すっかり日が暮れて間もないころ、
私は一人、ベッドの上で横になっていた。


「ケホッ…ケホ…」


喉が痛い……。
加えて、頭が熱を持ったようにくらくらとして、
寝ようにも寝付けない、そんな状態がここ数時間続いている。
つまるところ、風邪である。


当然学校は休んだし、部活にも行っていない。
朝、憂に学校を休むと伝えてからは一日中ベッドとお供だ。
熱はまだ……38℃もある。
体温計を枕元に置き、仰向けになると、薄暗い天井を見上げる。




誰もいない部屋の、なにもない空間に、投げかけるように小さく呟いた。
例え、傍に誰かがいたとしても、気付くか気付かないくらいの、ほんの小さな囁き…。
すると、その呼びかけに呼応するように、部屋の中に光が灯った。


「呼んだ?あずにゃん


ふと声のした方に視線を向けると、そこにはお湯の入った桶と、
湯気を立てたおしぼりを持った唯先輩が、扉の前に立っていた。


「聞こえたんですか……?」
「ううん、なんとなく、あずにゃんが呼んでた気がして」


その答えに、どこか無性に嬉しくなって、いてもたってもいられなくなった私は、
重い身体をベッドから起こすと、力なく、唯先輩の方へ両腕を広げた。
そんな、いつもより甘さ控えめですらない我儘な私にさえ、
唯先輩はなんの文句も言わずに、優しく、一杯の愛情をこめて抱きしめてくれる。


「寂しくなっちゃった?」
「わたし……唯先輩のこと、呼んでたんです。小さな声で……心の中では何回も」
「大丈夫、ちゃんと聞こえたよ」


唯先輩は、抱擁する力を強めてそれに応えると、「いまはここまで」と言って、
ゆっくりとベッドに寝かせると、毛布をかけ直してくれた。
それでも、いつもより我儘な私は不満そうに頬を膨らませたが、
唯先輩は「早く元気になってくれたら、その分いっぱいしてあげるよ」と言って、
そっとおでこに口づけをひとつ落としてくれた。


「ずるい……」
「ん~?なにが~?」


あっけらかんとする唯先輩に、私はただ、毛布で口元を隠して、
にやけきってしまっているのを隠すのに必死だった。
こういう時は、ムリに逆らわずに、言われた通りにするのがいいんだろう。
人一倍負けず嫌いな私がそれに気付くまで、唯先輩と付き合い始めてから、
それはもう、長い月日をかけたものだ……。

唯先輩は学校が終わるなり、部活にも顔を出さず真っ先に私の元へ飛んできてくれた。
当然、嬉しくもあったが、部活を休んでまで、
しかもゼェゼェと息を切らした唯先輩の姿を見れば、やはり申し訳なく思ってしまう。
でも唯先輩は、そんな私の不安を吹き飛ばすかのように、
ピースサインを送ると、こう言ってくれたんだ……。


『あずにゃんが一番大事』


と。


「ふふ、ちゃんとおしぼりの場所わかったんですね…」
「勝手知ったるはなんとやらってね♪」


微笑む唯先輩に私も力ない笑みで返す。


「自分で脱げる?」
「ちょっとムリかも……です」
「じゃあ脱がすね?」
「うん…」


唯先輩は、再び私をベッドから起こすと、
スルスルと手際よく衣服を脱がしていった。
その度に布の擦れる音と、
唯先輩の息づかいが聞こえてちょっぴりエッチな気分になる。


「あずにゃん、きれい……」
「……ダメですよ?」
「わかってるよぉ、信用ないなぁ…」


ブー垂れる唯先輩が可愛い。
こういうところは昔と全く変わってないんだな。


「背中、拭くね?」
「お願いします」


私の了承を得て、唯先輩はお湯に浸かっていたおしぼりで、
丁寧に背中を拭き始める。
まるで、壊れものを扱うような優しい手つき。
そこから伝わる、唯先輩なりの最高の心遣い。
温かくて、気持ちいいな……。


「あずにゃん、気持ちいい?」
「はい、最高な気分です…」
「前は?自分でやる?」
「唯先輩に、してほしい…」
「よしきたっ」


まるで身体の隅々まで唯先輩に洗われる感覚。
身体だけでなく心まで温まる心地に、
やがて私は静かに、瞼を閉じていた。

「あずにゃん終わったよぉ~…ってアレ?」
「ぅ……ん…」


聞こえてきたのは返事のそれとはまた違う響きだった。
もしかして寝ちゃってる?


「すぅ……すぅ……」
「あずにゃん、裸のまま寝ちゃうと余計身体に悪いよ?」


と言ってもマッパじゃなく上半身だけ。
さすがに下の世話までは、その………元気な時にね?
そんなエッチな思考を振り払うと、私はとりあえずあずにゃんに服を着せていく。
なるべく起こさないように、そぉっと、慎重に……。



「ふぅ、できた」


なんとか服を着せ終えることができた私は、自分も寝る支度をしようと、
部屋の隅に置いてある鞄へ着替えを取りに行こうとした。
でも、


ぎゅ…


いつのまにか、あずにゃんはその小さな手で、服の端っこを小さく握っていたのだ。
強引に離そうと思えばいくらでも手段はあるし、今にも離してしまいそうなほど、
その力は微々たるものだったけど。
それでも、今の私にはそんなことできるわけがないし、したいとも思わない。
私は苦笑して、観念したようにあずにゃんを静かに抱きしめると、
同じベッドの中眠りにつく事にしたのだった。


もしこれが原因で、私があずにゃんから風邪を貰っちゃったなら………
その時は、あずにゃんには思う存分、つきっきりで看病してもらうことにしよう。
あずにゃんも私のように、飛んできてくれれば嬉しいな…。


そんな期待に胸を膨らませると、
なんだか、風邪をひくのも悪い気はしないなと思えてしまう。
そんな自分がなんだか可笑しくて、私はクスリと笑うと、
あずにゃんの小さな唇に触れるだけのキスをしてから、瞳を閉じた。



そんな、なんでもない……幸せな一日だった。





おわり


  • 王道の看病ネタ! 良い! -- (名無しさん) 2010-06-04 17:41:53
  • 最高です! 続編希望 -- (鯖猫) 2012-10-27 11:36:14
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最終更新:2010年06月02日 20:24