私が抱きつくと、
あずにゃんはいつも困ったような顔をする。
そして慣れたように私から離れると、落ち着いた表情で楽しそうに澪ちゃんやムギちゃんと話す。
それを見てると、ちょっぴり胸の奥が痛くなる。私と話す時もあんな顔を見せてくれたらな…なんて。
それでもたまに向けてくれる笑顔が見たいから、私はあずにゃんにアプローチするんだ。
だって私が近づくことをやめたらあずにゃんは遠のいちゃうから。私から離れることはあっても、私に近づくことは絶対にないんだから。
「あずにゃーん♪」
「ま、またですか…」
「いいでしょー?それよりさ、今日一緒に帰ろうよ。肉まんおごってあげるから!」
「遠慮しときます!いいから離してください!」
「そんなつれないこと言わないでさー?あ、ピザまんの方がいい?それともあんまん?」
「そうじゃなくて…今日は約束があるんです!」
「約束?憂とか純ちゃんとかと?」
「えへへ…澪先輩と楽器屋行くんです♪」
「…!!」
「だから離し…きゃ、いきなり離さないでくださいよ!」
「…ごめん。そっか、約束あったんだ…」
「あ、唯先輩も一緒に来ます?」
「唯も行こうぜ~抜け駆け許すまじ!」
「律先輩いつの間に…」
唯「…はぁ」
それから20分。コンビニ横のベンチでため息をつく私の横には誰もいない。
結局、あずにゃんの誘いは断ってしまった。普段なら喜んで付いて行ってたのに、なぜか今日はそんな気分になれなかったんだ。
なんでだろ…もやもや考えつつ、買った肉まんを一口かじった。…あんまりおいしくないや。それでも残すのはもったいないから無理矢理口に押し込む。
「んむっ…うぐ…えぐ…」
気付くと、涙と鼻水が溢れ出していた。必死にこらえようとしても止まらない。あの時のあずにゃんの顔と声が頭から離れない。
――澪先輩と楽器屋行くんです♪
私に文句を言ってた時とは別人みたいに嬉しそうだったあずにゃん。
それは、澪ちゃんと一緒にいられるから…なのかな。りっちゃんも一緒だから、二人きりってわけじゃない。
でも…きっとあずにゃんは澪ちゃんと色々おしゃべりするんだろうな。楽しそうな顔で、楽しそうな声で。
そんなの見たくないから、聞きたくないから、私は無意識にあずにゃんから離れようと思ったんだ…
肉まんを食べ終えても、私はベンチに座ったままだった。涙は止まったけど、代わりに体に力が入らなくなっていたから。
…私って、あずにゃんの何なんだろう。とりあえず、先輩。あとは…あれ、終わり…なんだ、あずにゃんにとってただの先輩でしかないんだ、私。
でもそれは他の皆も同じだし、それ以上を望む必要なんてないのかもしれない。
でも…私は嫌なんだ。ただの先輩じゃ嫌。私はあずにゃんにとって特別な存在でありたい。
そう思ってあずにゃんに抱きついたり、いろんなことしてきたけど…何も変わらない。
だって私がどんなに近づいても、あずにゃんが同じ角度に動いたらずっと平行線。一生距離は縮まらないんだから。
唯「なんか、疲れちゃったなぁ…」
毎日毎日、私は縮まらない距離をずっと縮めようとする。だけどそんなの、無駄なことなんだ。
だってどんなにがんばったって、あずにゃんは私のことを見てくれないから。
見てくれないなら、抱きしめたって話しかけたって意味はない。…たとえ私の気持ちを伝えたって、意味はないんだ。
だったら…
プルル…
唯「あ、憂?うんごめん、ちょっとね…もう帰るよ。うん…ホントに大丈夫だよ。…ちゃんと、決めたから…」
…諦めちゃえばいいんだ。
次の日私は、軽い挨拶をしただけであずにゃんに抱きついたり、話しかけもしなかった。
あずにゃんは最初は私を気にするような素振りを見せたけど、そのうちにいつものように澪ちゃんと話し始めた。
それを見て、また一歩あずにゃんとの距離が広がったような気がして少し胸が痛んだ。それでも…
紬「唯ちゃん、今日は梓ちゃんとお話しなくていいの?」
唯「…うん。いいんだよこれで」
紬「え?いいって?」
澪「おーい!練習始めるぞー」
唯「さ、頑張ろムギちゃん!」
紬「うん…?」
そう、これでいいんだ…私はもう、あずにゃんに近づかないって決めたから。
梓「唯先輩、こないだ言ってたとこできるようになりました?」
唯「うん、だいたい」
梓「そうですか、じゃあ頑張ってください」
唯「うん、頑張るよー」
別に、あずにゃんと絶交しようだなんて思わない。
無理に近づかなくたって同じ部活にいる以上、こんな風に最低限の距離は保てるんだから。
でもそれは今までよりずっと遠くて、お互いの顔も見えないような距離かもしれない。
…それでいい。それがお互いに一番いいことなんだから。
わざわざあずにゃんに迷惑かけてまで嫌な思いするなんて、馬鹿げてるから。
それから1週間。驚くくらいに私とあずにゃんは自然でいた。
抱きつかなくなったのが当然になって、二言三言の会話で1日が終わる。それが普通になっていた。
正直私は、そのうちあずにゃんが私に近づいてきてくれるんじゃないかって思ってた。
私が離れたのを寂しく思うんじゃないかって思ってた。でも…物事はそんな都合よくはいかない。
「唯先輩、今日は調子よかったですねっ♪
「え、そう?また一歩プロに近づいちゃったかな?」
「調子に乗りすぎです!」
「あう!」
どうやらあずにゃんは今くらいの距離が一番楽みたいで、前には見せなかった柔らかい表情を見せてくれるようにもなった。
…うまくいかないな。こんな顔されたら、もっと近づきたくなっちゃうよ。抱きしめたくなっちゃうよ。
でもそうしたらあずにゃんはこんな顔をしなくなる。嫌がって離れていく…もっとそばにいたいのに、触れたいのに、あずにゃんはそれを受け入れてくれない。
なんで、なんでなのあずにゃん。なんで遠くからじゃなきゃ私のことを見てくれないの…?なんでそばにいちゃダメなの…?
「…唯先輩、一つだけ聞きたいことがあるんですけど」
他の皆が帰った部室で、マフラーを首に巻きながらあずにゃんは私に言った。
今にも部室を出ようとしていた私の背中に届いた声は、いつもより小さいような気がした。
「…なに?」
「私、なにか唯先輩に悪いことしました?」
「え?なんで?」
「いや、なんていうか…最近の唯先輩、静かっていうか怒ってるっていうか…あまり私に話しかけてこないから」
「…そんなことないよ。あずにゃんはなんにも悪いことなんてしてないよ」
「でも…澪先輩に聞いたら、何かふてくされてるんじゃないかって」
「……」
「唯先輩?」
…なんで私のことを澪ちゃんに聞くの。なんで最初に私に言ってくれないの。なんで澪ちゃんなの。なんで私じゃダメなの。なんで私は諦められないの。
こんな気持ち、早く捨てようって決めたのに。こんな気持ち持ってたって意味ないのに――
「唯先輩?な、泣いてるんですか?」
「…あずにゃんは…」
やめなよ。こんなこと聞いちゃダメだよ。もしもそうだって言われたら私耐えられないよ。だから、だから…
「澪ちゃんのこと、好きなの?」
「え…?」
「なんとなく分かるんだ。もしそうなら、私応援するよ」
…馬鹿だ、私。
「…なに言ってるんですか?」
「ほ、ほら、あずにゃんはよく澪ちゃんとしゃべってるし…だから私、二人が一緒にいられる時間が増えるように気を使ってたんだからね?
な、なのにあずにゃんたら、全然澪ちゃんと進展しなくてさ、ホントにもうあずにゃんは、よ、弱虫っていうかダメダメっていうか…」
私、何言ってるんだろう。こんなこと一度も思ったことないのに。ただあずにゃんの気持ちが知りたいだけ?それとも諦めたいだけ?
…わかんない。なんにもわかんないよ…
「あはっ、あはは…だ、だからね、あずにゃんは私のことなんか気にしなくていいから、だから、思う存分澪ちゃんと…」
「唯先輩」
「こ、告白とか、なんでも…」
「唯先輩!」
「……!」
あずにゃんは後ろから私を抱きしめた。
おかしくなりそうに高ぶった感情が抑えこまれたような、そんな気がした。
「落ち着いてください!どうしちゃったんですか?」
「はぁ、はっ…はぁ…うっ…うぅ…」
「大丈夫ですから…」
「…あ…あずにゃんは…あずにゃんは澪ちゃんのことが好きだから…だから…」
「…誰がいつ、そんなこと言ったんですか」
「…え…?」
「澪先輩のことはかっこいいし素敵な先輩だとは思いますけど…それ以上の気持ちはないです」
「う…うそだよ…だって、だって…」
「嘘じゃないですよ。こんなことで嘘ついてどうするんですか」
「はぁ…はぁ…うぅ…うぇ…」
「だから唯先輩が変な気を使うことないんです。今までみたいに抱きついたって話しかけたっていいんですからね」
「……」
「ねぇ唯先輩、私…」
「じゃあなんで!」
「!?」
私はあずにゃんから飛び退くように身を離していた。もう自分が何をしたいのか、どうしたいのか分からなかった。
「なんで…なんで私には澪ちゃんみたいな顔してくれないの?私があずにゃんに抱きついたら、あずにゃんは嫌な顔するのに…」
「いえ、嫌な顔なんて…」
「私があずにゃんのそばにいたらあずにゃんは私のこと嫌いになるよ…だったら、遠くにいるしかないじゃん…」
「嫌いになんてなりませんよ!」
「嘘だ…あずにゃんは私なんか嫌いなんだよ!一緒になんていたくないんだよ!」
「唯先輩…」
「だったら私もあずにゃんのこと嫌いになるしかないじゃない!全部諦めて、全部捨てるしかないじゃない!なのに…なのに…」
「なんで優しい顔するの…?せっかく離れたのに、なんで、なんで…」
「唯…先輩…」
「諦めさせてよ…どんなに好きになったって、あずにゃんは私のこと好きになってくれないんだから、だったら諦めさせてよぅ…」
ふと体中から力が抜けて、私は床に倒れ込みそうになる。それを支えたのは、私よりずっと小さいあずにゃんだった。
「うえぇ…えっ…うえぇぇ…」
「…覚えてますか。最初に唯先輩が私を抱きしめた時のこと」
「えぇ…ひくっ…うぅ…」
「私怒ってたのに、すごく落ち着いちゃったんです。唯先輩、あったかくて気持ちよかったから」
「グスッ…うぅ…」
「…だから私は、唯先輩に抱きつかれるの嫌なんかじゃないです。少しびっくりするだけで」
「……」
「唯先輩が何を諦めるのかは分かりませんけど…それで私を抱きしめなくなるのは嫌です」
「え…」
「だから…私は唯先輩のこと嫌いなんかじゃないし、嫌いになってほしくもないです」
「あずにゃ…」
あずにゃんは強く私を抱きしめた。息が苦しくなるくらいに強く、そして優しく。
「…私は、唯先輩にそばにいて欲しいですよ」
「ふえぇ…」
「ごめんなさい。私、自分から何かを言うのには慣れてないから…」
私はあずにゃんに抱きしめられて、迷っていた。
このまま何も言わなければ、多分また元の関係に戻れる。でも…
「唯先輩、もう大丈夫ですか?」
「ん…」
「だったら一緒に帰りましょう。もう暗いですから」
「…あずにゃん」
「はい?」
やっぱり私は諦められない。もし私たちの距離がどうしようもないくらいに遠ざかってしまってもいい。
だから言わなきゃ。こんな私のそばにいたいって言ってくれたあずにゃんに、言わなきゃ。
「…私ね、あずにゃんのことが好きなの。大好き。だから…」
「私と付き合ってください。唯先輩」
「え…?」
「正直言って、混乱してます。だけど…唯先輩のそばにいたいっていうのは確かです。だから…付き合って、そばにいてください」
「う、うん…」
「多分…私と唯先輩は同じ気持ちだと思うから、だから一緒にいたいんだと思います」
「同じ…」
「好きですよ。唯先輩」
「うぶっ…うぅ…」
「ま、また泣いて…もう、唯先輩はどれだけ泣くんですか?」
「あ…ありがとぉ…うぇぇ…」
「…こちらこそ」
おわり
- イイハナシダナー -- (名無しさん) 2010-08-03 02:01:58
最終更新:2010年02月22日 12:36