「唯先輩?」
放課後、音楽準備室の扉を開けて……
いつもの席に突っ伏している唯先輩を見つけた私は、
驚きの声を上げてしまった。
顔を少し上向けて、唯先輩が言う。
「お、お疲れ様です……」
挨拶を返し、扉を閉めて。机に向かいながら、
「どうしたんですか、唯先輩? 今日、部活中止、ですよね?」
私はそう聞いた。さっき律先輩から携帯にメールがあって、
部活の中止を知らされたばかりなのだ。
澪先輩は風邪でお休みで、律先輩はそのお見舞。
ムギ先輩はアルバイトで急なヘルプを頼まれてしまったらしい。
三人も部活に出られないため、
今日の部活は中止にしたと知らされたのに……
どうして唯先輩は部室に来ているのだろう?
同じクラスの唯先輩が、部活の中止を知らないわけはないのに。
「ん~、ちょっと、ねぇ……あずにゃんはどうしたの?」
返事は曖昧に、逆に聞かれてしまう。
唯先輩らしくない態度に、ちょっと首を傾げながら、
「私は、少し自主練習していこうと思ったので……
あと、その後澪先輩のお見舞に行こうかなって……」
唯先輩は律先輩と一緒にお見舞に行ったと思ってました……
そう付け加えて言うと、唯先輩はまた「ん~」と曖昧な声を出して、
身を起こした。やっぱり唯先輩らしくない、はっきりとしない態度だ。
唯先輩も具合が悪いのだろうかと、心配になって机に近づくと、
「……あ、進路、ですか」
机の上に置かれている、進路調査の用紙が見えた。
何度も書いては消してを繰り返したのか、記入欄は汚れていた。
「うん……教室でも家でもずっと考えているんだけどね、
どうしても決まらなくて……部室なら、
少しは思い浮かぶかなって思ったんだけど……」
そう言って、唯先輩がため息をついた。
笑みに力はなく、私が側にいるのに抱きついてくることもない。
視線は用紙に向けられているのに、でもどこか遠くを見ているようで……
いつもの唯先輩からは想像もできないような落ち込み具合に、
私の胸も塞がってしまう。
(他の先輩方がいれば……)
唯先輩もここまで落ち込むことはなかったはずだ。
明るく場を騒がせてくれる律先輩や、
しっかりとした言葉でアドバイスをくれる澪先輩。
ムギ先輩なら優しく励まし、
幼馴染の和先輩ならそれとなく支えて上げられて……
でも私一人だと、どうすれば唯先輩を励まして上げられるのか、
まるでわからなかった。
(せめてお菓子でもあれば……)
そう考えたところで、
カバンの中にお昼の菓子パンの残りがあったことを思い出す。
残り物だけど何もないよりはまし。
そう自分に言い聞かせて、カバンからチョコパンを取り出して、
(ど、どうやって渡そう……)
そこで私はまた悩んでしまった。そのまま渡したのでは、
なんか残り物を押し付けるみたいで申し訳ないし、
でもお皿に並べるほどの量はなくて……
唯先輩のため息が聞こえて、
焦ったような気持ちに捕らわれてしまった私は、
「ゆ、唯先輩!」
「ほえ?」
「あ、あ~んして下さい!」
思わず、そんなことを言ってしまっていた。
私の言葉に、唯先輩は驚いたような表情を浮かべた。
言った私自身も、自分の言葉に驚いてしまった。
とんでもないことを言ってしまったと思い、
恥ずかしさに顔が熱くなり……
でも、落ち込む唯先輩に何かして上げたいという気持ちは抑えられなくて、
「あ、甘いものでも食べれば……ちょ、ちょっとは考え、
まとまるかもしれませんし……」
半分俯きながら、私は袋の中のチョコパンを一口大に千切って、
唯先輩に差し出した。唯先輩の目が、私の指に挟まったパンに向き、
「……ありがと、あずにゃん」
唯先輩はにっこり笑うと、わざわざ「あ~ん」なんて声を出して、
私の手のパンを食べた。唯先輩の唇が指に触れて、
頬の熱さが増してしまう。
「ん……美味しぃ……」
もぐもぐと食べる唯先輩の顔に、
いつものほにゃっとした笑みが戻ってくる。
それを見て、ようやく私の気持ちも落ち着いてくれて、
「はい、先輩……あ~ん……」
「あ~ん……」
2度目の「あ~ん」は、自然な動作でできた。
少しの恥ずかしさは消えないけれど、
それよりも唯先輩に元気が戻ってきてくれた方が嬉しくて……
3度目からはもう、まるで当たり前のような振る舞いになっていた。
「……大丈夫ですよ、唯先輩」
最後の一欠けらを指でつまみながら、私は言った。
「……え?」
「唯先輩なら大丈夫です……進路だって、そんなに心配しなくても」
「あずにゃん……」
唯先輩に見つめられながら、私は言葉を続けた。
「唯先輩はいつもだらしなくて、おっちょこちょいで、
練習もしっかりしませんけど……」
「う……あずにゃん、ひどいよぉ……」
「……それでもいつだって、最後はしっかりやってくれて、
ライブだって格好良く、みんなを夢中にしてくれるんですから……
だからきっと、大丈夫ですよ」
そう言って、私は最後の一欠けらを唯先輩に差し出した。
唯先輩は、しばらくパンを見つめていたかと思うと、
「あ……あずにゃ~ん!」
「にゃ!」
突然私に抱きついてきた。いつもと変わらない勢いで、
満面の笑みを浮かべながら。
「ちょ、突然抱きつかないで下さい! びっくりするじゃないですか!」
「あずにゃんありがとう! 私頑張るからね! 頑張って進路決めるよ!」
「……進路決めた後も頑張って下さいよ」
唯先輩の言葉にあきれ……
それでもいつもの調子を取り戻してくれたことが嬉しかった。
やっぱり唯先輩は、明るく笑っている顔が一番だと思った。
「……あ、でもね、あずにゃん。一つだけ決まってることがあるんだよ」
「え、そうなんですか?」
「うん……私がどんな学校を選んでも、どんな仕事をしても、ね……」
そう言いながら、唯先輩の手の力が強まった。
ぎゅっと抱きしめられ、全身が密着し……私の耳元で、唯先輩が、
「……私は、あずにゃんの側にいるよ」
そうささやくように、言った。甘い言葉に一瞬、私の体が硬直し、
「……今の言葉、絶対忘れませんからね……守って、下さいよ……」
唯先輩の耳元で、私もそうささやいていた。
机の上の、進路調査の用紙が見えた。
記入欄が空白のままで、まだ決まっていない唯先輩の進路。
でも書かれていなくたって……
「うん、もちろん! 絶対守るよ!」
決まっていることはちゃんとあるんだと、
唯先輩に抱きしめられながら、私は思った。
END
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最終更新:2010年05月27日 13:29