど。
例えば寒くて震えている先輩を、後ろから抱きしめるくらいなら……くらいなら、なんていえる難易度じゃないとは思うけど、がんばってみようと思う。
それができたら。ねえ、先輩。先輩は、私にどんな顔を見せてくれるのかな。
それを楽しみにさえ思えている自分に小さな驚きを浮かべながら、私はゆっくりと先輩のぬくもりの中、意識を沈めていった。
(終わり)
- こういう片思い的なのも結構いいよね -- (名無しさん) 2010-12-14 04:28:56
最終更新:2010年01月25日 04:30